おもてなしに燃える幼児
「あさ。あさ、あさぁーっ!」
誰も聞いていないのに、朝からしつこい。
雪が降り止んだ快晴の日…。
寒空の下へ飛びだした幼女が一人、近隣住民たちの朝寝坊を窘めるべく、喉も嗄れよと声を張り上げる。
「あっさー。アサきたぞぃ!おきれぇー。ネボスケども…」
言葉を覚えるに従い、純粋無垢な幼女からかけ離れた口調を身につけていくメルだった。
手に持った頑丈な厚底鍋をガンガンと棒で叩くしつこさが、尚更に憎たらしい。
メルはメジエール村の中央広場で問題視される、騒音発生児童であった。
もっとも文句を言っているのは、酒好きのオヤジたちだけだ。
主婦たちの評価は、概ねメルちゃんサイコーである。
「うっせーぞ、ゴラァー!こちとら、午前様でぃ。もうちっと寝かせろやぃ!」
貸し馬屋の主人が、木の雨戸を引き開けて二階から怒鳴る。
「おきんか、オヤジ…!おてんとさまに、もうしわけございませんヨ。おーい。おきないと、店先でガンガンならすどぉー」
「うるせぇー。起きるから、ガンガンするのは止めろ!」
処置なしである。
ここに宿屋のダヴィ坊やが加わると、もう無敵だ。
頼んでもいないモーニングコールの波状攻撃は、いつやむとも知れず繰り返される。
騒ぎ立てる児童は二人に増え、音を立てる楽器も鍋とラッパに強化される。
ブーブーッ、ガンガン、寝られたモノではない。
幼児ーズは暇なので、お菓子を食べながら中央広場をぐるぐると回って歩く。
ブーブーッ、ガンガン…。
村長のお墨付きである。
ネボスケは起こしてやりなさいと…。
(ちくしょー。頭にガンガン響く…。うるさくて、寝ていられねぇ―。ぶっ殺してやりてェー!)
怨むなら、ファブリス村長だった。
実際に二日酔いの酔っぱらいオヤジたちは、殺してやりたいほどファブリス村長を憎んだ。
そして、スッキリと目が覚めた後には、怒っていたことさえ忘れてしまうのだ。
まったく酔っぱらいは、どうしようもなかった。
ところで…。
メルのモーニングコールで削られた睡眠量に反比例して、オヤジたちの酒量は減っていった。
早朝に叩き起こされるので、夜になると眠たくて酒を飲んでいられないのだ。
その分、酔っぱらいのクズたちは更生の道を歩み始め、ちゃんと自分の家庭を顧みるようになった。
最近では、己の健康にまで気を遣っている。
近所の主婦たちは感謝の気持ちとして、メルとダヴィ坊やに長靴を贈った。
雪でも大丈夫な防水のきいた、滑り止め付きの長靴デアル。
まあ…。
『容赦なくやってくれ!』との、意思表示であろう。
『酔いどれ亭』のフレッドとアビーは酒場を経営しているが、酒類の販売に積極性を示さない。
だからメルとダヴィ坊やの早朝活動に、欠片も苦言を呈さなかった。
むしろ保温性の高い外套や、頑丈な厚底鍋とバチを用意して中央広場に送りだす始末だ。
メジエール村の酒場夫婦は店で客に酒を控えさせるより、メルに早朝活動をさせた方が、『面倒が少ない!』と計算したのだ。
狡い大人の知恵である。
メルとダヴィ坊やは、中央広場を三回ほど回ったところでティータイムにした。
雪を退けた長椅子にカップと魔法瓶を置き、軽く焼き菓子で活動エネルギーを補充する。
「メルねぇー。これ、ホットミルク…?甘くて美味しい」
「ちゃい…」
「ちゃい…?」
「ちゃい…」
「チャイかぁー」
言わばインドのミルクティーである。
甘みとハーブの香りが強い、味わい深い飲み物だ。
訊ねるだけ無駄であるが、メルとダヴィ坊やにとっては普通の会話だった。
無駄とは言っても、メルでなければ作れないというだけで、名前さえ覚えていれば欲しいときに作って貰える。
そう考えるなら、充分に意義のある会話だった。
「さてと…」
「うん!」
お茶で身体が温まったなら、早朝活動の再開である。
大声を出して嗄れた喉も、復活した。
「あさ。あさ、あさぁーっ!」
「朝だぞぉー!」
ブーブーッ、ガンガン…。
「テメェら、うるせぇんだよ~!」
なんと…。
まだ、寝ているやつがいた。
今日のメルは、いつもと同じに見えるけれど、朝から気合いが入っていた。
『森の魔女さまが来るよぉー♪』
昨晩アビーに、森の魔女さまが遊びに来ると、教えてもらったからだ。
魔法鍋の感謝は何度もしていたけれど、まだまだ足りなかった。
あのお鍋は、既にメルの宝物となっていた。
「カレーうどん。つくりゅ…!」
寒い中を恵みの森からやって来る魔女さまに、おもてなしの心。
婆さまでも柔らかくて食べやすい、温かなうどん。
と言うか、メルが自分で食べたかった。
そんな訳で、メルはカレーうどんを作ることに決めていた。
付け合わせはアビーの酸っぱすぎるピクルスに温野菜とツナを混ぜ、マヨネーズで和えたモノだ。
軽くブラックペッパーを振ると、これが案外イケるのだ。
なんにせよ、幼児はカレーが大好きだった。
(雪が積もった道を来るのだから、到着したら先ずは温かなお茶だよね…♪)
『酔いどれ亭』に着いたら、ほうじ茶で一服して貰いたい。
お茶うけは、白玉のお汁粉だ。
ジュルル~。
メルの口からツツーッと、ヨダレが垂れた。
王子さまには見せられない、ハシタナイ顔だった。
まったく、だらしのない口である。
バカっぽく見えるので、ヨダレを垂らす癖は治しましょう。
タブレットPCのバッドステータス欄に追加された『オネショ』も、心配だよ。
メルには、心配事が山盛りだった。
だが…。
如何なる悩み事も、幼児パワーを全開にすればスコーンと忘れることができる。
何となれば、オネショで人は死んだりしない…!
CTスキャンやMRIは、必要なかった。
健康バンザーイ。
詰まるところは、其処だ。
美味しい物への執着だって、健康があってこそのものなのだ。
「わらし、ガンバゆ…!」
メルは大鍋に湯を沸かして、鰹節のダシを取り始めた。
先ずはカレーうどんのベースとなる麺ツユを作る。
しっかりとダシが取れたら、三温糖で甘みを調整する。
プロのお蕎麦屋さんではないから、みりんを使ったり寝かせたりしない。
カレーうどんの和風っぽさを演出するのが、麺ツユの役割だ。
メルのカレーうどんには、片栗粉を使わない。
バシバシとツユが撥ねるカレーうどんだ。
食べるときには、前掛けが必須である。
「ショーユ、うすめ…」
カレールーを入れるので塩味が過剰にならないよう、醤油は控えめに…。
料理スキルが仕事をしてくれるので、ここら辺は軽く味見をするだけで問題なかった。
追加すべき調味料の量が、感覚で分かる。
つぎに…。
食事中のトンキーを確認してから、素早く豚バラ肉を鍋に投入する。
トンキーは豚肉を見ると情緒不安定になるので、豚肉好きのメルとしては難しいところだった。
豚肉を食べるたびに罪悪感を覚えるのは、面白くなかった。
トンキーが自分をブタだと思わなければ良いのに…。
(それって、僕の我儘だよなぁー。自分のことなのに、許せない気持ちになるよ…!)
分かってはいても、ついつい都合の良い事を願ってしまう。
トンキーを自分に置き換えて想像してみれば、滅茶クチャだった。
だが、そんな時には幼児パワー全開だ。
鬱々とした悩み事は、スコーンとキレイに忘れられる。
そのうち大切なコトまで忘れてしまいそうで、少し怖かった。
(取り敢えずは、トンキーを刺激しないように気をつけるしかないね…)
豚肉を食べないという選択肢はない。
ブタは可愛いけれど、困ったことに美味しいのだ。
(ごめんよ、トンキー。僕はキミの仲間を食べ続ける。だって、オイシイんだもん!)
豚バラのアクを掬い取ったら、カレールーを丁寧に溶かす。
とろみと味を確認しながら、ツユを調整していく。
美味しそうなカレーの匂いが、周囲に漂いだした。
フレッドとアビーの邪魔をしないように野外での調理だから、完成したら重たい鍋を妖精パワーで運ばないといけない。
野外に放置したら、鍋の中身が凍りついてしまう危険があった。
かと言って加熱し続ければ、ツユが変質してしまう。
(玉ねぎのくし切りは、最後に加えればいい。刻み白ネギは、お好みで…)
メルは鍋を抱えて厨房へと向かった。
フレッドやアビーに鍋を運んでもらうという手段もあったが、できる限り自分でしたかった。
「シラタマは、チューボーでつくゆ…」
白玉粉を水とコネコネする作業は、裏庭でやりたくなかった。
井戸水が冷たいし、屋外は寒すぎるのだ。
「ババさま、よぉーこぶかのぉ?」
こうしてメルの『おもてなし』は、着々と準備が進められていった。








