時間のズレ
ご都合主義とも取れる快進撃を続けるメルだったが、実のところ美味い話には裏があるものだ。
そう。
両並行世界間に存在する時間経過の歪みだ。
精霊樹オリジンがガジガジ蟲に喰われて枯れ、霊魂になって異界へと逃亡してから、両並行世界の間には千年を超える時間のズレが生じていた。
メジエール村に再生した精霊樹オリジンは、両並行世界に於ける時間経過速度のズレをゼロへと調整した。
だけどここに至り、メルを使って憎むべきエリクを追い詰めるために、またしても現象界と概念界の時間経過速度を上げたのだ。
たかだかひと月程度で、ユグドラシル王国兵呪工廠に異世界の神を降ろす魔法のブレスレットなど作れるはずがなかった。
調停者クリスタと斎王ドルレアックが、ドワーフの協力を得て完成させた転移魔法陣にしてもしかりである。
普通に考えるなら、黒太母にメルが攫われたのは予期せぬ出来事だった。
それでも精霊樹オリジンは、あらゆる情報を完璧に押さえつつ、最悪のアクシデントでさえも己に都合よく利用した。
両並行世界に於ける時間経過速度のズレを利用すれば、精霊樹オリジンに敗北はない。
そして、そのツケは近く妖精女王が支払うことになるだろう。
簡単に言うと、タリサとティナは十六才のピチピチギャルに成長していた。
ダヴィ坊やは十五才になった。
大人の仲間入りである。
何なら、三人ともバリバリと働いている。
もう幼児ーズは名乗れない。
そもそも幼児ーズなんて名乗りたくなどないし、そう呼んだヤツはゲンコツで殴り倒す。
弟のディートヘルムもスクスクと成長して、十才の少年に。
年齢不詳のマルグリットだって、既に見た目は十歳相当の美少女である。
この状況下にあって、メルは深刻なダメージを回復させるために、小さくなってしまった。
残機も残すところ二個である。
「やれやれ、メルは荒れるじゃろうな……」
酔いどれ亭で茶を飲むクリスタは、帰還したメルをどう慰めようかと、頭を痛めた。
「婆さま、お久しぶりです」
「おや、ミケ王子じゃないか。メルと一緒じゃなかったのかね!?だったら、メルも戻っているのかい?」
「違いますよぉー。メルちゃんの家族……?前世の家族を連れて、ユグドラシル王国を案内をするために戻ったんです。メルは、ラヴィニア姫と向こうに居ます」
「どういう事だい?あたしが用意した転移魔法陣を使用したんだろ。それなら、メルも戻って来れるはずだよ。行くより戻る方が簡単だからね」
転移魔法陣で異界へ人を送り込むには、膨大な魔素を必要とする。
一方、異界からこちらの世界に人を招くなら、随分とコスト安で済むのだ。
それは、エリクがあちらの世界にリソースを吸い上げた結果、両並行世界の間に不均衡が生じたせいである。
「メルは向こうですることがあるから……」
「ラヴィニアを迎えにやらせたのに、いったい何をしているんだい。本当に、あたしが行けばよかったよ。向こうにすることなんざ、ありはしないだろ。ただ遊んでいるだけさ。その短い時間が、こちらで何年になるかも知らんで!」
「うんうん。ボクも吃驚した。こっちで何年も過ぎてるなんて、少しも思わなかったから」
ミケ王子は椅子に座って、酔いどれ亭のメニューを手に取った。
「で、ユグドラシルは、メルの勝手を放置しておくのかね?」
「そうじゃないよ。あっちに、エリクが居たんだ。それでさ。どうも、こっちの世界が消えかけたのは、ぜーんぶあいつのせいだって……。あっ、アビーさん。ボク、川魚の塩焼き定食で」
「…………エリクだって?ミケや、今エリクと言ったかい!?」
「あわわわわっ……!!」
クリスタはミケ王子の首っ玉をつかみ、宙づりにした。
「あら、ミケちゃん。帰ってたの……?うちのメルは何処かしら!?」
アビーは厨房から飛び出し、メルの姿を探して周囲を見回した。
「アビー。メルは帰ってないよ!」
「えっ!?どうしてですか?」
「諸悪の根源を見つけたらしい。そいつをふん捕まえるまで、こちらには戻らんだろう」
クリスタは右手にミケ王子をぶら下げ、左手に修理したベアトリーチェの飾り櫛を握り、鬼女の如き形相で唇を震わせた。
「殺しても飽き足らぬ我が夫よ。地の果てまで探しまくったが、そちらに居ったのか。見つからんも道理よの。しかし良かった。生きていてくれたとは。これほど良い知らせもないわ」
ミケ王子は陰気に笑うクリスタの顔を盗み見て、『ヒィッ!』と悲鳴を漏らした。
◇◇◇◇
ミケ王子に連れられて、フェアリー城の一室に案内された森川家の一行は、精霊たちから下にも置かぬもてなしを受けた。
「これは参った。御殿のようで、どうにも落ち着かん」
「いやー、父さん。ここはお城だよ。本物の宮殿だ」
「これがメルちゃんの住まい?」
「我が家が、ウサギ小屋に思える」
「確かに……」
和樹は侍女に着せられた王子さまのような衣装を見下ろし、首を横に振った。
日本人である和樹に、王子さまの衣装は厳しいものがあった。
そこそこの稼ぎはあったけれど、和樹の生活習慣は引き籠りのニートと大差ない。
鏡に映る姿には、精悍さの欠片もなかった。
和樹は『明日から運動しよう!』と、密かに誓った。
先ほどからソファーに座っても良いものかと思い悩む様子の由紀恵は、ふわりとスカートが広がったお姫さまのドレスを纏っていた。
髪も貴婦人のように結い上げられていて、『この女性はどこの誰だろう?』と首を傾げたくなるような有様だ。
「どうやって座ったらよいのかしら……」
「あー、もう。何をうだうだ悩んでいるんだ」
「でもー」
「恰好なんて気にせずに、座れ」
父親の徹には、いきなり淑女にさせられた主婦の悩みなど分からない。
「では、どっこいしょ!」
不満そうに頬を膨らませた由紀恵は、そっとソファーに腰を下ろした。
背筋はピンと伸ばしている。
どう頑張っても寛げそうにない。
実のところ精霊たちは異界の文化を真似て、貴族ゴッコをしているだけだ。
部屋着とパーティー用の衣装を使い分けられるほど、知識を持つ侍女は居なかった。
とにかく妖精女王陛下に所縁の方々であるから、失礼が無いようにゴージャスな衣装を用意した。
それが裏目に出たのだ。
「ここで樹生……、メルちゃんが暮らしてたんだぞ。行儀なんて気にしても、無意味だろ」
「言われてみれば……」
由紀恵が顔を伏せて、クスリと笑った。
「あいつは、どこでも寝転がるし、大の字で鼾をかいて寝ていた。どうせこの部屋でも、床を転がっていたに違いない」
「だけどそれは、可愛いから許されるのよ。小さな子だし」
「それを言うなら、私たちだって庶民だ。昨日の今日で、王侯貴族のように振るまうことなどできん!」
その通りだった。
「オレには、広さからして馴染めないよ。この部屋は、まるで高級ホテルのエントランスホールだ」
和樹が見上げる天井はアホほど高く、キラキラと輝く見事なシャンデリアがさがっていた。
フカフカの絨毯が敷き詰められた美麗な部屋は、ゾウでも飼えそうなほど広かった。
「この部屋に置いてある家具は、どれも一枚板だ。合板じゃない。あの本棚とか、日本で買ったら幾らするんだろう?」
バランスを考えて配置された調度品は、どれもこれも値が張りそうで、和樹を気後れさせる。
正直なところ、滅茶クチャ落ち着かない。
「ミケ王子が言ってたけど、『お城が嫌ならメジエール村に家を用意する』って」
「ねえ、あなた。そっちへ行きましょうよ」
「ウムッ。一考に値するな」
その後、晩餐のもてなしを受けた森川家の一行は、メジエール村に引っ越そうと決意した。
大きなテーブルに並べられた前菜からデザートまでのフルコース料理は、森川家の家長を怯えさせるのに充分なほどの量とクオリティーだった。
「食べきらんな」
「美味しいのに勿体ない」
「いやー、カトラリーが多すぎだ。どれを使えばよいのか、さっぱり分かんないよ!」
その日、ミケ王子が戻ると約束した朝を待ち、三人は快適すぎるベッドで悶々と眠れぬ夜を過ごした。
もちろん寝室は、和樹に一部屋、徹と由紀恵の夫婦に一部屋と、別に用意されていた。
◇◇◇◇
「おーい。そこに居るのはミケじゃないか?」
声に振り向いたミケ王子は、メジエール村の中央広場で荷馬車から降りた若者を目にし、訝しげな顔になった。
「どちら様でしょうか?」
「ナニ言ってんだよ。オレだよ。オレ」
「だれ?」
「ダヴィだ!」
「エェーッ!?」
ひと月ぶりに会ったダヴィ坊やは、逞しい若者になっていた。
「おかしい。ダヴィ坊やは、キミみたいに背が高くないよ。髭まで生えてるし」
「そりゃー、育ち盛りだしな。六年も合わなければ、背も伸びるって」
「ろっ、ろろろろろ、六年!?」
ミケ王子のヒゲが、ピッとなった。
「ミケが戻ったなら、メル姉とラビーも帰ってるな。クリスタ婆ちゃんの魔法陣、上手く行ったみたいでよかった」
「メルとラビーは、まだ向こうにいるよ」
「えっ!?どうして、そんなことに」
「こっちの世界を滅茶クチャにした悪者が、向こうの世界で見つかったんだ。そいつをやっつけるまでは、戻れないって」
「マジか……。あと、どれだけ待てばいいんだ?」
自分はダヴィだと主張する若者が、悲しそうに呟いた。
「そんなの分かんないよ。それより六年って、どういうことなのさ。キミ、本当にダヴィなの?」
「正真正銘のダヴィだよ」
「そう言われてみれば、そこはかとなく面影が」
「オレが分からないなら、タリサとティナを見たら腰を抜かすぞ」
「うわぁー。マルグリットとディートヘルムは……?ボク、帰って来てからクリスタとアビーさんにしか会ってないんだ」
「マルとディーは、暑いから水遊びに出かけたんだろ。二人とも、デカくなったぞ」
「………………」
つまり要するに、異世界でひと月ほど過ごしたら、こちらでは六年が経っていたということか。
そう解釈して、ミケ王子はガックリと項垂れた。
(幼女に戻ってしまったメルは、皆の成長を目にしてどう思うだろう?)
あまりに怖ろしくて、面倒くさくて、何も考えたくなかった。








