アルテイル、王都へ行く
以前の誘拐騒動から、アルテイルには常時護衛がつくようになった。実情は監視である。冒険者学校での生活から魔法の指導時、野外での狩りの時も、常に彼等はアルテイルの側に居る。普段多くの時間を冒険者学校で過ごすので自然と彼、彼女ら、つまりミカ、ノエル、カインの三人がその護衛という名の監視任務に就くことになった。
この選任にはシュタイマーアルク辺境伯の議会で一悶着はあったものの、本人達の意志もあり、彼等が行う事となる。シュタイマーアルク辺境伯としても自分の家臣の子息という比較的結びつきの強い子供達をアルテイルの側に付けるという事にメリットを感じている。側に居るのが自分の家臣の子息という事はつまり、アルテイルはシュタイマーアルク側である、という一種のアピールにもなるからだ。
こうしてアルテイルは自分の与り知らぬ所で貴族政治に巻き込まれているのだが、護衛がついた事以外はいつも通りに過ごしていた。そう、いつも通りに。
「くっはぁ~。あー気持ちいい」
「うるさいよカイン。もう少し静かに浸かってくれ」
海の見える少し登った丘の上で、アルテイルとカインが磐で出来た湯船に浸かりつつ会話する。護衛が着こうが何だろうがいつも通り過ごすつもりのアルテイルとしては、毎日の風呂は欠かせないものだった。だが護衛役の彼等は寮の自室に帰るまで護衛する事になっている。護衛を巻いて一人ゴブリン村へ来る事も考えたが、それは彼等を困らせる結果しか産まない。ならばどうするか、という事でアルテイルは彼等も連れてゴブリン村へ転移し風呂に浸かって帰る事にしたのだった。
彼等は初めてゴブリン村に訪れた時はとても戸惑っていたが、三日と経たずその環境に慣れた。今ではゴブリン達にも気安く挨拶する状態である。そして初めて入った風呂にとても感動し、ミカなどは自分から率先してアルテイルに「お風呂入りに行こ?」などと言い出す始末だ。聞く人が聞けば勘違いする台詞だが、どちらも深い意味は無い事を理解している為、最近ではミカのその発言が出たら狩りは終了、風呂の合図となっている。
最近のミカ達は風呂の効果もあり肌ツヤも良く、髪の毛もきめ細かくさっぱりとしている。身近な人間が清潔になる事はとても良い事だと一人ウンウン納得していたアルテイル。このまま彼女達が家の人間や友人に風呂文化を広めてくれれば儲けものとか考えている。ゴブリン村に植えられている石鹸の実で身体を擦り、垢を浮かして流す。髪の毛も石鹸の実の果汁で清潔にする。これだけで衛生環境は大分向上するはずである。そこに湯船に浸かり身体を温めるという極楽要素を詰め込めば街はとても住みやすく、笑顔の絶えない事だろう。その為の第一歩として、彼等に風呂文化の素晴らしさを身に染み込ませるのは妙手であると思っていた。
実際彼等は風呂文化を気に入っているのだが、逆に一日でも風呂に入らないと身体が汚れている気分になったり、周囲の風呂に入っていない人間の体臭や香水の香りが気になってくるという弊害も発生していたりする。そんな悩みをノエルが抱えていると知ったアルテイルは、彼女に言い放った。
「その気持ちは凄く分かる。何故なら僕自身が、君達に抱えていた気持ちそのものだからだ」
言った瞬間ノエルに頭を引っ叩かれた。
「アルテイルは言葉の機微に気をつけなさい。私達が今まで臭かったみたいじゃない」
「みたい、じゃなくて臭かってっ! 二回も叩かなくていいじゃないか!」
「臭いと言われて怒らない女の子は居ないの」
「そうだそうだー! アルテイル君は発言に気をつけろー!」
女子二人に責められたアルテイルだが、こうして自分達の体臭などに気をつけてもらえるようになるならそれで良いか、と痛む頭を擦りながら思った。
そして現在、いつも通り風呂に入って極楽気分を満喫しているのだった。当然風呂場は男湯と女湯に分かれており、柵で仕切られた隣からは女子達のキャッキャした声が聞こえてくる。
「そういやアルテイル、知ってるか?」
「知らんよ。何の話だ」
唐突にカインから話を振られたアルテイルはすげなく返す。それに気を悪くするでもなく、カインは何かを思い出しながら言葉を続けた。
「えーっと、こないだの違法奴隷商人の事なんだが、あいつはどうやら隣の子爵領で主に活動してたらしい。拠点がその子爵領にあるんだとか」
「もしかしてその子爵も一味だったとか、子爵領の周辺の領地持ちの一部貴族もそこから違法奴隷を買っていたとか、そういう話か」
「そうそう、そうらしい。辺境伯様の方で兵を出して既にその子爵とかは取り押さえているらしいんだが、王都に報告した所子爵その他関与していた貴族達は斬首の上お家取り潰し、領地は周辺の貴族領に分割されて併合されるんだってさ。当然辺境伯様もその領地を受け取るんだけどな」
「へー、そうなったのか。ていうかあの奴隷商人随分上手い事やってたんだな」
「みたいだ。ゆくゆくは王都にも出店しようとか計画していたらしい。勿論周辺の盗賊とかと結託して商売するつもりだったらしいが」
「野盗任せの商売が王都で出来る訳ないだろう、どんだけ法の網を軽視してるんだ」
そんな考えで商売が出来るのであれば誰でも違法な商売を王都で行えてしまう。そんな簡単には行かないだろうが、なまじっかな子爵領で上手い事やってしまった為、視野狭窄に陥っていたのだろう。救いようのない商人である。
それにしても、とアルテイルは考える。よもや子爵をも巻き込んだ騒動になるとは思ってもいなかった。アルテイルの検挙が無かったら今でものうのうと人さらいを行い違法奴隷を売買していた事だろう。何ともはや、この世界は命が軽いというか何というか。冒険者などという命がけの商売が成り立っている世界なので致し方のない事かもしれんが、もう少し穏便な世界が良かったなぁと実感した。
「ま、既に攫われたりした奴隷達は解放されているみたいだし、これで万事解決だな」
「そう上手く行くといいんだけどなぁ」
ウンウンと一人頷くカインの言葉に、アルテイルが消極的否定を口にする。カインの話を聞いてからどうも嫌な予感が止まらないのだ。子爵を巻き込んだ大騒動、悪徳貴族の炙り出し、浮いた爵位がいくつかある事実。それがアルテイルを巻き込む何かに繋がりそうで嫌な予感しかしない。
その嫌な予感を抱えたまま一人、アルテイルは湯船に肩まで浸かるのだった。
―――――
「まぁ、そういう訳で。君に褒章を与える事になっているので、明日にでも王都へ行って下さい」
「はぁ、やはりそうなりましたか……」
魔法の修練が終わったその日、ジルベスタが態々修練場まで来て何の話だと思っていたら、やはりアルテイルに湧いて出てきた話だった。ジルベスタが来た段階で既に嫌な予感がしていたのだ。何しろ彼は笑みを浮かべているのに目が笑っていない。ここ最近併合される予定の領地の件で書類仕事が増加した事などはエリオットから聞いていたが、それだけではないだろう凄みを感じる眼力が今のジルベスタにはあった。
「恐らくは叙爵される事でしょう、今回の件で浮いた爵位がいくつかありますからね。私が君の身柄を預かって一年も経たずに叙爵される事になるなど、いやはや君はやはり素晴らしい人材ですね」
「その、褒めるのであればもっとお喜びになっていただけますと……」
「喜ぶ? 私が? 降って湧いた領内の事件に他領の子爵が絡んでいたというだけでも面倒なのに、折角良い人材を手に入れたのに横から掻っ攫われる事をどう喜べと」
「いや、すみませんでした……」
笑顔で殺されたアルテイルが平身低頭で謝る。アルテイルが叙爵されるとなると、どのような爵位であろうとアルテイルとジルベスタは同じ貴族同士。そうなってしまえばジルベスタはアルテイルをお抱え魔法使いなどにすることは出来なくなってしまう。それが理解できるからこそ、アルテイルは頭を下げるしかなかった。
「因みに、叙爵をお断りする事は」
「陛下から授与される爵位に不満があると? そのような事が認められるとでも思っているんですか」
「ですよねぇー」
「そういう訳ですので、明日にでもエリオットの転移魔法で王都へ行って下さい。既に話は通っていますから」
「分かりました」
「護衛の彼等も一緒に王都へ連れて行くように。既に彼等の親御にも話はしてありますから」
「はい」
ミカ達を連れて行く事がジルベスタへ今できる精一杯の義理であると理解したアルテイルは、文句も無く、彼の言葉に従う。叙爵されるのはアルテイルのみだろうが、それでも供としてジルベスタの家臣を連れているという事を王都の貴族に見せる事で、自分がシュタイマーアルク辺境伯側の人間であるというアピールに繋がる。余計なアプローチなどは少なくともこの段階で軽減されるものだろう。それでも寄ってくる人間はそれなりに発生するだろうとは思うが。先の事を考えるととても頭が痛くなってくるアルテイルであった。
明けて翌日。前日に待ち合わせ場所として指定されたシュタイマー正門前へアルテイルが辿り着くと、そこにはそれぞれ手荷物を持つエリオットとミカ、ノエルの姿があった。
「あれ、カインは?」
「彼は家臣の跡取りだからね。来れないよ」
「あぁ、そういう……」
要するにカインがアルテイルの供として見られるのには問題があるという事だ。彼はシュタイマーアルク辺境伯の家臣の息子で跡取り、言ってしまえば次期当主。そんな彼が実家が家臣をやっている貴族ではないアルテイルの供であると対外的にアピールしてしまうのは、今後のシュタイマーアルク辺境伯家臣団の中で問題となってしまう。最悪の場合家が家臣では無くなってしまう可能性もある為、今回この場には来れなくなってしまったのだ。
その点ミカとノエルであれば、彼女達は実家を継ぐわけでも無い上に、将来は冒険者として独り立ちする事が既に確定している。本当に冒険者になる前にこうしてアルテイルの供として見られようと、特に問題は無い訳だ。もしかしたら彼女達は実家から何かを言い含められているかもしれない。妾でも良いのでアルテイルと縁を結べなどなど、可能性は山積している。
だが彼女達はそういった事を感じさせず、楽しそうにこちらの様子を見ていた。特に何も無いのであればそれで良いんだけどなぁと考えながら、アルテイル達は一緒に正門からシュタイマーの外へと出た。そしてエリオットの転移魔法で一瞬にして王都の正門前へと辿り着く。自分でも良く利用する魔法だが何というか、旅の有り難さや別れの雰囲気とかを完全に台無しにしてくれる魔法である。
王都の門構えはシュタイマーより尚堅牢であり、重厚な城壁が周辺への圧迫感を与えている。その内側に開かれている街も広大であり、東京ドーム何個分だよとどうでも良い事をアルテイルは考えていた。しかもその例えはこの世界で通用しないのだから、本当にどうでも良い。
「さて、到着だ。三人とも私に着いてきなさい」
先導するエリオットに着いて行くように門まで歩き、エリオットが門番へ二言三言告げるとすぐさま城下へと通された。その瞬間やはり膜のようなものに接触する感覚があり、王都にも転移避けの簡易結界が貼ってあるんだな、と感心した。王都ほど大きな街を全て囲う簡易結界を展開するのにどの程度の魔力が必要か。魔力は魔石という魔獣から摘出されたり、自然にある魔力溜まりで生成される魔石を利用するにしても、その維持には相当な個数が必要になるだろうと考える。これを維持しているだけでも、莫大なお金がかかってるなぁと薄ら寒い想像をしつつ、アルテイルはエリオットに先導されるまま城下の道を歩いていた。そして辿り着いたのは一件の馬小屋。
「馬小屋?」
「辻馬車でしょ。多分これに乗って行くのよ」
ノエルの言葉に納得する。王都と一言で言っても土地は広大だ、馬車で移動でもしないと歩き疲れてしまう。一同はエリオットの用意した馬車へと乗り込み、一路王都の中心部へと向かった。
馬車の乗り心地はさして良くもなく、座席にもう少しクッションがあれば、それよりも車輪の部分にステアリングが必要だな。などと考えたり、一緒に来ているミカ、ノエルと雑談をしながら過ごしている内に、一軒の大きな屋敷へと到着した。屋敷の前で馬車が停車し、エリオットを先頭に釣られてアルテイルも下車する。
「あの、ここは?」
「ここはシュタイマーアルク辺境伯様の王都でのお屋敷だよ。来て当日に陛下に会うのは難しいからね、叙爵の日までここである程度過ごして貰う事になる。勿論滞在費なんかは必要ないよ」
「なるほど……」
王都の屋敷もやはりでかい。辺境伯はやっぱりお金持ってるんだなぁと思いつつ屋敷を眺めていると屋敷の門の所へ人が集まってきた。小奇麗に身だしなみを整えている彼等は、この屋敷で働く執事やメイドである。
「エリオット様、お待ちしておりました」
「ご苦労様です。こちらが今回叙爵されるだろうアルテイル君と、その供であるミカさんとノエルさんです。三人を丁重に御持て成しして下さい」
「それはそれは。ようこそアルテイル様、私ここの執事長をしておりますセブと申します。以後、お見知り置きを」
「あ、どうも。アルテイルです。よろしくお願いします」
きっちりと身だしなみを整えている小奇麗な初老の老人に頭を下げられ、釣られてアルテイルも頭を下げる。庶民生活が身についているアルテイルとしては、このように執事に頭を下げられるなど何だかむず痒くて仕方がない。
「それでは皆様、どうぞお屋敷へ。お部屋へ案内させていただきます」
丁寧な姿勢を崩さずに屋敷へと案内するセブ。やはり貴族の側に仕えているだけあってその所作には気品がある。貴族になるっているのはこういう人達を使えるようにならなくちゃ行けないんだろうなぁと考えると、どうにもこの先の展望に気が重くなってしまうアルテイルだった。




