91話 小料理屋って入ったことないな
天華はフゥと息を吐き、店員さんからおしぼりを受け取ると手を拭き、置かれたお茶を飲む。熱々で外の寒さでかじかんだ手が湯呑に温められて、身体がぽかぽかとしてくる。
「渋井豆腐料理専門店へようこそ」
女店員が会釈をして離れて、ひと息つくと久しぶりにあった恋人へと天華は顔を向けて、喜びの笑みを見せて問いかける。
「トニーは怪我を負いませんでしたか? シュウさんたちは大丈夫ですか?」
「はい。今は帰還して年末はゆっくりと過ごそうと家で身体を休めていますよ」
トニーが頷いて近況を嬉しそうな笑顔で返してくる。天華の微笑みを向けられて、天にも昇る気持ちである。まさかこんな美少女が僕の恋人になるなんてと、常日頃神への感謝の祈りを忘れない、敬虔なる魔王だ。別れたらきっと悪魔に落ちぶれるのは間違いない。
そんなトニーはシュウたちと行動している。ゲリラ戦の手伝いをしているのだ。味方のピンチを何度も助けており、シュウさんたちからかなり信頼されているらしい。密かに各地に建てた小拠点、ハクさんの建てた建物はハクさんの法術による建物間転移が可能であるらしく、ゲリラ戦といっても撤退可能地点があるために比較的安全であった。
冬となり、流石に雪の中での行動は無理だと考えて、シュウさんたちは戻ってきたようだ。そして、トニーは久しぶりのデートだと、この小料理屋を指定した。なぜかスエルタやハクさんがいるが。
「あたちが紹介したお店なのです。転移代として、ここの代金は下、トニーたんもちなのです」
「当然。危険な地域に転移門を開かせるのだから、これぐらいは奢るべき」
コテリと首を傾げて、椅子が高いために短い足をぷらぷらと振ってハクさんはニコリと嬉しげに微笑む。その手にはメニュー表があり、時価と書いてあるページが開いていた。可愛らしい幼女だが、容赦はしないようだと微かに笑ってしまう。
スエルタ的には本来は転移門を開いて欲しくないのだろう。しかも小拠点を作る際には、一緒に外の地域を移動しているとなれば、可愛い妹の命の危険を考えると、怒り心頭となり、本来は止めたいに違いない。しかし人々のためだからと我慢しているのだろう。優しい仲間だ。
「ここは豆腐専門店なのです。ね、店主さん?」
「へい。ここは豆腐専門店です。自信があるのは湯豆腐です。2番目は麻婆豆腐ですね。辛いのから甘い物まで揃っています」
カウンター越しにハクさんが渋い店主へと問いかけると、お薦めを言う。和風小料理屋なのに麻婆豆腐……。まぁ、豆腐専門店ならば、おかしいことではないのだろうか。甘い麻婆豆腐?
天華は不思議に思ったが、スルーすることとし、皆で湯豆腐を頼むことにする。お店はそこそこお客が入っており、酒も入っているために騒がしく、多少熱気はあるがエアコンをわざと効かせていないのか、少し寒い。湯豆腐を美味しく食べるためだろう。
「はい、わかりました。湯豆腐4丁。なんで豆腐って、4丁と丁呼びなんですかね? 知ってます?」
渋い店主は紅葉のようなちっこいおててで包丁を持ち、トントントンとリズミカルにまな板を叩きながら尋ねてくる。豆腐専門店なのに、本当に豆腐に詳しいのだろうか、甚だ不安に覚える台詞だ。
ふんふんふーんと可愛らしい鼻歌を歌い、暫くまな板を包丁で叩いていたら、棚から4セットコンロと小鍋を取り出して、天華たちの目の前に楽しそうに置く。なぜまな板を叩いていたのか、その理由を質問してみたいところだ。
「昆布を敷いて、コポリコポリと煮立ってきたら食べ時です。私もやったことはないんですが、ハクはやったことあります?」
至高の食べ方なんですと、コテリと可愛らしく小首を傾げて、渋い店主が教えてくれる。
「そんなにじっと見た事がないから、いつも煮立っちゃうのです」
ハクさんは店主と仲が良いらしい。ちっこい背丈をうーんとつま先立ちで背伸びして、カウンターを覗いてくる渋い店主へと答える。
「そんな真剣に湯豆腐って食べるものなんですかね。疲れるじゃないですか」
ワクワクと二人が目を輝かせて、火にかけた小鍋を眺めているのを見て、呆れた表情でトニーが空気を読まない台詞を言う。たしかにそこまで苦労して湯豆腐は食べたくないが、幼女と店主はムッとして頬を膨らませた。スエルタは温かい目線でハクさんの頭を撫でている。
せっかく豆腐専門店で本格的な食べ方をしようとしているのに、その楽しげな空気をぶち壊す、常に余計な一言を口にするトニーに対して、なにやら二人でアイコンタクトをとり、小鍋がコポリコポリと煮立つ。
「今だ! ほら、コポリコポリ!」
「とやっ!なのです」
豆腐掬いで素早く二人は豆腐を掬う。バッシャンと。柔らかな金属製の豆腐掬いは鞭のように撓り、熱湯を撒き散らし、食べごろになった豆腐を見事に掬う。そうして投石機のように豆腐を飛ばして、空を駆けてトニーの口へと入っていった。
「うあっちゃー!」
ナイスキャッチと豆腐を受け止めたトニーは椅子を蹴倒し、ゴロゴロと床を転がる。至高の湯豆腐を食べて、美味しさで感激しているのですと、ふんすと平坦なる胸を張り得意げな幼女ハク。花咲くような満面の笑みで可愛らしい。
「次弾装填。コポリコポリ」
「ラジャーです。示談は受け付けないのです。味わってくださいトニーたん」
ムフフと悪戯そうな笑みで、渋い店主がポイポイと一口サイズのお豆腐を小鍋に投入。すぐにコポリコポリと湯だつので、バリスタハクはおかわりを発射させた。下僕にはおおいに至高の湯豆腐を食べてもらいたい。そんな幼女の可愛らしい親切心だ。
「あづーっ! しかも美味い! でも、あっちゃー!」
おでんコントのお笑い芸人のようにリアクションをとり、ゴロゴロ転がっているトニー。暴れるトニーが美味しさで叫んだ瞬間に次弾は口に入り込む。さらに美味しさでのたうち回るトニーを見て、美味しかったかなと、キラキラおめめで二人はトニーを眺めるのであった。
お店が一気に騒がしくなり、他のお客に迷惑極まりない。
「ごめんなさいなのです。お兄たんに至高の湯豆腐を食べさせたかったのです」
「わかる、わかります。わかっちゃいます。やはり、美味しい湯豆腐は周りと共有したいですし。それに私も豆腐料理に誇りを持っていますので、馬鹿にされると怒っちゃいます」
わかるわかると渋い店主は頷いて、謝る幼女は胸の前でぎゅうとおててを握りしめて、うるうるおめめでぷにぷにほっぺを震わせてペコリと謝る。
「仕方ないなぁ」
「あまり騒がないでよ」
「小悪魔なスマイルも撮影しますね」
お客たちは幼女の謝る姿に、謝罪を受け入れて再び席について湯豆腐を楽しみ、スエルタは可愛らしい妹の頭を優しく癒やす笑みで撫でる。
「ん、妹は大変な人生を歩んできたから、少し周りと常識が違う」
擁護の言葉を口にするが、うまくいったと口元を押さえて、店主と悪戯そうにクフフと可愛らしく笑い合う幼女の表情は入っていない模様。盲目的に甘やかすシスコンの中でも最悪の部類である。未来はわがまま少女に育つ可能性が普通はあるだろう。ハクは自称神の巫女なので良い子のままなのだが。良い子基準はもちろん第三者目線です。
「湯豆腐の次のおすすめはこれですよ」
ムフフと自信ありげに渋い店主は平坦なお胸をそらして、得意げに小鍋へとぽちゃぽちゃと次の素材を投入する。ぷかりと浮くのは粗挽きウインナー。皮付きのパリッとした感触が売りの美味しいウインナーだ。
「コポリコポリと3分経ったら食べごろです」
先程、豆腐料理に誇りを持っていると宣う店主の次の料理である。ウインナーの脂が浮いて、豆腐の繊細なる味は台無しになるのだが、埃のように先程のセリフは飛んで消えてしまった模様。
「ふふふ、あたちにマグネットをくださいなのです」
「コーティングするんですね。はいどうぞ」
ウインナー美味しそうと、豆腐よりもウインナーの方に目を輝かせる幼女は、マグネットを所望した。店主はその言葉に躊躇うことなく、マスタードの小瓶を取り出すと手渡す。アホな会話に慣れている模様。
コポリコポリとウインナーが茹でられると、スプーンにどっかとマスタードを掬うハク。
「ん、ハク、それは危険な量」
その量にスエルタが心配げに声をかけるが、ハクはムフフと含み笑いをしてみせる。
「これぐらい大丈夫なのです。あたちはマグネットは大好きなのですよ」
マグネットマグネットとルンルンと楽しげに、小鍋から掬ったウインナーをマスタードをたっぷりつけて、まっ黄色に染めて、プスリと箸で刺す。お行儀が悪い幼女だが、お姉ちゃんたるスエルタは止めないととあわわと慌て始めて、それを見た渋い店主は次の料理に取り掛かる。
たっぷりの油の中にかき揚げのタネを投入して、じゅわぁと揚げて、丼に白米を入れると、かき揚げを置いて天つゆをたらりと注いで出来上がり。
「へい、お待ち! 天丼です」
なぜ天丼なのかは不明です。口を抑えて苦しみ悶える幼女の姿があったとだけ言おう。どうやらハクさんはマスタードをたっぷりつけても美味しく食べられると思っていたようであった。幼女だからジャムと勘違いしたに違いない。
そんなこんなで、ひとしきり食べて過ごす。ハクは店主と仲良くお話をしており、天華とトニー、スエルタは真面目な話に移行していた。
「皆さんと共に救助に向かえなくて申し訳ありません」
「ん、気にすることはない。天華は機動兵器と自衛隊の連携訓練や戦略について話し合って忙しい」
「そうですよ、僕らは僕らのできることをしているだけです」
ポーズをとっているハクと渋い店主が興奮気味の女店員にカメラで撮影されているのを横目で見ながらスエルタは気にすることはないと手をひらひらと振って見せる。これからの戦場では必要なことなのだから。適材適所、役割分担というわけだ。
「ありがとうございます、スエルタ。で、正直な所、外はどうなんでしょうか?」
天華は優しい笑みで返してくれるスエルタとトニーに感謝の念を送る。正直なところ、共に戦わない拠点で訓練をしている天華や祓い師に対して、ゲリラ戦を繰り広げて人々を救助する人たちは文句をいっても良いはずなのだ。事実、そのような発言をする祓い師たちもいる。嫌味的に拠点でぬくぬくと訓練をして気楽で良いなと皮肉を言ってくるのだ。
だが、今日も市街戦での戦闘訓練、悪魔に対抗するための作戦会議など、天華は忙しい。命をかけている救助部隊の気持ちは痛いほどわかるが、これは必要なことなのだ。
それでも、必要であるとわかっていても罪悪感は消えてなくならない。これはきっと戦場に出るまで心のしこりとなって残るであろうと、天華は自覚している。だからこそ二人の言葉に助けられるのだ。
「……それで、仙台はどうですか?」
「あそこは地獄よりも酷いですよ。僕もドン引きです。とりあえず、潜入はできたんですけどね………」
そうして、腕を組んで難しい表情でトニーは語り始める。苦々しい思いを込めて話される仙台の様子。
ざわざわと平穏なる小料理屋の中で、その話は酷く現実感のない話であった。
どういう内容かというと………。




