アーロンの失態
クリスタが心配していた通り、給仕たちの意地悪な陰口はメルの耳にもちゃんと届いていた。
だがしかし、帝国公用語が流暢でないメルは、スラングやら日常会話から外れた差別用語などを理解できなかった。
『遊び女』が何か分からないし、田舎も田舎、ド田舎のメジエール村では、そもそも『田舎者』などという言葉を誰一人として使わなかった。
辛うじて理解できたのは、『チビ』と『態度が悪い』に、『アーロンの子』くらいで、大したダメージを負わなかった。
どーでもよい話だし、余計なお世話だった。
彼らの悪意や敵意は感じ取れたけれど、言葉の意味が分からないメルにすれば、檻に繋がれたサルの威嚇と変わらなかった。
だとすれば、相手にしないで無視すればよい。
それに今は、神聖なる食事の時間だった。
意識を集中して、キチンと楽しまなければいけない。
何しろメルは、食べるために転生してきたのだから…。
感謝の気持ちを胸に、よぉーくモギュモギュするのだ。
「ふぉーっ。スープ、金色!」
スープを口に含み、そのまろやかさと味の深みに感動する。
「うまぁー♪」
エーベルヴァイン城で戴いた食事も豪華だったが、さすがは超一流料理店である。
惜しみなく手間暇をかけて作られたスープは、文句のつけようがないほど美味しかった。
因みに、【超一流料理店】とは、アーロンがつけた店の名前である。
アーロンには、ネーミングセンスが無いようだ。
「ハムハム。そぉーせーじ…。べーこんにサラミー♪」
オードブルの盛り合わせとサラダに手をつけたが、こちらも素晴らしい。
さまざまな加工肉は、どれも美味しい。
香草や香辛料がアクセントとなり、脂の臭みやしつこさを打ち消している。
脂質が多めで喉ごしのよいプリッとした腸詰は、香味野菜との取り合わせが抜群だった。
(アビーの酢漬けと合わせたら、このソーセージはもっと美味しくなる…)
脂質と酸味は相性が良い。
でもサラダのドレッシングに使われているような酸味が、オードブルには使用されていない。
ゼラチンで固めたテリーヌにも、酸味のある野菜は使われていなかった。
(フーム。ちょっとだけ残念…。酸っぱめのカットフルーツとかを添えれば良かったのに…)
幼児の癖に、いっぱしの料理人を気取って、細かな批評をする。
イヤな客だった。
メルはミケ王子でも食べられそうなソーセージを取り分けて、お皿に載せて上げた。
〈メル…。香辛料とか、ハーブはダメだよ。ボクは、食べれないよ〉
〈そのソーセージは大丈夫。限りなくプレーンだから〉
〈そっか…。アリガトォー〉
〈オードブルの殆どが、豚だからねぇー。トンキーのまえだと、食べづらい…〉
〈てか…。メルって食べただけで、何が入っているか分かるの…?〉
〈うん…。一口食べると、だいたい分かるかなぁー〉
調理スキルがMAXなので、かなりの精度でレシピを再現できる。
もっとも、それはメルが頑張ればの話だった。
調理手順や味は分かるのだけれど、異世界の素材や調味料などを覚えていないから、あまり意味がなかった。
市場などで野菜を齧ったり、炙った肉を食べれば、『あー、これだ!』と思いだすだろう。
野菜の目利きや、屋台の食べ歩きでは外さない。
美味しいものと不味いものは見分けられる。
それだけで、充分にすごいスキルなのだ。
だけど…。
(高級料理のレシピなんか覚えたって、自分では作らないもんね!)
銅貨五枚で作れる料理には、限りがあった。
そう言うことである。
メルはグラタンに酷似した料理をフォークで突き、口一杯に頬張って幸せな顔になった。
二口目を食べて、『?』と首を傾げ。
三口目で、口から黒い欠片を吐きだした。
クリスタは料理から黒い欠片を穿りだすメルに、訝しげな視線を向けた。
まるでピラフからグリーンピースを除ける子供のようだった。
せっせとフォークで料理を穿り、黒い欠片だけを取り除いていく。
「メル、お行儀が悪いよ。好き嫌いは良くありません…」
「の、の、のん…。スキキライちゃうヨ…。このリョーリに、くろいの要らんデス!」
「んーっ。それが好き嫌いでしょ?」
「ちゃうヨォー。くろいの、オイシイを損ないマス。入れるのダメ!」
メルの主張によれば、黒い欠片が料理の完成度を下げると言う話らしい。
因みに黒い欠片は、超がつく高級食材だった。
ウスベルク帝国では、資産家や貴族でも滅多に食べられない珍味である。
「その黒いのは、エミル茸と呼ばれる高級食材です。とぉーっても珍しいキノコで、庶民には手が出せないほど高価なの…。偉い貴族だって、簡単には食べられないんだからね!」
クリスタが苦笑しながら説明した。
これを聞いてメルの表情が、どんよりと曇った。
クリスタの台詞が、怒りのツボを突いたのだ。
「ムゥ―ッ。なぁーんか、ザンネンなリョーリと思った。しかし、クィスタさまのセツメェーで、スッキリしたわ!」
メルが小鬼の形相で、テーブルをバシバシ叩いた。
目を丸くしたミケ王子が、怒り狂うメルを呆然と見つめていた。
「シンセーなリョーリに、ユユしがたきボォートクです。オイシイを…。サベツに、リヨォーすゆなぁー!」
「はぁーっ。こりゃまた、むつかしい話になったね…」
メルは怒っていた。
高級食材やら煩雑なマナーが、支配者の権威をアピールする道具だと気づいてしまったから…。
メルにしてみれば、美味しさは神聖であり正義なのだ。
それを差別のために利用するなど、許しがたい冒涜行為と言えた。
料理に罪はないけれど、もう食べる気にならなかった。
メルの美味しい教団は、アーロンが出資する高級料理店を邪教徒の店と認定した。
ゆるキャラのメルにも、譲れないことがある。
それは美味しいを楽しむ姿勢だ。
高級だって構わない。
美味しいを堪能するのに苦労を避けられないのであるなら、敢えて荊の道を行くのもありだ。
だが、差別のために豪華な盛り付けをしたり、料理の調和を壊す高価な食材を使ったり、面倒で煩雑なマナーを用意するのは如何なものか…?
須らく美味しいは、差別より上位に置かれるべき真理であった。
差別が目的で、美味しいは手段とか、あり得なかった。
明らかにメルの信仰と相容れない。
敵対勢力デアル…。
「わらし、このリョーリをミトめましぇん!」
メルが吠えた。
この事件があってから、アーロンはメルの料理によって差別を受けるコトとなる。
『アーロンには、美味しいを楽しむ資格がない!』と、判断されたのだ。
メルとクリスタが店を出ようとしたところに、アーロンが駆けつけた。
どうやら自分の出資した店について、何某かの感想を貰いたいようだった。
アーロンは店の受付フロアに立つクリスタとメルに、意気込んで訊ねた。
「お二人とも、食事は楽しんで頂けたでしょうか?」
と言うか得意そうにしているので、自慢をしたいだけかもしれない。
「楽しむも、何も…」
「えっ?」
「早いところ、此処から引き上げたいんだけどね」
「なにか不手際でもありましたか…?」
アーロンが訝しげな顔になった。
「はぁーっ。事情を知りたいのかい…?」
「是非とも…」
「仕方がないねぇー」
「お願い致します」
クリスタはメルをチラ見してから、そっとアーロンに耳打ちした。
話を聞くアーロンの顔は、期待に満ちた表情から驚きへと変化し、やがて死んだ魚のような無表情に落ち着いた。
その瞳からは、生気が消え失せていた。
今すぐにでも、従業員たちを怒鳴り散らしたい。
だが…。
ここでクリスタやメルの正体を明かす訳にはいかない。
しかも突き詰めてみれば、自分の手落ちでしかなかった。
「キミたち、とんでもない事をしてくれたね…」
悲しそうな顔をしたアーロンが、震える声でボソリと言った。
クリスタとメルを見送りに来ていた総支配人と従業員たちは、アーロンの台詞を耳にして縮こまった。
なかでも店を代表する総支配人の顔色は、冴えなかった。
心なしか足元が定まらない様子である。
御者の男と揉めた時から、微かに不吉な予感はしていたのだ。
予感が的中しても全く嬉しくなかったけれど、トラブルに際して傷口を広げないよう、全力を尽くしたつもりである。
スタッフ一同、最善を尽くして頑張った。
はずだ…。
そう信じたい。
「誠に、申し訳ございません!」
それでも不手際は、総支配人の責任だった。
ここは経験からしても、頭を下げるべき場面であった。
どこで何をしくじったのか分からなくたって、頭を下げることは出来る。
総支配人の頭は、その為だけに付いているのだ。
事実究明と反省は、謝罪の後ですればよい。
アーロンは頭を下げる総支配人を苦々しい思いで睨みながら、不機嫌そうな態度のメルに怯えた。
メルは睨んでいた。
アーロンはメルに睨まれていた。
美味しい料理でメルの関心を惹こうと計画していたのに、これでは話が逆だった。
こっそりとメルを驚かそうとしたコトが、今さらながらに悔やまれた。
たとえ断られる心配があっても、きちんと招待するべきだった。
料理店の側にも、事前に説明しておくべきだった。
だが、アーロンはラヴィニア姫の傍から離れたくなかったので、少しばかり手を抜いてしまった。
アーロンが同行していれば、ミケ王子の件も穏便に済ませられたはずだ。
猫の入店を拒もうとした総支配人の判断に、間違いはない。
帝都にはミケ王子が妖精猫族の王族だと聞かされて、信じる者など居ない。
信じるとすればアーロンの名前や『調停者』の肩書があった上で、筋の通った説明を受けたときだけであろう。
ミケ王子は、ちょっと芸達者な猫にしか見えなかった。
残念なことに、その外見は普通に猫だった。
「クリスタさま。メルさん。申し訳ありませんでした。わたしの不手際で、不快な思いをさせてしまいました」
アーロンがクリスタとメルに謝罪した。
「あーろん…」
メルが冷たい口調で呼びかけた。
「はい…」
「おまぁーは、ハモンです」
「えーっ!そんなぁー」
いつの間にか美味しい教団に入信していたアーロンは、いとも簡単に破門を言い渡された。
メルは幼児なので気軽に信者を受け入れるけれど、破門にするのも速攻だった。
「教祖さま…。どうか破門だけは、ご勘弁を…」
「いいや、あかぁーん。おまぁーは、オイシイを分かっていない。イヤなら、おとぉーのとこでシュギョーせぇ!」
「フレッドさんのところですか?」
「そう…。おとぉーが、おまぁーに、オイシイを教えてくぇゆでしょう」
メルは蔑むような目つきで、アーロンに言い渡した。
「その…。美味しいを理解できた暁には、破門を解いて頂けるのでしょうか?」
「おとぉーのもとでシュギョーしてから、訊ねゆがよい!」
「それまで、わたしは…」
「やかましわぁー。ハモンじゃ、ハモン!」
「………承知いたしました。フレッドさんのもとで、精進いたします」
アーロンは、美味しい教団の名誉ある聖霊名を名乗れなくなってしまった。
世間的には無意味な名誉だけれど、美食家のアーロンにとっては重大事だった。
因みにアーロンの聖霊名は、『カツオダシ』だった。
「とこぉで、店のリョウリチョーさんは、どこにおゆです?」
メルはアーロンの処遇を申し渡すと、料理長を呼びつけた。
「はい…。お嬢さま。わたしが当店の厨房を任されている者です」
小太りの中年男が、メルのまえで神妙に頭を下げた。
「なにか不手際がございましたら、心からお詫び申し上げます」
料理長は自分も叱られるものと、思い込んでいた。
「うむっ。おまぁーはリッパです。よくぞ…。このカンキョーで、オイシイをキワめました。ソンケイしとぉーヨ」
『よくできました!』は、大きな花丸である。
「ははっ、ありがたきお言葉…!」
料理長が偉そうな幼児に、深々と頭を下げた。
何であろうと逆らってはいけない雰囲気が、周囲を支配していた。
「ところで…。おまぁー、なんでコーキュウショクザイをリョーリにつこぉた?」
「貴族の間で流行りになっているから使用するようにと、総支配人の指示を頂きまして…」
「おーどぶゆに、すっぱいを加味しないのは、ナゼかのぉー?」
「帝都では質の良い柑橘類が、豊富にございます。それを素材としたビネガーも、大量に出回っております。ですが、そのような安っぽいものを使うな、皿に盛りつけるなと…。折角の高級料理が貧乏くさくなると、お客さまから苦情を頂きまして、あれこれと工夫している次第でございます…」
「くろーしておゆのぉー。わらし、メッチャ悲しいデス!」
メルが、ガックリと項垂れた。
美味しいに対する世間の理解度は、想像以上に低い。
美味しい教団にとって、かなり厳しい状況だった。
「負けたらアカンでェー」
「はい…。励ましの言葉を胸に、これからも頑張らせて頂きます」
会話の流れから料理長は、目のまえの小さな女児が自分の努力を全て理解してくれている事実に気づいた。
不覚にも、目頭が熱くなった。
「リョーリチョー。わらし、食べきらんでスマン。ワビと、オイシイのカンシャに、こぇをサズけましょう!」
メルはデイパックから取りだした瓶詰を料理長に与えた。
精霊樹の実をシロップ漬けにしたモノである。
「………これは?」
「正真正銘の珍味だよ。精霊樹の実だ。だれにも渡さずに、ひとりで食べな。アーロンや皇帝陛下がくれと言っても、渡すんじゃないよ。『調停者』が許可するから、誰にもやるんじゃない!この子に貰ったのも、内緒だからね。分かったね…?」
「ちょ、調停者さま…。ひゃい…!」
クリスタが料理長に耳打ちし、メルをじろりと睨んだ。
メルはそっぽを向いて、しらばっくれた。
「はぁーっ。しようがないねぇー」
クリスタは深く息を吐いた。
この事態を招いたのは、よくよく考えるとクリスタである。
約束を破ったからと言って、クリスタには精霊の子を責める資格がなかった。
それに幾ら隠しておこうとしても、精霊樹の再生は世間に知れ渡っていくだろう。
クリスタに出来るのは、情報の拡散を少しばかり遅らせることだけだった。








