ブライアンの計略
「陛下、残り時間が15分を切りました」
「あーっ、もう。なんや。侵入のタイミングを引き延ばしておったら、巻かなアカンようになったか。時間を合わすんは、ホンマ難儀ですわ。早くても遅くても、アカンけぇー」
「おや……?転移時刻の短縮は不可能ですが、保留なら可能ですよ。調停者どのをお招きする正確な位置も、直前に目視で調整できます。指をさすなり何らかの方法で示して頂ければ、その位置にゲートを開きましょう」
「エェーッ。それをはよ言わんかー。わらし、エライ難しく考えてしまったわ。アホらしー」
メルはリアルタイムで全てのタイミングを合わせようと、四苦八苦していた。
そんなことは、端から無理である。
妖精女王だからと言って、何でもできると思ったら大間違いだ。
「それは申し訳ございませんでした」
水先案内役のアヒルは表情が変わらないので、ちっとも申し訳なさそうに見えなかった。
その慇懃無礼に映る態度は、どこかメルを責めているようにも感じられた。
「その場で調整できるんやったら、エリクの注意を引く必要なんかあらへんヤン!」
「まぁー、そうなりますね。先程から私も、陛下は何をしていらっしゃるのかな?と……」
「グヌヌヌヌッ!まあエエでしょう。エリクをビビらすんは、おもろいけぇー。じっくりと甚振りましょう」
作戦立案の段階で、充分な話し合いをすれば避けられたミスだ。
幼い頃に言葉で苦労したメルには、会話による情報共有を省く悪い癖があった。
いつも自分勝手な思い付きで行動しては、後から辻褄合わせに苦労する。
そしてアビーに叱られるのだ。
「おーい。ラビーはん。ハンテン。もう、やっちゃってエエですよー!」
ラヴィニア姫とハンテンはメルの声を聞いて、蟲人間と遊ぶのを止めた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーん!!」
ハンテンが屍呪之王に姿を変え、群がる蟲人間たちを蹂躙し始めた。
文字通り、千切っては投げ、千切っては投げである。
「はっ。ちぇーぃ!」
二刀を構えたラヴィニア姫は、蟲人間たちの攻撃を体捌きで躱し、すれ違いざまに斬り捨てる。
只々、歩いているだけに見えるのだが、ラヴィニア姫の背後に次々と蟲人間が転がる。
「バケモノだ!?」
モニターを食い入るように見つめていたブライアン・J・ロングは、屍呪之王が登場すると恐怖で顔を引き攣らせた。
SIG MPX‐Kを構えた手が、力なく垂れ下がる。
あの巨大な怪物に9×19mmパラベラム弾が、通用するとは思えなかった。
しかも二刀を振り回す狂女がいる。
蟲人間の首をポンポンと刎ねていく、怖ろしい娘だ。
ブライアンは我が身に置き換えて想像し、ゾッとする。
「蟲人間どもの基礎能力は、人間を遥かに凌駕するのだぞ!」
蟲人間は驚異の速度で移動し、驚くべき跳躍力を誇り、素手で人間を引き千切る。
その蟲人間を雑草でも刈るかのように屠って行く、非常識な侵入者たち。
どう考えても、まともではない。
異世界から送られた刺客と考えて間違いあるまい。
ブライアンの脳裏に、遠い昔の怖ろしい記憶が蘇った。
エリクだった頃の記憶だ。
魔法や忌まわしい呪術、そして恐るべき大量殺戮兵呪。
あれは野蛮で、実に不愉快な世界だった。
今ブライアンが直面しているのは、かつて我が身で味わった脅威そのものだ。
直感が告げている。
侮るべきではない。
「……ッ。やむを得ん!!」
ブライアンは愛着のある屋敷を諦めることにした。
キャビネットに飾られたブロンズ像を回転させると、壁が割れた。
そこに現れた隠し部屋は、地下シェルターへと続くエレベーターになっていた。
「この屋敷はくれてやろう。対価は、オマエたちの命だ!」
ブライアンの屋敷は広大なゴルフ場になっていた。
芝の管理を任されているのは、蟲人間たちだ。
警備の役目も与えていたが、異世界からの刺客には無意味だろう。
であるなら最後の手段だ。
燃料気化爆弾を炸裂させて、屋敷ごと消滅させる。
「くっ……。こんなこともあろうかと、シェルターを用意しておいて良かった!」
実のところ、偏執狂的な拘りで用意した対策だが、燃料気化爆弾にせよ地下シェルターにせよ、実際に使用することになるとは思っていなかった。
劣化防止のため、定期的に施す【不壊】の魔法でさえ、『このように大仰なものは、無駄に終わるだろう!』と自嘲していたのだ。
ミサイルは錆一つなく、いつでも発射可能な状態に保たれていた。
「まったく……。備えあれば憂いなしとは、よく言ったもんだ」
そう独り言ちるブライアンだった。
「おおっ。何てことだ、大切なものを忘れていた。おまえを置いて行くわけにはいかんよ。なあ、ベアトリーチェ!」
ブライアンはSIG MPX‐Kを床に捨て、デスクから【奇跡の瞳】を取り上げた。
「ムッ!」
メルは頭に響くビープ音に気づいて、タブレットPCを起動させた。
「どうしたんですか、メルさん?」
白狐がメルの手元を覗き込んだ。
「エリクの屋敷に潜入していた、妖精はんからの連絡デス」
「なんと?」
「エリクが地下へ移動したようデス。屋敷の地下深くに、シェルターがあるって」
「地面の下?」
メルと白狐が話していると、正面ゲートが開いた。
「およ。これに乗れと……」
「ちっちゃな車だ」
無人のカートがお出迎えだ。
「メルちゃん。これに乗っても大丈夫なの?」
ラヴィニア姫が不安そうに首を傾げた。
「問題ないデス。妖精はんのハッキング部隊が、カートのコントロールを奪ったようデス」
「へぇー。そうなんだー。凄いね」
「ルートも用意されとるようなので、乗りまひょか!」
「うん。行こうか」
ラヴィニア姫は黄色いアヒルを抱え、メルの隣に座った。
「私を置いて行かないでください」
「わんわん!」
白狐とハンテンも、走りだしたカートに飛び乗る。
「ねえ、この車ゲートから離れていくんだけど……。こっちにエリクの屋敷があるの……?」
「わらしに言われても、知らんがな」
「妖精の工兵部隊が、こうした事態に備えてトンネルを掘っていたようですね」
「………………」
水先案内役のアヒルが、又しても新情報を開示した。
地面に隠されていた通路が開き、カートは猛スピードでスロープを下って行った。
「トンネルだ。ヒャッホーイ!アミューズメントパークのコースターみたいじゃ!!」
「うわぁー。真っ暗ね」
「私が灯りを燈しましょう」
白狐が鬼火を放った。
「ねえ、メルちゃん。入口の方からトンネルが崩れてく」
「ウハァー。オマーら何しよるのー!?」
背後を見たメルが、妖精たちに気づいて大声を上げた。
水の妖精と土の妖精が、クルクルと回りながらトンネルを埋めていた。
散々、悪人を生き埋めにして来たメルだけれど、自分が埋められるのは絶対に嫌だった。
ズズーン!!
暫くトンネルを進むと、猛烈な振動がメルたちを襲った。
「キャァーッ!何事ですか!?」
「ウギャー!生き埋めはイヤや。このタイミングで地震とか、冗談はやめてちょ!!」
「お二人とも、落ち着いてください。エリクが地上を焼き払ったようです。妖精たちは『強力なバクダンだ!』と言っています」
落ち着いた様子のアヒルが、振動の原因を伝えた。
青ざめた顔のメルは、ピクリとも表情を変えないアヒルに負けたような気がした。
何だか、とても悔しかった。
「糞がぁー。わらしをビビらせよって、許さんぞエリク!」
メルが小鬼の顔になって吠えた。
「燃料気化爆弾か。一次爆薬で大気中に拡散した燃料が、蒸気雲を形成して爆発する。一気に広範囲の酸素を使い果たし、無差別に生物を窒息させる。何とも怖ろしい兵器だ。地上の全てが、燃えてしまった。まさに悪魔の兵器だ。しかし面白味に欠ける。死の苦しみは一瞬だ。それではいかん!」
異世界に転移し、長期間に亘り奴隷として生殺与奪権を握られて来たブライアンは、一瞬で人が死ぬことを善しとしなかった。
苦しみ抜き、恐怖に泣き叫び、殺してくれと懇願するようになり、初めて死が許されるべきなのだ。
「あの生意気なチビが助けて欲しいと泣き叫ぶ姿を見れなかったのは、実に残念である」
燃料気化爆弾により当面の危機から脱した気になっているブライアンだが、少しも納得していなかった。
その不満は、平和と繁栄を享受する人間たちに向けた、加虐性へと置き換えられる。
以前よりブライアンは、文明社会での暮らしを当然と捉える人々に、激しい憎悪を抱いていた。
「私だけが悪夢に怯えて暮らすのは、おかしかろう。常々マスメディアなどが囀るように、平等は大事だ。よろしい。諸君にも、心休まらぬ夜を与えてやろう」
モニターに映しだされた世界地図には、無数の光が点灯していた。
光が示しているのは、人口密集地帯に主要都市、広大な耕作地などである。
「危険に備えることさえ知らん、ぬるま湯に浸かった諸君には、私が手間暇かけて強化したガジガジ蟲を贈与してやろう。経験と学びは尊い。まず試練に耐え抜き、生き延びることが肝要だが……」
ブライアンが世界各地に設置したケースには、冷凍されたガジガジ蟲の卵が詰まっていた。
遠隔操作によりケースの電源は切れ、凍りついた卵が生命活動を再開する。
一夜にして、ガジガジ蟲の大量発生だ。
「私のガジガジ蟲は、何でも食うぞ。羽があって空を飛ぶ。大気の薄い高地を越えることさえ可能だ。どこにでも忍び込み、卵を植え付け、爆発的に増える。殺虫剤など効かぬ。農作物を食い尽くし、牛や豚などの家畜を襲い、住居の柱に巣を作る。ああ、想像するだけで愉快だ」
ブライアンの顔が醜く歪む。
悪魔のような顔で笑っていた。
「フフフッ……。私が品種改良を重ねたガジガジ蟲は、諸君の顔ぐらい大きく成長するぞ。本当なら、もっと大きく育つ種を用意したかったんだがな。まあ諸君らが経験する一度目の試練と考えるなら、上出来じゃないかね?」
ブライアンはメルたちに追い詰められ、住み慣れた屋敷を失ったことに憤慨していた。
まだ不満の残る計画を実行に移そうとしているのは、異世界からの刺客に恐怖させられた腹いせだ。
思い出したくない過去を思い出させられたせいでもあった。
「心配は要らんよ。これからも、コツコツと研究は続けるさ。二度目は、驚くほど大きく成長するヤツをお届けしよう。諸君らも楽しみにしておいてくれ」
ブライアンのへし折られた自尊心が、慰めを要求していた。
世界人類を死ぬほど怯えさせることができれば、心から笑えるような気がした。
だから、これまで温めてきた計画を不満が残る状態であっても、実行しようと考えたのだ。
明らかに八つ当たりである。
それも世界を敵に回した、八つ当たりだ。
だがブライアンは力を与えられた、特別な悪党だった。
噛み終えたガムを道端に吐き捨てるほどの罪悪感も持たず、他人に苦痛を与えることができる男。
自分で傷つけた相手に、『弱いオマエが悪い!』と笑いながら言い放てる男。
それこそがブライアン・J・ロングなのだ。








