新年を迎えるにあたり
「メルちゃん。ちょと」
「はいはい、ママン。どうされましたか?」
アビーに呼ばれ、メルは組み立て途中の模型を床に置き、酔いどれ亭の食堂に顔を出した。
「これをモリカワ家に、持って行ってくれないかしら」
「はぁー。ベーコンと腸詰とフルーツケーキ?」
フルーツケーキは刻んだドライフルーツを混ぜ込み、日持ちするように固く焼しめたアビーのお手製だ。
あちらの世界で言うなら、シュトーレンと呼ばれる菓子に近い。
粉砂糖が掛かっていない。
「むむっ……」
「どうしたのよメルちゃん。ケーキと睨めっこをして」
「こえなぁー。冬っぽさに欠けよるけー。もうひと手間かけゆと、見違えマス」
「やぁー。ママは冬っぽさとか言われても、分からないよ」
「こうするんや」
メルは背嚢から取り出した粉砂糖を振りかけて見せた。
目の細かい網に粉砂糖を入れて、トントントン。
焼き色の濃いフルーツケーキが、瞬く間に白く染まった。
「おう。真っ白になったね。そういうことかぁー」
「はいはい。雪景色の完成です」
「あたしも他のケーキにやる」
メジエール村で砂糖の生産が始まり、錬金術師や魔法使いも参入して、色々な種類が増えた。
粉砂糖も、その一つである。
ただし、まだまだ使い道に関しては、道半ばにあった。
なので時折、こうしてメルが使い方を見せて回っている。
需要がなくても品物を作ってしまうのは、もう慣れっこである。
メジエール村で作られる新商品は、大抵が異世界文化研究に影響を受けているので、開発者は単に閃くだけ。
ちゃんとした使用方法さえ分かっていない。
なので、近所の小母ちゃんたちは粉砂糖を煮豚の鍋にぶち込んでいた。
グラニュー糖を粉砕した意味がない。
台無しである。
豚飼いのエミリオがくれた加工肉は、実に美味しそうだった。
森川家にプレゼントすれば、嘸かし喜ばれることだろう。
だがしかし……。
「なあなあ、ママン。外は雪ぞ。やめにせんかぁー?」
「何を言っているの……。メルちゃんには冬用のライトニングベアがあるじゃない」
こうした場面で、もと冒険者なアビーの無茶ぶりが炸裂する。
やんちゃなメルを叱るくせに、この仕打ち。
野蛮でガサツだ。
「むぅー」
冬用のライトニングベアとは、ドゥーゲルとゲラルト親方が拵えてくれた幼児用のスノーモービルである。
それさえあれば深雪で埋まった道もなんのその、グングンと走っていける。
だけど、寒いものは寒いし、今メルは模型製作に熱中していた。
「行きとぉーないわ」
「前世の親御さんでしょ。新年を迎える時くらい、向こうの家で過ごしてきなさい」
アビーは森川家の母と言葉を交わす内に、『メルを独占してはならない』と考えるようになった。
メルにすれば、非常に迷惑な話である。
由紀恵はメルにとって大切な母であると同時に、最も苦手とする相手だった。
「うへぇー」
メルは寒風を避けるために赤い頭巾を被せられ、酔いどれ亭から蹴りだされた。
「こんな格好をさせられたら、オオカミに襲われゆわ。まったく、もぉー。わらしは四歳児ぞ」
向かうのは森に住むお婆ちゃんの家ではなく、森川家だった。
中の集落から、ライトニングベアでおよそ三十分の道のり。
どこにも飢えたオオカミが登場する要素はない。
「さぶい。さぶい。凍えゆわー!」
「泣き言は聞きたくないよ。ボクだって寒いんだから、メルも我慢して」
「プギィー」
ブツブツと呪いごとを呟くメルの後ろに、ミケ王子とトンキーが続く。
先ずは、ライトニングベアを覆うシートに降り積もった雪を払う。
「ちべたい。ひゃっこい。指が、あこぉーなったわ」
分厚い指なし手袋を着けているのに、『凍傷で指がもげる!』と大騒ぎ。
メルは不平不満を口にしないと気が済まないのだ。
アビーに届け、この理不尽な気持ち。
「もぉー、やめなよ。ちゃんと風魔法で手伝ってるじゃん」
「プッ、プッ、プギィー」
幼児用のスノーモービルには、スピード制限が設けられていた。
メルの粗忽な性格を熟知したドゥーゲルとゲラルト親方の、心遣いだった。
アクセル全開でも、スピードは出ない。
すべては妖精さん任せ。
安心安全である。
「おし、行くど」
メルは荷台に乗ったミケ王子とトンキーに、声を掛けた。
「メルー。荷物は固定したから心配ないよ」
「プギィー♪」
「イエェーイ。レッツラゴー」
前世の母と会うのに、一人きりでは心細い。
ミケ王子とトンキーは道連れだった。
〈どるるるるーっ♪〉
〈ブルンブルン〉
妖精たちが動力ディスクを回し、妖精女王と二匹の従者を乗せたライトニングベアは、雪道を軽快に走り出した。
◇◇◇◇
「まあまあ、この雪の中をよく来たわね。さあ、上がってちょうだい。すぐに熱いお茶を用意するから、炬燵で温まってね」
「こえ、お土産デス」
「あらら……。アビーさんたら、気を使って……。ありがたく頂戴するわ。あなたたちも、上がってくださいな」
「はい。お邪魔します」
「ピギー♪」
由紀恵に出迎えられたメルは、式台に座ってスノーブーツを脱いだ。
ミケ王子とトンキーは足を雑巾で拭く。
森川家の母、由紀恵は、新生ユグドラシル王国で精霊たちから一目置かれていた。
それは前世に於ける妖精女王の母親だからではなく、何やらやばい重厚な気配を纏っていたからだ。
そう……。
あちらの世界で精霊樹オリジンが誼を通じた、あの邪精霊たちに勝るとも劣らない不気味な存在感だ。
ミケ王子は初めて噂の由紀恵を目にし、『なるほどねー』と納得。
何がとは明確に言えないけれど、おっかなかった。
メルが苦手とするのも分かる気がした。
「よおメル。元気にしてたか?」
「兄ぃー、オマーこそ何しておった?」
「色々だよ、色々。こちらの世界は楽しくてさー。やりたいことだらけだ」
「フムフム……。そえは良かったデス」
和樹はもう、以前のチー牛ではなくなっていた。
髪を短く刈り、精悍な顔つきになり、腹の贅肉もなくなった。
メジエール村の娘たちから、『カズキはイケメンだ』との噂も聞いている。
「兄ぃー、コタツが狭いでよ。わらしを膝に載せんか……!」
「う、うむっ」
炬燵は正方形だ。
父の徹、母の由紀恵、ミケ王子とトンキー、和樹と突き刺されば、もうメルの座る場所がない。
この状況であれば、絶対に由紀恵がメルを抱っこしたがる。
それだけは嫌だった。
であるなら、母の由紀恵が何かを言い出す前に、兄の和樹を座椅子にしてしまうのが正解だった。
兄の和樹はロリエルフが大好物だけれど、幼女に戻ってしまった今、何も心配はなかった。
幼女エルフは、ロリエルフと違うのだ。
圏外である。
「なんで俺なんだよ。親父に抱っこしてもらえよ」
「兄ぃー、自分だけミカンを食うのか?」
「メルも食べればいいだろ」
「皮を剥け」
「なんだよオマエは……」
「剝いてちょんまげ」
「和樹、剥いて上げなさい」
父の徹が、何やら書類仕事をしながら和樹に命じた。
「オヤジ……。くそー。親父はメルの味方か。ほれ、剥いてやったぞ」
「ムッ。白い筋も、面倒臭がらずに取れ。ここにまら、付いとろうが……」
メルは小さな指で、ミカンの筋が残っていると示した。
「かぁー。むかつく」
父の徹には頼めないことも、和樹が相手なら平気で要求できる。
実に便利な座椅子だ。
「オマエ、本当に偉そうだな」
「わらしは、妖精女王じゃけんのぉー。言うなれば、森川家の出世頭……?オホホ……」
どれだけ腹が立っても、和樹はメルの言うことを聞くしかなかった。
何せメルは、森川家の生意気アイドルだから……。
威張っていてもカワイイのだ。
その晩は、厚切りベーコンとソーセージをたっぷりと使ったポトフだった。
野菜のお出汁が効いたコンソメスープに、キャベツやジャガイモ、ニンジンにブロッコリーが彩を添え、とても美味しそうだ。
「お母たまが作る料理は、いっつも美味しいデス」
「そうだな。由紀恵は料理上手だ」
「もう、お世辞を言っても、何も出ませんよ」
「…………っ」
兄の和樹は、由紀恵のあしらいが下手だ。
常に徹やメルの後塵を拝し、褒める機会を逸する。
あちらの世界では、その苦手意識から根暗で冷たい男だと思われていた。
それが女子にモテなかった理由であり、チー牛への道を歩むことになった原因でもあった。
スポーツ大好きなハンサムボーイだったのに、残念なことである。
こちらの世界に来てからは、女子に遠慮しまくって生きてきた日本男子の弱腰が功をなしたのか、優しい人だとモテまくり。
何がどう転ぶかなんて、本当に分からないものである。
「美味しいね」
「そうやろ。ジャガイモもしっとり、ホロホロや」
メルとミケ王子はポトフをぱくつき、上機嫌だ。
トンキーはキャベツを玉のまま貰って、ガツガツと食べている。
もうベーコンやソーセージを目にしても、トンキーが暴れることはない。
エルフの里で修業を積んでいる間に悟ったのだ。
自分は只のブタじゃないと……。
「お母たま、ポトフにお餅入れて……」
「はいはい」
「メル……。オマエ、ポトフにモチ入れるんか!?」
「お餅は、ほぼほぼ何にでも入れるけん」
「おい、由紀恵。家庭菜園で育てたニンジン。甘くて美味いな」
「あなたも、そう思う?わたしも美味しいと思った」
「ホント。魔法って便利だな。どの野菜も、一年中収穫できるんだろ」
父の徹と母の由紀恵は、ご機嫌だった。
それもそのはず。
森川家夫婦にとって家族団欒は、長きに亘り果たせぬ夢であった。
「やあ、楽しいな。晩飯が、こんなに楽しいとは」
「樹生がメルちゃんになってしまったけれど、細かなことはどうでもいいわ」
「私も職を失ったが、そんなことはどうでもいいさ。はぁー、幸せだ」
樹生の病気は、どんな時にも森川家に暗い影を落としていたのだ。
こちらの世界に来て、両親を苦しめていた息子の死が、完全に意味をなさなくなった。
二人は漸く、忌まわしい呪縛から解放されたのだ。
「わらしが死んだの、細かいことか……」
「よせよ。親父とお袋が喜んでいるんだから、放っておけ」
「うむっ。親孝行か?」
「オマエは、モチでも食ってろ」
もと兄弟。
今は兄妹となった二人も、小さな声で言葉を交わし、お互いに微笑むのであった。








