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エルフさんの魔法料理店  作者: 夜塊織夢
第一部
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異世界の旅



フレッドに声をかけられたとき、ヨルグは帝都での仕事を人生の終着点だと捉えた。

フレッドが死に場所を用意してくれたのだと、そのように解釈した。


おそらくは他のメンバーたちも、自分と同じような考えでいるのだろう。

バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵や、怪しげな闇商人と刺し違えられるなら、己の命を捨てることになっても悔いはないと…。



歴代皇帝陛下に相談役として仕えてきたアーロンと名乗るエルフは、デュクレール商会の帆船に乗って迎えに来た。

アーロンの抱えたカバンには、計画に必要となりそうな書類や許可証が詰め込まれていた。


まるで借金の取り立て人だ。

『これまでの帳尻合わせをしろ!』と、借用書を突き付けられたような気分になった。


後ろ盾は、ウスベルク帝国だった。

準備万端である。


フレッドを筆頭とする傭兵隊の面々は、デュクレール商会に雇われた護衛を名乗る手はずとなっていた。


その正体が『調停者』だと言う森の魔女は、小さな幼女の手を引いて船に乗り込んだ。

フレッドとアビーが養育している幼女は暴れる三毛猫を小脇に抱えて、桟橋で見送るアビーに手を振っていた。


悲しそうに泣いている。


どうして『調停者』は、小さな娘を連れて行くのだろうか…?

何故フレッドとアビーは、この暴挙を許すのか…?


ヨルグには不思議でならなかった。


精霊の子が何者なのか、何ができるのか…?

ヨルグは、まったく知らなかった。



ヨルグがメルの不思議さに気づいたのは、甲板を走り回る幼児の危うさにハラハラしていたからだ。


体幹が整わず、頭でっかちで不安定な幼児。

走ればふらつくし、船が揺れたなら転びそうになる。

突然の風に攫われて、足が甲板から離れてしまうほど軽い。


一時足りと、目を離してはいけないように思えた。


それなのに…。

それなのにメルは、どれほど姿勢を崩しても転ばない。

甲板のフチを走っていても、川に落ちたりしない。


いや、足元から甲板が消え失せても、風に煽られて船に戻ってくる。

驚いた顔を見せた後で、楽しそうに笑みを浮かべる。

宙を指さして、嬉しそうに踊って見せる。


船員である風使いの老人が、感心した様子でメルを眺めていた。


「ふわぁー。おったまげるほど、妖精に愛されとる子だなぁー」

「風使いの爺さん…。あの子は、風の妖精に守られているのかね…?」

「んだなぁー。みぃーんな、あの子に夢中だ」


「精霊の子か…」


風の妖精が見えるらしい風使いの男は、眩しそうな眼差しでメルを眺めていた。


ヨルグもメルを見つめた。


日差しを浴びて、キラキラと輝いていた。

まるで命が煌めいているかのように、見えた。


何故だか弟子にしたクルトの顔が、脳裏に浮かんだ。

まだクルトには、全てを伝えていなかった。


このときから、少しだけヨルグの考えが変わった。


帝都ウルリッヒで過去との決着は付ける。

だが死ぬのは止めだ。


宿敵と刺し違えるなど、愚の骨頂。


(オレは生きる術をクルトに伝えたい。それなのに、オレが死にたがっていたら話になんねぇ…!)


ヨルグの思考が完全に書き換えられたのは、メルに焼きおにぎりを貰ったときだった。


その匂いを嗅いだとき、何がなんでも食わなければいけないと思った。

だからメルが料理を配る列に、おとなしく並んだ。


焼きおにぎり…。


素朴だが、涙が出るほど美味かった。

瑞々しくさっぱりとした胡瓜も、言葉に表せないほど美味かった。


黙々と食べた。

食べながら生命を実感した。


ヨルグは長く患っていた心の病から脱却した、晴れやかさを味わった。

タルブ川を吹き抜ける風が、心地よかった。


横を見れば、ウドやアレン、レアンドロもまた、憑き物が落ちたような笑みを浮かべていた。


その日、フレッドに言われた。


「ようやく戻って来やがったな。無事の生還を心から嬉しく思うぜ!」

「そうか…。オレは戻って来れずに、彷徨っていたのか…?」


フレッドが乱暴に肩をどやしつけてきた。


「お帰り…」


フレッドの言葉は、ヨルグの心にスコンと嵌った。

闇から解放されたのだと知った。


それと同時に、精霊の子を守るのが己の使命だと納得した。

救いがもたらされたのは、精霊樹に導かれた結果だった。


ヨルグは焼きおにぎりの力を借りて、暗い闇から這いだしたのだ。

あまりの滑稽さに、腹の底から笑いが込みあげた。



前科者たちに生を肯定させたのは、メルがせっせと拵えたおにぎりだった。




◇◇◇◇




微風(そよかぜ)の乙女号は、快晴に恵まれて順調に旅程を稼いでいた。

川幅が広くなり水量を増したタルブ川は、滔々とクレティア平原を流れていく。


タルブ川の岸辺には、ときおり開拓村が姿を見せた。

だが開拓村の規模は、どれも大きくない。


クレティア平原の開発が遅々として進まないのは、この地方に棲息する危険な魔獣のせいであった。



「なぁなぁ…。ギョーショーのおっちゃん。テェート、まだぁー?」


メルはハンスを捕まえて訊ねた。


「これから四日は、船の旅が続くよ。帝都ウルリッヒは、メジエール村から遠く離れてるからね…」

「ふーん」


暫くすると、メルはアーロンを捕まえて訊ねた。


「なぁなぁ…。エウフのおっちゃん。テェート、まだぁー?」

「いま、やっとウスベルク帝国の国境に入ったところですから、あと何日も船で移動しなければいけません。それでも陸路より、ずっと早いんですよ」

「ふーん」


次にメルは、森の魔女に言った。


「なぁなぁ、ババさま。わらし、イヤになったわ…!テェートまでマホォーで、ギューンと行けんかのぉー?」

「毎日毎日、喧しぃのォー!」


森の魔女が、メルの頬っぺたをミュイーンと左右に引っ張った。


「あわわわ…っ!」


良く伸びるエサ袋(ほっぺた)だった。



〈退屈だぁー。退屈すぎて、頭がおかしくなるよ!〉


メルはミケ王子をマストに向かって、放り上げた。


〈メルは、堪え性がないんだよ。幼児だからさ…〉


ミケ王子はマストを蹴って、ボールみたいにメルのもとへ戻ってくる。

これを落とさないようにキャッチ。


そして再びマストに向かって、放り投げる。


〈修行ですか?これは、心の修行なのですか…?〉

〈普通の旅行だよ。それも徒歩と比べたら、ズンと上等な旅だね!〉


〈くっ…!不便すぎて、我慢ならない…〉


整備された道と内燃機関のない世界では、ひたすら移動に手間と時間が費やされる。


飛行機や高速鉄道が当りまえの社会で前世を生きたメルは、今まさに真の異世界と直面しているところだった。






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【エルフさんの魔法料理店】

3巻発売されます。


よろしくお願いします。


こちらは3巻のカバーイラストです。

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こちらは2巻のカバーイラストです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 戦場から戻りきれてなかった人があるほんの些細なきっかけで日常に戻ってくるのこの話とても好き
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