帝都の景色
アーロンに迎えられたメルと森の魔女は、此処までの陸路で使用していた馬車よりグンと立派な馬車に乗せられた。
皇族が賓客を迎えるために使う、豪華な造りの白い馬車だった。
馬車を牽く二頭の馬まで、艶々とした白馬だ。
白い馬車の扉に描かれた紋章は、ウスベルク帝国を示す二頭の竜と一振りの剣である。
守護の剣と呼ばれている紋章に印された剣の図案は、封印の塔を象徴していた。
剣を支えている赤竜は騎士を意味し、黒竜が魔法使いを意味する。
この紋章が考案されたとき、『なんで人を竜に擬えるの…?』と、クリスタが不思議に思ったのは内緒だ。
今ではクリスタの疑問も、スッキリと解かれていた。
ウスベルク帝国を興したエックハルト神聖皇帝は、自分たちが弱かったので強い竜に憧れたのだ。
三代目のゲルハルト皇帝が大帝国を名乗ろうとしたのも、ウスベルク帝国のちっぽけさを気に病んだ結果である。
為政者どもは、まったく見栄っ張りばかりだった。
しかしクリスタは、少しも強くなる努力をせず、国土を広げようともしない歴代皇帝の小心さを高く評価していた。
何となれば、『調停者』としてはウスベルク帝国に余計な戦争を起こされるのが、最も面倒くさかったからだ。
皇帝陛下は、小心者で丁度良い。
ときおり片腹痛い思いをさせられるが、戦争をされるよりズンとマシだった。
だからクリスタは、恥ずかしい紋章が施された馬車であっても、文句を言わずに乗る。
「なぁなぁ、エウフのおっちゃん。どあごん、ニヒキ…。こぇ、ナニかのォー?赤いのと黒いの、ケンカしとぉー?」
「ふぅーむ、紋章の意味ですか。わたしも詳しくは知らないのですよ。先々代の皇帝陛下やクリスタさまにお聞きしたのですが、教えて頂けませんでした」
「ヒミツ…!なぞぉー。ワクワクすゆ…!」
「そんなモノに、興味を持たなくていいの…!それより帝都で美味しいお菓子とか、流行のオモチャなんかを探してみたらどうかしら…?お友だちやアビーに、お土産も用意するのでしょ…?あたしが、お小遣いを上げましょう」
「ふぉーっ。ギンカ…!」
メルはクリスタから数枚の銀貨を与えられると、紋章の謎について考えるのを止めてしまった。
メジエール村に居たら使い道のない金貨や銀貨も、帝都ウルリッヒでは役に立ちそうだった。
「テェートのリョーリは、どんなかなぁー?オモチャって、マセキをつかうの…?」
帝都のお菓子は、きっと美味しいに違いない。
帝都のオモチャはカッコ良くて、魔法で動くに決まっていた。
「食べたいのォー。見たいのぉー。とこぉーで、ババさま…。テェートは、まだですかね…?」
「メルゥー、婆さまじゃないですよ。ク・リ・ス・タ…、です!」
クリスタがメルのエサ袋をミュイーンと引っ張った。
大福のようによく伸びる。
「あぅあぅ…。クィシュタしゃま、れす」
「間違ったらダメだよ。間違ったら、ミュイーンってするからね!」
「ウィッ、しゅ!」
まだまだ伸びしろに余裕がある、キュートなほっぺだった。
帝都ウルリッヒは尋常でなく大きい。
その中心部にひときわ高く聳え立つ塔は、城壁の外からでも見ることができる。
教会の尖塔ではない。
帝都ウルリッヒで最も高い塔は、屍呪之王を封じ込めるために建てられた封印の塔である。
ここ三百年ほどで勢力を伸ばしてきたマチアス聖智教会だけれど、信者がスラムの住民ばかりなので資金繰りに難儀している。
巨大な礼拝堂やら、高く聳え立つ鐘楼など建築できるはずもなかった。
精霊や妖精の存在を認めないマチアス聖智教会の教義は、実際に屍呪之王を封印しているウスベルク帝国と根底で馴染まない。
では、何処からマチアス聖智教会に活動資金が出ているのか…?と問えば、お察しである。
マチアス聖智教会の発祥地は、ミッティア魔法王国にあった。
そもそもマチアス聖智教会は、ミッティア魔法王国が民衆の意識操作を目的として立ち上げた組織である。
スラムの住民たちが錬金術師や魔法使いの工房を襲う暴動事件などは、例外なくマチアス聖智教会の煽動によるものだった。
それなのに帝都ウルリッヒでは、ミドルタウン、ダウンタウンと、マチアス聖智教会によって占領されてしまったかの如き有様だった。
「また、キョーカイ?」
「そうです…。あそこに建っているのも、マチアス聖智教会の礼拝堂ですね」
「なんか、うざぁー!」
メルは嫌そうに顔をしかめた。
帝都ウルリッヒの大門をフリーパスで通過してから此処まで来るあいだに、六から七の教会を目にしていた。
大きい礼拝堂もあれば小さなモノもあった。
どれもが美しい建築物だった。
だが、メルの目には違うモノが映っていた。
黒いアレだ。
人を幸せにするはずの教会は、禍々しい穢れに覆い尽くされていた。
〈これはヒドイ…〉
〈メルー。あそこに近寄るのは、絶対にダメだよ〉
〈ミケ王子にも見える…?〉
〈ボクには見えないけれど、鼻が曲がりそうだよ!〉
ミケ王子はメルのメイド服に顔を突っ込んで、なんとか悪臭から逃れようとしていた。
〈メルは精霊樹の匂いがする…〉
〈そうなんだ…?〉
メルは辛そうなミケ王子の背中に、そっと手のひらを置いた。
精霊樹の匂い。
自分では分からない匂いだった。
船旅が陸路に変わってから、メルは頻繁に黒い靄と遭遇した。
気になって仕方ないのだが、森の魔女からは構うなと指示されていた。
精霊の子として力を振るうのは、メジエール村の中だけに限ると、繰り返し注意を受けた。
考えてみれば当然の話だ。
メルは精霊の子であることを隠しているのだ。
自らバレるような真似をして、良いはずがなかった。
それにしても、マチアス聖智教会の礼拝堂は酷すぎた。
メルが顔をしかめているのは、まさに黒い穢れのせいであった。
「アーロン…。これは、どうしようもありませんね…」
「はい。いつのまにやら、ゴミ捨て場のような有様です」
「屍呪之王を正しく処理できれば、この瘴気も粗方消え失せることでしょう!」
「マチアス聖智教会の処分は、後回しですね」
「いいえ…。歪みが修正されたなら、インチキ教会も勢いを失うはずです。後のことは、フーベルト宰相にでも託しましょう。帝都ウルリッヒの管理は、『調停者』の役目から外れます」
クリスタは厳しい表情で、帝都の街並みを睨みつけた。
ミッティア魔法王国の不当な介入に、はらわたが煮えくり返るような気分を味わっていたのだ。
森の魔女を裏切った弟子は、ミッティア魔法王国で魔法博士の地位を得ていた。
そして妖精たちを封印した魔導兵器の開発に、クリスタから学んだ知識を転用している。
(屍呪之王が片付いたら、つぎはオマエの番だよ…!)
ちいさなメルをミッティア魔法王国に連れて行くのは、至難の業だった。
であるならば、メルが成長するのをじっくりと待てばよい。
『調停者』には、適切なトキを待つことができた。
これまでだって、気の遠くなるような歳月を待ち続けた。
精霊の子が成長するのを待つくらい、クリスタには容易い事であった。








