アーロンの店
通常、料理を饗する店と言えば、ドッグカフェなどの特殊な例を除いて動物の同伴を認めない。
公衆衛生の面から考えるなら、当然の対応である。
異世界であろうと料理屋の主人は、動物を連れ込む客に苦情を申し述べる。
言葉が通じず、何をしでかすか分からない動物に店内を汚されたら大変なので、『外に繋いでおけ!』と客に命じる。
断れば殴り合いになる。
ところでミケ王子は妖精猫族の王子さまであるが、もう見事なほどに猫だった。
こうした場合…。
店の経営者はメルがなんと言おうと、『王子さま』であるコトより『猫』であるコトに注目する。
どれほど身分が高くても、猫は入店禁止だ。
動物の身分など、知ったことではない。
「………っ、お猫さまで、ございますか?ねこ、ネコ、猫はですねェー。毛むくじゃらの、不潔なケダモノでございますでしょ。いえいえ、お嬢さまの猫さまが、バッチイとは申しておりません。わたくしの見たところ、実に立派でお美しいネコさまです。ではありますモノのぉー。わたくし共にも、立場と言うものがゴザイマシテ…。一応…。当店は高級な…。それはもう…。貴族のお客さまをおもてなしするための、一流料理店でございますから…。そのぉー。猫はですね。ちょっと、ご勘弁いただきたいかなぁーと、憚りながら願う次第でゴザイマス…」
御者の男に連れられて店に入ったメルたちは、高級料理店の給仕長に案内されて応接室へ通された。
そこで待っていた店の総支配人が、ミケ王子を見咎めて難色を示した。
御者の男から何を吹き込まれたのか、総支配人は顔を引きつらせて『猫がネコが…』と苦しそうに繰り返した。
『一昨日来やがれ!』とは、言えないらしい。
『お帰りください』でさえ、難しいようだ。
「もぉー。ええワ…。わらし…。ねこアカンなら、帰ゆデショ!」
そもそも、メルが来たくて来た料理店ではない。
猫はダメだと言われたら、素直に回れ右をして帰るだけだ。
ミケ王子を馬車に残してゴハンを食べてくると言う選択肢が、メルにはなかった。
無理やり連れてきたのに都合が悪くなったら別行動とか、さすがにあり得なかった。
ダメだと言われたら、それまでの話である。
「まあ…。こうした立派な料理店に、無理を言ってはいけませんね。もとより、あたしたちには、不釣り合いなお店ですから…」
クリスタも、入店前から帰るつもりになっていた。
貴族が利用する高級な料理店ともなれば、マナーにだって煩い。
メルを元気づけようとしているのに、喧しく行儀作法を押し付けるのは如何なものか…?
またもや、『虐め!』と捉えらてしまう惧れがあった。
それだけでなく…。
メルに観光名所を案内して回るつもりだったので、クリスタ自身もドレスコードに若干の不安があった。
と言うか、クリスタは昨今の貴族たちがマナーとする処を知らない。
クリスタが社交界に顔をださなくなってから、優に百年は経過しているのだ。
それでも豊富な経験から、世間を知らずとも察するところはあった。
たとえば…。
言うまでもなくメルのマナーは山賊レベルだし、ミケ王子だって持ち込み禁止である。
更に言うなら、この店は完全予約制の高級料理店だった。
飛び込みの客がごねるのは、どう考えても迷惑行為でしかない。
「誠に申し訳ございません。せっかく、おいで頂きましたのに…。ご希望の日時がございましたら、どうぞ仰ってくださいませ。優先的に、お席を用意いたします。是非とも次の機会には、猫さまを置いていらしてください」
総支配人が深々と頭を下げて、メルたちに退去を促した。
メルとクリスタは居座る理由もないので、総支配人の意図を汲んで帰ろうとした。
そのとき案内役を務めていた御者の男が、総支配人に話しかけた。
「失礼ですが、総支配人どの…。次の機会はありませんよ。貴方の慇懃無礼な対応は、アーロンさまに報告させて頂きます」
御者の男は、冷たく言い放った。
「アーロンさまに…?」
「早晩、この店は閉鎖される事でしょう…」
「ナゼ…?」
「ハッ!理由など…。いくら格式を守るためとは言え、出資者の希望に沿わぬ店など必要ありませんからね」
「そっ、そんなぁーっ!」
総支配人は、真っ青な顔で震えだした。
『飛び込みの客をもてなしてくれ…!』と、御者の男から指示されたときには、無茶を言わないで欲しいと思った。
厨房は予約客に振舞う料理を捌くので、既に手一杯だった。
給仕たちだって、せかせかと走り回っている。
このうえ飛び込みの客など、抱え込めない。
(断りたい…。何とかして、穏便に断ろう!)
総支配人は、スケジュールを重んじるタイプの男だった。
苛々しながら応接室で客を出迎えてみれば、相手は子連れの美しい女性だった。
見惚れるほどの美女ではあるが、衣装は黒一色の地味なドレス。
身につけた装飾品も、然して高級そうには見えなかった。
何より…。
女性客のドレスは、貴族のご令嬢たちが好んで身に纏うデザインから、大きく外れていた。
(どうやら、貴族ではなさそうだ…)
総支配人は、素早く値踏みした。
美女に手を引かれた幼児はメイド服を着せられ、腕に猫を抱いていた。
貴族のご令嬢に、召使いの衣装を着せて連れ歩くバカは居ない。
しかも、高級料理店に猫…!
これはない。
早急に追いだすべき、非常識な客である。
いくら大口出資者の頼みとは言え、あんまりだった。
だから総支配人は、最低限のマナーを押さえてから、出直して欲しいと頼んだ。
アーロンの紹介だったけれど、応接室に通された客が女性であり、貴族とも思えないために軽く見た。
要するに、アーロンが遊びで付き合っている、平民階級の女をもてなす程度に考えたのだ。
だから、日を改めて貰うくらいなら許されるだろうと、勝手に決めつけた。
とんでもない間違いだった。
御者の男に脅されて、スケジュールを守ることに固執していた総支配人の頭が働きだした。
店を閉鎖する。
簡単に、そう言われた。
と言うことは、目のまえに居る客の少なくともどちらか一人は、この店より遥かに重要な人物なのだ。
いや、ネコかも知れない。
特別に重要な、お猫さまかも知れない。
自分勝手な決めつけで店を潰されでもしたら、泣くに泣けなかった。
申し訳ないが、ここは優秀なスタッフたちに頑張って貰おう。
「畏まりました。ただいま、お席を用意させて頂きます…!もちろん、お猫さまの席も…。少しばかり、お待ちくださいませ…」
総支配人が、応接室から飛びだして行った。
「今、オドしたデショー?」
「いやいや、料理を用意しないと店を潰すって…。これは、やりすぎです!」
「アーロンさまが、趣味で始めた店です。ここは、アーロンさまの店です。アーロンさまから指示されたなら、いま食事をしている貴族だろうと、片っ端から追いだすのがスジです…。わたくしは、そう考えています!」
メルとクリスタは鼻白んだ。








