メルの魔法料理店
『酔いどれ亭』の店先には、早朝の畑仕事から戻ったアビーが立っていた。
アビーのお尻に張り付いて広場の方を見ると、腰を抜かしてへたり込んだ男が居た。
男の視線は、精霊樹に向けられていた。
「まぁま…。ナニゴトよ?」
「うーん。メルの樹が、ぴかって光ったら…。いきなり姿が変わったのね…!」
アビーも驚きを隠せない様子で、精霊樹を指さした。
「おーっ。たしかに…」
メルは精霊樹の変化に気づくと、僅かに驚いて仰け反った。
精霊樹の幹に、何やらお店の受付みたいな窓が設置されていた。
おそらくは、森の魔女さまが所有する庵と同じだ。
内部が部屋になっているのだろう。
メルとアビーは精霊樹に近づくと、幹の周囲を歩いて回った。
「入口みっけ!」
「ちっさ…。とびら、ちっさ!」
「うむっ」
どう見ても大人が入るのは無理そうな、小さな扉だった。
「わらしの店ヨ…。わらし、センヨーね!」
メルが誇らしげに言った。
これは想像もしていなかった、最高のご褒美である。
異世界通信も嬉しいけれど、自分用のお店だって同じくらい嬉しい。
しかもファンタジーでメルヘンな、可愛らしいお店だ。
正直に白状するなら、メルはずっと森の魔女が住む家を羨ましく思っていた。
自分も樹の家が欲しかったのだ。
精霊樹はご褒美で、メルの夢を叶えてくれた。
「ほぉー。メルちゃんは、『酔いどれ亭』の真ん前にお店を建てたんだ。私と競争するつもり…?ライバル店だね!」
アビーが口元を引きつらせながら言った。
「まぁま…。ちゃうデショ。こえは、ウチのシマイ店よ…♪」
「なるほどぉー。姉妹店ねェー。まぁー、良いでしょ。ほらっ、なかを調べたいんでしょ。よぉーく、見て来なさい。そんでもって、なにか足りないものがあるなら、一緒に用意しよう」
「ありあとぉー!」
メルは幹に設置された扉から、精霊樹の内部へ入った。
「うおぉーっ。コイツは驚いた。精霊樹さまは、何でもありかよ?」
腰を抜かしていた男が、いつの間にかアビーと並んでメルのしていることを眺めていた。
「カイル…。これしきの事で腰を抜かしていたら、メジエール村を守る務めが果たせないんじゃないの…?」
「無茶言うない…。姐御よぉー。驚くときは、キッチリと驚いた方が良いんだぜ。オレは腰を抜かして、意識の切り替えをしてるんだ。突発的な危険に対応するための、フリーズなんだぜ…。人間、自然体が一番なんだよ。大切なのは、立ち直りの速さだろ!」
カイルと呼ばれた男は『酔いどれ亭』の常連客で、フレッドの傭兵隊に所属する、もと冒険者だ。
探索者としてのカイルは凄腕である。
単独で危険な森を縦断できるほど、危機対処能力に優れていた。
だからカイルが言い訳を口にすると、そう言うモノかも知れないと納得させられてしまう。
「で、これは何なの…。メルちゃんの秘密基地かぁー?」
「メルのお店だってさぁー。たぶん、料理屋だよ」
アビーは受付窓口の上部に掲げられた、可愛らしい看板を見上げた。
紅白縞模様の日よけが突きでた上に、『メルの魔法料理店』と大書された看板が設置してあった。
「あそこに、書いてあるじゃん」
「あーっ。確かに…。でもよォー。いきなり光って姿が変わったら、看板の文字なんて読まないっしょ!」
「ダヨネ…」
メルが引き起こす不思議な出来事に鍛えられているアビーも、さすがに今回は動揺を隠しきれないようで、どこかしら反応が鈍かった。
「店だったら、普通に建てたら良いんじゃねぇか…」
「………うん」
カイルの言う通りだと、アビーは思った。
魔法のお店とか、ちょっとメルが羨ましすぎた。
精霊樹を遠巻きにして眺めている村人たちも、どこか妖精に誑かされた旅人のような呆けた表情を浮かべていた。
精霊樹の幹は、三階層に分けられていた。
一階部分が丸ごと厨房である。
ここは後回しだ。
楽しみは最後に残しておこう。
そうメルは考えて、二階への階段を上った。
二階は休憩室と居住スペースになっていた。
どうやら魔法の空調設備があるらしく、蒸し暑さは感じられない。
シンプルなベッドも、身体を預けてみると思った以上に快適だった。
「あかん…。こんな、キモチいーと…。うっかり、寝てまうわ…!」
メルはベッドの魅力を振り切って、居住スペースを後にした。
地下室に相当する場所には、応接セットと幾つもの扉があった。
「なんじゃ、これは…?ひらかんぞ…!」
扉はロックされていて開かなかった。
「このトビラは…。なんぞ?」
扉の脇にパネルが設置されていた。
タブレットPCのモニターと同じ、タッチパネルだった。
説明を表示させてみると…。
(なになに…。異界ゲート。うぉー。要するにファンタジーでお馴染みの、転移門デスカ…?転移先は、株分けされた精霊樹の生えている場所…。と言いますとォー。帝都ウルリッヒですね…。僕が屍呪之王に植えた、枝が立派に育ちましたか…?分かります、分かりますよぉー。異界ゲートさん。扉を開けたらピョーンと移動できる、すんごい魔法ってことですよね…♪)
設置コスト、一ヶ所につき一億ポイント。
「ぶほぉーっ!」
メルが噴いた。
魔法料理店の地下には、瞬間移動用のゲートが設置されている。
今は、それだけ覚えておけばいい。
「イチオクなんて、払えゆかぁー!」
メルが所持する花丸ポイントは、二億八千万もあった。
払えない額ではなかった。
ただ帝都ウルリッヒには、一億ポイントをつぎ込む程の魅力がない。
階段を上って一階に戻ると、楽しみに残しておいた厨房への扉を開く。
「ジャーン♪」
精霊樹の内部には、お客を座らせる椅子や食事用のテーブルが配置されていない。
(食堂ではないね。これは、お弁当屋さんに近いのかな…?)
ここは完全にキッチンである。
ぐるりと厨房の具合を眺めて回る。
「これは…」
素晴らしいの一言だ。
何が素晴らしいのかと言えば、キッチンの全てがメルに合わせたサイズなのだ。
調理台に背が届き、食器棚に手が届く。
受付カウンターの高さも、メルの背丈にピッタリだった。
カウンターの窓口から顔を覗かせたメルは、手元のパネルに気づいた。
(んーっ。客席の設置ですと…?)
試しに六番をタップしてみる。
ガタン!と音がした。
「うぉーっ!」
「なになに、なにコレ…?」
外でアビーとカイルが叫んでいた。
〈ブヒッ、ブヒッ、ブヒーッ!〉
〈ねぇねぇ、メルー。なんか、いきなりテーブルと椅子が生えてきたよ!〉
〈ミケさんや。それはマジですか…?〉
丁度、ミケ王子たちの位置が受付カウンターから死角になっていたので、メルは窓口に身を乗りだして確認した。
アビーとカイルが、パラソル付きのオシャレなテーブルを見つめていた。
まるでオープンテラスのようだった。
(魔法料理店、スゲェー!)
客席は受付のパネルで増設できるようになっていた。
地中からモッソリと生えてくる、安心安全なシステムである。
突然、空間を切り取って出現する、SF的な物理攻撃要素は備えていない。
だからテーブルの出現に巻き込まれて、人が真っ二つにされる心配はなかった。
メルは作り置きの枝豆をお皿に盛り、程よく冷えたビールをジョッキに注いで、アビーに声をかけた。
「まぁま…。てつどぉーて…!」
「あいよぉー。メル」
「まぁまとカイウ…。サイショのお客さま。無料サービスよ」
「えーっ。嬉しいこと言うじゃない」
アビーが機嫌良さそうに笑った。
メルが花丸ショップで購入したビールは、アビーの大好物だった。
「こえでも、わらし…。店屋のムスコよ!」
「………って、いい加減…。そこ間違うの、止めようネ。メルは女の子だから、息子じゃないよ。娘だよ!」
「おーっ。めでたい日に、こまいこと気にすぅーな!」
「細かくない。ちゃんと覚えようね」
アビーはジョッキ二つを右手に、枝豆の盛られた皿を左手に持って、テーブルに向かった。
花丸ショップに表示されていた商品のR指定は、驚いたことに年齢と関係なかった。
すっかり年齢だと信じ込んでいたメルは、待つしか無かろうとあきらめていたのだけれど、間違って選択したら購入できてしまった。
(R40とか平気であるし、何かおかしいとは思っていたんだ。だけど、レベルだとは思わなかったよ。調理器具で騙されたわ!)
分かってみれば、お酒が買い放題だった。
まあ、喜ぶのは大人だけど…。
主にアビーだけど…。
メルは飲まない。
「おいおい…。この店は頼んでもいないのに、席に座ったら酒と摘みが出てくるのか…?」
「開店記念の無料サービスだってさ…。ホレホレ、冷えている内にグッといこう」
「マジかよ…。メルちゃん、ありがとなぁー!」
「くぅーっ。ダメだ、美味しすぎるぅー♪」
さっそくジョッキに口をつけたアビーが、喜びの声を漏らす。
「これっ、いつものエールと違うじゃないか…」
「妙な酸味とか、雑味がないでしょ。これに慣れちゃうと、いつものが飲めなくなるの…」
「いやいや…。そんな怖ろしい。口が贅沢になったら、毎日が辛いでしょ…。でも、美味いよ」
「エダマメも食べてみ…。美味しいゾォ―」
アビーがホレホレと、枝豆をカイルの鼻先に突きつけた。
因みに、メジエール村でも大豆の栽培はされている。
枝豆として食べる習慣が無いだけだ。
「ちくせぅ…。オレも、その豆を食うよ。メルー、お店をやるんだろ…。これからは、いつでも食べれるようにしてくれっ!頼む。お願いだぁー」
「否じゃ。ことわゆ!」
メルが間髪をいれずに拒絶した。
メルの気まぐれ料理は、お金を払って注文しても食べられない。
カイルはミケ王子や幼児ーズのような特権を与えられていなかった。
別にメルが、意地悪をしている訳ではない。
単に面倒くさいからだ。
幼児とは、そう言うモノである。
「エダマメ、うめぇー。まじ、うめぇー。エールが腹に滲みる…。こいつは全く、殺生な仕打ちだぜ…」
メルの魔法料理は、小悪魔の誘惑に等しかった。
メルはダメ押しとばかりに、焼き上げた牛タンを皿に盛りつけていた。
ごま油と塩を小皿に入れてレモンの搾り汁を加え、細かく刻んだネギを牛タンに散らす。
まさに小悪魔セットだった。








