楽しい朝食
翌朝を迎えると、なんとか偵察任務を終えたミケ王子は、クタクタにつかれてフレッドの事務所に帰りついた。
朝早くからメルとフレッドは、誰に頼まれたのでもなく厨房に立っていた。
ミケ王子はメルの足に身体を擦りつけて、戻って来たことを知らせた。
「おはぁー。ミケ♪」
「ミャァー」
ミケ王子はメルと朝の挨拶を交わしてから、偵察任務の報告を始めた。
〈カクカクしかじかでさぁー。みぃーんな、魔法具で武装していたよ。どこかに隠したりなんかしてない。ふつうの武器と同じような扱いをしてた〉
〈つまり…?〉
〈寝てる奴らは、寝室の棚に置いてたし…。起きてた見張りは、腰のベルトからさげてた。そもそも、あいつらは…。武器用の収納庫なんて、持ってないよ!〉
ミケ王子は調査内容を報告しながら、メルが包丁で切り分けている赤い物体に注目した。
〈メルー。それ、なに…?〉
〈ミケ王子のゴハン〉
〈すごく赤いんだけど、生ですか…?〉
〈これは生で食べるんだよ〉
〈ボクは妖精猫族の王子だから、生はちょっと…〉
ミケ王子がイヤそうに抗議した。
メルが安心安全な包丁で切り分けているのは、マグロの赤身だった。
コチラの世界に転生してから刺身を見たことがないので、基本的に生食はあり得ないのだろう。
食あたりや寄生虫の危険を考えたら、須らく食材には火を通すべきであった。
だけど、メルが手に入れたマグロの赤身は、花丸ショップで販売されていたモノだ。
カチカチに冷凍されていたマグロの柵を妖精さんに解凍してもらったので、寄生虫の心配は要らない。
鮮度だってバッチリだ。
たぶん…。
メルが知る限り、最高の赤身だった。
ミケ王子の分は普通に切り身で、残りをぶつ切りにしてわさび醤油と和える。
すりおろしたとろろ芋と、漬けマグロを混ぜ合わせて一品。
贅沢な朝食だ。
お味噌汁の具は、大根とエノキに油揚げ。
大根の千六本は茹でると歯ごたえが消えるので、エノキを散らす。
外観は大根と油揚げの味噌汁だけど、エノキのシャキシャキ感が楽しい。
生が苦手な人のために、メルの横でフレッドがフライパンを握っていた。
いつものように、ベーコンと野菜を美味しく炒めている。
眺めていて楽しくなるほど、手際が良い。
「親子そろって、飯の支度とか…。楽しいな、おい♪」
「おとぉー。よゆぅーネ。わらし、しゃべゆヒマなし…」
年季の差である。
メルは妖精たちの助けがあるのに、ヒィヒィ言いながら調理をしていた。
鼻歌交じりのフレッドには、どうしたって敵わない。
フレッドは炒め物をしながら、深鍋で芋を茹でている。
イモと和える野菜は刻み終えて、大きな笊に取り分けてあった。
もっと、あからさまなズルをしなければ、手際の良さでフレッドに勝てる見込みはなかった。
「ゴハン、ムらしシュウリョウ!あーろん、ドナベからゴハン移せ!」
「はいはい…。ここに移せば良いんですね?」
「しゃもじで、サクッといくのだ。こねまわしたら、どつくど!」
メルは酢で濡らしておいた飯台をアーロンに示した。
酢飯はマグロの山かけご飯に使う。
要するにマグロ丼だ。
それなのにフレッドが朝食を準備しているのは、生だと食べられない連中のためだった。
メルが食べたくなったからマグロ丼を作った訳で、生食の習慣を持たない人たちに嫌がられても関係ない。
食いたくなければ、食うな…。
それが頑固エルフの料理なのだ。
だけど、それでは皆の食事に相応しくない。
そんな訳で、フレッドも朝食を作ることになった。
フレッド自身は、メルのマグロ丼を食べるつもりだった。
余った分は、炊き出しのときに配れば良い。
メルのマグロ丼は、残る心配をするほど量がなかった。
メルは炊き立てのご飯に軽く塩を振ると、ザックリとしゃもじで切り混ぜた。
そこに調合しておいたすし酢をかけて、余分な湯気を飛ばす。
うちわで扇ぐ代わりに、風の妖精が湯気を飛ばしてくれる。
〈フーフー♪〉
〈いちいち、フーフー念話しなくても良いよ〉
〈………。フーフー?〉
〈それしないと、気が済まないのね…。分かった〉
〈フーフー♪〉
妖精には妖精の都合があった。
どうやら、フーフー言うのが楽しいらしい。
メルがすし酢をかけて、アーロンがしゃもじで切り混ぜ、風の妖精が湯気を飛ばす。
これを何度も何度も繰り返す。
やがて熱々だったご飯が、ツヤツヤの酢飯に変身した。
すっかり冷めた酢飯を手に取って、口に放り込む。
「うまぁー♪」
上出来デアル。
隠し味の白ごまを混ぜて刻み海苔を散らせば、美味しい寿司ゴハンの完成だ。
フレッドは大量のマッシュポテトを作っていた。
今朝はイモを主食にするようだ。
「パンのかわり…?」
「ああっ…。今日は、メルが居るからな…。まよねーず、分けてくれよ」
「おぉー。いま、持ってくゆ」
フレッドはマヨネーズが好きだった。
メルからマヨネーズをもらうことが前提にあって、マッシュポテトを作ったようだ。
コチラの世界では生卵も使用しない。
かなりの頻度で、食あたりが発生するらしい。
その原因がサルモネラ菌にあるのかどうか、メルには知る由もない。
鶏卵は花丸ショップで買えるから、調べようとも思わなかった。
そもそもメルには浄化があるので、食中毒の心配なんて要らないのだ。
結果として、フレッドはマヨネーズを自作できない。
治癒魔法があっても、食中毒は危険だった。
「いやぁー。何となしに作り方は想像するんだが、食中毒のヤバさは洒落にならないからなぁー。そのうち喰い詰めた冒険者でも雇って、幾つか思いついた安全策を実験してみたいと思ってる」
「………おとぉー?!」
「冒険で死んじまうのも、食中毒でくたばるのも同じだろ…?どっちも冒険だ。俺は、そう思うね…!」
美味しいの探究者は、なかなかの悪人だった。
そんな冒険を冒険者に強要するのは、止めて欲しかった。
食堂に顔を揃えた傭兵隊の面々とクリスタやアーロンを交えて、ヤクザ事務所とは思えないアットホームな雰囲気の中、和気あいあいとした朝食の時間が始まった。
メルやフレッドの心配をよそに、一瞬にして飯台は空っぽになった。
全員がマグロ丼を注文したので、メルが作った分量では足りないくらいだった。
その影響を受けて、アーロンの盛りが減らされた。
「わたしの、少なくないですか…?」
「おまぁーは、イタンシャじゃけぇー。そんだけ…」
「メルさんのより、ちょびっとじゃないですか…。わたし、たくさん手伝いましたよね」
「あきらめなさい、アーロン。みっともない!」
そう言うクリスタは、自分でよそった山盛りのドンブリを手にしていた。
周囲を見回せば、傭兵隊の誰もが山盛りだった。
順番を最後にされたアーロンだけが、ぽっちりである。
「とっても悲しいです…」
美味しい教団の異端者弾圧は、苛烈だった。
ミケ王子は自分用のお膳に載せられた皿をじっと睨んでいた。
(生のサカナ…。ナマなんだよなぁー)
テーブルの方を見れば、皆がガツガツとマグロ丼を掻き込んでいた。
帝都ウルリッヒを訪れる際に、船上で食べた焼きおにぎりが忘れられない男たちは、メルの料理に疑いを抱かなかった。
「美味い…」
「生の魚が、こんなに美味いとは知らなかった」
「おまえらさぁー。そこらで生ものを拾い食いするんじゃねぇぞ!コレは特別なんだ。メルの料理だけにしとけよ」
フレッドは心配そうな顔で、部下たちに注意した。
「これっ、船の上でも食べたけど…。パリパリして好きだぜ」
胡瓜の浅漬けを食べるヨルグが、幸せそうな顔を見せた。
「ああっ…。ピクルスみたいだけど、ずっと食べやすいな」
ワレンもヨルグに同意する。
クリスタは口も利かずに黙々と食べていた。
「これは絶品だ!このヌルヌルと、塩味を帯びた生魚…。爽やかな、ピリ辛のアクセント…。ほんのりと甘酸っぱいゴハン。何という味の調和…。シンプルでありながら、想像を超えた美味しさですヨォー!」
叫ぶアーロンのドンブリは、あっという間に空っぽだった。
ちょこっとしかよそって貰えなかったから、ひと口食べたら無くなってしまったのだ。
「あーっ。もっと、食べたい!」
食卓を囲む面々は、アーロンの訴えをガン無視した。
そんな風景を横目にしながら…。
ミケ王子は爪の先に、マグロの切り身をちょいと引っ掻けた。
それは美しい魅惑の赤である。
濃厚な赤だ。
キラキラと輝き、角がピンと立っている。
冷凍と解凍を繰り返して、鮮度の落ちた切り身とは姿からして違う。
(滅茶クチャ、美味しそうなんですけど…)
勇気を奮い起こすなら、今しかなかった。
メルは食べなかった子に、慈悲を垂れない。
後から好きになったと言っても、二度と出してくれない。
そう言う、意地悪とも取れる頑固さを持っていた。
もし…。
もし仮に生魚の切り身が美味しかったら、また良かった探しをする羽目になる。
『あのとき、食べておけば良かった…!』
それはイヤだ。
でも生魚なんて、これまでに食べた覚えがなかった。
妖精猫族の国では生魚なんて食べたらダメだと、教えられて育ったのだ。
お腹を壊して、死んでしまうと…。
(みんな平気そうな顔で食べてる。てか、すごく美味しそうだよ!)
ミケ王子は目をつぶり、自分もパクっと行ってみた。
過去の自分とは、お別れするのだ。
(…………!)
モグモグすると、頭がポーっとした。
これは幸せの味である。
美味しい感動が、どーっと押し寄せてきた。
(こ、こ、こ、これはぁー。メザシより、サンマより、美味しいじゃないですかぁー!)
ここにミケ王子は、マグロ信者となる決意を固めた。
(次からのご褒美は、もうマグロに決定だよ。こぉーんな美味しいのを隠していたなんて…。メルー。許せん!)
まだミケ王子は、ヒラメのエンガワや、マグロの頬肉を知らなかった。
「この芋サラダ…。どういうことですか…?なんで、こんなに美味しいの?!」
アーロンがフレッドの料理に手を伸ばし、大声で騒ぎ立てた。
マナーもへったくれもなかった。
どこまでも喧しい美食家だった。








