第156話 おじさん、お家に帰る
「いやぁ、まさかリズールさんまで倒されるなんてね」
「この声は……」
パチパチ、という拍手の音と聞き覚えのある声が聞こえたので、ダント氏をモフモフしながら視線を向ける。
そこにはビショップの駒を拾った赤城先輩の姿があった。
高そうな木箱の蓋を開け、ルークやナイト、クイーンの駒と一緒に収納する。
黒のキングはないんだ、というのが最初に思ったことだった。
「ええと、赤城先輩」
「なぁに?」
「味方ですよね?」
「んー、夜見ちゃんの返答次第かなー」
作り笑いを浮かべる先輩を見て、私はショックで混乱し、動けなくなった。
いや、たしかに伏線はあったけど。
どこまで先輩を信用していいのか急に分からなくなったのだ。
困ってダント氏を見ると彼はこう言う。
「夜見さん。自分を信じるモル」
「わ、わかり、ました」
赤城先輩には最初から裏がある雰囲気があった。
それでも彼女との交流を深めていくうちに、信じられるかどうかではなく、信じてみたいと思えるようになったから。
「わ、私は!」
「うん?」
「赤城先輩が好きだから、赤城先輩を信じますよ」
「んふー味方になるー」
満面の笑みを浮かべる先輩。しかし動かない。
何か別の選択肢がある?
すると、近くにいたトップスリーの墨田智子先輩が私の肩を持った。
「親友、ニューレッスンだ」
「え?」
「レッスンセブン、エモ力の扱い方を知れ。先ほどの魔法バトルでのレッスンや、魔法体育の授業で習う七彩魔法は、初等部で習う魔法の基礎。剣術で言うなら演武の型だ。お前の友人である同世代の魔法少女たちは、さらにその先――エモ力そのものを武器として扱っている」
「何が違うんですか?」
「答えを教えてくれる先生が目の前で待っているだろう? 行って来い」
トンと背中を押されて私はようやく理解した。
走って赤城先輩の元まで駆け寄り、ダント氏とともに頭を下げる。
「教えてください、赤城先生!」
「お願いしますモル!」
「んふふー、いいよぉ、えへへ」
ギュッ。
「うひゃぁ!?」
めちゃくちゃ笑顔になった赤城先輩は、嬉しそうに距離を詰め、私をぎゅっと抱きしめた。
汗で少し湿っているし、匂うと思ったので、なんとか引き離そうとする。
「だ、だめです先輩! 汗! いま汗臭いです! 匂いがついちゃいます!」
「だいじょぶ、ぜんぜん大丈夫」
「私が大丈夫じゃないです恥ずかしいから!」
「ならシャワー浴びに行かないとね。あーやっば、めっちゃいい匂い」
「やだぁぁぁ!」
先輩の腕の中で暴れるも、私はちょっとばかし胸と身長が大きい程度の中学一年生だし、相手は体型維持のために筋トレやダンスレッスンを欠かさない女子高生。
力の差は歴然だった。
なすすべもなく抱っこされ、体育館内から連れて行かれる。
道中で見えた観客席で屋形先輩を見かけたが、彼女は肩の荷が降りたようなすっきりした顔で「ザクザクポテ太郎 明太子味」という棒状のスナック系駄菓子を食べていた。
「助けて中等部生徒会長!」
『勝ち目がないから無理だねえ』
それはそうだろうけど……!
「ねえねえ夜見ちゃん」
「なんですか!?」
「まず先生として注意するんだけど、無報酬で仕事しちゃだめだよ」
「あ、はい」
急にガチトーンの説教でシュンとなる。
体育館から出ると降ろされたので、その場に正座した。
「夜見ちゃんは一人で何でも出来る凄い子だけど、ダントくんみたいな新人聖獣くんは、活動資金がないと何も出来ないからね。収益が発生するようにしてあげてね」
「はい」
「現場に出たら、自分の命よりも優先してあげないと死んじゃうよ」
「はい、すみません」
「誰かの想いを背負って戦うことと、タダ働きを受け入れることは違うよ。魔法少女は戦う力のない聖獣の代理として戦っていることを忘れないでね」
「はい気をつけます」
「ほんとに分かった?」
「分かりました」
「なら許す。お金は命より重いっ」
ペチッ、とおでこを叩かれる。
自分がいかに図に乗っていたか思い知った。
今回は「自分を無駄遣いするな」とお灸をすえてもらった、ということだろう。
赤城先輩が銀行員の家系なだけに、こめられた想いが痛烈だ。
ダント氏と改めて向かい合う。
「ダントさんごめんなさい。少し調子に乗ってました」
「僕もごめんモル。夜見さんのヒロイックな側面に惑わされて、サポート役の僕自身の金銭的・精神的な不安定さから目を背けてたモル。もっと早く言うべきだった」
「ダントさん、ビジネスしましょう!」
「夜見さん……!」
ヒシ、と抱き合って仲直り。
原点に帰るときが来たようだ。
魔法少女とは何か。エモ力って本当に何なのか。
どうして働いてお金を稼がなければならないのか。
赤城先輩を見上げると、先輩は私を立たせて、頭を撫でてくれる。
「ということで、まずはこれから何をすればいいのか。教えるね」
「は、はい」
「今日から一月中旬まで、争奪戦はフィールドの改修工事でお休み。解禁まで暇だから、デート配信しながら時間潰そっか。二人とも休息が必要だしね」
「働かなくてもいいんですか?」
「んー、逆なんだよね。休んでいる人たちの方が沢山のエモーショナルエネルギーを生み出せるんだ。無理に頑張れば頑張るほど、人はエモ力を生み出せなくなるの」
「そうだったんですか」
「うん。普通の人よりもエモ力の総量が多い聖獣や魔法少女ほど、ほどよく休んだ方がいい。その方が多くのエモ力を生み出せるし、ソレイユも発展するからね」
「わあ……」
衝撃の事実だ。
でも言われてみればたしかに、ダント氏の住んでいるという光の国ソレイユは、平和でのほほんとしたイメージが強い。私もそうするべきだったのか。
「お休みって大事なんだ」
「話は変わるけど、黄金のワンエーカーのことは覚えてる?」
「ええと大粒シャインジュエルを集めて果樹園を作れという話でしたね」
「そうそう。ちゃんと覚えてて偉いねー」
「えへへ」
赤城先輩はまた頭を撫でてくれる。嬉しい。
「実はね、エモーショナルエネルギーは果樹園の樹木を育てる肥料にもなるんだ」
「そうなんですか!?」
「万能資源だからね。くわしい話は……あー、シャワー浴びてから、いや明日の方がいいか。長くなるし。表のシャワールームまで送ってあげる。手、繋ごっか」
「はい!」
赤城先輩のテレポートで梢千代市民体育館に付属されているシャワールームに移動する。
エモーショナルエネルギーは万能の資源。
改めて伝えられた真実に戸惑い、興奮しながらも、汗で湿っていて気分が良くないので、簡易更衣室も兼ねているシャワールームの個室で体操服と下着を脱いで熱々のシャワーを浴びた。
ほどいた髪の水気を雑巾のように絞り、タオルで身体を隠してからふと気づく。
「……あれ? マジカルステッキがない」
「エモーショナルクラフトを買ったからモル」
「わあダントさん」
「まあ見ててモル」
聖獣用パソコンをマジタブに繋ぐと、エモーショナルクラフトというアプリがインストールされた。起動すると、マジカルステッキの3Dモデルが表示される。
すると私の手元にそれとまったく同じものが出現した。
持ち上げてワナワナと震える。
「こ、高等魔法だ! 具現化系の!」
「光の国ソレイユでは一般的な工業魔法アプリモル」
「一般工業魔法なんですか!?」
「そうモル。エモーショナルエネルギーは万物の素。それを扱う高等魔法も仕組みさえ分かれば、アプリケーションに組み込めるモル」
「へー、なんだか未来の技術進歩だなって感じがします」
シャワールームの個室から出て、快適な温度に保たれた休憩室の安っぽい椅子に座り、カタカタ、ポチ、とタイピングするダント氏を静かに眺める。
そして何もしない。仕事を頑張った分だけ休む。
これが光の国ソレイユの求めていることだなんて不思議だ。
「よし、スケジュールも組み直したモル」
「どうなりました?」
「改修工事が終わる一月中旬まで赤城先輩とデート配信モル」
「中等部一年組のみんなとも遊びたいなぁ……」
「大丈夫モル。これを見るモル」
ダント氏がマジタブで見せてくれたのは、速報のニュース記事。
タイトルには「裏梢千代市に潜んでいた怪異、その正体は人間だった!」と書かれていて、駅員の制服を着た朔上警備隊に連行される「一年二組 つりい」というスク水を着た見知らぬ成人女性と、表彰されてドヤ顔でピースサインをする中等部一年組という、なんともいいがたい画像をドアップで見せられた。
「みんな嬉しそう」
「やっと活躍の機会が巡って来たからモル」
「へえー……」
ええと、逮捕された犯人は「バケグモ」という名を名乗っているらしい。
犯行理由は「気持ちよかったから」のみ。筋金入りの悪党だ。
そして四人を含めた中等部一年生たちは、梢千代市特別巡回班の魔法少女に選ばれ、そういった異常者が入り込まないように市内をパトロールして回るとのことで。
「わ、市内を巡回するんですね」
「みんなとはいつでも会えるモル。夜見さんは休むモル」
「そういうことなら安心して休めますね。……これが魔導かぁ」
一人では大変な魔法少女というお仕事も、みんながいるなら安心だ。
なんだか表と裏で大きく開いていたギャップがようやく埋まった気がした。
私はひとまず普通の女の子になり、友達やクラスメイトのみんなに先を走ってもらう道が正解だったんだ。分かったけどなんというか……そろそろ寒い。
「ダントさーん、寒いです。着替え出してくださいよー」
「あ、気づけなくてごめんモル。普段着でいいモル?」
「大きめのパーカーがいいです」
「ストリート系モルね。バックから出すモル」
出してくれた大きめのパーカーにスキニーパンツ、さらにサングラスとキャップ帽子というお忍びコーデで身を包み、夜の梢千代市に繰り出す。
体育館前では送迎車を背に執事の佐飛さんが待っていて、私を見るなりお辞儀をした。
「ライナ様、お迎えにあがりましたぞ」
「わあ佐飛さん」
運転手さんがガチャ、と車のドアを開け、入るよう促されたので乗った。
車内では佐飛さんと二人きりになり、こう聞かれる。
「魔法武術の修行は楽しかったですかな?」
「楽しかったです! やっぱり魔法が組み合わさると新鮮で、次の展開が読めなくてワクワクしました!」
「ははは、それは良かった。紺陣営に依頼した甲斐があったというものです」
「佐飛さんだったんですか!?」
「おや。弟子の成長具合を確認するのは師匠の役目ですぞ?」
「ひええ、今後もお手柔らかに」
免許皆伝を得たとはいえ、佐飛さんから見ればまだまだひよっ子らしい。
いつか敵として立ち塞がる日が来るのかな、いやそんなことないよねと不安を抑えつつ、少しだけ期待してしまっている少年心を恥じた。




