自然の中で……
メジエール村に夏が訪れた。
爽やかな風が吹き抜ける度に、開拓された広大な平地が海原の如く揺れる。
見渡す限りの稲は、青々と元気いっぱいに育っていた。
稲作文化を根付かせるために、白狐は頑張った。
ドワーフたちは開墾と貯水池の建設、農業用水路や堤の作成に、総力を挙げて協力した。
エルフたちは水田に欠かせない人工の森を整備し、種籾が芽吹き成長するまで根気良く見守った。
メジエール村の人々も白狐の指示に耳を傾け、熱心に稲作を学んだ。
「この分なら、どえれー収穫が見込めるわ」
スズメの着ぐるみ姿で、メルが断言した。
その横で木の枝に停まっているのは、ベアトリーチェだった。
メルと同じく、スズメの格好だ。
でかいスズメである。
「秋になったら、米が山ほど稔るでぇー。楽しみじゃのー」
よく分からないのに、ベアトリーチェがウンウンと頷いた。
ベアトリーチェは魔法タケウマを教わり、ヨイ子の心得を学び、メルを師匠と崇めていた。
『大人に、舐められたーアカン。あいつらは背ぇーが高いからのー。いつも上から目線で、わらしらに説教をかましヨル。したっけ、このタケウマさえあれば、あいつらを見下ろしてやれるんじゃ。カカカカカカカカカッ……!爽快じゃろ』
『あい、メルちん。チョウカイでち』
幼いベアトリーチェは、メルに心酔していた。
タケウマに乗り、高いところから見下ろすメジエール村の風景は、ベアトリーチェの心をワクワクさせた。
メルは親切で、いつだってベアトリーチェが不満に感じているところを上手に掬い上げてくれる。
『タケウマたのちー♪』
『そうやろ。そうやろ。新しい魔法も教えてやるけー。トゥビーコンティニューじゃ!』
『とぅびぃ……?』
『次回をお楽しみに……!じゃ』
『あい』
メルが一緒に居ると、ベアトリーチェの前に世界が生き生きとして立ち上がる。
何もかもが楽しく思えてくるのだ。
『リーチェ。空を飛ぶんは楽しいぞー。何しろ、地面を歩く連中が、のろくさいダンゴムシに見えるけー』
『おそらをとぶのは、たのちーでちか……?あたちも、おそらをとびたいでち』
『うーむ、リーチェよ。其方は、力が欲しいか?』
『あい』
偉そうに腕組みをするメルを見ながら、ベアトリーチェは激しく首肯した。
『せやったら、わらしの弟子になるか……?』
『デシ!?ちょれは、なんでちか……?どうちたら、いいの……?』
『そんなん簡単ですわ。これから、わらしを師匠と呼べばエエ』
『チチョウ?』
こうしてベアトリーチェはまんまと騙され、メルの弟子になった。
ベアトリーチェからこの話を聞かされたクリスタは、複雑な表情になり、力なく笑った。
『チチョウは、ちゅごいのでち』
『そうかい。それで空を飛んで、リーチェは怖くなかったのかい?危ないことはなかったかね?』
『あい。あたちはユウチュウなデチでち』
『ゆうちゅうな、でちでち……?ああ、優秀な弟子ですか……。メルのやつ、リーチェに何を教えてるんだい。まったく、とんでもない女王さまだよ』
メルが師匠だなんて悪い冗談のようだけれど、自分の過去と比べるならズンと増しである。
今にして思えば、『何故エリクに呪術を教えてしまったのか……?』全く分からないクリスタだった。
メルは悪ガキだけど、性根は腐っていない。
あれは常識の枠が窮屈で我慢ならない、単なるヤンチャ者なのだ。
ヤンチャが過ぎて、仲良くなりたい村の子供たちから敬遠されてしまうほど、元気な女児なのだ。
子供っぽさは、妖精たちの本質だ。
そんな妖精たちを統括する妖精女王ともなれば、永遠に子供のままでいたって不思議はなかった。
それこそ精霊樹オリジンのみが知るところであろう。
『メルも遊び相手がおらず、寂しいのかも知れんな』
であるなら、ベアトリーチェがメジエール村に馴染むまで、メルに託してもよかろう。
そうクリスタは考えた。
なんにせよ、ベアトリーチェが喜んでいるのだ。
『メルと付き合うな!』とは言えない。
そんな訳でメルとベアトリーチェは、暇さえあればメジエール村のアチラコチラを飛び回っていた。
スズメの格好で……。
◇◇◇◇
妖精女王のお務めは、お祈りだ。
夕刻になると湖の中央に顔を覗かせた小島に向かい、精霊宮でお祈りをする。
精霊宮の祭壇には、エリクの魂を封じた【奇跡の瞳】が祀ってある。
「われらが宝珠よ。どうか民草の願いを聞き届けたまい。この世界に稲作文化が根付くよう、どうかお助け下さい」
こうして祈りを捧げるとき、メルは聖女のような白装束を纏った娘の姿である。
いつもの幼女ではなく、うら若い娘の姿で妖精女王として祈るのだ。
「「「「お勤めご苦労さまです」」」」
「うむっ!」
背後に居並ぶ精霊の長老たちは、美しい妖精女王に首を垂れる。
「おい、白狐」
「はいー。何でしょうか?」
稲作文化普及部門担当の白狐が、メルの呼びかけに答えた。
「なんやけったいな虫が増えとるけど、あれはなに……?」
「稲作文化の一部です」
「そこ削ってエエとことちゃうんかい?」
「とんでもない。メダカにドジョウ、タナゴ、カエル、ヤゴ、巻貝、ゲンゴロウにタガメ、アメンボ、カメムシ、イナゴ、ウンカ、ニカメイガにクモ。みーんな稲作文化の仲間です。スズメとアヒルもね」
「くっ……。害虫は要らんデショ!」
「いいえ、陛下。それらも含めて、無農薬な稲作文化です」
ユグドラシル王国のお稲荷さんを自認する白狐は、古くからのスタイルに固執した。
自然と人との共存こそが、白狐にとっての稲作文化だった。
「なにが無農薬や。農薬バンバン撒いたらエエやん」
「そんなことするとー」
「なんやねん」
「ウナギも死にますよ!」
白狐は妖精女王の弱点を一突きにした。
「ガーン!」
妖精女王が美しい顔を歪めて唸った。
虫は大嫌いだが、美味しい鰻重は捨てがたい。
「農薬を撒いたら……。わらしのウナギ、死ぬの……?」
「多分きっと、確実に死にます」
「それはアカーン!」
セイレーンやサハギンたちは妖精女王に命じられて、遠方で捕らえたウナギを貯水池に放流した。
秋になったら、それを鰻重にして食べるのが妖精女王の楽しみだった。
地理的な条件からして、海で産まれたウナギがタルブ川を遡上し、メジエール村までたどり着くのは難しい。
何しろタルブ川には、あの何でも食おうとする闘魚が棲息しているのだ。
同じくらい強い魚でなければ生き残れない。
更に付け加えるとするなら、ドラゴンズヘブンの温泉旅館に連泊しても、希望通りに鰻重が食べられるとは限らなかった。
サハギンの板長はメルに負けないほど気まぐれだったし、鰻重は超がつくほどのスペシャル料理だった。
ことウナギに関しては、花丸ショップでさえ全く当てにならない。
だったら、自分で確保すればよい。
そう考えてせっせと集めさせたウナギなのに、農薬を撒けば死んでしまうと言う。
考えてみれば貯水池だって、いつの間にやら虫だらけだ。
「グヌヌヌヌッ!」
鰻重を食べたければ、新たな虫どもの発生には目を瞑るしかなかった。
「陛下。それらが稲に悪さをする害虫であろうと、ガジガジ蟲ではないのだから……。白狐殿の言い分を通すべきでは……?」
「…………っっ!分かった」
精霊議会議長のハトホルに反論を封じられ、妖精女王メルは項垂れた。
幼女メルに戻れば、慰めるのは側近の仕事である。
「陛下ー。すっごい面倒くさいから、拗ねるのは止めてね」
「そうですよー。子供の姿だからと言って、女王陛下が子供権を主張するのは格好悪いです」
「だよなー。メル姉は、駄々っ子みたいだからな。いっつも、つまらない文句が多いんだ。たまには反省しようぜ」
「それもそうだし、ちっこい羽虫にギャーギャー騒ぐのもどうかと思う。赤ちゃんか……!?臆病にも程があるでしょ。たかが虫けらだよ!アンタの肝っ玉が虫だよ。弱虫!!」
「メルちゃんは弱虫毛虫ですね」
「うっ」
気心の知れた側近たちに不満をぶちまけようとしていたメルは、出鼻をくじく絶妙なタイミングで一斉砲火を喰らい、たじろいだ。
「メル姉。そもそも中央広場で遊んでいれば、ウンカの大群に集られることもないだろ。虫が怖くて泣くなら、最初から田んぼになんか行くな。情けない」
ダヴィがメルの額を人差し指で、トントンと突いた。
それは大人が子供を窘める仕草だった。
「おまーらなあ。側近なら、女王を敬えや。虫やぞ、虫……。知っとるやろ。わらしは虫が大の苦手なんデス!もうちっと親身になって、慰めんかい!!」
タリサ、ティナ、ダヴィの三名は、メルの扱いに慣れている。
メルがへそを曲げたって、いっこうに動じない。
「ところでメルちゃん。もうすぐ秋だよ。収穫祭と精霊祭が楽しみだねー。ミケ王子たちも張り切ってたし。面白い屋台が、たくさん並ぶのかな。美味しいものが、山ほど食べられるかな」
「うっ。そうや。それやー!」
ラヴィニア姫に任せれば、メルの機嫌も直ぐに直る。
移り気なメルが衝動的に暴れだすのを止めるのは、タリサとティナ、ダヴィの役目だ。
そしてメルの手綱を取り、正しい道へと引き戻すのがラヴィニア姫の役目だった。
素晴らしいチームプレイと言えよう。
タリサたち四名が妖精女王の側近に選ばれたのも、宜なるかなである。
こうしてメルは幼馴染でもある側近たちにコロコロと転がされ、ときおり脱線しそうになりながらも、精霊樹オリジンが敷いたレールの上をひた走るのであった。








