第81話 おじさん、だいたい焼肉を食べたせいだと知る
アリスちゃんがダント氏と採用書類を書いている間に、私は佐飛さんと軽い雑談をすることに。
理由なんてただひとつ。どうしてこうなったのか。
「――あのリズール様がライナ様と契約したかと思えば、翌日には家庭教師になり、その翌日には二人に増えて、片方はライナ様専属のメイドになりたがるなど、この佐飛でも見通せませぬ。何をなされたのですかな?」
「あはは、正直に言えば母性っぽいのが疼きました」
「母性?」
「何というか、子供をあやすのが大好きなんですよ。私って。だからですかね、人間に生まれ変わったリズールさんを見ていると、なぜか我慢出来なくなって、襲いかかっちゃました」
「なるほど、他人への愛が深すぎるゆえに、その行き場に困っていたのですかな。リズール様の人間化は、ライナ様には刺激が強すぎた、と」
「私なりの結論ですけどね」
そこでピンポーン、とチャイムが鳴る。来客だ。
玄関前に立っていたのはリズールさんと玄武亀のゲンさんだった。
インターホン越しに首を傾げる。
「なんで帰ってきたんでしょう?」
「佐飛にはとても理解出来ませぬ。ともあれ、出迎えましょう」
「ですね」
私たちは二人を出迎える。
すると聖獣のゲンさんが、開口一番にこう叫んだ。
「ここで養って下さいカメ~!」
「いきなりどうしました!?」
「新人聖獣を宛がうのはリズールさんに対して無礼すぎる、急いで戻りなさい、と女王様からお叱りを食らったカメ……」
「はは……」
リズールさんへの好待遇と柔軟な対応を見ていただけに、そうだろうな、と思う。
お次はリズールさん。いきなり頭を下げた。
「お手数をおかけします、夜見ライナ様。我が盟主からの指示により、アリスと再び一体化しにきました」
「リズールさんもいきなりどうしました?」
「いえ、どうやら、人になった私が殺される未来が見えたらしく。責任を持って守ってやれとの指示です。不束者ですが、末永くよろしくお願いします」
「えええええ!?」
さらっととんでもないことを言われた。
アリスちゃんには「殺される未来」がある。考えただけでも震えが止まらない。
恐怖で青ざめる私を前に、リズールさんは冷静だった。
「ともかくアリスと一体化させて下さい。いつ死ぬかまでは分からないとのことですので、今すぐの可能性もあります。これは緊急を要する事態なのです」
「佐飛さんいいですよね!?」
「ああ、かまいませぬ。ささ、中へお入り下さい」
「失礼します」
「カメ~」
私たちは二人を中に入れた。
自分と再会したアリスちゃんは、どうして戻ってきたのですか、と戸惑っていたが、リズールさんは淡々と告げた。
「貴方はどこかで誰かに殺されます。私は我が盟主の指示でそれを防ぎに来ました。説明は以上でよろしいですね?」
「……それは構いませんが、貴方も全身が溶けるような幸福感を味わいますよ?」
「我が心と行動に一点の曇りもありません」
「その覚悟が崩れるほどなのですよ」
「だとしても、命より大切なものはこの世にないのです。では、失礼」
リズールさんは自身の胸に手を差し込む。
取り出したのは豪華な装丁本。それをアリスちゃんの背中に改めて差し込んだ。
リズールさんはサラサラと砂になって消え、アリスちゃんだけが残る。
「――うう、んっ」
「大丈夫ですか?」
「いえ、記憶の差異にっ、適応しようとっ、脳が反応しているだけでっ」
「……」
彼女の身体がぴくぴくと跳ねる様子が、なんだか色っぽくてムラムラとする。
今までこんなことはなかったのに、本当に私、いきなりどうしたんだ。
「ダントさん」
「何モル?」
「アリスちゃんを見ていると異常に興奮するんです。どうしてでしょうか」
「ええと、夜見さんの不遇、内に秘めた母性じゃないとすれば……あ。焼肉を食べて精力があり余ってるせいとかモル?」
「あ、なんかやっと納得しました」
普段以上に性欲が高まっているんだ。焼肉のせいで。
三十五歳を超えた影響か、感情がフラットすぎて「境遇のせいで心が壊れている、依存している」と言われてもピンと来なかったが、精力がついたせいか。
なるほどなるほど――
「これは定期的に焼肉を食べた方がいいですね」
「どうしてモル?」
「性欲が枯れていたようなので。私は肉食系女子になりたいんです」
「まさか女好きの噂を現実にするつもりモル?」
「私はアリスちゃんも、ヒトミちゃんも、中等部組のみんなもクラスメイトも高等部の先輩も、みんな大好きです。だから好意を感じた子は片っ端から恋人にしたい」
「夜見さんがついに性愛に目覚めたモル……」
「ダントさんもいつか攻略します。覚悟していてください」
「ひぃ、僕は美味しくないモル」
つぶらな瞳をした小動物のダント氏まで攻略対象に見えるのだから、焼肉の力とは末恐ろしい。とりあえず、だ。
「はぁ、はぁ」
「アリスちゃん、落ち着きましたか?」
私は落ち着きを取り戻したアリスちゃんの背中をさすった。
「はい、記憶の同期が終わりました……私はアリス・アージェント、ヒーローネームは魔法少女フルールアイリス、真名はリズール。問題なく正気を保っています」
「その割には身体が疲れていそうですね。ベッドに行きますか?」
「ああ、うう、背中を指でなぞらないで下さい……」
触れただけでも分かる早い心臓の鼓動と、敏感に震える身体を私は見逃さない。
我ながら性欲が高まりすぎている。
「本当に気持ち悪いモルよ、夜見さん……」
「あはは……はい」
ダント氏の言葉を否定できない。
このムラムラを解消出来る場所はないものか。
「佐飛さん、一人になれる場所ってありますか。自宅以外で」
「市内の一角に、聖ソレイユ女学院の女子寮が存在しますな」
「今から借りれますか」
「かまいませぬが、お目付け役としてアリスをお付けすることになりますぞ」
「――!?!?!?」
アリスちゃんことリズールさんの顔が真っ赤に染まった。
「い、いきなり夜伽は、その、まだ覚悟が」
「その言い方はやめて下さい自分を抑えられない」
「あ、あ。手を、握られ」
相手の手を恋人のようにつかみ取り、するりするり、と手繰り寄せる。
本当に不味い。このままだと性欲の化身になりそうだ。
「ゲンさん、どうしようモル」
「仕方ないカメ。ここでヤり始める前に寮に隔離するカメ。そこのお二人さん」
「分かったモル」
「承知しましたぞ」
見かねたゲンさんが指示を出し、ダント氏と佐飛さんが行動してくれる。
佐飛さんは運転手を呼び、ダント氏は女子寮の寮長から許可を貰い、私を市内の聖ソレイユ女子寮の一室へと放り込んでくれた。
――ただ、困ったことに。
アリスちゃんと、共に。
「あの、夜見ライナ様」
「大丈夫です、性欲の暴走は少しだけ収まりました……」
しかし、この何もない殺風景な部屋が、何となく社会人時代の記憶と重なり、僅かながらの冷静さを与えてくれる。ありがとう夜見治。
「早く逃げて下さい。今の私は、いつ貴方に襲いかかるか分かりません」
「それは、嫌なのです」
「なぜです?」
「本心ではそれを望んでいるから……」
「――!?」
ポツン、と胸のボタンを外した彼女は、肌色の谷間と、恥じらいの表情で私を誘惑する。




