51話 符術は万能なんだな
たった3週間しか経過していないにもかかわらず、農協は薄汚れていた。平凡な建物であった農協は、今や窓ガラスはベッタリと赤黒い染みがついており、ひび割れているし、店の中は棚は倒れて、枯れた苗や萎びた野菜などが転がっており、赤黒い乾いた肉片が付いた人骨が床に何体も転がっていた。
その中でリムと御国父がせっせと種や野菜を集めて、途中で手に入れた放置されていたトラックに積んでいる。
2人が働いている中で、天華は周囲に現れるゾンビたちを切り伏せていた。
「ヴォア」
うめき声をあげながら、角を曲がり走ってくるのは小走りゾンビだ。疲労を感じることなく、血で染まった赤い目を剥いて、牙の生えた口からよだれをたらし走ってくる。ノーマルゾンビとは違い、再生能力が高いために、その身体に傷はない。あちこちが破れて赤黒い染みで汚れている服を着ているのが、ゾンビだと分かる証明だろうか。
次々と現れる小走りゾンビたち。合わせて5人。後ろから、さらに強力な魔力を纏うものも姿を現す。
「ヒトクウ」
ビルの影から現れたそれは、片言の呟きを口にしつつ大きく飛び出すと、アスファルト舗装の道路にヒビを作り着地する。爪の生えた手を放置されていた車につけると、薄い鉄板は嫌な音をたてて、やすやすと切れてしまう。
ゾンビたちの上位種『食人鬼』である。緑の鱗のような皮を持ち、すり鉢状にゾロリと短い牙を生やす悪魔だ。その筋力は人間を遥かに超えて、手から生やす爪には紫色の滴る麻痺の毒液がヌラリと光らせている。ライフル弾をも数発は弾き返す常時『魔力皮膚』を表皮に展開させており、防御力も高く、知性もある人間にとって脅威の悪魔である。
スリムな肉体は筋肉質であり、走る速度は猛獣のようで、もはや人では逃げ切れないのは確実だった。そんな化け物が合わせて3体。釣られてきたのか、遠くより、ノーマルゾンビのうめき声も聞こえてきた。
身体を鍛え、技を納めている天華でも、これだけの数の悪魔たちとは、本来は一人では戦えない。
本来ならば、だ。
だが、今の天華は違った。落ち着き払い、胸元からマナの込められた符を取り出すと、手に持つ刀に添えて静かに呟く。
『鋭刃符』
符が燃え尽きて灰になり、仄かな光が刀に宿る。
「来なさい、ゾンビたちよ。お相手いたしましょう」
迫る小走りゾンビたちに中段の構えで迎え撃つ。先頭の小走りゾンビが後5メートルと間合いが狭まった時に、天華は動き出す。
「はあっ!」
裂帛の声を上げて、摺り足で一瞬の内に小走りゾンビの懐へと入り込む。本能のままに動いている小走りゾンビは驚くこともなく、餌を食べんと機械的に腕を振るう。
だが、中段から刀を跳ね上げるように小走りゾンビの腕へと天華は斬りかかる。刀は熱したナイフがバターを斬るが如く、あっさりと腕を切り落とす。手首を返し刀を僅かに戻すとそのまま小走りゾンビの首を切り落とし、横をすり抜ける。
ヒュウと呼気を吐きながら、天華は続く小走りゾンビたちへと蝶が羽ばたくように、華麗な動きで袈裟斬りにて切り伏せて、タンと軽やかな音をたてて、鋭い踏み込みにて、襲い来る小走りゾンビたちへと間合いを一瞬で詰める。
次の小走りゾンビの胴を薙ぎ、斜めに振り上げて、後ろの小走りゾンビの身体を分断させて、再び袈裟斬りと胴薙ぎにて残る2体も同様にその体を分断させた。
ザアッと灰へと小走りゾンビたちの身体が変わり崩れ落ちる中で、さらに強敵たるグールを迎え撃たんとする。
「ゲ?」
「バカナ」
祓い師だろうとは考えていたが、あまりにもあっさりと倒されてしまった小走りゾンビを前に、知性を持つグールたちは驚きで足を止めてしまう。まさかたった一撃で倒されてしまうとは予想もしていなかったのだ。
「知性を持つがゆえ、その反応は隙になります」
天華は動揺で、走る速度を緩めたグールたちへと迫っていく。先頭のグールは慌てて、その強靭なる筋肉を持つ腕を振るう。毒液がベッタリと付いた爪が伸び、侍少女を切り裂かんとした。
だが、天華はゆらりと身体の動きを遅くさせて、寸前で爪を回避する。タイミングがずらされて、天華の目の前を通り過ぎ、空を切ったグールの身体は全力で攻撃した分、身体が泳ぎ無防備に天華へと隙をさらけ出す。
フッと呼気を吐き、水平に跳ねるように天華はグールの懐へと入り込むと、その頭へと刀を振り下ろす。
しかし、『魔力皮膚』により、唐竹割りに斬ろうとした天華の刀は空中で一瞬停止し、グールは安堵と共に反撃をしようとする。だがグールの反撃が行われることは無かった。
『刃風旋』
武技を発動させて天華が刀に力を込めると、『魔力皮膚』はパリンとガラスのように割れて、反撃する間もなくグールは左右に身体が分断されて灰に変わるのであった。
刃に旋風を纏わせて、倒したグールを尻目に残る2体へと駈ける天華。まさか仲間であるグールも一撃で両断されてしまうとは思いもよらなかった残りの2体は迫る天華へと、めちゃくちゃに腕を振る。
子供が振るうような両腕での力任せの攻撃だが、人外の筋力を持つグールの攻撃だ。当たれば、身体は普通の人間と変わらない天華は簡単に切り裂かれてしまう。しかし、天華は冷静にその動きに緩急を混ぜながら間合いを詰めて躱す。
そうしてその刃に旋風を纏わせた天華は、あっさりとその攻撃を見切り懐へと入ると、鋭い振りからなる連撃を繰り出していき、グールの魔力皮膚を物ともせずに切り裂いて、あっさりと倒すのであった。
「私よりも遥かに身体能力が高くとも、技においては遠く私には及びません」
呟きとともに、灰の山へと変わっていくグールたちを見ながら、天華は残心を解いて、ゆっくりと息を吐くと、刀を鞘にしまう。チンと小気味の良い音をたてて刀が仕舞われ、天華は今の戦いを振り返った。
「信じられない切れ味です。グールをも一太刀で倒せるとは思ってもいませんでした」
たしかにグールは身体能力が高くとも、まだまだ天華でも対抗できる。少しフェイントを見せて、動きに緩急をつける。ただそれだけでグールは戸惑い混乱し、その肉体に刃を届かせることができる。何も考えずに突撃してくる意志のないタイプならば苦戦しただろうが、なまじ知性を持っているので、倒しやすかった。
とはいえ、今までもグールとは戦ってきたが、そう簡単には倒せなかった。なぜならば硬いからだ。味方と連携して、数十の剣撃を叩き込みやっと倒せる相手であったのだ。
それがただ一太刀とは感動を通り越して、薄ら寒さを感じてしまった。
「たった一枚の支援符でとは………。なんと櫛灘さんは恐ろしい符術師なのでしょうか」
天華の手には10枚近くの符がある。櫛灘から貰った物だ。符術師が作る符は2種類ある。一つはマナを籠めてすぐに使用する符。この場合は符がマナの許容量を超えて壊れることを恐れる必要がない。壊れる前に法術を発動させるので。そのために普通の法術よりは威力は弱いが、それでも籠めたマナにより威力を大きくすることができる。
もう一つは符に最低限のマナを籠めて神聖力を扱える者なら誰でも扱えるようにするものだ。ゲームで例えると、ボーナスポイントによる補正はなく、いわゆる固定値しか出せない符だ。
この場合、通常ならばそこまでの力を発揮しない。正直に言うと弱い。『鋭刃符』は、錆びた包丁を砥石で研いで、切れ味を良くする程度。間違っても、小走りゾンビを斬るのに抵抗感がないほどに鋭くなったり、グールに武技を使えば『魔力皮膚』をやすやすと砕く程の力は無い。
だが櫛灘の符は、弱いはずの符は先程から強力な威力を出していた。最初に櫛灘から受け取った時は気休め程度だろうと思い、使用してみて、その異常さに気づいた。
ちらりと道路を見ると、多くのゾンビたちがよろよろと身体をよろめかせて歩いてきている。哀れにもゾンビたちに食べられたものの成れの果てだ。
老若男女、ゾンビと化した者たちは、等しく白目を剥いてノロノロと近寄ってくる。赤黒く血で汚れた服を着て、脇腹や顔が抉られて、乱杭歯を覗かせて、生者を喰わんとゆっくりと歩いてきていた。
慌てずに、いや、ゾンビと化した者たちに憐れみ、天華は一枚の符を取り出す。
「これでいきましょう」
『熱波』
指でつまむと、神聖力を僅かに注ぎ、天華は道路を押し合いへし合いして迫るゾンビへと、ピッと放り投げる。符が真っ直ぐにゾンビたちの集団に飛んでいくと、一体のゾンビに当たる。
体に符が貼られたゾンビを中心にして高温が発生し、周囲の空気が歪む。高熱による蜃気楼のように、ゾンビたちの集団たちを映し出した瞬間枯れた薪のように、マッチ棒のように燃えるのであった。
一瞬の内に、100体はいただろうゾンビたちは燃え尽きて、灰へと変わり、風に巻かれて散っていくのであった。
たとえ最下級の悪魔たるゾンビとはいえ、一撃で燃え尽きたことに、初めて見た時は驚いたが、何回か使用して慣れた天華は冷静に考えて、厄災前の最強の符術師が裸足になって逃げ出すだろう力に戦慄していた。
「これほどの符術師を聞いたことがないなどと、有り得るのでしょうか?」
この業界は広いようで狭い。それなのに、ここまでの力を持つ女性を一度も聞いたことがないなどあり得ない。
「たしかにスエルタの言うとおり、警戒するべき相手でしょう」
出発する前に、妹を抱きかかえて見送りに来たスエルタは告げてきた。
「………冬衣と櫛灘は怪しい。危険な匂いがする。警戒を解かないで、その行動を気をつけるべき」
寡黙なスエルタは珍しく饒舌に、冬衣たちを気をつけるように言ってきたのだ。たしかに膨大な神聖力を持っているが、なんとなく胡散臭い夫婦だ。歳の差もあるが、息はあっており、なにを考えているか予想がつかない。警戒を解かないように気をつけるべきだった。
「おみじゅ。うぅ、お姉たん、おみじゅが欲しいのです? 神様の加護を受けたおみじゅが欲しいのです。一日一合は飲みたいのです。たしか神水というのです。冬衣たんに分けてもらおうなのです」
「む。わかった。氷を入れてあげる。それに普通の水でも大丈夫。それは研究所の奴らが神聖力を高めさせるためについた嘘。気をしっかりと持つ」
恐らく研究所では、一日一回神聖力の込められた水を飲まなければ死ぬとでも脅されていたのだろう。弱々しく手を持ち上げて、神の加護を受けた水が飲みたいと言う、か弱い生き別れの妹を過保護に扱い、スエルタは見送ってくれた。
冬衣たちを疑いたくはないが、堕ちたる神に仕える者たちだ。油断はしないようにしましょうと、種を詰めた段ボール箱をせっせと休むことなく運ぶ御国父と櫛灘を見る。
真面目に働き、問題ないと思われると、天華が再び周りへと警戒を向けた時であった。
ヒュッ
矢が飛ぶような風切り音がして
「カハッ!」
御国父の胴体を赤黒い触手のような物が貫くのであった。御国父の胴体から生えた触手のようなものは空中へと引っ込んでいく。
ドサリと倒れる御国父。触手のようなものは屋根の上へと消えていき、なにか影が映る。
「むっ、何者ですか!」
警戒していたにもかかわらず、一撃で御国父を倒した相手へと、天華は刀を抜いて身構えると、問いただすのであった。




