腹ペコ幼児
メルたちは給仕長に案内されて、小さめの個室へと移動した。
『問題のある客』を隔離するために、店が用意した特別な部屋だった。
横暴で癇癪もちの貴族が切れたとき、冷静さを取り戻して貰うための部屋だ。
その為か、個室の内装には派手さがなく、落ち着いた色調に統一されていた。
手に取って投げられるような危険物は、棚や壁に飾られていない。
微かに鼻を擽る香の匂いが、心を穏やかにさせた。
(バルマの樹脂を焚いているね…。やれやれ…。総支配人から、危険人物と思われちまったかね)
バルマの樹脂を配合した練香は、爽やかな匂いと心を癒す効果で貴族たちに人気があった。
(それにしても粗暴な男だよ。アーロンの店に案内したいなら、前もって予約しておけば良いのに…。無駄になってキャンセルするにしても、ごたつくよりずっとマシだろう…。何だか得意げな顔をして、『馬車でお待ちしています!』とか言って立ち去ったけど…。自分の失態に、まったく気づかないのかね。若くて未熟だから、仕方がないのかい…?)
クリスタが御者の男に向けた苛立ちも、やがて鎮静効果のある香りに宥められていった。
(何というか…。アーロンも人を育てるのが、下手くそなようだ。あたしに、似てしまったのかねぇー。自分の都合ばかりで、協調性のない部下ばかりじゃないか…。もてなすべき相手の気持ちをこれっぱかしも斟酌していないし…。御者の坊やも料理店の従業員も、客を寛がせる気がないとしか思えないよ)
クリスタは見るともなく部屋の様子を眺めて、ため息を吐いた。
ガサツで気が利かないのは、クリスタも同じだった。
ささくれた世間との関りが、人々の性格を粗暴にさせるのだ。
ここには、自由と平等など存在しない。
クリスタが生きてきたのは、暴力上等の封建社会である。
この世界では秩序を維持するために、脅迫まがいの粗暴な手段が頻繁に用いられる。
封建社会を維持しているのは、支配者の権威だ。
なので支配者は、己の特権性を示さなければいけない。
ときに、それは冷酷な暴力として、被支配者に突きつけられる。
立場の弱い者に無理難題を吹っ掛けて、自分の支配力を確認する。
暴力をちらつかせて、誰が主人かを相手に思い知らせる。
力の差を見せつけなければ、他人から協力を得られない社会だ。
クリスタも調停者として、大勢の人間たちを説得してきた。
(言葉のみで理解を得るのは、至難の業だから…。なかなか他人との関係は、思ったように行かないよ!)
いつ如何なる時であれ、説得には暴力が必要だった。
だから普段であればクリスタも、野蛮な言動を気に留めたりしなかった。
メジエール村を除けば、世間は暴力に満ちているのだ。
(相手から舐められないためには力を誇示したり、脅さなければいけない場面もある…。いや、思い返してみれば…。もっぱら、脅してばかりだった気がするね…)
クリスタが己の態度を改めたのは、『調停者』の務めを果たすべく人々を説得して回っていたら、いつの間にか妖精たちに嫌われてしまったからだ。
クリスタは恵みの森で、深く反省した。
『暴力はいけない!』と…。
精霊や妖精たちは、人やエルフと楽しく暮らし、相手の希望を叶えて喜ばれるのが大好きだ。
そんな気の良い連中に、負の感情を見せるべきではなかった。
こうしたクリスタの思想から、メジエール村が誕生した。
長い歳月を必要としたが、結果は明白だった。
沢山の妖精たちがメジエール村に集まり、世界から失われてしまった精霊樹まで生えた。
もう二度と、道を踏み外してはならない。
クリスタの決意に迷いはなかった。
ではあるモノの…。
それが思うほどに容易くはないのだ。
だからクリスタは、メルの前だけでも良き人でありたかった。
(メルが居るからねぇー。精霊の子には、人を好きになって貰いたい。だから、活気があって楽しそうな市場を見せたかったんだけど、失敗しちゃったよ。この料理屋だって、アーロンに悪気が無いのは承知している…。だけど、あんなやり取りを見せたらさぁー。メルが人嫌いになっちまうよ!)
幼児の機嫌を取るのは、非常に難しい。
子供の相手は、クリスタの大変に苦手とするところだった。
クリスタは不安になって、メルの様子を窺った。
メルとミケ王子は、おとなしくテーブルに着いていた。
メルの手には、早くもスプーンとフォークが握られていた。
その視線は部屋の入口に固定されて、ピクリとも動こうとしない。
ときおり、グビリと喉を鳴らす。
どうやらメルは、食べるコトしか考えていないようだった。
全くもってクリスタは、メルを理解できていなかった。
メルの機嫌を取りたいなら、食べ物を与えて置けばよいのだ。
「大変、お待たせしてしまい。申し訳ございません」
部屋に顔を見せた総支配人は、揉み手をしながら頭を下げた。
総支配人に促された給仕たちが、運んできたワゴンから次々と料理の皿を取りだしてテーブルに並べていく。
取り皿の前にセットされた何種類ものカトラリーが、テーブルマナーの喧しさをクリスタに意識させた。
(貴族どものマナーなんて、メルには通じやしないし…。いったい、どうしたもんかね…?)
クリスタはムッと不機嫌そうに考え込んだ。
飲料用のグラスも大きなモノや小さなモノと取り揃えられていて、ドリンクの種類により使い分けるようだ。
「さて…。これより、当店の自慢料理を召し上がって頂くわけですが、段取りと言うか、お食事の作法について…」
「要らんわ…。わらし、ハラへっとる。メシくらい、教わらんでも食べエうわ!」
総支配人の台詞をメルが遮った。
待たされ過ぎて、少しばかり目が座っていた。
「………はぁ。しかし」
「こぉーんな、たくさんサジとかフォーク…。並べよって…。この店ぇー、好かんわ!」
メルに叱責されて、総支配人の気取った外面が剥がれ落ちた。
これまでにも色々と我儘な客を相手にしてきたが、幼児に面と向かって詰られたのは初めてである。
しかも偉そうな態度の幼児は、自前のスプーンとフォークで食事するつもりのようだ。
歴史あるテーブルマナーの全否定だった。
貴族客のクレームとは、根底から質が違っていた。
比較にならぬほど、タチが悪い。
「おいしいをジャマすうヤツは、ユゥーしません!」
「はぁ…。そう仰られましても…」
総支配人はメルの勢いに圧倒されて、口ごもった。
『許さない!』と断言した幼児の眼力が、尋常ではなかった。
アーロンの機嫌を損ねて叱責されたときより、遥かに強い圧を感じた。
まったく納得できない。
何故に自分が、叱られなければイカンのか…?
全てのカトラリーには使用方法があったし、無意味なものは置いていない。
食事作法に工夫の必要な料理は、食べ方の説明をするのが料理店の決まりだ。
それを喧しいから、さっさと出て行けという。
随分な言い草ではないか…?
総支配人にも、高級料理店を切り盛りしてきた自尊心があった。
此処で引き下がっては、店の立ち上げから苦労してきた日々が無駄になる。
高級料理店の支配人として人生を捧げてきた自信が、粉々に打ち砕かれてしまう。
だが…。
「かっ、畏まりました…。お客さま…。わたくしは、これにて失礼いたします」
総支配人は素直に頭を下げると、逃げるようにして部屋から立ち去った。
意地を張って罵り合えば、小さな幼児に負けるような気がしたのだ。
部下たちの見ているところで幼児に敗北したら、自尊心だけでなく信用まで失ってしまう。
「それでは、失礼いたします」
「ご存分に、料理をお楽しみくださいませ」
「御用の際は、なんなりとベルでお呼びつけください!」
総支配人の後を追うようにして、給仕たちも引き下がる。
メルは子供用の椅子に立ち上がり、全員が引き上げるまで琥珀色の瞳で睨みつけていた。
手にしたスプーンを部屋の入口に向けて…。
(かぁー。マナーもクソも、あったモノではない。心配するだけアホらしい…!)
ようやくクリスタは、メルの扱い方を悟った。
放任、一択だ。
だって…。
幼児が偉かったら、放任するしか無いじゃないか。
(精霊の子は、あたしの手に負えん…)
メルの調教は、アビーに任せるしかなかった。
人類やエルフの未来は、アビーの子育て技能に委ねられた。
メルは取り皿に鶏の冷製を細かくして盛りつけると、ミケ王子のまえに置いた。
〈美味しそうだね…。食べて良いの…?〉
〈もちろん…。遠慮することなんかないよ。ミケ王子は妖精猫族の王子さまなのに、あいつ等ときたら失礼千万です〉
〈そう言ってもらえると嬉しいけど…。ボクは店の人たちよりメルの方が、ずいぶんと酷いような気がする〉
〈何でよぉー?〉
〈だってさぁー。メルはボクを玩具にするじゃん。壁に投げつけたり、グルグルと振り回したりして…〉
〈友情の表現なんだけど…。イヤなの?わたしと遊びたくないの…?〉
〈…………イヤとは言わないけど。ときどき酷いと思う〉
メルは困ったような顔になった。
メジエール村に帰ったらミケ王子を釣り竿の先に吊して、二階の窓からクレーンゲームごっこをしようと企んでいたのだ。
ミケ王子を巻き上げるリールが難しそうなので計画段階でしかないけれど、タリサたちを誘えば盛り上がりそうだった。
クリスタは料理を頬張るメルとミケ王子を眺めながら、高級な果実酒を味わった。
芳醇な香りとまろやかな口当たりは、そこらで売られている酒と格が違った。
(よい酒だぁ…。さすがは美食家を標榜する、アーロンの料理屋だね)
ごちゃごちゃと面倒くさいやり取りはあったモノの、何とかなったような気がした。
ところがデアル。
残念なことに、部屋の外でボソボソと喋る給仕たちの声が耳に入ってきた。
あからさまな陰口だった。
エルフイヤーは地獄耳。
こうした状況下に於いては、聞く必要のない聞きたくもない内緒話まで、敏感に拾ってしまう。
"なんなの、あの田舎者ども…!"
"どうせ、アーロンさまが拾った遊び女だろ。まったく、趣味が悪いよ"
"じゃあさぁー。あのチビってば、もしかしてアーロンさまの子どもなのかぁー?"
"目つきの悪いメスガキ…。態度も最悪…。とてもアーロンさまの子どもとは、思えないよ。耳だって、エルフの耳じゃないしね。でも黒ずくめの女が一緒に連れて来たんだから、その可能性は高いかも知れないな…"
"もしかすると、スラムの遊民じゃねぇか…?"
給仕たちの陰口は、貴族特有の差別意識に塗れていた。
自分たちは、爵位を持たない平民なのに…。
そして廊下で囁かれる悪意に満ちた陰口は、メルの耳にも確りと聞こえている筈だった。
この季節はバリバリ元気な筈なのに、居座った低気圧にやられています。
喘息で辛い。
呼吸困難なのに、コロナのせいでマスクをつけないとスーパーにも行けない。
マジでコロナが憎い。
感想の返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。
返事が来ないからって、感想を削除しないで…。
とっても悲しくなるから。
料理店のシーンを先に終わらせてしまいたいのです。
ちと待っててねぇー。(*´▽`*)








