第142話 おじさん、リズール氏を説得して梢千代市を平和にする
ドーナツを一口食べると、とても美味しくて元気百倍になった。
レディーススーツを完璧に着こなしているリズールさんは悪巧みしているように笑う。
「ククク、美味しいですか?」
「美味しいです。リズールさんがお作りに?」
「いえ、ニスロクが作りました。美食による堕落が彼の好みです」
ああ、あの裏で打ち上げ花火になったヨクボーン。
「ヨクボーンにも友好的な方はいるんですね」
「彼は欲魔三強の一体ですから。三大欲求である食欲、性欲、睡眠欲。彼はそのうちの食欲を司っています。全ての生命は彼の庇護下なのです」
「リズールさんもですか?」
「残念ながら私は食べることができません」
「どうして?」
「私に触れてみて下さい」
「わ」
そう言って、リズールさんは私の手を掴み、胸を触らせた。
彼女の平坦でありながらもほどよく柔らかな胸部と、とくんとくんと心臓の鳴る音がして、彼女の生を感じる。するとこう言うのだ。
「魔導書、泥人形を経て、ようやく人間になれました。次は仙人を目指したい。堕落するわけにはいかないのです」
「あはは、向上心。やっぱり悪役に向いてませんよリズールさん……」
引き寄せてギュッと抱きしめる。
するとやはり怖かったのか、小刻みにぷるぷると震えていた。
「よしよし。もうムリしなくていいんですよ」
頭を撫でて落ち着かせる。
彼女ははあぁ、と苦しそうに息を吐き、私に抱きついた。
「死ぬのが怖い。生まれてきた意味が分からない。私は無意味な子でしたか?」
「悪役になろうとしているのも、生きるための理由が欲しかったんですね。じゃあ、仮の主である私が与えてあげます」
「そこまで甘えられません……」
「なら押し付けます。あなたには人権があります。人権とは、社会を構成するすべての人々が個人としての生存と自由を確保し、社会において幸福な生活を営むために欠かすことのできない権利。全ての人間が平等に求めていいもの。尊厳です」
「何もせずに平和を享受していいというのですか」
「リズールさんはもう十分なほど社会貢献してますよ。だからこの世界があるし、梢千代市も、聖ソレイユ女学院があるし、魔法少女が存続していられるんです。それでもあなたは、まだまだ世界を良くする方法があると言う」
「どういう意味ですか」
「あはは」
さて、と私は考えた。
いまのリズールさんはとても精神状態が不安定。
でも、ただの社畜おじさんである私と違って、リズールさんは絶対に折れない不屈の精神と、目標まで必ず走り抜けるという熱意と執念を持っている。
私が生まれていない頃から人類のために戦い続けてきた本物の女傑だ。
だから背中を押してあげれば、いい。
「だったらこの世界の政治家になるべきです。財力と武力を持っているんですから、あとは権力さえ掌握すれば、世界征服できますよ」
彼女の身体の震えが止まり、心臓の鼓動が早まりだした感触が私にも伝わる。
そこで相手は一声だけ紡いだ。
「いいんですか?」
「ソレイユ経済圏の大きさを知れば分かります。リズールさんの本当の目的はダークライの対処ではなく、ナターシャさんを世界一の王様にしたかっただけですよね」
「……はい」
「ならまず、あなたが天下人になってください。ナターシャさんがあなたと同じ精神性だとしたら、必ず同じ場所まで上り詰めてくれますよ」
「ふふ。夜見ライナ様は本当に、私を焚き付けるのがお上手です」
彼女は私からゆっくりと身体を離し、笑顔を見せた。
演技ではなく、心からの感謝を込めた満面の笑み。
彼女の執念にふたたび火がともった瞬間だ。
そのままスーツの崩れを直して踵を返した。
「だとしたら、梢千代市で悪役ごっこをしている暇はありませんね。榎本!」
「ハッ!」
名前を呼ばれたファンデット榎本は、リズールさんに敬礼する。
ああ、どおりで「時間停止」という強力な能力者だと思う。
最初からリズールさんの部下だったのだ。
「いかがなされましたかリズールCEO!」
「我々の活動方針が決まりました。世界征服です」
「し、しかし争奪戦は――」
「シャインジュエル争奪戦は光の国ソレイユに一任しなさい。我々は別働隊となり、この地球を奪いに世界に出ます。争奪戦を未来永劫実行し続けるために」
「かしこまりました。この榎本、地獄の底までお付き合いします」
「好きにしなさい」
「ありがたきお言葉。幹部ファンデット諸君! 梢千代市から早急に撤退しろ!」
「「「は、ハハァー!」」」
リズールさん含む何名かのファンデットは、黒いモヤになって離散する。
名前や顔確認すらする暇がなかったなぁ。
残った榎本は私を見て、存在しない帽子を取るような仕草をしたかと思うと。
「まずは前言撤回だプリティコスモス。我々ファンデットは梢千代市を滅ぼさない」
「どうするつもりですか?」
「CEO曰く、争奪戦実行委員会はまだまだ弱小組織とのことだ。力を蓄える必要がある。この世界を賭けた戦いが終わったあとで、決着を付けよう」
「因縁を残すなんて悪役らしいですね」
「それが俺からのファンサービスだ。受け取れ。エルザゲート」
自分の頭を指鉄砲で撃ち抜くような仕草をして、榎本は異空間に飲まれた。
ううむ、やはりというか。リズールさんは最高だ。
「やっぱり悪の組織は世界征服を目論んでて欲しいので、良かったです」
「全人類抹殺と世界滅亡は重すぎるモルよね」
「ね。共存の道がないと、夢も希望もない殺し合いになるだけです」
「選択肢が多いのは大事モル」
ね、とダント氏に同意し、頭を使うのをやめた。
ふたたび世界を滅ぼそうとする悪の親玉が現れたなら、今度は問答無用で殴り飛ばしてやればいい。そうでもしないと考え直さないだろうし。
立食パーティーを楽しむお気楽な中等部一年生たちを見ながら、平和を喜ぶ。
「あ! 夜見ー!」
「なんです? いちごちゃん」
急に呼ばれたので振り向くと、マフィンをもぐもぐしているいちごちゃん。
彼女は正面校舎の方向を指さした。
「あそこの裏チャンネルでIDカードと警察手帳貰った?」
「貰いましたよ」
「そうなの? 早いわね。それと別件なんだけど」
「はい」
「ピンクの腕章付けてるってことは中等部副会長になったってこと?」
「ああはい。そういうことみたいです」
「はぁぁ良かった~」
「というと?」
首を傾げると、彼女はコツンと拳で肩を叩いた。
「これでやっと倒せば箔が付くわね。争奪戦が楽しみ」
「……? そう、ですね。楽しみです」
「じゃあね。屋形先輩との用事があるだろうし、私は暇つぶしに対策を練ってくる」
「行ってらっしゃい」
いちごちゃんは色とりどりのマフィンや蒸しケーキを持って、パーティー会場を離れた。
逆に私は、主語がないのでどういう意味の発言か分からず。
泊が付いてないと戦いにならないのか?
ダント氏を見ると、彼はやれやれとため息をついた。
「誰だってハイリスク・ローリターンの賭けはやりたくないモル」
「あー、初歩的な勘違いをしてました」
言われて気づいた。そりゃそうだ。
普通の人は「金・地位・名声」などの得るものがあるから勝利のために戦う。
無名だけど強そうだから己の全てをかけて戦うなど、普通の感性ではない。
ライバル視して欲しいならそれ相応の価値を持つべきだった。
「少ない報酬で仕事をこなしていた弊害が出てました。私と競い合うことで相手にどれだけの価値が生まれるかを想定できてなかった……」
「ほどほどに記憶消すモル?」
「どちらかというと追加して欲しいかもです。はあ、沢山の子と切磋琢磨したいなら、いろんな分野で自分の価値を高めないといけませんね」
「だから魔法少女はライブ配信するモル。人気者になるために」
「なるほどです」
ダントさんの判断はいつも正しいなあ。気をつけよう。
彼女――いちごちゃんのマネをするように紫のマフィンを取り、食べた。
ゴロっとしたさつまいもがいっぱい入っていて美味しかった。




