帝都の窮状
今日はカレーうどんの日です。
えへへ…。
昼下がりの『酔いどれ亭』で…。
森の魔女は酒場夫婦と、最近の愉快な出来事などを話し合っていた。
アーロンは、おとなしく聞き手に徹した。
『酔いどれ亭』の店内は、和気あいあいとした雰囲気に包まれていた。
酒場夫婦は精霊の子であるメルに畏まることなく、まるで我が子を愛でるように言葉を交わした。
これは調停者である森の魔女に対しても同じで、祖母を立てる程度の丁寧さでしかない。
アーロンは己の価値観が通用しない空間で、受け身に回るしかなかった。
(これは…。何としたことか…。尊き精霊の子に、敬語すら使われていないじゃないか。調停者さまでさえ、近所に住む老人のような扱い。わたしには、どう対処して良いのやら見当もつかない)
だから、アーロンは可能な限り黙っていた。
森の魔女は熱いほうじ茶を啜りながら、メルの今後について切りだした。
「ところで…。あたしゃ…。メルを帝都に連れて行きたい、と思っておる」
「………理由は?」
「屍呪之王じゃ。封印の巫女姫が、力尽きようとしている。封印が解かれたなら、帝都だけでは済まない。この世が狂屍鬼で溢れかえるじゃろう…」
「その話とメルは関係なかろう…。俺は反対だ!」
フレッドが首を横に振った。
「まあ、あたしの話を聞きなさい…。何にしたところで、屍呪之王が封印から解かれるのを黙って見ているコトは出来ぬ…。そのような事態になれば、この村だって無事では済まぬぞ!」
「そうかね…。だが封印の件は、帝都のお偉方が対処すべき問題じゃないか…。それをうちのメルに、どうしろって言うんだ?メルは四歳の、女児なんだぞ!」
「あたしが只の女児に、こんな役目を押し付ける訳が無かろう。頭ごなしに否定ばかりせんで、『どうすべきか?』を考えとくれ」
「フーッ。全くもって、気に喰わねぇ!」
フレッドは帝国貴族を嫌っていたし、メルを危険な目に遭わせるのも気が進まない。
しかし、屍呪之王が封印から解かれるとなれば、あらゆる手段を講じて何とかすべきである。
「そもそも、何とかしようがあるのかよ?」
「封印の巫女姫を代替わりさせるとなれば、新しい贄が必要になります。千人単位…。いや、状況によっては、一万の民を地下に埋けるコトとなりましょう…」
アーロンの口調は重く、表情も暗い。
『酔いどれ亭』の店内から穏やかな雰囲気が消え去り、緊張感が増した。
「それで良いじゃねぇか…。そう蹴とばしたい処なんだがヨォー!」
フレッドが言い淀む。
「うむっ…。メルが成長すれば、嫌でも何があったかを聞かされるだろう…。そして何もしなかった自分に、負い目を感じることになる。世間の連中も、容赦なくメルを詰るじゃろう」
森の魔女も、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「けったくそ悪い。逃げようのない罠じゃねぇか。ひとりぼっちで、木の枝からぶら下がっていた子供だぞ。ウチに来て、まだ一年も経ってねぇんだぞ。精霊の子だからって、平和で安全に暮らしちゃいけないのかよ?」
フレッドは怒りをあらわにした。
「一万の民が贄に捧げられたなら、精霊を宥められると言われる精霊の子は、確実に民衆から責められることでしょう」
アーロンは自分の台詞に恥じた。
だが、それは紛れもない事実であり、隠したところで意味など無かった。
「で…。婆さんには、勝算があるんか…?」
「残念ながら、ある。メルはアンタが考えているより、遥かに強い」
「はぁー?メルは怖い夢を見て、寝小便を垂れる女児だぞォー。ガジガジ虫が怖くて逃げ回る、臆病な幼女だ…」
フレッドとしては、メルが強いと言われても頷くコトなど出来ない。
「言い方が悪かったか…。メルが強いのではない。メルに付き従う妖精の数が、尋常じゃない。さらに付け加えるなら、精霊の子に備わった浄化能力じゃ」
「浄化…?」
「フレッドよ…。メルを引き取ってから、この店で食材が腐らなくなったじゃろ…?アビー。畑の作物が、良く育つと言っておったな…?」
森の魔女が訊ねた。
「たしかに…。保存庫の肉が、まったく腐らなくなった」
「ええっ。病害虫による畑の被害が、グンと減ったわ…」
「精霊祭が終わってから、メジエール村の老人たちもバカほど元気になりおった。それはメルに秘められた能力じゃ。精霊さまからのギフトであろう!」
「なるほどなぁー。その能力で、封印の巫女姫を永らえさせようって話か…?」
森の魔女がニンマリと笑った。
「そんな、しみったれた力だと思うのかい?そいつは精霊の子を安く見積もり過ぎってもんだね」
「どういう意味だ…?」
「あたしゃ、ケリをつけに行くんだよ。屍呪之王で頭を悩ますのは、これっきりでお終いにするのさ!」
「おいおい、婆さん…。ホンキかよ…?」
フレッドは呆れかえって、頭を抱えた。
森の魔女は小さなメルを連れて、帝都の地下に封印された邪精霊を討ち滅ぼしに行くと言う。
勇敢なる老婆と四歳児の、特殊部隊である。
確かに特殊だった。
フレッドが視線を移動させると、アーロンも両手で顔を覆っていた。
アビーは心配そうな表情を浮かべて、オロオロとしている。
そこに厨房でカレーうどんの仕上げをしていたメルが、ヒョッコリと顔を見せた。
「おまぁーら、そこまでじゃ。ハナシー、おわりにしませ。カレーうろん、でけたどっ!」
厨房で大人たちの会話に耳を傾けていたメルは、まったく内容を理解できなかったので機嫌が悪かった。
聞き取れた部分だけを強引に繋げると、自分が帝都を旅行できるような雰囲気だった。
それに反対しているのが、頭の固いフレッドである。
「おとぉー。わらし、イクで。ババさまと、てーと行く!」
「……おまえ。話の内容を理解できてるの?」
「ミヤコで、うまいもの食う!」
「………うん。ちっとも、分かってないと思うよ」
フレッドの疑問にアビーが答えた。
「お待たせいたしました…」
メルは得意そうにメシ屋の口上を述べた。
やっと覚えたので、使いたくて仕方がないのだ。
使わないでいると、直ぐに忘れてしまいそうだし。
苦労して覚えたのだから、使わずに忘れてしまったら損をした気分になる。
メルはカレーうどんの入ったドンブリと、付け合わせのサラダっぽいものをお盆に載せて、厨房と食堂を行ったり来たりした。
人数分を運ぶので何回も往復しなければいけない。
アビーは手伝いたがったけれど、ここは頑として拒否だ。
四回運べば、『お待たせいたしました…』が、四回も使えるじゃないか。
アビーに給仕してもらったら、チャンスが減ってしまう。
お盆にはフォークと箸が添えてある。
カレーうどんは、麺類の中でもトップクラスに食べづらい。
うどんが絡まって滑るし、力任せに引っ張ればツユが跳ね散る。
アビーと森の魔女はメルから箸の使い方を学んでいたが、フレッドは面倒くさがって無視したし、アーロンに至っては初めて見る道具のはずだ。
普段、食べ方が汚いと叱られているメルなので、とてもワクワクしながら席に着いた。
この世界は前世の西欧に文化が近いので、カトラリーに箸が含まれない。
食べるときにも音を立てないのがマナーなので、かけ蕎麦などの啜る食べ物は存在しない。
メルがズルズル音を立てると、お行儀が悪いので叱られる。
(西欧人どもめ…。フォークではムリよ。うどんは、短くカットしなかったからね。ズルズルと啜りたまへ…。ウケケケッ…)
もちろん、自分だけ幼児用エプロンを着用だ。
「なに、その前掛けは…?」
「カレーのシル、はねる」
「なるほどォー!」
頷いたアビーは、テーブルナプキンを持ってきて皆に手渡した。
「ちっ!」
「チッじゃないでしょ。全くぅー。意地悪なコトしたら、お料理が美味しくても台無しだよ」
「わらしばっか、シカるなぁー!もぉー。ウンザリよ…」
メルは口を尖らせた。
何処からどう見てもお子さまだった。
「アハハ…!メルさんは、いたずらっ子なんですね。アビーさん。小さな子は、イタズラなくらいが丁度良いです。叱らないであげてください。さあ…。せっかくの温かなお料理です。美味しいうちに、頂かせてもらいましょう」
アーロンは匂いを嗅ぎつけてから、カレーうどんが気になっていた。
各種スパイスの入り混じった、激しく食欲を誘う香り。
食通としては好奇心を抑えられない。
しかも…。
此処でしか食べられないと言うのだ。
絶対に、この機会を逃す訳にはいかなかった。
「おいっ、エウフ。ネギ、かけよ!」
「ねぎ…?」
「ワンにいれた、しろいの」
「アーロン、薬味じゃ。トングと一緒に置いてあろう」
「あーっ。これですか」
刻んだ長ネギを盛った木の椀が、トングを添えてテーブルに用意してあった。
アーロンはメルの指示通り、刻みネギをとって自分のドンブリに載せた。
メルはイタダキマスも言わずに、さっそく自分のうどんをズルズルと啜っていた。
「うまぁ~。カレーうろん。サイコォー!」
至福の表情である。
甘さと辛さ、しょっぱさが、トロリとした汁に溶けた旨味と混ざり合い、絶妙な味に仕上がっていた。
鰹ダシと熟成された豚バラ肉が、旨味の根幹である。
濃い目のカレースープは、うどんと合わさるコトで柔らかさを感じさせる。
我ながら、良い出来ばえであった。
(玉ねぎは丁度よい煮え具合で、豚バラもプリッとした歯ごたえが残ってる…!)
メルは満足しながら、口をモギュモギュさせた。
「ズルズルと音を立てるなよ…」
「おとぉー。うっさいわぁー。うろんは、ズーズーさせゆの…!わらし、イニシエよりタダし!サホォー、ばっちりヨ」
「そんなことじゃ、お姫さまにはなれねぇぞ…」
「ヒメなんぞ、いらんわ!わらし…。セーレイサイで、コリゴリぞ。あんな、重たぁーフク。クルしゅーて、やれんわぁー!」
メルとフレッドが罵り合うなか、残る三人は黙々とカレーうどんを食べていた。
カレーうどんが美味しくて、しょうもない親子ケンカを仲裁する気にはなれなかったのだ。
(なんて食べづらい料理だ。これは精霊の子が説明していたように、口で吸うのが正しいんだな…。クッソォー。滅茶クチャ美味い。どうしてこんなに、味わい深いんだろう?スープの味が絶品だ。何とかして再現できないモノなのか…?コイツはブタの肉か…。食感がプリプリだよ…。あーっ、悔しいじゃないか…。ズルズルと音を立てれば、もっと美味いに違いない。きっと、絶対に、もっともっと美味いはずなんだ…!)
吸い込むことで、麺と汁が一緒に食べられる。
そう気づいたアーロンは、身に沁みついたテーブルマナーを放棄した。
フォークを片手に握って、持ち上げたドンブリのフチに口をつける。
要するに、オッサンたちが牛丼を掻き込むような姿勢である。
『美味しさを損なうマナーなんぞ、ドブに捨ててやる…!』
ウスベルク帝国でも五本の指に入る洒落男が、メルの料理に敗北を喫した。
この瞬間…。
アーロンの高貴な魂は、ちびっこシェフに売り渡された。
その価格は、カレーうどん一杯だった。
多量の情報を突っ込まなければいけない場面に入り、昨日は二度目のアップを断念しました。
勝手にお休みしてスミマセン。
可能な限り自然で読みやすく整理したつもりですが、力量不足のところも有ると思います。
そこら辺は、どうかご容赦をお願いします。
ワラシを甘やかしてくれぇー。(゜Д゜)ノ








