母の懺悔
「おい、エリク。死んだ振りは仕舞じゃ。とっとと起きろ」
「……ッ!」
ブライアン・J・ロングことエリクは、瀕死の状態に追いやられたが、メルの台詞はしっかりと聞いていた。
戦場で鍛え上げられたクリスタの体術には太刀打ちできなかったけれど、ブライアンも只の人ではない。
こちらの世界では【電脳世界の魔術師】と崇められる、本物の邪悪な魔法使いだ。
魔法による身体強化は、あちらの世界で身に着けていた。
「おまー、ベアトリーチェの魂を所有しとるやろ?」
「フッ。只では教えられぬ」
「ほーん?この状況で対価を求めるとは、おまーも相当に面の皮が厚い。ヤシの実かー!?」
ブライアンは、この期に及んで、まだ幼児の言葉に従う気がなさそうだった。
ブライアンの立場からしたら、もと嫁にはボコられたけれど、まだ負けたわけではないと言いたいようだ。
幼児に尋問されても、交換条件を飲まないなら答える義務などない!と虚勢を張る。
「私を解放しろ。そして危害を加えぬと、魔法契約書にサインをして保証するんだ」
「ほれ見たことかい。いけしゃあしゃあと図々しい。あたしの娘をガジガジ蟲の女王にしてしまった男だよ。取引なんて、持ちかけるだけアホらしい」
「喧しいぞ、オマエは黙れ。私は、このチビと話しているんだ。邪魔をするな!」
「こっ、この悪党が……」
ブライアンは『もと嫁から好条件を引き出すのは、難しい』と考え、騙し易そうな幼女を交渉相手に定めた。
幼女は偉そうに妖精女王を名乗り、先ほどからもと嫁の行動に指図までしていた。
小さなエルフ女児が、この場を仕切る地位にあることは明らかだった。
しかも【奇跡の瞳】について、何やら知っているような口ぶり。
ブライアンには【奇跡の瞳】を譲るつもりなど少しもなかったけれど、相手が欲しているなら交渉のカードに使える。
要するに、魚釣りのルアーと同じだ。
たっぷりと見せびらかし、食いついてきたら即座に釣り上げればよい。
「メルや。悪党の言葉に、耳を貸してはいけないよ!」
「ちっ。いつまでも若作りしやがって、この色ボケ婆が……。おまえはエルフ国で女王をしてりゃいいんだよ。こっちの世界にまで、しゃしゃり出てくるんじゃない。ハッキリ言って迷惑なんだよ!」
「おっ、おおっ。おまえは……。あちらの世界を破滅に追い込んだ元凶が、どの口でそれを」
「アカン。婆さまは、ちと会話から外れようか……。それとエリク。婆さまを挑発するんは、悪手や。わらしと婆さまを分断したいんやろが、浅慮と言えよう。猿知恵じゃ」
「フンッ……。おいチビ。エルフのチビ。互いに腹を割って話そうじゃないか。おまえは私に生きていてもらわないと、困るんだろ?」
「メルじゃ……」
「んっ?」
「陛下。もしくは『メルさま』と呼ぶがエエ」
「メルさまか……。まあ、よかろう。幼児の戯言に目くじらを立ててもな。大人の器量が疑われるってもんだ……。さあ魔法契約書を用意してやるから、サインをするがいい」
ブライアンが床から立ち上がり、デスクの抽斗を引いた。
「メルや。まさかサインをするつもりじゃないだろうね。そんなことをしたら……」
「婆さまは、わらしを理解していません。ラビーはんを助けるときにお会いしてから、はや十年。そろそろ弟子を信じて任せても、エエんとちゃうか?」
「いや、それはそうだけどさぁー。弟子と言うなら、エリクも弟子だからねぇー」
「こんなカスと一緒にするんは、やめてくらはい!」
「おい、メルさま。お望みの魔法契約書を用意したぞ。ここにサインするんだ。そうしたら、ベアトリーチェの魂について話してやらんでもない」
どこまでもマウントを取ろうとするブライアンに、メルが冷ややかな視線を投げた。
「お望み……?わらしは、そんなもんを望んだ覚えはございましぇーん」
「何だと!おまえはベアトリーチェの魂が、どうとか言っていただろ。情報が欲しくないのか……?これだからガキは」
「ガキ?子ろもと大人っちゅー、区分けかのぉー。さっきから聞いとると、おまーの区分けは弱者と強者でしかなかろが」
「幾ら背伸びしようと、ガキはガキだ。話し合いの作法を知らんと言っている。それがガキの証拠だろ」
「おやおや。なぁーんも知らん自分の子を誑かして、ばっちい蟲にしおった嘘つきが、それを言う。話し合いの作法ですか……。この嘘つきが!!」
「…………くっ!」
メルの追及に、ブライアンは言葉を失った。
「おまーは、おまーの言葉をわらしが信じると、本気で思ってるの……?アホか!?」
メルが呆れ顔でブライアンを見つめた。
「バカな。相手を信じずして、どう交渉するつもりだ?」
「こうしょう?なんやねん、それ?えろーっ耳慣れん言葉ですわ。だれか教えてくれんかのー」
「おまえは頼みごとをしたいから、私を蘇生させたのだろ!?」
「はぁー。おまーも婆さまも勘違いしとるようなので、はっきりと伝えとくわ。妖精女王は、取引や頼みごとなど致しません。ただ単に、命じるのみ。わらしと交渉しようなんて、烏滸がましい。頭が高いわー。エリクは不敬罪デス」
メルは両手を肩の高さに上げて、首を横に振った。
「ふざけるんじゃない!?だったら、私は何も喋らんぞ。この狂暴な女に脅されようと痛めつけられようと、何も情報を渡さない。おまえが奪えるのは、私の命だけだ」
「フフフッ……。わらしは優しいですから、命だけは奪わん。でもー。他はぜぇーんぶ取り上げちゃる」
「フン。出来るものなら、やって見せるが良かろう!!!」
苛ついたブライアンは野獣のように吠えた。
つい先ほど女神メティスを名乗るAIの精霊に、『よく考えてから決定しなさい』と諭されたばかりだが、幼児に頭を下げて許しを請うなど論外だ。
弱そうな相手は怒鳴りつけて怯えさせるのが、ブライアンの流儀だった。
「ほな見せたるわ。異界より来たれ、マホォー博士!!」
メルが両手を突き上げ、尋常ではない霊力を放った。
ようやく活躍の時がやって来たメルは、嬉しそうだった。
幼児ーズの仲間たちに、最新の玩具を自慢するときの笑みが、自然と浮かんだ。
「メルや。精霊を呼べるのかい!?」
「こっちで怨霊を狩っていたときになぁー。一度だけ、悪魔王子の助けを借りたんや。アホほど霊素を消費するけど、召喚は可能やで……」
並行世界の境界線を跨ぐ、召喚術である。
このためにメルは、ずーっと霊素を温存してきたのだ。
地下シェルターの室温が急激に下がり、LED照明がチカチカと点滅を繰り返す。
天井に召喚術式が現れ、二体の骸骨がずるりと這いだした。
ニキアスとドミトリだ。
「ぬおっ!?」
天井を見上げたブライアンが驚愕し、たじろいだ。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!!!!!!!」
ニキアスに頭を掴まれて宙づりにされたブライアンは、喉が裂けそうな勢いで絶叫した。
ニキアスの指は、ブライアンの頭蓋骨に深々と突き刺さっていた。
「さあ、婆さま。こんなクズを殺すより、ずっと大切なことがあるのではないでしょうか?質問とか、質問とか、質問とか……?」
メルは大切なことなので、正確なウスベルク帝国公用語でクリスタに話しかけた。
話そうと思えば正しく話せるのだが、メルの自我は酔っ払いオヤジたちの言語で構築されていた。
それはメルを支えるアイデンティティなので、今さら直す気はない。
「はっ……。あたしの娘を返せ!ベアトリーチェの魂を……!!エリク、娘の魂をどこに隠したんだい!!!」
「あうー!」
ブライアンが弱々しく右腕を上げ、部屋の一角を指差した。
「エリクはん。ベアトリーチェの魂を婆さまに渡しまひょか。おまーに親の資格は無いけんね」
「あああ、あうー」
ブライアンはニキアスに頭を掴まれたまま、よろよろと壁に近づき、キーボードを操作した。
「グギギギギギギギーッ!!!」
ブライアンの目じりには、悔しさの余り血涙が滲んでいた。
身体がブライアンを裏切り、メルやクリスタの指示に従ってしまうのだ。
「逆らおうとしても無駄やで……。おまーの身体や記憶は、もう奪われてしもうたんや。おまーが何を企もうと、ニキアスの思うがままや。フヒャヒャヒャ……」
「うおぉぉぉぉーっ!!」
【奇跡の瞳】は、ともすれば挫けそうになるブライアンを励まし続けてくれた、特別な魔法具だ。
単なる魔法具ではなく、心の支えだった。
本質的に臆病なブライアンが、【電脳世界の魔術師】と称されるまでになれたのは、ここぞと言う場面で【奇跡の瞳】に助けられたからだ。
それを他人に手渡すなんて、ブライアンには我慢ならなかった。
だが、ブライアンは手にした【奇跡の瞳】をクリスタに差し出した。
「このクリスタルに、ベアトリーチェの魂を封じたんやね」
「娘が封印されているとなれば、解呪をせねばなるまい。エリク、さっさと解呪法を教えるんだよ!」
「ガァーッ!!!」
慟哭するブライアンの姿は、路上に寝転がる薄汚れた爺さまと大差なかった。
スーツはだらしなく開け、ズボンから肌着の裾がはみ出ている。
血に汚れたシャツは、無残に破れていた。
綺麗に撫でつけてあった頭髪は、ニキアスに掴まれてグシャグシャだ。
目は血走り、鼻水と涎を垂らしている。
「ニキアス、ドミトリ。エリクの記憶から、解呪方法を抜き取れ……。んっ。あーっ。どうせなら、エリクに書かせた方がエエか……?」
メルがクリスタに目配せをした。
「なんだい、あたしに訊いているのかい。あたしゃ、どっちでも構わないよ」
「エリクが教えたくなさそうやけー。自分で書かせた方が、おもろいかな?と思うたんや」
「むっ。あんたは、よくもまあ細かいことに気づくね。感心するよ。そうだね。是非ともエリクに書いてもらおうか」
クリスタが意地悪そうに、口角を吊り上げた。
「エリクー。解呪方法を書きんしゃい」
メルはブライアンの顔に、プリント用紙の束を突き付けた。
「…………!!」
ブライアンは憤死しそうな形相で、解呪の術式を紙片に記載した。
間違った術式を書いて渡したいのに、手が勝手に動く。
まるでハッキングされたPCのようだった。
完成した術式をニキアスとドミトリが確認して、カクカクと頷いた。
二人は魔法博士である。
しかも屍呪之王を作成した呪術師でもあった。
封印術式の基本構造さえ分かってしまえば、解呪の術式が正しいかどうかは瞬時に判断できる。
「おし。もう一丁、気張りまっか……。集中治療室(ICU)の精霊はん、異界よりおいでませ!」
メルの呼びかけに応じて、又もや地下シェルターに膨大な霊力が渦巻く。
ブライアンのデスクやソファーを強引に押しのけ、オカルトな施術台と生命維持装置やバイタル測定器、そして五名のおどろおどろしい医療スタッフが姿を現した。
「祝福、祝福、祝福、祝福、祝福……!!」
祝福の大盤振る舞いだ。
この大事な場面で、力を出し惜しむなんてことは考えられない。
全身全霊、全力フルパワーだ。
〈精霊の子〉
〈患者はどこだ?〉
メルは【奇跡の瞳】に解呪の術式が書かれた紙片を添えて、施術台に置いた。
「ここに封じられとる魂を救って欲しいんや!」
医療スタッフの一人が解呪を行うと、ほんの一瞬だけクリスタルが光った。
〈魂が消えかけている〉
〈このように狭い牢獄で、憎むべき相手の願いを叶え続ければ、幼き魂も疲弊するだろう〉
〈幸せを知らず、滅することを望むか〉
〈精霊の子よ。封印が解かれても、この魂に復活を願う気持ちがなければ、我らにはどうにもならない〉
〈患者に欲望させよ。生きたい。復活したいと思わせるのだ〉
当然至極な話だった。
メルはクリスタの背を押し、施術台に向かわせた。
「婆さま。ここが踏ん張りどころジャ。何としてもベアトリーチェを呼び戻さんと、バチクソ後悔するで……」
「わっ、分かったよ。こうやって祈ればいいのかい?」
「アホらし。婆さまは、頭でっかちで不器用じゃのぉー。大声で叫べや。娘に伝えたいことが、仰山あったんちゃうか?それを叫べ。耳がないから聞こえんとか、詰まらんことを考えとったらアカン。思いの丈を娘に届けるんジャ!」
「ああっ、そうだね。その通りだ……。ベアトリーチェ、母さんだよ。おまえを一人ぼっちにしてしまって、申し訳なかった。本当にゴメンな!」
「もっとじゃ。心を籠めんかい!」
「お母さんはね。エルフの女王を辞めたよ。調停者なんてお役目をしてたけど、それも辞める。これからは、ずーっとおまえと一緒に暮らそう!!」
クリスタは顔を伏せて、慟哭した。
「もっともっと……。ここで挫けたら、何もかも終わりぞ。千年間も溜め込んだ思い、ここで吐き出すんじゃ。けっぱれ!」
メルがクリスタの二の腕を力強く掴んで揺すった。
「この櫛を覚えているかい?誕生日にプレゼントしたら、おまえは喜んでくれたね」
「婆さま、霊道が通じたで……。その調子で休まずに話しかけんしゃい。もう一息じゃ!」
「あたしは愚かにも、ベアトリーチェが居なくなってから気づいたんだよ。櫛を贈ったのに、一度もおまえの髪を梳かしたことがなかった。なんて残念な母親だろう。忙しさにかこつけて、愛おしい娘に触れもしなかったなんて……。ああ、いつも手遅れになってから、あれこれと思うのさ。この櫛で、おまえの髪を梳かしてあげたい。長く伸ばした髪を可愛らしく結い上げて、賑やかな通りに出かけよう。二人で手を繋いで……。きっと楽しいだろうね」
クリスタの涙が、ポタポタと施術台に落ちた。
「だから……。だから、あたしの元へ戻って来ておくれよ!」
恐るおそる【奇跡の瞳】に視線を向けたメルたちは、クリスタルから顔を覗かせた小さなオーブが、暖かな光を放ち脈動しているさまに気づいた。
消滅したがっていた小さな魂が、子を思う母親の涙に絆されて、未来に関心を示した。
〈よくやった〉
〈クリスタよ、でかした〉
〈母性の奇跡だ〉
〈ミドリの娘よ。精霊樹の枝をこれに〉
〈我らは患者をユグドラシルに搬送し、治療に専念する〉
医療スタッフのチーフが、ラヴィニア姫に手を突き出した。
ラヴィニア姫は用意しておいた精霊樹オリジンの枝を瘦身のチーフに渡した。
「メルちゃん。ベアトリーチェは助かるの……?」
ラヴィニア姫が心配そうな顔で訊ねた。
黒太母への怒りなど忘れ果て、今は可哀想なベアトリーチェに同情するばかりだ。
「ハンテンもラビーはんも、助かったやん」
「そう。そうよね。精霊樹の力は偉大なのよ!」
「うぉーん」
集中治療室(ICU)の精霊たちが、ベアトリーチェの魂を保存ケースに収めてユグドラシルへ帰還した後、メルとラヴィニア姫だけでなく、ハンテンと白狐までもがクリスタを取り囲み、励ますように身を寄せた。
「ありがとう、メル。ありがとう、おまえたち……」
明日に希望を繋いだクリスタは、涙を拭って立ち上がった。
水先案内役のアヒルだけがコンクリートの粉塵に塗れ、横転したカートの脇に転がっていた。
だれもアヒルのことを思い出さなかったので、洗浄さえしてもらえなかったのだ。
「はぁー」
事の成り行きを見届け、ほっと胸を撫で下ろしたアヒルは、悲しげにため息を吐いた。
「しゃてと……」
メルは魔法博士たちとブライアンに、向き直った。
「ぼちぼち始めまっか……」
「カカカカカカカカカッ……!」
「コココココココココッ……!」
おとなしく待機していたニキアスとドミトリが、嬉しそうに下顎骨を鳴らした。
ここからはメルの大好きな、お仕置きタイムである。








