眠り姫
封印の塔を降る途中で、メルが言った。
「わらし、フクゥーきがえゆ!」
「えっ。そのメイド服は、とても良いモノなんだよ。あたしが魔法で、強力な加護を付与しておいたんだから…!」
「知っとぉーよ。でも…。アヴィニア助くるに、ちからぁー足らんヨ」
メルはメイド服を脱ぎ捨て、鮮やかなライトブルーの僧衣に着替えた。
色が薄いブロンドの頭には、大きな司教冠を載せる。
付喪神化したレジェンドな幼児服である。
「くっ…。精霊の加護が、テンコ盛りじゃないか…!その衣装は、どこで手に入れたんだい?」
「どこぉ…。ウーム?」
『何処で手に入れたのだ…?』とクリスタに訊ねられても、メルには答えようがなかった。
「マホォー?」
「はぁー。もういいよ…。こんな差し迫った場面で、問い質すコトじゃなかったね。さっさと着替えてしまいなさい。その衣装に関しては、後で説明してもらうとするよ。オマエさまには、お勉強が必要だろうしね」
「うはぁー。わらし、アホちゃうヨォー。セツメェーでけん、だけでしょ」
メルはカチンと来て言い返した。
言葉が分かっても、ちゃんと伝えられないことなんて山ほどあるのだ。
そもそも花丸ショップを何と他人に説明したらよいのか…?
異世界には、ビデオゲームなど存在しない。
共有するイメージがないので、『RPGみたいな…』とか言ったところで無意味だ。
そもそも現物がないのだから、言葉での説明は困難を極める。
そんなものは、哲学者や博士の仕事である。
片言のメルにも説明できるのは、目で見て触れる物くらいだった。
「ふんっ。クィスタさま…。ムチャ言う、ババさまやねェー」
「この姿のときに、ババアと呼ぶんじゃない…!誰が見ても、若くて美人なエルフだろうに…」
「キェーやけど、わからずやネ。ノーミソ、ローカしとぉーよ」
「くぅーっ!まったく、失礼なちみっ子だね」
メルはペチンと叩くようにして、クリスタの手を握った。
クリスタはメルと手をつないで、ニンマリ笑った。
メルが普段の調子を取り戻したので、ホッとしたのだ。
「すっかり、元気になったみたいだね!」
「わらし、ずっと元気ヨ」
「さっきまで、泣いとったぞ」
「ぬぬっ…。むかぁーしの話すは、としよりのショォーコでしょ」
「さっきと昔は、ぜんぜん違うでしょ!」
言い争う二人の後ろに、アーロンとミケ王子が付き従った。
「ミケ殿…。こんなに封印の塔が賑やかなのは、わたしが知る限り初めての事ですよ」
「にゃー?」
「でも、何だか勇気が湧いてきました。本当にラヴィニア姫を助けることができそうな気がして、言葉にならないほど嬉しい…」
「にゃ…」
アーロンが、ひとり勝手に感動していた。
ちょっと涙ぐんでいた。
「フニャニャ…!」
一行の最後尾について階段を降りるミケ王子は、瘴気の気配をヒゲに感じ取って尻尾を太くした。
鼻がツンとして、ヒクつく。
メルたちはラヴィニア姫が眠る部屋の前に、到着したのだ。
封印の巫女姫が居る部屋は、古びた頑丈そうな扉で入口を閉ざされていた。
かつて扉には、金属製の立派なドアノッカーがついていたようだ。
今では可動部分が朽ち果て、台座を残すだけである。
この場所で、瘴気に耐えながら修復作業をこなせる職人は居なかった。
アーロンとユリアーネは、自分たちで扉の蝶番などを交換していたが、ドアノッカーまでは手が回らなかった。
それに、そのようなしゃれた道具は要らなかった。
見舞客など、ついぞ訪れた例がないのだ。
アーロンが、右手で軽く扉をノックした。
「ユリアーネ…。アーロンです。『調停者』と精霊の子をお連れしました」
部屋の中で、人の立ち上がる気配がした。
ついで、家具の倒れる音が響いた。
覚束ない足音がした後で、重たい扉がゆっくりと開いた。
イエローブラウンの髪をひっつめにした、表情の乏しいエルフ女性が顔をだした。
「お久しぶりね。ユリアーネ」
「ご無沙汰しております。『調停者』さま…」
ユリアーネは人形のように美しい顔で、素っ気ない挨拶の言葉を述べた。
だが目は丸く見開かれ、驚きを感じているようでもあった。
「そちらのお嬢さんは…?」
ユリアーネがメルを見ながら訊ねた。
メルが大きく足を広げると、前傾姿勢を取った。
右手をまえに差しだして、口上を述べる。
「お初にお目にかかいましゅ。そぇがし、メルとモォーします流えモンでござんしゅ。どぉーかヨロシュー、お見知りおきくだせぇヤシ!」
メルはウスベルク帝国の南方で無宿者が挨拶に使う、仁義を切った。
「はぁー?」
更にユリアーネが目を丸くした。
「あいたっ!」
クリスタがメルの頭をパシッと叩いた。
司教冠が、ポトリと転げ落ちた。
「何だねそれは…?いったい、だれに教わった挨拶だい?」
「ミセェーくるキャクに、おそわった。テェートでエライ人とあったら、こうせぇー言わえたヨ!」
「二度とやるんじゃないよ!」
「えーっ!やらヨォー。せっかく、おぼえたのに…」
メルをウィルヘルム皇帝陛下と会わせずに良かったと、胸を撫でおろすクリスタだった。
「わらし、ワユくないヨ!」
「オマエさまは、騙されたんだよ。分かんないのかい?」
「そんなん、知らんわぁー!」
ユリアーネは口もとに薄く笑みを浮かべた。
感情を遮断しているのに、僧衣を纏った女児の口調が愉快に感じられた。
「済まないねぇー。別に茶化している訳じゃないんだよ。なにせ幼児だから…」
「構いません。良い子だと思います」
「こんな無作法の後でなんだけど、コレが精霊の子さ」
クリスタがメルを押しだした。
「初めましてメルさま。わたしはユリアーネと申します。封印の巫女姫を見守る魔法医師です」
「アヴィニアの、おイシャさま?」
「はい…。ずっと、ずっと…。わたしが主治医を務めて参りました」
メルはユリアーネと握手を交わした。
琥珀色をしたメルの瞳には、ユリアーネに対する尊敬の念が溢れていた。
この人が三百年もの間、ラヴィニア姫の看病をしてきたかと思うと、自然に頭が下がった。
自分も前世では医療関係者に迷惑をかけまくった手前、ユリアーネのような人を見ると申し訳ない気持ちが込みあげてくる。
お医者さんや看護師さんに、悪態を吐きまくった記憶は消えていなかった。
「わたしたちが此処を訪れたのは、今度こそ屍呪之王を始末しようと決めたからです…。しかし屍呪之王を滅すれば、今はまだ生きているラヴィニア姫も無事では済みません」
「はい…。屍食鬼として生き永らえている姫は、屍呪之王が解呪されたなら意識を取り戻すことなく亡くなられるでしょう」
「あたしは、ラヴィニア姫を助けたい。精霊の子も、それを望んでいる。だから、先ず封印の塔を訪れたのさ」
クリスタがメルの肩を叩いて、発言するよう促した。
「センセー。わらし、アヴィニアを助くゆ。心配せんでえーヨ!」
メルは胸を張って言い放った。
「はい…。メルさま。どうか、ラヴィニア姫をお願い致します」
今度こそ、ユリアーネは喜びの表情を見せた。








