メルの祈り
地の果てに日が沈むと…。
茜色の空は群青色へと変わり、やがて夜が訪れる。
森の木々は真っ黒な影になって、ざわざわと梢を鳴らした。
風の妖精が、楽しそうに飛びまわっている。
篝火やカマドの近くでは、火の妖精たちが戯れていた。
火の妖精がはしゃぎすぎると、篝火の周囲に火の粉が舞い踊った。
パチパチと薪のはぜる音が、夜闇に響く。
地の妖精や水の妖精も、精霊の塔を囲むように集まっていた。
火と風に比べたら、地と水は非常におとなしい。
それでも興奮している様子で、意味もなく地面を穿り返したり、踊りながら夜霧を生じさせたりしていた。
精霊祭は、村人と妖精たちのお祭りだった。
賑やかなのが当然である。
メルは初めて見る大勢の人に、圧倒された。
「ふわーっ。たくさん、おる…!」
「メジエール村の、大切な祝祭ですからね。ここに顔を見せていないのは、恵みの森まで来れなかった人たちだけです」
「ご老人や、身重な女たち、怪我をしている者、病を患っている者…。また、そうした身内に付き添う者たちは、自分の家で精霊祭を祝います」
メルを山車から助けおろした若い巫女たちが、教えてくれた。
メジエール村の人々は、事情があって家を離れられないものを除き、殆どが精霊祭に参加していた。
巨石文明のストーンサークルを思わせる聖地は、精霊祭に集まった村人たちでごった返し、熱気と喧騒に満ちていた。
「諸君、静粛に…!」
精霊祭用の立派な衣装を纏ったファブリス村長が、演壇の上から大きな声で呼びかけた。
「あーっ。コホン。これより、妖精女王さまが精霊樹の枝を奉納する。精霊祭に於ける、最も重要な儀式を執り行う。今年はメジエール村が精霊の子を賜って、初めての精霊祭となる。昨年までの真似事とは全く違うので、そこのところ各々が心するように…。精霊さまを祀る我らとしては、より厳粛な態度で祈りを捧げるべきだと思う…。あーっ。わしから伝えるべき事は以上だ…。では巫女さま、お願い申し上げる」
人前で話すのが苦手なファブリス村長は、喋っているコトにも自信がないのか、そそくさと巫女の婆さまたちに精霊祭の進行を丸投げした。
三人の婆さまたちは、メルを連れて演壇の上に立った。
年老いた巫女は、村人たちの注視を浴びても動揺を見せない。
「すでに、皆の者も知っておろう。村の中央広場に、大きな精霊の樹が生えた。一晩でじゃ。そして、その樹にさがっておったのが、この子じゃ…。メジエール村の名に因んで、メルと名付けられた…。メルは精霊さまからの、ありがたい賜りものじゃ!」
巫女の内で、最も背の高い老婆が言った。
村人たちから、『おーっ!』という野太い声が上がった。
「特別な子でな。ちいさな態をして、エミリオの豚を疫病から救い、ガジガジ虫の巣を滅ぼしておる。紛れもない妖精女王であろう…?」
背の高い老婆の後を引き継ぎ、小太りの老婆が村人に問いかけた。
「そんな、ちっけえのに…。大したもんだ」
「そりゃあ、精霊の子に違いあるまい」
「森の魔女さまも、認めなさっているんだ。疑う方がアホじゃ!」
「そうよ、そうよ!」
「妖精女王、バンザイ!」
村人たちから同意の声が上がった。
村人たちの熱い視線が、メルに注がれた。
メルは注目されて恥ずかしく思ったが、想像していたほど震えずに済んだ。
身の内から溢れる霊気が、メルの心を支えていた。
「さあ、メルよ。妖精女王よ。はよ、精霊樹の枝を奉納されよ…。その枝はのぉ。精霊の子の分け身。そなたの形代じゃ。それを石塔に捧げることで、そなたの感謝と村人たちの願いが、精霊さまの元へ届けられる…」
一番背の低い巫女の婆さまが、メルに告げた。
(なるほどォー。この枝は、僕の身分証明書みたいなモノなんだね…)
メルは転ばないように注意深く演壇を降りると、精霊の塔に向かった。
ストーンサークルのような広場は、精霊の塔を中心にして集まった村人たちに囲まれていた。
村人たちは可愛らしい妖精女王が、ゆっくりとした足取りで精霊の塔に近づく姿に見惚れた。
金の装飾が施された頭巾から白銀に近い金髪を垂らし、篝火に照らされた琥珀色の瞳を煌めかせた幼女は、幽玄な雰囲気を漂わせながら宙を滑るように足を運び、見物人たちを霊妙な気分にさせた。
妖精女王の青い祭礼服が、ゆるりと夜気に揺れて開いていく。
花弁が開くように裾が広がり、鮮やかな碧がたなびく。
まるで水底に居るみたいな気分だ。
決して不愉快な感覚ではない。
むしろ心地よかった。
村人たちは日々の悩みから切り離されて、心のしこりを解きほぐされるような治癒効果に身を委ねた。
空気がトロリと粘りを帯び、時の流れが間延びしていく。
そんな中、妖精女王の周囲には、キラキラと眩い灯りが付き従っていた。
メルは重たい祭礼服に負けじと、足を進める。
メルの手を取る巫女たちは、決して急かしたりしない。
(大丈夫…。僕には、妖精さんたちが付いているから…。ココまで来て、みっともなく転んだりするもんか!)
風の妖精がメルの身体を支え、地の妖精が行く道をなだらかに変え、火の妖精が辺りを明るく照らした。
水の妖精…?
水の妖精たちはメルが転んで心折れそうになったとき、やさしく癒して立ち直らせる重要な役目を引き受けていた。
まさに転ばぬ先の杖。
自分たちの小さな女王を守る妖精たちは、過保護すぎるほどにメルを見守っていた。
みんなメルが大好きだった。
メルは石塔にたどり着くと、精霊樹の枝を巫女の婆さまから指定された場所に供えた。
「さあ、祈りを捧げなされ」
「うむっ。わらし…。いのり、ささぐ!」
メルの捧げる祈りなど、考えるまでもなく最初から決まっていた。
村人たちの健康だ。
村人たちが幸せな一生を過ごすには、なにより先ず健康でなければダメだ。
メジエール村にもたらされる恵が、豊かでなくてどうする…?
みんなが美味しいものを食べて、笑って生きるのだ。
そうしたら妖精たちだって、毎日が楽しくなるに決まってる。
妖精たちは、陽気なのが好きだからね。
(精霊さま…。僕に健康をくださって、ありがとうございます。僕は幸せです。言葉に表せないほど、感謝しています。そこで思うのですが、此処はひとつ村の人たちにもケガや病に負けない頑丈さを授けてあげてください。頑丈さが無理なら、ここぞというときの運の良さでも構いません…。村人たちがお爺ちゃんやお婆ちゃんになっても、死ぬまで笑って生きられるような…。そんな幸せ一杯の奇跡をお願い致します…)
メルは大まじめに祈った。
高校入試で危なかったときより、ヤバ気な手術で怯えていたときより、無心で真剣に祈った。
前世では神さまの影すら見た覚えのないメルだが、今世では妖精たちが居て、色々な魔法があって、お願いすれば精霊さまが叶えてくださるという。
ここで祈らないバカは居ない。
(精霊さま。僕の祈りを聞き届けて…!)
メルは全力で精霊の塔に抱きついた。
アビーのお尻に抱きつくときより、渾身の力を込めて…。
そのとき…。
メジエール村に流星雨が降った。
「おおぉーっ」
「すごい…!星が…。星が村に、降り注いでいる」
「精霊さまが、妖精女王の願いを聞き入れてくださった」
「なんと、ありがたい事じゃ」
どうやら、メルの願いは精霊に届いたようだった。
「ふぅーっ。しくじらんで、よかった」
メルは大役を務め終えて、ホッと胸を撫でおろした。
メルのお祈りの効果か、メジエール村の病人やケガ人は程なく元気を取り戻し、寝たきりになっていた老人たちもヒョッコリと起きだし、若者に負けないくらいモリモリとご飯を食べるようになった。
メルが行使した広域浄化の威力は人だけでなく、崩れかけた水路や橋や水車小屋の不具合まで直し、恵みの森に潜んでいた穢れも悉く消し去った。
その後…。
何故か得意そうな顔のファブリス村長によって精霊祭は進められ、今年度の頑張った村人たちが表彰された。
最優秀女児賞を授かったメルは、賞品として可愛らしい仔ブタを貰った。
メルより小さな仔ブタは、トンキーと名付けられた。
メルに新しい家族が増えた。








