エーベルヴァイン城にて…
ウィルヘルム皇帝陛下は、『調停者』を迎えるために会議室を使用した。
権勢を示すために様式化された謁見の間は、ウィルヘルム皇帝陛下が頭を下げるべき相手に相応しくない。
『調停者』に権力を誇示すれば、精霊や妖精たちを敵に回す。
それは愚王のすることだった。
ウィルヘルムのまえに、『調停者』と案内役のアーロンが立っていた。
たとえ皇帝陛下と言えども、偉そうに座っているコトなど出来ない。
機密保持を理由に、臣下たちには席を外させている。
皇帝の権威を問われる心配はなかった。
「クリスタさまにおかれましては…。遠路はるばる、よくぞいらしてくださいました」
「ウィルヘルム…。貴族が好む、儀式めいた挨拶は不要です。あたしは屍呪之王と封印の巫女姫を処置しに来たのです。速やかに、ひっそりと終わらせるのが、もっとも賢いやり方でしょう」
「承知いたしました。封印の塔と地下迷宮への出入りは、ご自由になさってください。それ以外に必要な事があれば、なんでも承ります」
ウィルヘルム皇帝陛下の腰は低い。
下僕が主人に接する態度と、なんら変わらない。
ウスベルク帝国に於ける『調停者』の地位は、絶対だった。
「引き続きアーロンを借ります。警備の衛兵だけ下げてもらえれば、あとはこちらの仕事となりましょう。結果はアーロンからの報告でよろしいか?」
「勿論です…」
デュクレール商会(帝国情報機関)の調査報告を受けて、ウィルヘルムはメジエール村での変化を多少なりとも耳にしていた。
その中には精霊の子や精霊樹の件も、最重要機密事項として含まれていた。
だが、『調停者』が口にしない限り、ウィルヘルムは自分から訊ねることを許されていなかった。
(クリスタさまは、精霊の子についてお話にならない…)
それは口外無用を意味した。
こうなれば幾ら知りたくても、言葉にするコトは出来ない。
デュクレール商会(帝国情報機関)にも、機密厳守を徹底させる必要があった。
結局…。
『調停者』は、会議室の椅子にさえ座らなかった。
用件だけ口にすると、アーロンを伴ってウィルヘルムの前から立ち去った。
あっという間の会合だった。
(クリスタさまは、まったく昔のままだ…。お美しい…)
ウィルヘルムにとってクリスタは、子供の頃から憧れの女性だった。
皇帝や皇太子に臆するところなく、上から目線でバシバシと注文を付ける女王さまだ。
きっと、だれよりも自分が偉いと思っているに違いない。
そして実際に、『調停者』は途轍もなく偉かった。
権威や権勢など関係ない。
ずっと、ずっと務めを果たすべく、辛抱を続けてきた偉大な女性なのだ。
どう考えても頭が上がらない。
ウィルヘルムはクリスタの為であれば、何でもする覚悟があった。
だが、その気持ちはクリスタに届かない。
『調停者』は使命のためだけに、日々を過ごしているのだ。
(黒の貴婦人…)
幼いウィルヘルムが憧れた、美麗な女王さまだった。
逆らうことのできない恐怖の対象でありながら、ウィルヘルムの心を燃え立たせる美の化身でもあった。
今では憧れが、崇拝の念に変わっていた。
◇◇◇◇
コンコンと扉がノックされた。
「お客さま、こちらにお食事を用意しました。ワゴンを置いておきますので、お召し上がりください」
「むっ…?」
どうやら料理が届けられたようだ。
『自分で作って食べなさい!』とクリスタに言われたので、メルは秋刀魚を食べてしまった。
「おシロのゴハン…?」
もう食べてしまったのだが、ゴージャスな晩餐には未練があった。
声をかけてきた小間使いの足音が遠ざかると、メルは用心しながら扉を開けた。
そしてワゴンを部屋のなかに、運び込んだ。
「なんらー。ゴハン、あゆじゃん!」
クリスタかアーロンが、偉い人に注文しておいてくれたのだろう。
そうメルは考えた。
高級そうな肉料理に香草が使われたシチュー、色鮮やかなサラダにクリームチーズや生ハムが載ったカナッペ。
デザートに、プディングまでついている。
メイン料理の骨付き肉に、ウスベルク帝国の国旗が立っているのは、何かの冗談なのだろうか…?
それとも、お子様ランチ…?
「何でもえーわ!」
繰り返すが、メルは食事を済ませている。
お茶椀に山盛りで、二杯も食べた。
お腹はパンパンだ。
普通であれば、どんなご馳走だろうと食べるのをあきらめる。
だがメルは、がっつきエルフだった。
取り敢えず、そっとカナッペに手を伸ばした。
「うまぁー♪」
カリッと焼き上げたパンとクリームチーズの相性が、抜群だ。
香味野菜と生ハムの組み合わせも素晴らしい。
シチューもよそって食べてみる。
「うまぁー♪」
これまた知らないハーブの香りがサッパリとして、ついついミスリルのスプーンを口に運んでしまう。
こうなればメインの肉料理にも、手をつけねばなるまい。
「ゲフッ…。クルしぃー。ドエス、ぬぐ…!」
メルは躊躇せずにメイド服を脱ぎ捨て、カボチャ・スタイルとなった。
ホンキの証拠である。
ミケ王子は目を丸くして、モチャモチャと食べ続けるメルを見守った。
「さあだ、うまぁー♪」
こうしてメルと豪華料理の死闘は、夜半まで続くのだった。
◇◇◇◇
メルが豪華料理と闘っている頃、クリスタとアーロンは地下迷宮に降りていた。
屍呪之王が封印された石室まで、延々と地下通路が続く。
陰陰滅滅とした閉鎖空間は、強力な封呪によって埋め尽くされていた。
ひと綴りの呪文に、ひとつの命が捧げられている。
まさに命がけの封印だ。
その呪文が、ゆうに万を超える。
生贄に捧げられた人々の数でもある。
「ここに潜ると、死にたくなる…」
「止めてください。冗談でも、そのような言葉は聞きたくありません!」
「冗談ではないよ…」
クリスタは掠れた声で笑った。
沢山の人々に死を強要した場所だ。
まともな神経では居られない。
邪霊を封じるとなれば、キレイごとでは済まされなかった。
人に死を強要する者は、人と同じ地平に立てない。
平穏を捨て去り、孤独に耐え、高みから死すべき人を冷酷に数えるのだ。
救いや許しなんて、何処を探しても見つかりはしない。
クリスタが生きた長い歳月は、絶望の中で約束もされていない救世主を待つ、忍耐の日々だった。
「あたしはメルに感謝するよ…」
クリスタの本心だった。
立ち入り禁止区域への侵入を阻む鋼鉄の扉が、二人の行く手を塞いだ。
「わたしが開けましょう…」
アーロンが扉に左手を当て、霊力を注ぎこむ。
それと同時に、右手が素早く解除コードを書き込んでいった。
鈍い響きと共に、ロックが外れた。
ここから先は、屍呪之王が支配する領域である。
高度な遮蔽術式で、呪いから身を守らなければならない。
屍呪之王に呪われて狂屍鬼と化せば、狂屍鬼を滅するために施された術式で全身を焼かれる。
結果として、肉を焼かれ骨となり、その骨もまた粉々に砕かれる。
アーロンと同程度の魔法が使えなければ、この先へ進むことは出来なかった。
「呪力が強まっているね…」
「たしかに…。遮蔽術式が綻びないように、注意しましょう」
「アーロン。重ね掛けしておきなさい」
「分かりました…!」
アーロンは自分の限界である三枚まで、遮蔽術式を重ね掛けした。
「長居は無用だ。もたもたすれば、それだけ遮蔽術式が侵食されてしまう」
「はい…。急ぎましょう」
侵入禁止の結界を越えると、呪力に反応して遮蔽術式が赤い光を放った。
呪力が遮蔽術式の強度限界を超えている証拠だった。
危険な兆候である。
地下迷宮の中心部に到達すると、宙に浮かぶ二体の死霊が目に入った。
幾度となく退治されては蘇ってきた、魔法使いの狂屍鬼だ。
今や骨だけになり、天井近くを漂っている。
屍呪之王を守護する駒である。
「ニキアスとドミトリは、未だに頑張っているのかい?」
「同情は出来ませんね。醜悪な連中だ!」
死霊と化した二人の魔法使いは、屍呪之王を創りだした魔法博士である。
そして最初の犠牲者でもあった。
彼らは千年もの間、屍呪之王に仕えているのだ。
ある意味で、最低最悪の晒しものだった。
死霊たちを見上げている間にも、遮蔽術式が悲鳴を上げている。
呪力と拮抗できなくなった部位から、火花を放って砕け散る。
「これだけ屍呪之王に近づくと、呪力の圧も生半可なモノじゃないね。遮蔽術式があっても、息苦しいよ…」
「本体を確認したら、直ぐに引き返しましょう。これでは術式が剥がされてしまいます」
「ここで解呪しなければいけないんだよ。遮蔽術式だって、手を加えなければダメだろう。何処から破壊されたか、ちゃんと覚えておきな!」
クリスタは怯えるアーロンを叱責した。
屍呪之王は、石室の中央で蹲っていた。
赤い眼球から血を流し、ガサガサに爛れた身体を丸めて、低く唸り声を発していた。
その姿は巨大な犬だけれど、体毛が生えていない。
体毛の代わりに無数のコブがあった。
コブには目鼻口があり、それぞれに苦悶の声を上げている。
屍呪之王を創りだすために素材とされた、エルフたちの頭部である。
「まったく…。狂気の沙汰だね…」
「何度見ても、胸糞が悪くなります!」
「屍呪之王よ…。長いこと待たせてしまったが、ようやく解放してやれそうだ。もう少しだけ辛抱しておくれ…」
クリスタの声音には、深い同情の色が含まれていた。
ある意味で屍呪之王とクリスタは、同じ苦しみを分かち合ってきた仲間なのだ。
クリスタとアーロンは立ち入り禁止区域を出るまでに、二枚の遮蔽術式を失っていた。
「だいぶん、応えたようだね…?」
「はい…。さすがに二枚目の遮蔽術式が消え失せたときは、ダメかと思いました」
「フンッ。オマエは、修行が足りないよ…」
クリスタはアーロンを鼻で笑ったが、かなり余裕のない調査だった。








