これが心霊治療だ
ラヴィニア姫は特殊なベッドに身を横たえていた。
身を起すどころか寝がえりさえ打てないので、シーツを替えるにも身体を浮かせる必要があった。
その為の牽引装置が、ベッドの上に設置されている。
幅の広い何本ものベルトを身体の下に潜り込ませてから、牽引装置で宙に浮かせてシーツを替えるのだと、魔法医師のユリアーネが説明してくれた。
「もっとも、しばらく前からシーツは替えていません」
ユリアーネが悲しそうに言った。
なるほどラヴィニア姫の身体は、すっかり木屑のように乾いてしまったので、もうシーツを汚すことはないのだろう。
それどころか下手に負荷をかけると、朽ちた体組織がパラパラと剥がれ落ちてしまいそうだ。
実際、ラヴィニア姫の頭部には、一本の毛髪も残されていなかった。
頭部を詳細に観察すれば、角らしきものを見つけることができる。
額付近に現れる小さな突起は、屍食鬼の顕著な特徴だった。
乾いて引きつった顔の筋肉に引っ張られて、ラヴィニア姫の口は開きっぱなしだ。
その口腔から、肉食獣のように尖った歯が覗いている。
一方で水分を失った眼球は縮こまり、閉ざされた瞼が内側に落ちくぼんでいた。
もちろん手足の関節が動くはずもなく、全身の状態は黄土色の棒だ。
触った感触は朽ち木だった。
「アヴィニア…。わらし…。ヤクソクどおり、来たでしょー」
『木乃伊でも怖くないよ!』と、メルは心の中でラヴィニア姫に語りかけた。
ラヴィニア姫の身体はメルが想像していたより、ずっと大きかった。
推定年齢で言えば、十代半ばくらいであろうか…?
夢の中で見たラヴィニア姫の年恰好からすると、せいぜい六、七歳でしかなかった。
ちゃんと意識を保っていられたのは子供の頃だけで、記憶にある自己イメージが其処で止まっているのだろう。
あとはベッドに身を横たえた状態で、身体だけ成長したのだ。
ラヴィニア姫の骨格は、小柄な成人女性のモノである。
それ以上の推理は無意味だった。
三百年を眠り続けた姫の肉体年齢は、三百歳だ。
只の木乃伊でしかない。
「まぁ、幾つでもええわ…。プリップリのヨージョに、戻したるでぇー。あたぁーしい、ジンセーら。チビから、イッショにヤリなおそっ!」
メルがイタズラっぽく笑った。
幼児の生活は屈辱塗れなので、仲間が増えるのは喜ばしい事だった。
同士が居れば、それだけで心の支えになる。
「はじめゆ…!」
メルは先ず、強力な浄化を放った。
ラヴィニア姫に巣食っている穢れを除去するためだ。
ベッドを中心に滲みだしていた瘴気が、一発で払われる。
気合いのこもった浄化だった。
「すごい…!」
「この数日ほど、やけに部屋が清浄だと思っていたのですが…。メルさまの霊力だったんですね…」
「浄化だよ…。精霊の子は、穢れを祓う能力があるらしい」
浄化を使用したのは、メルが意識を集中するためでもあった。
これから行うのは、単なる精霊召喚じゃなかった。
とっておきの精霊創造である。
クリエイトなのだ。
前世記憶から捏造した概念と妖精たちの融合だ。
〈ホントに大丈夫なの…。メル?〉
〈結局、ぶっつけ本番になってしまったけど、大丈夫。絶対にやれる。イメージ・トレーニングは、イヤってほど積んできたもん…。わたしは成し遂げる!〉
メルは心配そうなミケ王子に、念話で答えた。
これまでに幾度となく召喚を繰り返し、呼びだせたのは老賢医だけだった。
治療のイメージと老賢医は、分かちがたく繋がっているようで変更が利かない。
ちょっとした難病程度であれば、老賢医は素晴らしい名医なのだろう。
だがラヴィニア姫を助けるには、どう考えても力不足に見えた。
そこら辺に関して、メルが自分の直感を疑うコトはなかった。
ダメなものは、どうしたって駄目なのだ。
だったら自分で生みだせばよい。
メルは集中治療室(ICU)と医療スタッフをイメージした。
どのような状態であろうと患者に命さえあれば修復できる、魔法の集中治療室(ICU)だ。
医療スタッフは、生命を扱う秘術に長けたスペシャリストたち。
前世記憶にある最先端医療とファンタジー世界の秘術を融合し、あらゆる状態異常から患者を回復させる。
失敗はない。
オペレーションの失敗なんか、絶対にしないのだ。
(完全無欠な医療チームと、ハイテクでオカルトな医療設備…。念じろ。イメージするんだ。強く、祈れ…!)
メルは額に汗を滲ませながら、霊力を込めた。
そして宙に向かって叫んだ。
「おイシャさまのセェーレー。いらたいませっ!」
メルの体内から、ゴッソリと霊力が奪い去られた。
光が爆発した。
部屋の中が青一色に染まる。
水の妖精たちだ。
これまで呼び集めてきた水の妖精たちが、ラヴィニア姫の部屋に集結していた。
輝くオーブが宙を舞い、集中治療室(ICU)のイメージと結びついていく。
「これは…」
「ものすごい量の生命力を感じます…」
「水の妖精だね。よくもまあ、これほど呼び集めたもんだよ」
メルほどに見えなくても、三人は集合する妖精たちを知覚していた。
やがて水の妖精たちはイメージを具現化しつつ、ラヴィニア姫の部屋に集中治療室(ICU)の精霊として降臨した。
(くっ…。なんだか、ちょっと違う。僕の想像力が足りなかったか…?)
全貌を現した集中治療室(ICU)の精霊は、少しばかりおどろおどろしかった。
メルがラヴィニア姫の姿にショックを受けていたせいで、前世記憶に残るホラームービーやゲームのビジュアル・データーが混ざってしまったようだ。
生命維持装置はあり得ない呼吸音を立て、ドクドクと脈動していたし、医療スタッフたちの頭部には顔が無かった。
白い手術衣はラテックスっぽい光沢を放ち、意味もなく裾が長い。
(水色の機能的な手術衣は、何処へ消えちゃったの…?てか、目鼻口が無くて、ちゃんとした医療ができるんですか…?)
メルは幼児の脆弱な集中力を嘆いた。
だけど創造してしまったものは、仕方がない。
今さら修正は利かなかった。
それにズレてしまった外観は、『精霊の能力に影響しない!』と直感が告げていた。
このまま行くしかなかった。
〈祝福を…〉
メルは念話で語りかけてきた集中治療室(ICU)の精霊に、視線を向けた。
〈えっ?祝福って…?〉
〈精霊の子よ。我に祝福を与えたまえ…!〉
集中治療室(ICU)の精霊が、メルに祝福を要求した。
〈祝福って、血ですかぁー?〉
五人ほどいる医療スタッフたちが、それぞれに身振りで肯定した。
メルは霊力の残存量を確認してから、『瀉血』を唱えた。
部屋に紅い花が咲く。
〈おおーっ!〉
〈我ら祝福を得たり…!〉
〈新しき精霊として、現世に受肉した〉
〈精霊の子よ。我らに使命を与えよ!〉
〈集中治療室(ICU)の精霊たちよ、ベッドで眠る女の子を助けてください〉
メルは医療スタッフのリーダーらしき精霊に、依頼を伝えた。
〈精霊の子よ。妖精女王ヨ。精霊樹の枝を…〉
メルは手にしていた精霊樹の枝を差しだした。
精霊は恭しく両手で枝を受け取ると、一枚の葉を千切ってラヴィニア姫の胸に置いた。
〈こちらは、お返しする…〉
〈うん…〉
メルは大切な精霊樹の枝を受け取り、精霊に頷いて見せた。
霊力の枯渇で、足元が頼りなくふらつく。
〈わが同胞よ!〉
リーダーがスタッフに呼びかけた。
〈われらは、妖精女王より祝福を得た…〉
サブリーダーと思しき精霊が呼応した。
〈長き苦悩の歳月は、過ぎ去った〉
〈時は至り、未来を覆う憂いは消え失せ、迷いは晴れた〉
〈生贄の巫女姫に、目覚めの刻を告げましょう〉
〈さあ、オペを始めようじゃないか!〉
順次スタッフたちが言葉を発し、最後にリーダーが命じた。
〈全てをあるべき姿に戻すのだ…〉
医療機器の四方からチューブが飛びだして、ラヴィニア姫に絡みついた。
動けるはずのないミイラ化したラヴィニア姫の身体に、痙攣が走った。
乾き切った体内に、過剰なまでの生命力が注ぎこまれる。
精霊樹の葉が眩い光を放った。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ…っ!」
ラヴィニア姫の乾涸びた喉から、軋るような声が漏れた。
苦悶に満ちた、辛そうな声だ。
〈生贄の巫女姫よ〉
〈封印の聖女ヨ〉
〈穢れた肉体を脱ぎ捨て、生まれ直すがいい!〉
〈新しい身体は、貴女の胸に…〉
精霊たちは念話でラヴィニア姫に語りかけながら、一枚ずつ魔法術式を展開していった。
光り輝く魔法陣が、幾層も幾層も重ね掛けされていく。
それらは、特殊な結界魔法のように見えた。
悍ましい叫び声を上げながら、ラヴィニア姫の身体は崩れて散った。
粉々に砕けた木屑の中央に、光を発する精霊樹の葉がポツリと残された。
いや…。
医療機器とチューブで繋がれた其れは、胎児のような姿に変化していた。
緑色の小さな葉は、間違いなく生きていた。
内にラヴィニア姫の魂を宿して…。
「なんてことだ。これは奇跡か…!」
「あーっ。ラヴィニア姫…」
三百年間の緊張状態から解放されたユリアーネが、その場に泣き崩れた。
「メル…。偉いじゃないか。やり遂げたんだね?」
クリスタがメルに視線を向けると、疲れ果てた顔の女児が床にへたり込んで、精霊樹の実をムシャムシャと頬張っていた。
まだ屍呪之王が残されている。
これで…。
全てが終わった訳ではなかった。
屍呪之王を解呪しなければ、遠からずラヴィニア姫は木乃伊に逆戻りだ。
メルは一心不乱に霊力をチャージした。








