父親の役目
ピンポーン。ピンポーン!
小さな豚を連れたミケ王子が、精霊樹の家に設置されたインターフォンのボタンを押した。
『だれじゃ!?』
インターフォンから、メルの不愉快そうな声がした。
「あー。メル、ボクだよ。ミケ」
ミケ王子はインターフォンのボタンを押して答えた。
『入れ』
精霊樹の家には幾つかの扉があった。
ミケ王子が開けたのは、動物専用の出入口である。
扉に猫の足型が刻印されていたし、横壁には動物専用の注意書きも見て取れた。
メルが精霊樹の家で引き籠るようになってから、施錠されていない扉と言えば、そこだけだった。
辛うじてケット・シーたちが使える小さな扉だから、人だと頭が閊えてしまい通れない。
ミケ王子も、猫のように四本足で歩かないと通れなかった。
「おじゃましまーす」
「なんやミーケ。お土産かい?仔豚の丸焼きでもするんか……?生きたままでは、幾らなんでも調理でけへんぞ!」
メルはミケ王子が連れている小さな豚を見て、小首を傾げた。
「ピギー。プギーッ!」
「酷いよメル。なんてことを言うのさ。これはトンキーだよ。忘れちゃったの……?」
「はぁ?トンキーは大きくなってしまったので、エルフの里におるデショ!」
「トンキーは、戦場でメルの役に立ちたいから大きくなったんだ。ユグドラシル王国はトンキーの活躍を讃えて、小さくなれる魔法を授与したんだよ。トンキーが褒美として、それを望んだから……」
「プププッ、プギー!」
「まじ……?」
ミケ王子に詰られたメルは、もう一度じっくりとトンキーの顔を見た。
そのつぶらな瞳は、確かに記憶にあるトンキーと同じだった。
「わぁ、トンキーやん」
「ぷぷー、ぷー!」
メルとトンキーはガッツリと抱き合い、互いの頬を擦り合わせた。
「トンキーはメルの力になりたくて頑張ったのに、丸焼きですか……?」
「はーっ。わらしが悪かった。ゴメンなトンキー」
「プッ、プッ、プギー」
トンキーがメルの顔をペロペロと舐めた。
「幼児ーズの皆だって、メルが居ない間に色々と頑張ってたんだ。ただ待っているだけじゃ申し訳ないって、妖精女王陛下を支えるなら、仕事ができなくちゃダメだって」
「やめてー。耳が痛いわ」
「そうやって話を聞こうとしないのは、卑怯だと思うよ」
「わらしも、失敗したと思ってマス」
「だったら、ちゃんとしようよ」
「その、ちゃんとが分からんモン!!」
メルは成長した仲間たちと、どう向き合うべきか分からなかった。
「草むらに隠れて、泥団子をぶつけるのは有りかのー?」
「ダメに決まってるジャン!!メルはバカなの……?」
「だって、話題が思いつかんモン」
「そんなもん。おはようで、いいでしょ?」
「あとが続かんわ」
ミケ王子が呆れ顔になった。
「話題、話題、話題ですか。そうだ。稲作の話をするのは、どうでしょう?お米ですよ」
白狐が横合いから口を挟んだ。
「なんか唐突すぎて、話を切り出せない気がするわ」
「うーん。引き籠るとか宣言してしまったのが、精神的な足枷になっているとか……?」
「それな……。すごく気まずいんや。ほら。わらし、緊張すると黙ってしまうやんか。上手いこと言葉が出ぇーへん」
「うわぁー。イケイケで強気なときとの落差が、半端ないですね」
白狐は腕を組んで考え込んだ。
「内気な陛下も、かわゆらしいですね」
「アヒルは、メルの太鼓持ち。話がややこしくなるから、もう黙って……。この会議は、メルを甘やかすためのものじゃありません。メルに、ちゃんとしてもらうための会議です」
ミケ王子に睨まれた水先案内役のアヒルは、クチバシの先っぽを閉じた。
「はぁー。ミーケは『ちゃんと、ちゃんと!』と、うっさいわー。わらし、メキョメキョに凹んどりマス。これ以上、ボコらんといて」
「何を言ってるんだか……。森川家のご両親も心配してたよ。『イツキはいじけると手が付けられない!』って……」
「その台詞は、お父はんやな。相も変わらず、ザクザクと心を抉る言い草や。もうちっと、言葉のチョイスに思いやりが欲しいわー」
「ぶつくさと文句を言っていないで、森川家に行けば。メルの元気な姿を見たら、ご両親も安心すると思う」
「そうやねー。ちょっくら挨拶しに行くか」
「えっ。行くの?」
「ミーケが行けと言うたデショ?」
病弱だった樹生と違って、メルに引き籠りは難しかった。
元気すぎて、外に出ないと有り余るパワーを発散できないからだ。
「じゃけん、森川家の場所がよぉー分からん」
「ボクが案内するよ」
「ぷー、ぷー!」
メルとアニマルズは森川家を目指して、炎天下の農道を歩きだした。
夏のこの時間、メジエール村では昼休憩を取る。
引き籠りを宣言したメルが、外出しても誰かに見つからない時間なのだ。
ライトニングベアを使いたいところだけれど、身体が小さすぎて運転できない。
だから、幾ら暑かろうと歩いて行くしかなかった。
ミンミンミンミーン。
ミーンミンミンミンミーン。
「アカン。脳が煮えるわ……」
セミ時雨が、やばいほど喧しかった。
「メルちゃん。いや、ここは敢えて樹生と話したい。そう心得て、耳を貸して欲しい」
「はい……」
森川家に到着し、板の間に座って父親の徹と向き合ったメルは、行儀よく畏まった。
和風な家だけれど、森川家の新居には畳がなかった。
板の間に座布団である。
「ここは良い村だ。皆、親切にしてくれる。感謝に堪えんよ」
「あっちへは帰らん?」
「おまえではないが、気まずいからな」
「ブライアンを始末したから、お父はんの冤罪は証明できマス」
「私が罪を犯していないと証明されたなら、今度は職場の連中が気まずい。どうしたって、元の関係には戻れないよ。もう壊れてしまったのだ」
「そう言われたら、そうやね」
メルは母親の由紀恵が淹れてくれた茶をズズッと啜った。
ひんやりとした冷茶だ。
火照った身体に心地よい。
「幸いなことに、おまえのケースは私と違う。善悪の問題ではないし、社会性もない。ちょっとした行き違いにすぎん。気まずいだろうが、お友だちとの関係修復は容易かろう」
「うむっ……。それが、何故か難しいのデス」
「地に足がついていないから、おまえの姿勢も定まらんのだ。それで難しく感じるのさ」
「地に足って、なんやそれ?」
「おまえは料理店を経営していると、メールに書いていたよな。どうして店を開けない?」
「それはー。引き籠っとるから」
「おまえの仕事とは、都合が悪いと放り出してしまうようなものなのか……?遊び半分でも構わないのか……?」
「…………ッ!?」
さすがは真面目な男。
父親の徹は、嫌な角度からメルを突いた。
「お友だちから聞いたが、おまえは『戦争を終わらせないと料理に集中できん!』と言ったそうだな。皆が満腹でなければ、罪悪感なしに美味しいものを楽しめんと」
「はい。言ったような覚えがありマス」
「幼児とは思えん、立派な心構えだ。で、戦争は終わったんだよな?」
「はい」
「よぉーく考えてみなさい。村人の中には、おまえの料理を楽しみに待っている人たちも居るんじゃないか……?お友だちが知らない内に成長していたことを恨み、拗ねて店を開けないのは、果たして正当な行為だろうか……?二、三日ならまだ分からんでもないが、もう戻ってから十日になるぞ。昔からの常連客は、おまえを心配しているんじゃないかね」
「………………」
メルは徹の追及に返答できず、とても気まずかった。
自分の発言を巧妙に利用されてしまい、一言も言い返せない。
「筋の通らん真似をしていたら、思考も乱れる。そんな状態では、お友だちを納得させられるような会話などできやしない。それ以前に、おまえ自身を納得させられんだろう。おまえが、お友だちに伝えるべきなのは、先ず何より感謝の気持ちじゃないかね?あの子たちは、何年も待っていてくれたのだろう?」
幼児ーズの仲間たちに置いて行かれたような気がしたのは、メルの被害妄想である。
現実が想像と違っていても、努力すれば受け入れる方法は見つかるだろう。
それを探しもせずに拒絶したのは、間違いだった。
「ウヘーッ。お説ごもっとも」
威張りん坊のメルが、自然と頭を下げた。
前世の父は偉大だった。
◇◇◇◇
メルは精霊樹の家に戻ってコック服に着替えると、エルフさんの魔法料理店を開けた。
手慣れた開店作業に取り掛かれば、メルにも細々としたことが見えてきた。
看板や受付カウンターが、ピカピカなのだ。
厨房も綺麗に保たれていた。
「まぁまか、マルーが、ずっと掃除をしてくれたんかのー」
二人にも、アリガトウを言わねばなるまい。
いや、『ありがとう』と伝えたかった。
「ようメル。久しぶりだな」
「うおっ。おとん!?」
開業の準備をするメルに、帝都に居るはずのフレッドが話しかけてきた。
「諸悪の根源は、きっちりと退治したんか?」
「うん」
「よく頑張ったな。村に帰ってきたら、こんなになっていて嘸かし驚いたことだろう。ディートヘルムも、驚くほど背が伸びたからな。全く、メルにしてみれば踏んだり蹴ったりだ」
フレッドは推定年齢4才児に戻ってしまったメルの頭をグリグリと撫でた。
コック帽が潰れて、クチャクチャになった。
懐かしいガサツさである。
懐かしすぎて、鼻の奥がツンとなった。
「おとんは、帝都で仕事があるんとちゃうか?」
「ギルドマスターの仕事は、ヨルグとクルトに押し付けた。まあ、あの師弟コンビが何とかするさ。ようやっと愛する娘が帰って来たんだ、帝都なんかに居られるかヨ!」
『転送ゲートは便利すぎていかん!』と、フレッドが嘯いた。
娘が気になって、ちょっと様子を見に来ただけだと、言いたいのだろう。
決してズル休みではないと……。
どう取り繕おうと、それは職場放棄で間違いなかった。
メルも又、妖精女王の役目を放り投げ、フェアリー城から抜け出した口である。
「そっかー。お帰り、おとん」
「おまえもな。お帰り」
メルとフレッドが、ニカリと笑った。
「で、開業するんか?」
「そう。今日から、店、やりマス」
「最初の客になっても良いか?」
「おとんが口開けかい」
「娘の手料理が食いたいんだ。なにか拵えてくれよ」
「勿論じゃ。したっけ、わらし善きこと思いついたわ」
メルが閃いた顔になった。
「ほぉー。新しい料理でも作るのか?」
「いやいや。オードブルじゃ。料理とは言えんほど、シンプルな皿をお出ししマス」
「おいおい……。父親が客だからって、手を抜くなよ」
「実はなー。悪党の隠れ家から、宝を強奪してきたんや」
「タカラ?」
「高級珍味や。食うたら驚くでー」
「おう。そいつは楽しみだ」
メルは枝肉から良さげな部位を切り取り、丁寧にトリミングをした。
トリミングが済んだ可食部を薄くスライスすると、スーパーで見慣れた生ハムの登場だ。
だけど、こいつはスーパーで売られている生ハムじゃない。
ブライアンの食材保管庫から頂いてきた、超がつく高級品である。
「カビの生えた汚らしい肉塊から、うめー生ハムが取れる。これは感動やね」
香草とクリームチーズを熟成生ハムで巻き、オリーブオイルを垂らす。
カリッと焼いたバゲットを添え、一皿目が完成した。
オープンテラスのテーブルに、二十年は熟成された高級ウイスキーをボトルごと置いた。
「メルちゃん。あたしも良いかしら?」
「ほんなん。駄目とか言わんデショ」
「フフフッ……。礼儀よ。単なる礼儀」
アビーがフレッドの隣に座った。
二人で乾杯だ。
「なんだ、この酒!」
「香りが凄い」
「おい。この塩豚。絶品だぞ」
「ほんと……。こんな塩豚があるのね。ビックリだわ」
オードブルを摘まみながら、ショットグラスでウイスキーを楽しむ二人は、とても幸せそうだった。
ディートヘルムとマルグリットは、まだ手習い所から戻っていなかった。
途中の雑木林で、遊んでいるのかも知れない。
メルは二人にも美味しいものを用意しようと、オヤツのレシピを思い浮かべた。
頭で別の事を考えつつも、身体は手際よくペペロンチーネを拵えていく。
出来上がったペペロンチーネに、おろし器で粉末にしたカラスミを振りかける。
更に薄くスライスしたカラスミで見栄えよく飾り付ければ、カラスミパスタの完成だ。
「ああ、うまいな」
「本当に美味しいわね」
「なあメル。ちょっと褒めるから、そこに座れや」
「んっ?」
フレッドに呼ばれたメルはフライパンの手入れを止めて、フレッドの正面に座った。
「オレの人生は、半分がところ敗北者の人生だった。腐った世の中や、無能な自分に対する失望の連続だ。メジエール村に辿り着いたのも、逃亡の果てさ。料理は、そんなオレにとって慰めだった。美味いもんを食えば、惨めな気分が少しばかり癒される。明日への活力も生まれるってもんだ」
「そうよね。あなたの料理には、あたしも随分と励まされたわ」
「だけど、コイツは別格だぜ。メル。まさしく勝利の味だ」
フレッドが真剣な表情でメルに告げた。
「まあ、悪党からせしめた戦利品やけー。勝利の味で間違っとらんモン」
真正面から褒められたメルは、照れ臭くなって俯いた。
「帝都ウルリッヒに棲みついたダニを一掃し、ミッティア魔法王国を退けても、心のうちに巣食うモヤモヤは消えなかったが、今やっと負け犬ではなくなった気がする。オレたちは、とうとう勝ったんだな」
「そうよフレッド。あたしたちのメルちゃんに感謝なさい」
「ありがとな、メル!」
「…………」
メルはフレッドの言葉に呆然とし、不意に零れ落ちた涙をコック服の袖で拭った。








