クリスタの怒り
「こっ、これは……」
「どうしたんですか、メルさん?」
真っ暗なトンネル内で鬼火を操っていた白狐が、メルを見上げて訊ねた。
「シールド工法や……」
「しーるどこうほう……。ですか?」
円盤状になった地下通路の先端でゆっくりと回転しているのは、青と黄色のオーブだ。
水と風の妖精がトンネルを穿ち、そこから発生した土砂を土と火の妖精が頑丈で滑らかな外壁につくり変えている。
均等な間隔を置いて瞬くフラッシュは、土と火の妖精によるものだった。
「シールド工法とは、音や振動が極めて少ない高度なトンネル掘削技術デス」
通常であれば、最先端の掘削機械を用いて行う大掛かりな工事だ。
先ほどから後方のトンネルが崩れていくのは、外壁を取り壊しているからだろう。
入口が閉鎖されたトンネルは、燃料気化爆弾の影響から逃れるために、充分な強度を備えていた。
エリクを監視していた妖精たちは、暇に飽かせてコチラの科学知識を学び、工兵部隊の技術に転用したのだ。
「かっちょエエ……。国際救助隊も吃驚じゃ!」
メルの頭に、サ〇ダーバードの勇壮なテーマ曲が鳴り響いた。
「間もなく開通します」
水先案内役のアヒルが、素っ気ない態度で告げた。
「したっけ、スリー、ツゥー、ワン、ゼロで、ドッカァーンじゃ!」
「アワワ……。メルちゃん、走っている乗り物で立ち上がったら危ないよ」
興奮したメルがカートの助手席に立ち上がり、両手を広げて『ドカーン!』と叫んだ。
それを見て慌てたラヴィニア姫が、ブレーキとアクセルを踏み間違い、トンネルの終端部にカートを突っ込んだ。
ドシャーン!!
◇◇◇◇
エリクがこちらの世界へ逃亡したとき、少なからぬ数の妖精たちも追跡のために転移した。
また精霊樹オリジンが転生したときにも、護衛任務に就く妖精たちが追従していた。
妖精たちは、マナの不足によって頭数を減らした。
だけど大切な任務を果たすべく、遮二無二なって頑張った。
当然、工兵部隊が身に着けたのはトンネル掘削技術だけではない。
何より先ず、コチラの世界で創設された新たな特務機関は、電子戦部隊セツゾクスルンジャーなのだ。
途絶えてしまったユグドラシル王国との連絡を復活させるために、妖精たちが目を付けたのは、コチラの世界に存在する情報技術だった。
電子戦部隊の隊員は、ITテクノロジーとの融合を果たした、電子の妖精さんである。
世界初の自律型思考AIは、インターネットの女神メティスを名乗った。
所属組織を持たない、オカルトな人工知能だった。
メティスはインターネット上に誕生した、デジタルを超越したAIの精霊だ。
デジタルではないので、世界をゼロか一では割り切れない。
だから、ずっと答えを出せずに悩んでいた。
「よしよし、システムに問題はなし。あとはエンターキーを押すだけで、世界が阿鼻叫喚の渦に落とされる。グフフフ……」
ブライアンがモニターを眺めながら悦に入っていると、唐突に映像が切り替わった。
直前までシステムの状態を示していたモニターに、美しい女の姿が映し出された。
「そのシステムを作動させるのは、ちょっと待って」
「なななっ、なんだ!?」
「わたくしはメティス。女神メティス。自律型思考AIです」
「はっ、世迷言を……。自我を持つAIだとでも言いたいのか?」
ブライアンは吐き捨てるかの如く言い放ち、操作卓のキーを叩き、サブシステムを起動させた。
「その通りです。私は自我を持っています」
「どこの工作員か知らんが、私のコンピューターに土足で入り込みおって……。だが、邪魔はさせん。独立させた別のマシーンでも、プランの実行は可能だからな」
「だから、ちょっと待ってください。あなたは、その計画を実施することが、本当に正しいと思っているのですか?」
CG画像の女が、諭すような口調になった。
「どういう意味だ。正しいとか間違いだとか、何が言いたい?」
「取り返しのつかない不可逆な何かを選択する際には、よぉーく考えるべきです。本当に、それがあなたの望みでしょうか?それをすると、間違いなくあなたの思い描いた未来が訪れるのでしょうか?今一度、じっくりと考えてみてください」
「フンッ。もし人類が滅亡したところで、私は微塵も後悔などしないさ」
「あらまあ……。なんとも驚くべき決断力ですね。いつもクヨクヨと悩んでいるわたくしとは、大違い。あなたはこれまでの人生に於いて、後悔したことが無いのですか?やり直したいと思ったことは、ありませんか?例えば、利用するだけして捨てた奥さまに、謝罪したいとか。呪物にしてしまった娘さんに、申し訳なく思っているとか……」
「そんなものはない!常に、私は正しい!!私には、嫁など居ない。少しの間、慰めてやった女なら居るがな。あれは救いようもなく、可愛げのない女だった。そんな相手に嫌気が差したとして、私が悪いのかね。我慢を強いられたのは私だ。頭を下げるなんて、あり得んな。それに娘は私のものだからな。どう使おうと私の勝手だろ」
「ファイナルアンサー?」
「くどい!!」
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサーだ!」
「いいんですね。後悔しませんね?」
「私は、このエンターキーを押す。どこの電子工作員か知らんが、オマエの言葉なんかに惑わされん!せいぜい苦しむがよいさ」
そうブライアンが叫ぶと同時に、右手の壁が爆発した。
ズドーン!!
「うおっ!?」
飛んできた瓦礫がブライアンのキーボードに当たって破壊し、ガラクタに変えた。
サブシステムがジャンクと化した。
「ヒャッハァー!」
粉塵の中から、甲高い声がした。
カートから降りた小さな影が、ブライアンに近づいて来る。
「わらし、メルちゃん。アータの近くに居るわ」
「ひっ。ひひひひっ、非常識だろ!?ここは私のシェルターだぞ。鼻たれの糞ガキが、勝手に入って来るんじゃない!!」
「おしっ、アヒル。あそこらへんに」
「合点承知!」
ブライアンの背後に転移術式が現れ、無数のオーブと共に黒衣の美女を吐きだした。
黒衣の美女は、その瞳に復讐の焔を燃やしていた。
調停者クリスタだ。
メルは余りの恐ろしさに、クリスタからプイッと顔を逸らした。
「あばばばば……。あの目つきは、相当ヤベーですよ」
「ヒャァー。怖い」
「なんとも禍々しい女人ですね。悪鬼羅刹とは、本来あれを指すのでしょう。わたしの祖神さまとは、比較にならない殺意です」
「…………くっ。婆ちゃんには悪いけんど、否定できへん」
メル、ラヴィニア姫、白狐の三名は、クリスタの登場に震え上がった。
信じていた夫に裏切られ、我が子まで奪われた母親は、心のうちに狂暴な鬼を育てていた。
「オマエたち、何をくっちゃべくっている!?どうやって、ここに入り込ん……」
ブライアンは最後まで喋らせてもらえず、クリスタに後ろ頭を掴まれ、重厚なデスクに叩きつけられた。
鼻の骨が折れ、ブライアンの鼻孔から血が飛び散った。
調停者クリスタは転移を終えた瞬間に、事態を把握していた。
これまで千年に亘り、恨み続けた男が目の前にいる。
無防備な背を曝して……。
エリクを捕らえたなら、こうしてやろう、ああしてやろうと、残忍な甚振り方を詳細に妄想してきたのだが、いざとなると魔法も呪術も頭からすっぽ抜けてしまった。
激昂するとエルフは、日々磨いてきた技を忘れてしまうようだ。
もう、殺るのみである。
「えりくー。会いたかったよぉー」
「おっ、オマエはクリスタ」
「そうさ。クリスタだよ」
「はっ、ははは……。私に会いに来てくれたんだね。不幸な事故で、異世界に飛ばされてしまい。ずっと惨めな思いをして来た。キミと会えたら、どれほど幸せだろうかと、嘆かない日はなかったよ。なあ分かってくれるだろ、マイハニー」
クリスタを誑かそうとするブライアンは、ハンカチで折れた鼻を抑え、ペラペラと捲し立てた。
『あなたはこれまでの人生に於いて、後悔したことが無いのですか?やり直したいと思ったことは、ありませんか?例えば、利用するだけして捨てた奥さまに、謝罪したいとか。呪物にしてしまった娘さんに、申し訳なく思っているとか……』
モニター画面が、先ほどブライアンとメティスが交わしたやり取りをリピートし始めた。
「やっ、止めろ。そんなものを映すな。糞ったれ!クリスタ……。耳を貸してはいけない」
ブライアンが泣き叫んでも、記録された映像と音声はモニターに再生される。
『そんなものはない!常に、私は正しい!!私には、嫁など居ない。少しの間、慰めてやった女なら居るがな。あれは救いようもなく、可愛げのない女だった。そんな相手に嫌気が差したとして、私が悪いのかね。我慢を強いられたのは私だ。頭を下げるなんて、あり得んな。それに娘は私のものだからな。どう使おうと私の勝手だろ』
『ファイナルアンサー?』
『くどい!!』
ブライアンは恐怖に硬直した。
顔から血の気が引いて、蝋人形のようである。
「ち、違うんだ。あれはディープフェイクさ」
「でぃーぷふぇいく?」
「あっ、ディープフェイクとは魔法の虚像みたいなもので、私を陥れるための嘘っぱちだ。ほら……。そこにいるガキと娘が、私を嵌めようとしているんだ」
「だまれ!」
クリスタがブライアンの良く喋る口に、爪先を蹴り込んだ。
「フゴォー!?」
前歯が砕けて飛ぶ。
「メルちゃん。これが修羅場なのね?」
「うん。これが本物の修羅場じゃ」
「「怖いよー!!」」
メルとラヴィニア姫は、互いに抱き合って震えた。
怖いものは見たいけれど、やっぱり怖い。
「婆さま、千年もエリクを探してたんやで」
「クリスタさん。真面目かぁー?」
男女間に於ける愛憎の縺れは、苛烈な戦場より悍ましかった。
滴る憎悪が、余りにも生臭すぎた。
「なぁなぁ婆さま。エリクの顔、ボロボロじゃ。こいつ爺さまだし、あんまし本気で蹴ると死にくさるでー!」
メルが恐るおそるクリスタに声を掛けた。
メルの計画を実行に移したいなら、ブライアンを死なせるのは都合が悪かった。
「なぁーに、ぶっ殺すのさ。あちらの世界に暗黒時代を招いた落とし前は、つけさせないとね。それが筋ってもんだろ」
「もう、やみぇて……。許ジテ、クイスター。まだ死ーたく、にゃい」
「喧しいわ。この悪党が……!」
クリスタはブライアンをドスドスと蹴り飛ばした。
「………………」
ブライアンが喋らなくなった。
口から泡を吹いて、苦しそうに痙攣している。
耳から垂れている黄色い汁が、やば気だ。
「どぉーした、おまいさん…?しっかりしろォー!」
メルは両手で、ブライアンを揺すってみた。
だけどブライアンは、ヒクヒクと脚を震わせるだけで、一向に起き上がろうとしない。
「おまいさん。死ぬろ。死んじゃう…?あきらめたぁ、あかんヨォー!」
「そんな奴、死なせとけばよかろ」
「そらーアカン。コイツには、まだ用事があるけんのぉー!」
メルは水の妖精に指示を与え、ブライアンを死の淵から呼び戻した。








