メルはウイザード
怖ろし山の登山口までたどり着いたメルたちは、無残に破壊され、真っ黒に燃やされた二台の車を目にした。
「信じられない」
「うぉーっ。なんてことをしてくれるんだ」
「どうしよう。レンタカーなのに……」
「一応、保険には入ってるけど、これって保険金おりるかな?」
柏木隆司たちは放心状態となった。
「チクショー。俺のプリウスが……」
江藤は煤だらけになった愛車に近づき、慟哭した。
まだ車体がくすぶり、ゴムやオイルが燃える嫌な臭いを漂わせていた。
「いやいや、まいりまちたね。町まで歩くのは、超めんどっちーデシュ」
「おい。それだけかよ!?」
「んっ?お金でしゅか?壊れた車を弁償ちてほちいでしゅか?」
言いながら、メルはタブレットPCとカードリーダーを取り出した。
「キャッシュカードをよこちなちゃい。そっちの学生しゃん……。カシワギしゃん?も、キャッシュカードを貸ちてくだちゃい」
「どうすんだよ?」
「これ、ボクのキャッシュカード」
「エトウしゃんとカシワギしゃんの銀行口座に、一千万ずつ入金ちまちょー」
「えーっ。そんなこと、出来るの……!?」
幼児の台詞に、柏木が怪訝そうな顔をした。
「僕をちょこらのチビと思ったら、大間違いでしゅよ。魔法使いでちゅから」
「はぁー?魔法使い!?」
「そうなんだ。メルちゃんは、魔法を使うエルフ幼女なんだぜ!」
「そんな、バカな……!?あっ、キャッシュカードの暗証番号は……」
「要りまちぇん」
メルが首を横に振った。
「エェーッ。セキュリティ無視なの……!?」
「魔法使いだからな」
「ウィザード級ハッカー?」
「魔法使いでち!」
そうそう簡単に柏木の誤解は解けない。
推定年齢四才の児童がスーパーハッカーであることは、信じがたい。
それでも魔法使いであるよりスーパーハッカーである方が、受け入れやすいのだ。
メルは世間の無理解にブツブツと文句を垂れながら、タブレットPCのタッチパネルに指を躍らせた。
ユグドラシルオンラインで、口座を改竄だ。
そんな真似ができるなら、メルも資金に困らないはずだと思うかも知れないが、幼児はクレジットカードを使えない。
また森川家の口座に関しては、ブライアン・J・ロングに押さえられているはずなので、下手な小細工をすれば、更なる攻撃を呼び寄せるだけだろう。
しかしメルと柏木たちの関係を疑うものは、どこにも居ない。
柏木ならノーチェックだ。
それに江藤は、どうせユグドラシルへ転移させるので、犯罪行為がバレても数日ほど逃げ切れば問題なかった。
何にしたところで、今後の柏木たちを考えるなら燃やされてしまった車など、どうと言うこともない些事である。
一番の問題は、怖ろし山に傭兵隊の死体が残されていることなのだ。
「この入金は、ノータシュクでちよ」
「無税か……?贈与税とか、どうなっているんだ?」
江藤が怪訝そうに首を傾げた。
「言ってちまえば、口座の数字を弄っただけでちゅ。ちょいちょいと」
「それは犯罪じゃん。てか、ここには電波が届いてないだろ。圏外だ。どうして通信できるんだ?」
「僕は、界外から派遣ちゃれたエージェントでち。国家機密は、トップチークレットでしゅ。ちょんなことは気にしぇず。町に着いたら、新ちい車を買いまちょう」
「海外……?国外……?海の向こうには、エルフが住んでるのかよ!?」
「異界から来たっけ、界外やん」
「あーっ、界外。理解した」
「日本語はむずかちい」
メルは和樹に買ってもらったキャスケット帽子を脱ぎ、銀の髪とエルフ耳を曝した。
ここから先の話を聞いて貰うには、柏木たちに正体を明かした方がよいと判断したからだ。
「あーっ。この子。テレビのニュースに出てた」
「エルフだ!?」
「マジかよ、おい。本物だよ。CGかと思ってた」
「カワイイ」
柏木たちが大騒ぎだ。
「はい、拝聴。あーたがたに、悲ちいお知らちぇでちゅ!」
「はっ!?」
「昨夜の出来事は、お金でしゅまない大事件でちゅ。目撃者は、だーれも居ないはずの出来事でちた。ちゅまり」
「つまり……?」
「あーたがたに生きていられたら、困っちゃう人が居るのでち」
「…………ッ!!」
柏木たちが、そろって顔を強張らせた。
「山頂付近には、バラバラ死体がたーくさん転がっていまちゅ。ライフルとかもね。で、あーたがたの借りた車は、ちょこに……。黒焦げでしゅやん」
「がぁーっ!レンタカー屋で、オレの個人情報を記入してる。くそー、これは隠しようがない。逃げたくても逃げられんわ」
「どうしよう。どうしよう?」
「そもそも、あいつらは何者なんだ?銃を撃ちまくりやがって……。見られたくねぇーだと、ふざけやがって……。治療費を払いやがれ!」
カメラマンの柳原が、破壊された車を撮影しながら毒づく。
証拠保全のつもりかも知れないが、その映像を受け取ってくれる相手は居ない。
「あれはぁー、ブライアン・J・ロングに雇われた兵隊しゃんたちでしゅ」
「ブライアンって、SNSのプラットフォームとかしてる……?プログラム開発とかの会社で、社長をしている人じゃないの……?」
「今では他業種にも手を広げている、大資本家だよ。金にものを言わせ、他国の政治にまで口を挟んでいる。ブライアンは世界情勢に影響力を持つ、危険な人物だ」
江藤は柏木の浅すぎる知識に呆れ、正しい情報を付け加えた。
「おい、江藤さん。そんな人がなんで……?」
「知るかよ。きっとエルフ好きなんだろ!」
江藤が腹立たしげに応じた。
妖怪退治だけでなく、傭兵にまで追い回され、少しばかり機嫌が悪い。
「何にせよ武装勢力の不法侵入は、国際問題になるぞ」
「ブライアンは、それを望みましぇん。もしかしゅると、日本国も望まないでちょう」
「………………」
またもや、柏木たちが押し黙った。
「皆しゃんは、ブライアンにとって存在しゅべきでない目撃者でちゅ。命があっても、死にゅまで監獄暮らちでちょー。まあ、多分おしょらく、捕まれば九割の確率で抹殺でしゅ。凶悪テロリストの仲間とか理由を付けられて、家族ともどもデリート!」
メルは首に親指を立て、ギィーッと横にずらした。
首ちょんぱである。
「ヒィッ!」
「どうしたらいいんだ?」
「それはもう運が悪かったと諦めまちょう。どうにもなりまちぇん。町に到着ちたら、一千万でおいちいものを食べて……。最後の晩餐」
「うわー。いっ、嫌だぁー!」
「お母さん。シクシク……」
「泣くなよシオリ」
「だって、だって……」
大の大人が、外聞もなくオイオイと泣き始めた。
「メルちゃん。これ、長引きそう?」
ラヴィニア姫はアヒルを胸に抱き、辟易とした顔だ。
なにか対価を与えなければ、収まらないだろう。
「んっ」
メルがニンニクチューブ大を突きだすと、ラヴィニア姫は黙って受け取り、口に咥えた。
ニンニクチューブ大が空になるまでは、おとなしくしてくれるはず。
「そろそろ、あーたがたも自分の置かれた現状を充分に理解できたと思いまちゅ。そこで、僕から提案がありまちゅ」
メルはユグドラシル銘菓ウサギだぴょんの箱を取り出し、柏木たちに配った。
「まず、それを食べて……」
毒でないと自分で食べて見せ、四人に勧める。
ユグドラシル銘菓ウサギだぴょんを食べたなら、異世界転移がスムーズになる。
新型の転移魔法具は、ウサギだぴょんを食べていないと正しく機能しない。
「で、これ。ここではない、素敵な国へ行ける魔法の道具!」
「まほう……」
「そう言われてもなー」
「家族は……?その国へ行ったら、もう家族と会えないの……?」
「あーたらが失踪人とちて処理ちゃれたなら、いちばん家族のためになるデショ。家族が大事なら、なるべく接触を避けるのがよいのでち。あいつらは卑怯なので、家族を攻撃ちて来ましゅ」
「くっ……。確かに、その通りかもしれない」
「で、どうやって使うんだ?」
上村が玩具のような、黄色い星型の魔法具を弄りながら訊ねた。
「しょれはこう。もう、駄目だと思ったとき」
「追い詰められて、もう駄目だと思ったら……?」
「こう突き上げてね。ここにボタンがあるのでちゅ」
「このボタンを押せばいいのね」
「そんなんで、ホントに助かるのかよ」
「迷うなかれ……。押ちゃねば道はない。迷わず押ちぇよ、押ちぇばわかるちゃ。いち、にい、しゃん、だぁー!!」
「「「「だぁー!!!!」」」」
「…………あっ!?」
柏木たちは消えた。
「あいつら……。勢いで、押しちゃったんだな」
江藤が呆然とした顔で呟いた。
「気の早い連中でしゅ……。しぇっかく一千万あげたのに……」
「まあまあメルさん。あの人たちのことは、どうでもいいじゃないですか。それより。この近くに、ペット同伴可の温泉旅館があるんですよ。寄って行きませんかぁー?」
「わんわん、ワォーン♪」
白狐とハンテンがメルの足元で、観光ガイドを開いて見せた。
動物組のオネダリである。
「おう。しょれはよいでしゅね。ここらで一つ、お大尽気分を満喫ちまちょう」
「わーい。嬉しいな」
「わんわん、ワォーン♪」
白狐とハンテンは、メルの周囲をクルクルと走り回った。
「なあなあメルちゃん。町のカーショップで、高級な新車を買ってもいいかな?」
江藤も動物組に便乗して、ここぞとばかりにオネダリだ。
「全員で乗れるなら」
「当然だ。二人乗りのスポーツカーなんて買わないよ。だからさ。もう少し、お金を足してくれないか?」
「いいでちょー。一千万だろうが一億だろうが、ゼロが増えるだけ。たいして手間は変わりまちぇんからねー」
「やったー!」
江藤が小躍りして喜んだ。
車好きの男としては、こんなチャンスを見逃せるはずがない。
数日でも構わないから、オーナーになってみたい車があるのだろう。
「メルちゃん、おかわり」
「おかわりはありまちぇん!」
メルは満面の笑みで、ラヴィニア姫の要求を退けた。
(さてと……。ほぼほぼエリクを懲らしめる準備は整ったけー、婆さまにメールせんとな)
温泉旅館に着いたら、クリスタにメールを送ろうと思うメルであった。
後日、日本政府がどのような対応をしたのか、当事者のメルも知らない。
だけど怖ろし山は、ネットのオカルト掲示板を大いに賑わせ、もっとも危険な心霊スポットとして名を馳せるのであった。








