さよなら、帝都ウルリッヒ
妖精たちの救出任務を終えると、メルの妖精打撃群は七万に増加していた。
増えたのは主に火の妖精、ついで風の妖精だ。
地の妖精と水の妖精は少ない。
特に癒しを司る水の妖精は、皆無だった。
火力強化に重点が置かれた魔具を解放したので、この結果となったのだろう。
数が圧倒的なのは火の妖精で、帝都を灰にしてやるとの意気込みが透けて見えた。
魔具をばら撒いた悪党どもは、かなりの人でなしだった。
「しょーもなし!」
大人の喧嘩は物騒である。
メルの価値観からすれば、戦争はノーグッドだ。
色々な物を壊したり、兵糧攻めで耕作地に火を放ったり、意味もなく家畜を殺したりで、ご飯が貧乏っちくなる。
それに余裕のない殺伐とした大人は、とても危険で不愉快だった。
(互いに殺したり殺されたりして、何が楽しいの…?)
『ビデオゲームじゃあるまいし…!』と、メルは思う。
前世では病弱であったが故に、男のロマンを理解できなかった。
そして今世のメルは女の子なので、『俺ツェェェーッ!』な喜びが分からなくても問題なかった。
だから…。
「センソー、ハンタイ!」
絶対にノーと叫びたい。
海上に特設リングを作って、闘いたい大人だけで天下一を競わせればよい。
こっち来んなヨ…!
そんな幼児らしい思い付きを弄んでみたりもするのだけれど、人が築き上げた社会システムは戦争の可能性を排除できない。
特に覇権主義は厄介だ。
覇権国家は、国境線を越えたがるから…。
(お菓子を狙う、ガジガジ虫なみに凶悪だよ!)
メルが何を提案したところで、大人の事情は変わらない。
美味しい教団の教祖としては、なんとも腹立たしい限りであった。
「ム―ッ。たぶれっと、おかしい…」
メルのタブレットPCは、屍呪之王を解呪してから操作を受けつけなくなった。
ステータス画面を表示したままで、幾らタップしてもウインドーが開かない。
イラッとしながら弄っていると、やがて『アップデートが必要です』との文字を表示して固まる。
(………っ、これって精霊樹だよね。タブレットを精霊樹に挿し込めってか?)
アップデートの手順は、イラストで説明されていた。
メルを模した少女が、繰り返し大きな樹に板を差し込んでいる。
(なんてことだ…。メジエール村に戻るまで、ご褒美が貰えないじゃないか!)
強制イベントの完了で、森川家にメールが送れると喜んでいたメルは、猛烈に腹を立てた。
メジエール村は遠い。
帰りつくまでに、まだ何日も待たなければいけない。
大抵の幼児は、待つのが苦手だった。
それは幼児退行のバッドステータスを患うメルも、同じであった。
イライラが止まらない。
ちらりとステータス画面を見れば、花丸ポイントが二億を超えていた。
しかし…。
ペタペタとアイコンをタップしても、花丸ショップが開かない。
「ふっ…。しょーもなし!」
メルはタブレットPCをデイパックに放り込み、甲板に寝転がった。
微風の乙女号はタルブ川を遡行して、メジエール村へと向かっていた。
船尾に佇む風使いの依頼を受けて、風の妖精たちが楽しそうに大きな帆と戯れている。
天気は快晴。
することもなし。
「わらし、つかぇたわぁー」
メルの帝都観光は、完全に失敗だった。
ゴイスーな魔法のオモチャは、買えなかった。
屋台の食べ歩きもナシ。
ラヴィニア姫の王子さまにもなれず。
格好が悪くて逃げだしてきた。
気分はもう、敗残兵である。
精神的な疲労が、半端なかった。
「はんてん…!」
あの不細工な犬は、何処へ。
精霊の形を定める概念もまた、来世へと転生するのだろうか…?
生贄に捧げられた人々の霊魂よ、安らかなれ。
封印の巫女姫たちも、安らかなれ。
可能であるなら、良き来世を迎えたまえ。
(みーんな、生まれ変わるのか…。それって、どぉーなの?)
メルのルーツだって、不確かだ。
確かなのは、皮肉にも移ろいゆく現前だけである。
今を懸命に生きるのが、正解だった。
それでもメルは、ハンテンの来世に思いを馳せた。
◇◇◇◇
メルとミケ王子、それにクリスタが帰路へついて、二日後の事。
昏々と眠り続けていたラヴィニア姫が、遂に目を覚ました。
ベッドで啜り泣くラヴィニア姫に気づいたのは、部屋を掃除していたユリアーネ女史だった。
ユリアーネ女史は万感の思いを胸に、小さなラヴィニア姫を抱きしめた。
感謝の涙が、ユリアーネ女史の頬を熱く濡らした。
「ラヴィニア姫さまの受け入れ先が無いと…?」
ウィルヘルム皇帝陛下の御前で、アーロンが吐き捨てるように言った。
「ああっ…。万策尽きたのでウチで引き取りたいと言ったら、激しく皇后に拒絶された!」
「封印の巫女姫を何だと思っておいでなのか…?」
「事情を知る貴族どもにとっては…。自分らの罪悪感を刺激する、目障りな存在でしかなかろう…。三百年は、それだけで重すぎるのだよ!」
「許しがたい!」
アーロンはウィルヘルム皇帝陛下の言葉に、柄にもなく憤った。
ラヴィニア姫の生家は、とうの昔に没落して消え失せていた。
息を吹き返したラヴィニア姫には、頼るべき養育者が居なかった。
ラヴィニア姫に相応しい家格を持つ貴族たちが、悉く受け入れを拒絶したからだ。
「ラヴィニア姫の存在は…。素性を知る貴族どもから、不名誉な過去の象徴と見なされておるわ。精霊宮の祭司長でさえ、子育てはできぬと抜かしよった」
「ぬぬぬ…っ。けしからん!」
アーロンが奥歯を軋らせた。
ウスベルク帝国の貴族たちは、三百年ものあいだ世界を守り続けたラヴィニア姫に、感謝の気持ちを示そうとしなかった。
まるでラヴィニア姫が、穢れた呪物であるかのように避けていた。
若葉色に変色したラヴィニア姫の髪も、疎まれる原因とされた。
そんな髪の娘は、人である筈がないと…。
「誰ひとりとして、ラヴィニア姫さまの受け入れを名誉とは思わないのですか?」
「そのように殊勝な連中であれば、ラヴィニア姫がミイラになろうとも、見舞いに訪れているだろう…。少なくとも、目覚めたと聞きつけたときに、挨拶ぐらいしに来るはずだ」
「挨拶って…。ラヴィニア姫の部屋を訪れたのは、陛下とフーベルト宰相だけじゃありませんか!」
「これが現実だ。因みに、フーベルトを当てにするなよ。あやつの家は、家庭と呼べぬ…。職場と何も変わらん修羅場だ。子育ては無理であろう!」
ウィルヘルム皇帝陛下が、力なく天を仰いだ。
「回りくどい事を口にしても、何ひとつ解決せぬ…!この際だから、恥を覚悟して頼む。金なら出す。ワシの財布が空になろうと構わん…。ラヴィニア姫を幸せにしてやって欲しいのだ…」
「感謝や愛情ではなく、金貨ですか?」
「おまえに蔑まれても構わん…。ワシが褒美を与えて、家臣どもに命令したとしよう。『ラヴィニア姫を養女に迎えよ!』とな…。だが、それでラヴィニア姫が幸せになれるとは、どうしても思えぬのだよ」
「たしかに…。表面上は陛下に従おうとも、見えぬところでラヴィニア姫を虐待するやも知れませんね」
「はっきり言うな…。だが、おまえの指摘した通りだ。ワシには、家臣どもを信奉させるほどの力がない。皇后でさえ、ワシに楯突きよる始末なのだ。どうせ金を渡して頼るなら、おまえが良かろう…?」
ウィルヘルム皇帝陛下の口もとに、小狡そうな笑みが貼り付いていた。
ウィルヘルムは、腐っても皇帝陛下だった。
「…………くっ!」
ウィルヘルム皇帝陛下の依頼を断ることが、アーロンには出来なかった。
重責を背負わされたアーロンは、ラヴィニア姫の笑顔を想像した。
何としてもラヴィニア姫に、生きる喜びを知って欲しい。
(そうだ…。わたしには夢があった。姫さまには、『かりーうろん』を食べて頂かなければ…!)
ラヴィニア姫を幸せに出来る場所。
その候補地は、一つしか思い浮かばなかった。








