精霊祭が始まった
抜けるような秋空のもと、メジエール村の精霊祭が開催されようとしていた。
メルは衆目環視の中を巫女の婆さまたちに先導されて、しゃなりしゃなりとメルの樹に向かって歩いた。
妖精女王の装いで転ばないように気をつけると、そんな歩き方になる。
決して、気取っている訳ではなかった。
妖精女王に扮したメルが、精霊樹の枝を賜るところから精霊祭は始まる。
メジエール村の男衆が、梯子と剪定鋏を用意して待っていた。
枝切りは、メルが精霊樹に挨拶をしなければ始められない。
例年と違って、今年は精霊樹も妖精女王も本物である。
少なくとも、本物だと思われていた。
だから…。
儀式の手順に間違いがあってはならぬと、巫女の婆さまたちや精霊祭進行係の男衆も、どことなく緊張した雰囲気を漂わせていた。
メルは重たい衣装に負けまいと脚を踏ん張り、転ばないように少しずつ進んでいく。
いつもなら走り寄って抱きつくメルの樹が、とんでもなく遠く感じられた。
婆さまたちに手を引かれ、歩行補助をされながら静々と…。
(まったく…。病院のリハビリですか…?それにしても…。女児ってヤツは、踏ん張る力が足りませんなぁー。妖精パワーは、瞬発力だからね…。こういう場面では、ちっとも使えないんだよねぇー。トホホ…)
口をキツク引き結んで俯いていた顔を上げると、村人たちの声が聞こえてくる。
エルフ耳は地獄耳…。
「あれまぁ、めんこい娘じゃないかい」
「あらぁー、おめぇ。別嬪さんになるでぇ!」
「フレッドの野郎、うめぇことやりやがったなぁー」
「精霊の子は、ホントにいらしたんだねぇ…。ありがたいこっちゃ」
病院のリハビリテーションセンターと違い、ここでは大勢の村人たちがメルに注目していた。
恥ずかしくて顔が赤くなる。
こんな場面でこけるとか、絶対にイヤだった。
クルリと見回せば、タリサたちが手を振っている姿が目に入った。
エミリオの家族も笑顔で見物していた。
(あれっ、赤ちゃん生まれたんだ…。ローザさん、おめでとう!)
メルの関心は、ローザに引き寄せられた。
ローザはおくるみに包まれた、赤ん坊を抱いていた。
ローザの周囲には、アビーや近隣の女性たちが付き添っていた。
硬かったメルの表情が、ゆっくりと綻んだ。
「メルちゃん。頑張れー!」
ティッキーの声援が聞こえた。
メルはコブシを突き上げ、聞こえましたの合図とした。
ティッキーに、伝わったかどうかは分からない。
所詮は取り決めのない、メルの勝手なハンドサインである。
(精霊祭のあいだ、精霊さまへの語りかけ以外は、お喋り禁止だからね…。地味に厳しいよ。女児には酷だって…!)
ようやくメルの樹の根元までたどり着いたメルは、両手を頭上に掲げて声をあげた。
「セイエージュ。わらし、エダ欲しす。エダー、くれっ!」
妖精女王の口から放たれた直截明瞭な言葉に、見物人たちは『それで良いのか?』と首を傾げた。
メジエール村の住民としては、自分たちの精霊祭に相応しい厳かで有難そうな言葉を期待していたのだ。
聞きたかったのは、幼児の片言ではない。
だが、次の瞬間…。
精霊の樹から小枝が一本、メルの手もとに落ちてきた。
これを目撃した村人たちは、あんぐりと口を開けて小さな妖精女王を見つめた。
梯子と剪定鋏を手に待機していた男衆は、何が起きたのか理解できずに固まってしまった。
精霊樹を見上げても、人影など有りはしない。
メルが魔法を使った気配もなかった。
静まり返った見物人たちは、暫くして我に返るとざわめきだした。
「えっ…?」
「なんで、どういうことなの…?」
「信じられんわ。奇跡じゃ。奇跡が起こりよったぞっ!」
「ナニよォー。メルが、枝をもらっただけでしょ!」
タリサの声がした。
その横でティナとダヴィ坊やが、ウンウンと頷いていた。
「勝手に、枝が落ちてきよった」
「ちげぇー、だろ!妖精女王さまの祈りに応えて、精霊樹が枝をくださったんだ!」
「ほぇー。本物じゃぁー!」
「精霊さま、ありがとうございます。精霊さま、ありがとうございます」
「新鮮だな…。普通は、こうやって驚くんだよな。フレッドとアビーは、不思議そうにもしてないし…。まあ、当然かぁー」
エミリオが感慨深そうに言った。
ブタを助けてもらったときに驚かされ過ぎたエミリオは、メルが精霊樹の枝を貰ったくらいで動じなかった。
村人たちの激しい反応は、過去の自分を見ているようで可笑しかった。
畜舎での騒々しい日々を思い返すと、もう笑ってしまうしかない。
『ぶたぁー。いま、助くゆどぉー!』の叫びが、懐かしい。
「あの子が来てから、色々あったわぁー。今だって…。毎日のように、驚かされているのよ。だから驚くのに、慣れちゃったのかしらねェー」
エミリオの言わんとするところを理解して、アビーもクスクスと笑った。
村人たちは、メルが見せた小さな奇跡に魅了されていた。
驚いていないのは、酒場夫婦にエミリオの家族と幼児ーズの面々だけであった。
「さあ、皆の衆。精霊祭の始まりじゃぁー!」
巫女の婆さまが、大きな声で宣言した。
若くて美しい巫女たちがメルを助け上げ、山車に設えられた豪華な席へ座らせた。
屋根のついた妖精女王の席は、色とりどりの布で飾られ美しい。
背もたれもあれば、座布団だってフカフカだ。
(だけど、三日は長すぎだよ。僕にとっての救いは、酔い止めを貰えたことだけさ。いや、待てよ…。妖精女王の装束で歩かされるより、ずっとマシか!)
メルは青空を仰ぎ見た。
お祭りに憧れはあった。
だけどそれは、こう言うのとまるで違った。
もっと陽気に踊りまくったり、縁日で金魚をすくったり…。
(あーっ。もう、いいよ…。考えるのは止めよう!)
メルは思考を投げだした。
「それでは、出発するかの…!」
「承知しました。巫女さま」
「くれぐれも、牛車の扱いには気をつけるのじゃ…!事故なぞ、絶対に起こしてはならんぞ」
巫女の婆さまは、厳しい口調で男衆に命じた。
「お任せくだされ!」
牛飼いの男衆も、心得たりと頷いて見せた。
「では、楽隊の演奏を…」
「祭りの踊りを…」
「精霊さまに感謝を…」
平静を取り繕った巫女の婆さまたちも、内心では妖精女王にビビっていた。
これまで偽物しか祀ってこなかったので、本物は扱い兼ねたのだ。
粗相があってはならぬと、畏れに膝が震えだす始末である。
「わしら老い耄れには、日差しがきついのォ」
「うむっ…。精霊さまをお祀りする務めは、若い者に託すのが良かろう」
「それが良い。それが良い」
『そろそろ、引退しても良い頃合いじゃなかろうか…?』と、巫女の婆さまたちは考え始めていた。
楽隊が音楽を奏で、その後を陽気に踊りながら村人たちが続く。
二頭の牛に牽かれた山車が、最後にメジエール村の中央広場を離れた。
やる事のないメルは、妖精女王の席で親指をしゃぶっていた。
「わらし、もぉー飽きたわ」
それは精霊さまへの訴えだった。








