江藤との別れ
「エトーはん。これまで、わらしらを助けてくれて、本当にアリガトな(異世界言語)」
「なぁーに、こちらこそだ。普通に生きていたら見れないもんを色々と見せてもらったしな」
ペット同伴可の旅館をチェックアウトした朝、メルは江藤と固い握手を交わした。
ここでお別れだ。
温泉旅館で寛いでいる間に、これからの予定を全員で相談したところ、もう移動の足は必要ないと判断したのだ。
よって江藤はメルたちの都合を考慮して、多人数が乗れる車を選ばなくても良くなった。
江藤が欲しかったのは、有名な国産自動車メーカーが販売しているフラッグシップスポーツカーだった。
因みに、二人乗りである。
ラヴィニア姫たちは転移の準備に取り掛かっている。
水先案内役のアヒルによれば、座標を固定するための数値入力とか、そこそこ時間が掛かる作業らしい。
ラヴィニア姫は『時間を無駄にしたら絶対に後悔するよ』と言い張り、のんびりしたがるメルの尻を容赦なく叩いた。
なので、ここにはメルと江藤しか居ない。
「オフ会に来た連中と、わらしが上げたあぶく銭で豪遊したら、モタモタせずにユグドラシルへ来んしゃい」
「ああ、そうしようと思ってる」
「申し訳ないけど、たぶんアチラコチラに設置された監視カメラのデータから、わらしと皆の関係は焙りだされとるやろーし。兄ぃーが運営しとった【わくわくエルフチャンネル】の履歴から、既に視聴者リストも作成されてると考えた方がエエ。くれぐれも用心せぇや。誰ぞ、とつぜん線路に突き落とされてもおかしない状況じゃ。『新車に浮かれてスピード上げたら、ブレーキが利きませんでした!』なんて事故も、ありえへん話ではなかよ」
「怖ろし山での一件があったからな。あれがなけりゃ、敵さんも、そこまではしないだろうと高を括っていた。だけど今だったら、メルちゃんの言うことを信じられるよ」
江藤は嫌そうな顔になった。
江藤の能力は異世界転移に先立ち、魔法によって強化されていた。
メルから護身用に、幾つかの魔法武器も譲渡された。
それでも不意を突かれたり寝込みを襲われたら、どうなるか分からない。
何かに熱中して周囲への注意がおろそかになっているときなどは、特に危ないだろう。
メルの言う通りだった。
夢にまで見た高性能なスポーツカーを乗りまわし、無様に事故って死ぬとか、普通に起こりそうだ。
江藤は車が大好きなので、自分なりにある程度の整備もできる。
専用のガレージを都合する伝手もあった。
購入した車が納品されたなら、一度アビオニクスも含めて総点検をしようと心に誓った。
そう……、新車はディーラーと売買契約書を交わしても、直ぐには手に入らない。
中古車でさえ、納品までに数週間もかかるのだ。
メルは水先案内役のアヒルに霊素を与えまくって、異界ゲートへと成長させた。
もう移動に必要な脚は手に入った。
江藤の協力はいらない。
しかもエリクは海の向こう。
幾ら高性能な新車を買っても、エリクの住む島へはたどり着けない。
それでも江藤の新車が納品されるのを待つなんて、『あり得ない話』だった。
「何だか、途中で手を引くみたいで気が咎めるよ」
「こっから先はドンパチだけじゃけー。エトーはんには辛いデショ」
「ドンパチかー。ドンパチなー。俺じゃ役に立てそうもないわ。不甲斐ない大人でゴメンな」
メルにしてみれば、人殺しに抵抗を覚える江藤の感受性は好ましい。
ギスギスと心が荒んだ人間ばかりをユグドラシル王国に転移させるつもりはなかった。
メルや妖精たちが求めているのは、リソースだけでなく、こちらの世界で培われた文明や文化も含めてなのだ。
とくに利便性と快適さに依存させて国民を統治する現代日本の社会システムは、是非とも手に入れたいものであった。
人から『ありがとう!』と感謝されるのは、妖精たちにとって何よりも大事なことだ。
アメニティーに関するデーターは、喉から手が出るほど欲しい。
そうなれば傭兵などより一般人である。
中でも江藤たちのように現代日本の快適さを当然とする社会人は、絶対に欠かせない。
ブラックな職場で苦労を経験しているところが、なおのこと素晴らしい。
「でもでも、エトーはんには大事なお役目が残とるで」
メルは打ちひしがれる江藤を励ますように、こびた口調で告げた。
「何それ……?」
江藤が怪訝そうな顔で訊ねた。
「あんなー。気をつけなアカンのは、何もエトーはんだけやないでー。ブライアンは叩きのめす。だけど頭を潰しても、残された身体はバチクソ巨大じゃけー。すぐには死なん。頭を失くしたら、目くらめっぽう暴れるやろな。そうなれば意味も分からん末端組織が、皆を始末しに来るかも知れん。殺されても転生できるけど、怖いのや痛いのは、誰やって嫌やろ……?皆に教えておいてやらな、可哀想や」
「………………」
それもまた難儀な話だった。
自分を棚に上げて同志たちの平和ボケを詰るつもりはないけれど、言葉で説得する自信がなかった。
「メルちゃんが言っていることは、俺も理解できるけどさ。どう説明しても、信じてもらえない気がする」
江藤にすれば、有無を言わさず厄介な役目を押し付けられたようなものだった。
これはメルのドライバー役を引き受けた者へ託される、お土産だ。
「これな……」
「ん?URLか……?」
江藤はメルから渡された紙片を手に取り、目を細めた。
ラヴィニア姫がメルに頼まれて書いたURLなので、問題なく読める。
「ユグドラシルオンラインに繋がる新しいアドレスじゃ。そこに怖ろし山での動画が保存されとる。皆と情報を共有してくらはい」
「えーっ!?いつのまに撮影したんだ?」
「わらしは妖精女王デス。ひとりで居るときも、バッチリ撮影されているのデス……。ムカつくことに」
途中からメルは、プンスコと怒りながら説明した。
「マジか……」
江藤が驚きの声を漏らし、温泉旅館の駐車場をぐるりと見渡す。
当然だが、周囲に撮影者らしき人影はなかった。
「ほら、ちっこい羽虫が見えるやろ?」
「おおっ。これか……!?ナノテクかよ。謂わば極小ドローン?」
「それはベルゼブブ言うて、ユグドラシルの目じゃけー。いつどこに居っても、わらしを監視しています」
「記録もしていると……」
「そやで……。その動画を見せれば、皆も我が身の危険を覚るんとちゃうか?」
メルが得意そうな顔で言った。
「なるほど……。こいつはありがたい。『百聞は一見に如かず!』と言うしな」
「そう言うことー」
サムズアップしてニッカリと笑うメルは、とても得意そうに見えた。
そこがまた、生意気で魅力的だった。
可愛いエルフさんだ。
「じゃあ、俺は行くよ」
江藤はメルに手を振り、温泉旅館が用意した送迎用のバンに向かう。
「エトーはん。次はユグドラシルで会おう」
メルも逞しい江藤の背に、手を振った。
江藤が振り返らず、こぶしを突き上げてメルに答えた。
◇◇◇◇
「あっ。森の魔法使いさまだ」
「おはようございます、婆さま。今日も良いお天気ですね」
「おはよー。ニックも朝から、よう働くのぉー。ご苦労さんだ」
「ウヘヘヘヘー」
メジエール村の人々は、森の魔女こと調停者クリスタに会うと、こうして嬉しそうに挨拶をする。
何となれば、森の魔女さまは滅多に姿を見せず、出会えて言葉を交わせれば幸せになれると信じられていたからだ。
その魔女さまだが、このところ平静を装い、毎日のように精霊樹オリジンを眺めに来る。
森の庵に居ると、苛々して落ち着かないのだ。
ミケ王子にエリクの存在を聞かされてからと言うもの、クリスタはヒステリーを抑えるのに必死だった。
今だって気を抜けば、大声で呪いごとを喚き散らしそうになる。
「メル、メル、メルー。まさかエリクを放置して、帰って来たりしないだろうね!?」
だからと言って、メルにエリクの殺害を期待するのもどうかと思う。
精霊の子は、殺し屋ではないのだ。
むしろ万人に許しを与え、生かす側である。
「ああ……。どうしてアタシは、じゃんけん大会の決勝戦で負けちまったんだろう?」
異世界にメルを迎えに行く者を決める、じゃんけん大会の話だ。
優勝者はラヴィニア姫だった。
だけどラヴィニア姫を恨むのは、筋違いである。
そんなことはクリスタだって理解していた。
ただ、誰かのせいにできないのが辛い。
「彼方から此方へは、いとも簡単に転移させられるのに、此方からは言葉すら満足に送れない。まったく腹の立つ」
ユグドラシル王国国防総省によれば、文字数にして数行の座標データを送るのに、数ヵ月も掛かったらしい。
メルからは、既に帰還の準備が整った旨、報告が届いている。
今更、エリクをどうこうせよとメールしたところで、間に合うまい。
オリジンの考えでユグドラシル王国の助けになるように設定された時間経過のズレが、皮肉にもクリスタに絶望を味合わせていた。
「おーい。婆さま。フェアリー城の異界転移門が作動してるって……。婆さまをご指名で、あちらに招喚(?)したいらしいよ」
ケット・シー専用の立ち乗り魔動スクーターを走らせて、ミケ王子が近づいてきた。
「何だって……?」
クリスタは意味が分からずに聞き返した。
「だからー。メルが婆さまに、急いで来て欲しいんだって」
「…………メルが?」
「エリクをとっちめる準備が、整ったんじゃないの……」
「いつまで経っても帰って来ないと思ったら……。あの子は、そんなことをしとったんかい!?」
「いや、だってさー。よくよく考えてみれば、あいつが諸悪の根源でしょ。メルったら『とことん追いこんじゃる!』って、滅茶クチャ悪い子の顔をしてたよ」
「メルや……。オマエは、なんて思いやりのある子なんだい」
それまで打ちひしがれていたクリスタが、目じりの涙をぬぐい、顔を上げた。
そしてメジエール村の中央広場に、咒珠業蛇を呼び出した。
形振り構わずとは、正にこのこと……。
「今行くよ、メルー!」
クリスタは咎人の首を連ねた大蛇に乗り、青空へと舞い上がった。
中央広場では、禍々しい呪いを目撃した人々がパニックに陥っていた。








