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「こんなに早くお話しする機会があるとは思いませんでした」

 モルの言葉は聞き惚れてしまいそうなほど整った文脈と発音による貴族の言語だった。

「お話しして楽しんでいただけるのかしら」

「楽しい必要はないでしょう」

 モルはうっすらとほほ笑んだ。


 そうしてみれば彼女の瞳はとても聡明な光を灯しており、知の女神のようだった。


「でも一応わかって頂かないと。ランディもとても心配していたから」

 彼女が何を話したいと考えたのかがそれでようやくわかった。

「別にわたしは非難するつもりは一つもないけど……」

「ランディはミアと婚約していた時は、本当に私の存在を知ることすらなかったんです」

 ギャビーは静かに呼吸をする。


 怒るべきことではないし、いったい何を怒ったらいいのかすらわからないが、モルと語り合うことに心は激しく波立つ。

 並んで座り、お互いの顔を見ることが無いことが救いだった。

 ……やはりわたしはモルを嫌っているのだろうか、嫌う理由もないのに。


 ギャビーはゆっくりと自分の心を考える。

「それにランディも首都ではミアを忘れたことはありませんでした。彼を悪く思うのはやめてあげて下さいませんか」


 まだミアが死んで半年しかたっていないのに、ランディが次に心を寄せる人間を作ったことに憤りを感じているのだろうか。でも生者を死者に縛り付けることに意味は感じない。じゃあいつだったらいいのかと思う。一年?三年?十年?

 まさか一生なんて言えない。

半年だってランディが心安らげる相手ができて幸せになるのならそれは祝すべきことであろう。


「別に、そんなことはわたしはなにも」

「でも、理不尽だって顔をなさってらっしゃる」

 モルは極めて断定的に言った。その言葉に彼女の不可解さがなおさら強くなる。見た目は砂糖菓子のようなのに発言は強い。


 それが魅力的に映る人間もいるのだろう、ランディの様に。

 自分は……ちょっとよくわからない。

 思考も感情も、どこに置いていいものかわからずギャビーは困惑していた。


「理不尽とは思わない。自分と違う人生に文句をつけるのは嫌だから。わたしが今までさんざんケチをつけられてきたことだし」

 ギャビーがここまで内心を語るとは思っていなかったのだろうか。モルは一瞬口を閉じた。何か言おうと思えば、この場を取り繕うことが可能な言葉はいくらでもあるだろうに、彼女は真摯にギャビーへの言葉を考えていた。


「気を悪くなさったらお詫びしますが、お伺いしても?それはシナバーだからですか?」

「そう、いろいろな理不尽はもう知っている。だから人にぶつけたくない」

 言いかけてギャビーは言葉を付け加えた。

「そういうと私が聖人のようだけど、そんなことはないの。ただ、意見が違うのならわたしはほったらかしておくし、その合わない誰かにもわたしをそっとしておいてほしいだけ」

 そしてようやモルの横顔を眺める。まつげがとても長く、はっきりとした影が頬に落ちていた。


「ランディと話をしたくなかったのですか?」

「……正直、そうかもしれない」

 ミアがいなくなった以上、ギャビーにとって彼は遠い相手だ。彼と一緒にミアの思い出を語り合うというのも何となく気が進まなかった。生きている間から、いい人ではあると知っていたけど、深く関わりたくないと考えていたことに今気が付く。今日のブランチだけで本当に充分だった。

 単純にミアを取られたくなかっただけかもしれない。


 あるいは。

 思い浮かんだ考えをギャビーは静かに心の中で否定した。


「あまりお心を聞かせて下さらないのですね」

 モルが寂し気に微笑んだ。こちらが申し訳なく思ってしまうような、人の心に楔を打つ表情だった。圧倒的な美しさというのはかくも力を持つのかと驚嘆する。 

 モルはギャビーに訴えてはみるものの、特に怒っているようでも不快に思っているでもなかった。そもそもランディとモルが出会ったのは、ミアが行方不明になった後であり、特に不誠実であったというわけではない。しかしギャビーが二人の恋にわだかまりがあるのは感情的には仕方ない部分もある。モルはそれを察し、理解しているようだった。


「こんなことを申し上げても欺瞞に思われるかもしれませんが、ミアが見つかると良いですね」

 モルはそこで立ち上がった。ギャビーを見下ろして礼儀正しく腰を落として頭を下げる。

「本当に、そう思っているんです」

 モルの漆黒の瞳をギャビーは見つめた。向こうも目を逸らすことなく互いの瞳を深く見つめることになる。


「……わたしはミアを存じ上げませんが、きっとあなた達は本当に似ているんでしょうね」

 モルはしみじみと語る。

「ランディはミアのことを今も話します。とても美しい女性だったと。そしてあなたもとてもよく似ているって」

「でも根本的なところでは何かが違うんだわ」

「……そうですね。そうじゃなかったらきっとランディはあなたに心を寄せたと思います」

 まさか、とギャビーが笑おうとした時だった。


「モル!」

 図書室の入り口からモルを呼ぶ声がした。

 さほど背の高くない、小太りの男性が立っていた。


「父です」

 モルの言葉にギャビーは立ち上がる。

 モルの父親……フィリップ・キンケイドはゆっくりとこちらにむかって歩いてきた。見た目はさほどでもないが雰囲気は堂々としたもので名士らしさを感じられた。着ているものも立派な仕立てである。

 しかしモルと並ぶとその容姿の端麗さは比べ物にならず、モルの母親はどれほどの美女だったのだろうかと下世話な想像をしたくなる。


 整えられた髭に一度触れながらフィリップはギャビーを眺めた。そして恭しく頭を下げる。

「初めまして。モルの父親のフィリップです」

 差し出してきた手にはシナバーに対する嫌悪感を認めない。礼儀正しいといえるだろうがその実あまり好意も感じず、ギャビーは少し警戒しながら握手を交わした。

 彼の指にはいくつかの指輪がはまっていた。非常に太い金の地金に巨大なカボションカットの翡翠が添え付けられた指輪は印象的だった。


「近頃お姉さまを亡くされたそうで」

「お父様……!」

 モルは小声ながら鋭く言った。しかしフィリップは慌てることもなく訂正する。

「失礼。行方不明と伺っておりました。さぞご心配な事でしょう」

「お気遣いありがとうございます」

 ギャビーが答えるとフィリップはすぐにギャビーへの興味を無くしたようだった。モルに向き、ローレンスが午後のお茶を一緒にしようと呼んでいる旨を伝える。


 ギャビーがまだローレンスに目通りすることもかなわないことを知っているのかいないのかわからないが、あまり愉快な相手ではなかった。

 しかし彼にとってはランディの失われた恋人ミア……しかも容姿はそっくりのギャビーということであれば、娘の恋敵にもなり得る相手だ。逆に面白くないのは向こうも同じかもしれないと思うと、そんなことで態度を硬化させる彼は、感情が読みやすく安心できた。


 むしろ、接触を図ってきたモルの方が不気味である。


 モルを伴ってフィリップが図書室を出て行くと、ギャビーはようやくため息をついた。深呼吸ができないような気がする。

 それはフィリップというよりはモルの与える緊張感のせいだったのかもしれない。

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