麻酔の効かない体質デス
江藤が眺めている間に巨木へと育った精霊樹から、一斉にオーブが飛び立った。
火と風の妖精たちだ。
真っ暗な山の夜空に舞う、無数のオーブ。
遅れて水と土の妖精たちが、次々と周囲に展開していく。
「なんかスゲェー。あっという間に苗が育ったのもスゲェーけど、光の粒々が綺麗だぁー」
「ほう、見えるんかい?どうやらユグドラチルが、エトーはんにチート能力を与えたようじゃな。現状を考えるなら、チートの前渡しは好都合じゃ。さっそくオーブを呼んでみ」
「オーブって、あの光の粒か?」
「ほうじゃ。あれらは妖精さんたちデス。上手いこと仲良くすれば、魔法が使えるようになるで……」
「マジか!?」
目的地に到着して暇になった江藤は、夢中でオーブに呼びかけた。
魔法が使えるようになると聞けば、やらずにおれまい。
「おいでー。こっちへおいでー、妖精さんたち。飴ちゃんあげるよー」
些かヤケクソ気味なところもあるけれど、江藤の順応力は見上げたものだった。
怖ろしげな屍呪之王をチラ見して、ブツブツと呪いごとを呟くのは、江藤が半生をかけて培った鈍感力のなせる業と言えよう。
普通であれば、腰を抜かして逃げだすはず。
江藤はブラックかつ理不尽な職場でも、やれる男なのだ。
事の善し悪しは、別として……。
「これで結界強度の不安が解消されマシタ。すべて、ラビーはんのおかげデス。こんだけ妖精さんがおれば、相手がゴッツイ天狗だろうと負けしまへんで」
「すごいでしょ。わたしが育てた精霊樹!」
「さすがデス。精霊樹の守り役は、いっつも良い仕事をなさいます。頭が下がるな、もぉー」
「えへへ……」
メルに褒められて、ラヴィニア姫は上機嫌だ。
「見て見てメルちゃん。新しい魔法具をユグドラシルから貰ったんだよ。妖精女王陛下の護衛任務で使うようにって……」
「素敵なブレスレットですね」
「変身ブレスレットだよ」
「……………変身?何に変身するですか!?」
「それは……。ヒ・ミ・ツ」
メルの胸がざわついた。
どうせ、碌なものではあるまい。
「ユグドラチル魔法兵呪開発局のアホどもは、常識に欠けよる。一回、どつかなアカンな」
自分のムチャ振りを棚上げして、密かに独り言ちるメルであった。
◇◇◇◇
「隊長、ターゲットを発見しました」
「時間通りだな。斥候の役目、ご苦労。初弾は私が受け持とう」
アルファー隊のクォン・ギュチョル隊長は、理性と慈悲の男だった。
今回のターゲットが幼女であると知ったとき、自己判断で装備に麻酔銃を追加した。
実弾を幼い娘に撃ち込むなんて、クォンの良心が許さなかったからだ。
「少し痛いが、辛抱してくれ」
的を外さない距離までジリジリと接近し、樹木を縫うように射線を確保したクォンは、ターゲットの臀部に狙いを定め、麻酔銃のトリガーを引いた。
◇◇◇◇
パシュッ!とくぐもった発射音がして、メルの尻に麻酔弾が突き立った。
「ギャン!!」
メルが尻を押さえて仰け反った。
「敵襲ーっ!メルちゃん、大丈夫!?」
「わらしの尻に、なんぞ刺さっとるヨ。ヒィーン」
「うわぁー。ホントだ。結界を張らなきゃ」
ラヴィニア姫が慌てだす。
ここは地球。
精霊や妖精が住む異世界と違い魔素も不足気味だから、常に広域結界を張ってはおけない。
自分の身さえ守れるならよいと考え、防御は妖精任せにしていた。
だが、妖精たちはライフル弾の速度を知らなかった。
弾速の遅い麻酔銃でさえ、この始末である。
妖精たちが、こちらの兵器に慣れるまで、まだ何発かは喰らう危険性があった。
運が良かったのは、クォン・ギュチョル隊長が麻酔の効果を待って、アルファー隊に発砲を禁じたことだ。
その間にラヴィニア姫は、神社の敷地を結界で覆った。
「大変だ大変だぁー」
「撃たれたのか?今のは銃撃だよな!?」
白狐と江藤は、狼狽えて騒ぎ立てるばかりだ。
基本、戦力外である。
「メルちゃん。動ける?」
「ウムッ。メッチャ痛いけど、動けマス」
メルがカボチャダンスの要領で、お尻を振った。
麻酔弾の針が、尻から抜けて飛んだ。
何のことはない。
無病息災のスキルを持つメルに、麻酔弾は効果がなかった。
クォンが用意した幼児にも安心安全な麻酔薬は、メルの体内で速やかに無力化された。
そのせいで、メルの尻はいつまでもズキズキと痛むのだ。
◇◇◇◇
ターゲットが倒れるのを待つアルファー隊の中で、銃声が轟いた。
フルオートの射撃である。
「誰だ!発砲を許可した覚えはないぞ!!」
「た、隊長。怪物だ。神社の社よりデカイ!黒くて巨大な犬だ!!」
「なんだと……。それは確かか、ソムサック?」
「冗談で命令違反はできませんぜ」
聖なる鷲のメンバーには、魔法装備を多用するせいか精神に影響を受けて、怪異を目にする者がチラホラと存在した。
ブラックメイスとの遭遇を報告してきたチャーリー隊のマイケル・タナカ副隊長も、その一人だった。
ソムサック・パームワンは、アルファー隊に所属する唯一の霊能力者だ。
その発言を無視することはできない。
「それで倒したのか?」
「いいえ。命中しているはずなのに、びくともしません」
「ちっ。総員、銃に魔法弾を装填せよ!」
そのときアルファー隊の後背に音もなく忍び寄ったチャーリー隊が、襲い掛かった。
銃弾にも怯むことがない、ゾンビ兵の襲撃である。
◇◇◇◇
ブラボー隊はターゲットの逃亡を阻止すべく、下山道に布陣していた。
「山頂付近から、銃声がしました」
「フムッ。アルファー隊が始めたようだな」
「どうしますかリーヤン隊長?」
「決まっている。仕事は素早く終わらせるに限る」
「早くシャワーを浴びて、ビールを飲みたいですね」
「突撃隊を向かわせろ。夜は短い。ガキを攫って、さっさと撤収だ」
聖なる鷲の効率厨であるリーヤン隊長は、少人数からなる突撃隊を編成し、ターゲットの確保を命じた。
「ターゲットは生かして捕らえよ!との依頼であるが、戦場に絶対はない。やむなく死んでしまったものは、仕方なかろう。いいかー、オマエら。女子供とて、容赦なく鉛玉をぶち込め!」
「「「「「了解!!!!!」」」」」
ブラボー隊の突撃隊は、目つきがおかしい性格破綻者の集まりだった。
ミッションの最中に、若い娘を弄ってはしゃぐ手下など要らない。
リーヤン隊長にしたら、無くしても惜しくない消耗品である。
「正体不明のターゲットを襲うには、最適な人選だな」
「はい。あいつらは、恐れを知らぬ勇者でありますから……」
「ぶっ壊れ共が……」
リーヤン隊長は、拉致すべき幼女を警戒していた。
ターゲットが単なる荷物だったら、聖なる鷲に依頼など来ないのだ。
◇◇◇◇
山の主は狂屍鬼と化したチャーリー隊に固執していたが、アルファー隊に襲い掛かるチャーリー隊を見て、攻撃の矛先を変えた。
「気色の悪い蟲どもが、ワシに付き纏いよって……。捻り潰してくれるわ!」
山の主に命じられた怨霊が、蟲人間を襲撃する。
「ギャギャギャッ!」
蟲人間の翅や脚が千切れ飛んだ。
だが蟲人間たちも、黙ってやられてはいない。
粘つく体液を飛ばして、怨霊にダメージを与える。
タールのようにドス黒い液が勢いよく噴き出し、怨霊を焼いた。
それどころか怨霊に喰らいついて、実体なきボディーを噛み千切るものまでいた。
まともな生物ではない。
「ええい。半端者の癖に、小癪な」
山の主が羽団扇を捩じるように振ると、数体の蟲人間が粉々になって四散した。
一本歯の高下駄で踏みつけられ、頭を潰されたものもいる。
「勝手な真似はさせません!」
「おぅ!?」
エミリアが山の主の背後を取り、その太い首を両腕で締め上げた。
「貰った。死ね!」
「ぐぉっ!」
軍隊式リア・ネイキッド・チョークだ。
エミリアには、強化改造人間の剛力がある。
だが、それは悪手だった。
「くっ。臭い!」
目が痛くて開けていられない。
山の主が纏う体臭は、もはや化学兵器のレベルにあった。
それを間近でまともに吸い込んだエミリアは、激しい眩暈に襲われた。
結果、エミリアの腕が緩む。
「ふっ。口ほどにもない。砕けよ。森の肥やしとなれ!!」
「ゲフッ!」
チョークスリーパーを振りほどかれたエミリアは、山の主に腕をつかんで振り回され、大岩に打ち付けられた。
頭を庇い、右腕が折れた。
「ゴホゴホ……」
肺が傷つき、鼻から血を溢れさせる。
「ウオッ!?」
一方、エミリアに止めを刺そうとした山の主は、蟲人間の突進を受けた。
一体や二体ではなかった。
十体を越える蟲人間が、薄汚れた山伏装束につかみかかる。
「くそっ。キサマら邪魔だ!どけっ!!」
「ギャ、ギャ、ギャ!!」
群なす蟲人間たちは、山の主の体臭に怯まなかった。
危機一髪の場面から逃れたエミリアは、隠蔽魔法を使って闇に紛れた。
「フゥーフゥー。あれは何だ?人間じゃないぞ!?」
エミリアの口からぼやきが漏れる。
「勝てない。捕まったら殺される」
回復スキルが傷を癒してくれるまで、見つかる訳には行かない。
「あれが神……。ジャパンの土地神なのか……?」
エミリアは自身の驕りに気づき、下唇を噛んで震えた。
山の主と蟲人間たちが死闘を繰り広げる横で、モッソリと起き上がる複数の人影があった。
息絶えた蟲人間たちである。
復活した蟲人間は、山の主に関心を示さなかった。
只々、チャーリー隊と合流すべく、山頂付近の神社を目指す。
怨霊が襲ってきても、意に介さない。
生前、敵味方であろうと、狂屍鬼には関係なかった。
狂屍鬼は、屍呪之王に従うのみ。








