悪神誕生
山の主は、自分自身の臆病さに激高していた。
今となっては名ばかりと言えども、鎮守の神が野盗に手傷を負わされ、撤退させられたのだ。
「グヌヌヌヌッ……。危うく滅せられるところであったわ!?」
それはもう、あってはならない恥辱だった。
「これでは……。わしを祀ってくれた信者どもに、示しがつかぬ!」
かつて原始の山に根気よく手を入れ、麓に豊かな森を育み、美しい水田を開拓した人々。
「よき連中であった」
だが山の神社に祀られた偉大な祖霊たちは、減反政策によって悪霊と化した。
営々と先祖より引き継ぎ、自分たちの人生を懸けて開拓した水田が、意味不明な国策によって潰されたのだ。
祖霊たちが憤怒に震え、悪霊になるのは当然だった。
大掛かりな鎮魂が必要であるのに、山の神社は放置されて朽ちるばかり。
神主も顔を見せない。
それでも山の主は、村人たちに祟りをなしてはならんと、残された理性で穢れを壺に封じた。
祖霊たちに子孫を傷つけさせるのは、惨すぎると考えたからだ。
「そんなものは、もうよい。もうよいわー!」
今すぐに力が必要だった。
あの奇妙な侵略者どもを蹴散らし、自尊心を取り戻すには、忌まわしい祟りも止む無し。
「断りもなく聖山に踏み入り、好き勝手に火筒をぶっ放しよって……。あやつらを無事で済ませるわけにはいかん!!」
そう山の主は、腹を括った。
壺の封印は破られ、噴き出した怨嗟が一瞬にして山の主を漆黒の悪天狗に変えた。
ドゴーン!
社の屋根を突き破り、悪天狗が夜空に躍り出た。
「ウヒャー!?」
「キャァーッ!!」
メルとラヴィニア姫は驚き、腰を抜かした。
江藤と白狐は社の床下から這いだし、激しく咳込んでいた。
「ゲホッ、グホォ……。死ぬ。殺される。死んじまう!」
「コンコン……。酷い目に遭いました」
因みに、江藤に抱えられたアヒルは無事なようだ。
悪天狗は羽団扇を一振りすると、突風に乗って飛び去った。
「天狗どんは、あっちへ行くんか……?」
メルは悪天狗がブラボー隊を無視して、反対方向へ飛び去るのを見送ると、残念そうな顔で立ち上がった。
どうせなら悪天狗には、接近中のブラボー隊と戦って欲しかった。
そうすれば、漁夫の利を得られたのに……。
「しゃーないわ。こっちは、わらしが始末しよか」
マナもオドもギリギリだ。
少しばかり、火力にも不安があった。
「じゃけん戦場では、何事も思うに任せんけぇのぉー」
不運なイレギュラーを避けたいなら、ここで出し惜しみなどせずに処理してしまうのがベストだった。
ちまちまと戦っていたのでは、この先何が起こるか分からない。
相手はエリクの手下である。
何も魔法具が、弾丸だけとは限らないじゃないか。
そうメルは勘ぐった。
実際、魔法グレネードがあった。
あれの直撃を受けてしまうと、小さくなった妖精母艦メルは撃沈されるかも知れない。
現状、火力より防御力の低下が、より深刻なメルだった。
「よし!」
意を決したメルは、ポーチから取り出した妖精の角笛(改)を吹き鳴らした。
ポヘェー♪っと間抜けな音が、夜の山に響き渡る。
星空に巨大な亀裂が走った。
どろりとタールのような異界が溢れだす。
「融合せよ!」
異なる二つの界は、強引に重ね合わせられた。
山の夜より暗い闇が、静かにブラボー隊を包み込んでいった。
暗視装置も無効化する、心理的な闇だ。
恐怖による視野狭窄である。
「なっ、なんだあれは……!?」
「バケモンだ」
「ウギャァー!」
ブラボー隊を異形の怪物が襲った。
怪物は大きな鬼の顔を持ち、蓑を身に纏っていた。
そして手にした鎌や出刃包丁を振るい、次々と傭兵たちを狩っていく。
ナマハゲだった。
「一体や二体じゃないぞ」
「何体いる?」
「見えん」
「目が赤く光ってる」
「それが見えたときには、もう遅いんだって」
「なんか、怒鳴ってる。奴らは何を言ってるんだ!?」
ナマハゲは『泣く子は居ねが?わりぇ子は居ねが?』と怒鳴っているのだが、訛っているので聞き取れない。
傭兵たちの日本語理解は、最低限のレベルに過ぎない。
つまり標準語での日常会話に限られた。
そして傭兵たちは、例外なく悪い子だった。
「畜生!」
「しね、シネ、死ねっ!!」
「うぉー!オレに近寄るんじゃねぇー」
ブラボー隊の面々は、声がする方に向けて魔法弾を撃ちまくったが、樹木に穴を穿つのみ。
もともと魔法弾は一人につきマガジン二本分しか支給されていないので、忽ち弾切れとなった。
当然だが、ナマハゲを全滅させるには至らない。
「安心せぇ。おまーらは、全員ユグドラシル王国にご招待じゃ。妖精女王の権限で、【稲作の精霊】に転生させちゃる。そのあり余る元気で、先ずはタルブ川の流域に水田を作ってもらおうかのー。グハハハハハハハハハハッ……!(異世界語)」
「何を言っているか分からんが、これでも喰らえ!!」
ドゴーン!
ズゴーン!!
腰に手を当て、高笑いをするメルの近くで、魔法グレネード弾が炸裂した。
声と記憶だけを頼りに、リーヤン隊長が放った渾身の一撃だった。
社さえ見えていないのに、卓越したプロの技である。
「あひゃ!?」
着弾と同時にグレネード弾の運動エネルギーは魔法へと変換され、エリクの構築した魔法術式が発動する。
魔法無効化の術式により、効果範囲内に居たメルの防護壁が剥ぎ取られた。
それが消えてしまうと、メルは紙装甲である。
公園で遊ぶ幼女と何も変わらない。
「あわわわわっ……」
「メルちゃん。まだ相手が生きているのに勝った気になって、もぉー駄目駄目です。戦争を生業にしている人たちは、村の不良冒険者とわけが違うでしょ。それなのに大声で威張るから、要らぬダメージを負わされるのよ。ホント、気を付けよう!」
「あい」
ラヴィニア姫は、メルをジト目で見つめた。
アビーから『メルちゃんをヨロシク』と頼まれたからには、キチンとせねばなるまい。
妖精女王陛下を守るために、ユグドラシル王国から特別な変身ブレスレットも譲渡されているのだ。
であるからして、メルには危険な真似をさせたくなかった。
「ちゃんと分かってるのかなぁー?」
「あい。分っていますとも」
小さくなってしまったメルを叱りつけるのは、何やら新鮮で面白かった。
とにかく可愛くて、構いたくなる。
妹が居たなら、きっとこんな気分かも知れない。
そう、ラヴィニア姫は考えた。
「ふーん。どれどれ……」
欲望を抑えきれなくなったラヴィニア姫が、メルの頬っぺたを摘まんで引っ張った。
「痛ひぃ。痛いれふっ!」
もちもちで、実に良く伸びる。
「なにやら静かになりよった」
「終わったのかしら……?」
リーヤン隊長のグレネード弾を最後に、ブラボー隊からの攻撃はパッタリと途絶えた。
「やれやれ、どうやら生き延びたか……」
「危なかったですね」
江藤と白狐が崩れた社を見ながら、ため息を吐いた。
「あれは妖精女王陛下の精霊召喚ですか?すごく強かったです」
アヒルが口を開き、メルの魔法を誉めそやした。
ナマハゲは来訪神とされるだけあり、非常に手際が良かった。
年中行事で、悪い子を狩っているだけのことはある。
あの優秀さをハンテンにも見習って欲しいと、メルは思った。
「なぁ、ハンテン。きちっと最後までやり遂げるのが、ホンマの仕事いうもんや。中途半端はあきまへん!」
「アォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーン!!!!」
屍呪之王は夜空を見上げ、悲しそうに遠吠えした。
◇◇◇◇
アルファー隊の生き残りたちは、怪物の襲来に備えて万全の態勢を敷いていた。
だが、舞い戻ってきた怪物は、上空から降りてこなかった。
『くそっ。警戒してやがるのか?』
『こうなると、仕留め損ねたのが悔やまれる』
『まあ、オレがアイツでも、待ち伏せされていると思うからな』
『うーむ』
そのとき無線で状況を伝え合う隊員たちに、異変が生じた。
『おごっ。胸が痛い。息ができない。くっ、苦しい』
『おかしい。鼻血が……。鼻血が溢れて止まらん』
『眩暈がして、目が霞む』
『げふっ。こっ、これは毒ガスか……!?』
毒ガスではない。
祟りだった。
もはや悪天狗は、傭兵たちと向かい合って戦う必要がなかった。
己の縄張りで人を殺すなら、憎悪を向けるだけで事足りた。
「無法者どもの親玉は、天空から兵を動かすか……。神々を気取り寄って、小賢しい」
悪天狗は眼下で行われていた意思のやり取りを丁寧に手繰り、C-130J スーパーハーキュリーズの存在を探り当てる。
「くくっ。逃がさんわ!」
C-130J スーパーハーキュリーズの操縦士と副操縦士は、悪天狗の接近に気づかぬまま、操縦席でこと切れた。
バコォォォォォーン!!
スリム・セント・アーネス指揮官は、輸送機の降下用ハッチが外部からこじ開けられるのを呆然と見ていた。
激しい破壊音と共に剥ぎ取られたハッチの外には、大きな黒い顔があった。
怪物の巨大な目が、アーネス指揮官をひたと見据えた。
破壊されたハッチから風が吹き込み、カーゴルームは鶏小屋のような悪臭に満たされた。
「な、なななっ、なんだキサマ!?」
アーネス指揮官が怪物にシグ・ザウアーを向け、連射した。
石地蔵に蜂だった。
「そんなに空を飛びたければ、このように大仰なカラクリ道具など使わず、自力で飛ぶがよかろう。その方が、ぐんと爽快じゃて」
「放せ、バケモノ。この手を放しやがれ!」
悪天狗はアーネス指揮官の身体を右手に握り、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「喧しいのー。そう騒がんとも、すぐに放してやるわい。ホレッ!」
「えっ。エエーッ!?」
アーネス指揮官は悪天狗に無理やりハッチから引きずり出され、夜明け間近の空に放り投げられた。
勿論、パラシュート無しだ。
「ウギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーッ!!!」
驚きと恐怖で、目と口を限界まで開いたアーネス指揮官が、雲間に飲まれて消えていった。
地上に到達するまで、およそ数十秒の短い旅路だった。
操縦士を失ったC-130J スーパーハーキュリーズは南西に向かい、海原へと飛び去った。
濃厚な祟りを塗りたくられた、幽霊輸送機の完成である。
多分、滑走路に着陸する日は来ない。
「手強き連中であった。さて、本来の厄介ごとを片付けに戻るか……」
本来の厄介ごととは、道祖神(地蔵)への御供え物である。
悪天狗にとって異界の食べ物と言えば、すなわち黄泉の国の食べ物だった。
黄泉戸喫を強要する行為は、黄泉の国に従えと命じる行為だ。
それは断じて受け入れられなかった。
「母都志許売にしては愛らしい子だが、イザナミの手下。努々、油断はなるまい」
腐っても悪天狗は、この地を守る産土神なのだ。
生者の領域で、守るべき掟があった。
イザナミには加担できない。
「黄泉の国より訪れし、禍々しき幼子を送り返してやらねばならん」
悪天狗は縄張りである聖山の頂に向かい、漆黒の翼を羽ばたかせた。








