メルにできること
最後の数行で、アビーがガジガジ虫の話をします。
不愉快だと思われる方は、その数行だけ飛ばしてください。
サブタイ変更しました。
ちょっとだけ加筆されています。
帝都ウルリッヒを観光できると浮かれていたメルは、タブレットPCに表示された『強制イベント』の文字を見て態度を改めた。
とは言え…。
いくら焦ったところで、四歳児のメルに出来るコトなど限られていた。
「じゅんびー、言うてもなぁー?」
精霊樹の果実を加工保存したら、タブレットPCのチェックを繰り返す他に何をしたらよいのか、まったく思いつかない。
「ブキとか、要ゆんかのぉー?」
そう考えて花丸ショップを調べても、目ぼしいアイテムは見当たらなかった。
可能であるなら焔の魔剣とかを購入したいのだが、花丸ショップは『よいこ』のためのネットショップだ。
安全安心な優良商品しか、取り扱っていない。
実に健全である。
「やむなし…」
結局メルは、幼児用のデイパック(小)を購入した。
そこに前世から持ち込んだデイパック(大)を収納しておけば、簡単に背負って持ち運べると考えたからだ。
(今回は…。エミリオさんの家畜小屋でブタを治療するのと、訳が違う。大きな袋を引きずって、あちこち歩き回るのはよくない。大切なものは、ちゃんと身に着けておかなくちゃ…)
何が起きるか分からない強制イベントのために、前もって何を用意したらよいかなど分かるはずもない。
だからメルの判断は、大筋で間違っていなかった。
メルにとって大きなデイパックは、とても重要な魔法のストレージである。
(オンラインRPGなら…。課金が必要でもアイテム所持枠の権利は、手に入れておきたい。ましてや現実ともなれば、どれだけのアドバンテージを稼いでくれるのか想像もつかないよ。旅先で手放すなんて、絶対にしちゃダメだ…!)
メルが魔法のストレージから切り離されたなら、弱体化は免れなかった。
「あたーしぃー、じょほぉー。ないのぉー」
繰り返しタブレットPCをチェックするのだが、強制イベントの攻略に役立ちそうなメッセージは追加表示されなかった。
(あとできる事と言えば、新スキルの確認かぁ…?)
瀉血と造血については、絶対に試しておくべきである。
ぶっつけ本番なんてしたくない。
(問題はフレッドとアビーのまえで倒れたりすると、強制イベントのクリアが危うくなるところだね…)
下手に酒場夫婦が心配してメルの帝都行きを取りやめにすれば、とんでもなく面倒くさいことになる。
最悪、強制イベントをクリアできずに、ペナルティーが発生してしまう。
たとえ倒れなくても、二人が見ているところでの流血はまずかった。
メルは可愛らしい幼女である。
そこいらで、すっ転がってデコを擦りむいただけでも、『血がでた、血がでた!』と大騒ぎになる。
よからぬ妄想で鼻血を噴く元気な少年たちとは、そもそもからして扱いが違うのだ。
「わらし、箱入り娘ヨ…!」
まったく面倒くさい話だった。
問題解決の糸口は、数日後に森の魔女からもたらされた。
アビーはエミリオが届けてくれた手紙を読むと、メルに向かって言った。
「メルちゃん…。アナタが何で帝都に行くのか分かっていないから、婆さまが説明して下さるそうよ。よぉーく理解してから、どうするか決めなさい。イヤなら、ちゃんと『行きません!』って言おうね」
「わぁーとゆ。わらし、イヤ言えますヨォ―!」
「うん、知ってるよ。ずーっとお風呂で、『イヤァー!』って叫んでたもんね。ポロポロと泣きながら、絶叫してたもんね!」
「………ッ!」
昔の話じゃないか。
それは、いま関係ないし。
(くっ…。われ思うに…。男子高校生の大切な何かが、あの時に洗い流されてしまったのです。それなのに何が損なわれたのか、思い起こせない…!)
失ってみれば、どぉーでも良い事だった。
そう…。
どぉーでも良くなったのだ。
とっとと忘れて貰いたいエピソードである。
アビーのタワワな胸は、とても心地よい。
気がつけば頬ずりしているほど、大好きだ。
頭に乗せられると重たいから、手で払いのけるけれど。
それを嫌がってギャーギャー泣いたとか、いったい誰の話でしょうか…?
オネショの話と泣いた話は、軽々しく口にしないで頂きたい。
「わらし、おかぁー好きよ…。うふぅー。オッパイ、だい好きよ」
「んーっ。何の話かなぁー?」
「タフタフ…♪」
メルはアビーの双丘をムイムイと手のひらで押した。
いま苦手なのは、ふっくらとした女性の胸でなくてガジガジ虫だった。
ガジガジ虫に似たガジモドキと遭遇しただけで、チビってしまう程おっかない。
正直に白状すれば、ムシ全般が殆ど嫌いになっていた。
虫を追い払ってくれるアビーは、メルにとって優しい女勇者さまだった。
逆に虫を捕まえてメルに突きつけてくるフレッドは、悪魔王である。
「もぉー。甘ったれなくて良いから、外套を着よう。森の魔女さまのとこに、行くんだよ。エミリオさんが、馬橇で連れて行ってくれるからねぇー。ちゃんと乗り物酔いの薬も、飲む!」
「ふぉーっ。わらし、ジブンでデキゆぅーっ!」
「そうやって…。格好いい見栄を張ろうとする子は、心配だから帝都に行かせられません」
「バンザイ…!」
帝都行きを持ちだされては、従うほかない。
全面降伏である。
「おーっ。いい子だね…。素直になったじゃん!」
メルはバンザイしたまんま、アビーの手で防寒装備に着替えさせられた。
あっという間に、モコモコの雪国ちびっ子が出来上がった。
動きづらい事この上ないけれど、寒い屋外を馬橇で移動するのだから仕方がない。
それに恵みの森にある庵まで行けば、新しいスキルの実験ができる。
フレッドやアビーに心配をかけず、婆さまの監視下で安全にスキルを試せるのは非常にありがたいことだった。
おそらく婆さまの説明とやらは、今さらな内容なのだと思う。
だけどメルは、素知らぬ顔でアビーと橇に乗り込んだ。
「………娘ってのはヨォー。やっぱ、息子と違ってカワイイもんだなぁ!」
「よかったわねェー。エミリオ…。ローザは、ホント頑張ったもんね…」
「くっ…」
御者席のエミリオは、ずっとシャルロッテの自慢話ばかりだ。
日差しは暖かだが、雪原を吹き抜ける風はとても冷たい。
興奮して喋るエミリオの口から、白い息が吐きだされては風にさらわれる。
口元を覆った無精ひげに、霜がついていた。
メルは退屈していた。
もっとワクワクする話を聞かせて欲しかった。
「もーっ、ニッコリ笑ったりしたら…。そらぁ、天使ですわぁー!」
「そうよねぇー。何と言っても、ローザが可愛いんですもの…。赤ちゃんのシャルロッテが天使なのは、よく分かるわぁー」
「むむーっ」
ローザの赤ちゃんが可愛らしいのは、メルも認めるところである。
だけど橇での移動中に延々と繰り返して聞かされたら、『むむーっ』となってしまう。
それが幼児と言うモノなのだ。
「それで昨日、シャルロッテがよォ…」
「わらし、その話あきたわ!」
「コラッ!」
アビーがメルの腕を抓った。
モコモコに着込んだメルは、アビーに抓られても痛くない。
頭を叩かれても、へっちゃらだ。
着ぶくれしているから、アビーの折檻は本体まで届かないのである。
「ブハハハッ…。わらし、痛ないわ!」
メルは勝ち誇った。
「そう…。それならそれで、お仕置の方法は幾らでもあるのよ…」
アビーが意地悪そうに笑った。
「はぁー?」
「怖ーい、ガジガジ虫の物語を聞かせてあげましょうか?」
「まぁま…。わらし、良い子ヨ…?」
メルは横に座ったアビーを見上げて、『きゃるん♪』と笑顔でごまかした。
「なんだぁー。メルちゃんは、ガジガジ虫を退治したって聞いたけど…。丸っきり、苦手だったのか…?」
「なんか分かんないけど…。あの事件があってから、この子は虫がダメみたいなの…!」
「そいつは、いけねぇーなぁ。この村に暮らしていて、虫が苦手じゃ心の落ち着く暇もありゃしねぇ…。ヨォーし、ここはひとつ。逆療法を試してみるかね?」
「やメェー。虫の話、いらんわぁー。えみーお、しゃーの話せぇー。わらし…。しゃーおっと、大好きじゃ!」
「いいかメル…。虫ってのはヨォ。図々しく育つと、驚くほど大きくなるんだぜ。オレなんか、恵みの森でよォー。こぉーんな馬鹿でかい、斑コオロギに襲われた事があるぞっ!」
エミリオが、両手を大きく広げて見せた。
「もぉー。止めんかぁー!」
メルが頭を振りながら叫んだ。
「ガジガジ虫はねぇー。お菓子の食べこぼしが、だぁーい好きなの。それでね。お行儀の悪い食いしん坊が、ベッドで寝ていると…」
「ううっ…。まぁま。ゴメンナサイ…。ほらっ…。ほっぺ、ツネってええよ…」
メルは外套のフードを外して、頬っぺたをアビーに突きだした。
「…………それでね。仲間を殺されて復讐に燃えた兵隊ガジガジは、男の子がよそ見している隙に、食べようとしていたスープに飛び込んだの…」
「ひやぁー」
「その子は気づかずに、ガツガツとスープを食べて…」
「ウギャァー!」
アビーが即興で話すガジガジ物語は、フレッドのオバケ話よりずっと恐ろしかった。
しかも馬橇がエミリオの家に着くまで、続編、その続編と何話も語り続けられた。
メルは凍てつく冬に虫など湧くはずがない事を忘れ、橇のあちらこちらへと心配そうに視線を向けるのだった。








