おんぶでGO!
「ここがわたしの故郷です。祖神さまの住まう山です。昔は霊山として有名でしたが、最近では狛犬やキツネたちから怖ろし山と呼ばれています(異世界言語)」
瘴気漂う陰気な山の麓。
埋もれかかった登山道の入口に停めたセダンから降りたメル一行に、白狐が説明した。
「ホーン。なんや聞いたことあるで……。似たような名前(異世界言語)」
「それはアレでしょう。おさび○山だ。カバみたいなトロール家族の生活をアニメで描いた作品ですよ(異世界言語)」
「エトーはん。流暢なウスベルク帝国語やね。わらしんときは、エロー苦労しましたけ。ホンマ羨ましいわ」
「…………」
白狐と江藤は異世界転移を決意したので、ウスベルク帝国公用語を使えるようになった。
異世界言語で散々苦労したメルにしてみれば、ユグドラシル王国異界研究所の用意した【翻訳スキル】とやらの便利さが、無性に腹立たしくもある。
「エェーッ。便利なんだから、いいと思うよ。メルちゃんは、なにが不満なの……?」
「わらしだけ苦労するんは、理不尽やもん」
「そのメルちゃんが頑張ったから、【翻訳スキル】も完成したんでしょ。らしくないわ。もっと威張って、誇らしげにすればいいじゃない!」
「ラビーはん。もしかして、わらしのこと威張りん坊だと思ってマス?」
「あるぇー。違うんですか?」
「まあまあ……。このスキルには本当に感謝しています。だから、ふたりで揉めたりしないで、ここもさっくりと終わらせましょうよ」
ここまで五ヶ所のパワースポットを巡り、クタクタになっていてもおかしくない江藤だが、微塵も疲労の色を見せなかった。
「ファイトです。必要十分な霊素の獲得まで、あと少し。既に七割は消化しましたヨー!」
水先案内役のアヒルが、陽気な声で告げた。
陰々鬱々とした夜の山には、不釣り合いなテンションの高さである。
「ここも人を死に誘う、危険なヤツが居る場所かー。おっかないなぁー」
「ちょーヤバイ、バケモンおるけんね。心霊スポットとは格が違いますわ。ほな……。妖怪退治、行くでぇー!」
「メルさん。忌み地と化した山を支配しているのは、わたしの祖神さまです。可能であれば、話し合いを希望します」
楽しそうなメルとは違って、白狐が悲しげに訴えた。
心霊スポットで霊素を集める計画は効率が悪く、初期の段階で放棄された。
その後、メル一行は自殺者の数で有名な、負のパワースポットを巡ることにした。
飛び込みで有名な踏切に、滝、岬、樹海と、片っ端から浄化して回った。
結果、江藤も眠気を浄化されてしまい、元気満々な訳だ。
「瘴気の澱みと、土壌の穢れがすごい。理想の場所だわ」
「数百年に亘って呪いを集めよったモン、そらばっちいわ」
「ここなら穢れを吸って精霊樹が根付くと思う。見守る必要もなく、あっという間に大樹となるでしょう」
「うむっ!」
ラヴィニア姫は、こちらの世界にも精霊樹を植えようと考えていた。
精霊樹の守り役として、実に立派な心掛けである。
「確かに、肥料はバッチリやね。ラビーはんの見立て通りデス」
メルとしても植樹に異論はない。
素直に頷くだけだ。
「国際政治も国境線も、精霊樹には関係なかモン。こそっと植えてくだしゃい」
「うん。任せて」
ラヴィニア姫も、上機嫌で請け負った。
精霊樹を植えた場所は、即ちユグドラシル王国の領土となる。
領土が増えれば、花丸ポイントやマナの収益も比例関数的に上がる計算だ。
都合の悪いことなど、ひとつもなかった。
「さてと……。それでは、ボチボチ行きますか」
「おう。エトーはん。よろしゅう」
メルは江藤におんぶ紐で運ばれる。
四歳児のボディーに、荒れた山道は厳しい。
マナとオドを温存したいメルは、妖精パワーの使用を控えていた。
「祖神さまのお社は、山頂付近にあります」
白狐が先頭に立った。
道案内をしてくれるようだ。
「わんわんわんわんわん……」
ハンテンが落ち着きなく、ラヴィニア姫の足元を周回していた。
どこに居ても、喧しい犬だった。
「山頂か……。遠そうだな」
「泣き言は聞きません。さっさと進みましょう」
「メルちゃんは、おんぶだから気楽だ」
「わらしも恥ずかちいのデス。さっさと進みましょう」
「はいはい……」
江藤は強烈なLEDライトで道を照らし、山頂へと向かって歩き始めた。
「あいつら、近づいて来ないわ。でも、ピッタリとつけてくる」
ラヴィニア姫が手にした精霊樹の枝を嫌い、周囲を遠巻きにする怨霊たちも、江藤の歩調に合わせて動き出した。
「油断は禁物。精霊樹の結界はえろー強力やけど、キツネはんの祖神いうんわ、縄張りを荒らされて黙っとるタイプではなかろ。なんや、招かれとるようでもあるし」
「祖神さまは気性の荒い、悪神です。祖神さまの攻撃を受けたら、この堅牢な結界にも綻びが生じると思います。あれらの悪霊どもは、襲い掛かるチャンスを待っているのでしょう」
「おう。くわばら、くわばら……」
江藤が災厄除けの呪いを口にした。
「ムムッ!?」
メルの頭でアラームが鳴った。
「黒鳥からの緊急連絡です。ユグドラシルが敵の動きを掴みました。南西から大きな輸送機が接近しています」
ラヴィニア姫に抱かれたアヒルが、急報を告げる。
「エリクのアホかいな。丁度エエわい。ウヘヘヘヘー。三つ巴で、賑やかな夜を楽しみむとしまひょか。パーチーじゃ♪」
メルは江藤の背でグイッと仰け反り、夜空を見上げた。
「ラビーはん。森の木々へ協力要請ヨロー。敵は空から来よるけー、邪魔したって」
「あいよ。合点だー!」
大工の精霊と妖精たちに感化されて、『合点だー』が口癖になったラヴィニア姫である。
ラヴィニア姫の身体が仄かな光を放ち始め、辺りに光の粒子を飛ばす。
先程まで外部からの侵入者に苛立っていた植物たちから、敵意が薄れていく。
森に巣食っていた木霊たちが、木の梢からこっそりと顔を覗かせていた。
ラヴィニア姫は遠い異界から訪れた、彼らの救世主だった。
◇◇◇◇
「今宵、奇跡を……」
無人島にある快適な隠れ家で、ブライアン・J・ロングことエリクは豪華なソファーに腰を下ろし、広い壁一面を覆い尽くすディスプレイユニットを見つめていた。
ブライアンの手にはブランデーグラスがあり、コニャックの琥珀色がゆらりと揺れる。
辺りに漂う芳醇な香りが、ブライアンをリラックスさせた。
「フッ……。あの小憎らしいチビを捕獲するためには、国境侵犯も辞さんよ」
ターゲットが単なる幼児であれば、アミューズメントパークでの誘拐作戦が失敗に終わるはずなどなかった。
今回は私兵まで動員してのリベンジマッチだ。
「あれはバケモノだが、腕っこきの傭兵たちに最新装備を預けてある。完璧だ。間違いなど起こるはずがない」
ブライアンにしてみれば、過剰な戦力の投入である。
但し、それを秘密裏に行おうとするなら、奇跡が必要だった。
衛星からの監視システムさえ擦り抜けるという、極上の奇跡が……。
「それを可能とするからこその、【奇跡の瞳】だ。そうだろ、おい。フハハハハハ……」
ブランデーグラスに沈められた宝玉は、強力無比な魔法具だった。
娘のベアトリーチェから奪った眼球を素材として作り上げた、禁忌の魔法具である。
本来であればあり得たベアトリーチェの幸せな未来や、叶えられたであろう数多の夢、そしてエルフ女王の娘に注がれた民衆の期待が凝縮された宝玉だ。
【奇跡の瞳】は黒曜宮に棲む黒太母を通じて、概念界から可能性を吸い上げ続ける諸悪の根源でもあった。
これを用いて己が欲望を満たすのは、ブライアン唯一人。
「私の愛しい娘よ。今宵も、父に奇跡を……」
ブライアン・J・ロングは、未だ黒太母が倒されたことを知らない。
◇◇◇◇
C-130J スーパーハーキュリーズは、目標ポイントに近づくとエンジンを切り、滑空に入った。
風切り音だけが、輸送機の収納スペースにゴウゴウと響く。
降下用のハッチは大きく開かれ、既に傭兵たちが待機していた。
「諸君、山狩りだ。作戦通り20名ずつの4班でターゲットを包囲、捕獲する。夜明けまでには、キッチリと仕事を終わらせろ。麓で待機中の回収班は、時間に煩い。ノロマ野郎を待ってはくれないぞ。さあ行け。総員、降下せよ!」
「「「「「了解!!」」」」」
整然と並んだ傭兵たちが、次々とハッチから漆黒の夜空へダイブする。
降下に使用するのはパラグライダーだ。
慣れたもので、自分が着地したい場所へグングンと近づいていく。
傭兵たちは、文句のつけようがない精鋭だった。
ブライアンの要請を受けて、世界各国を渡り歩く戦争屋だ。
だがしかし、彼らは未だ人間としか戦った経験がない。
「妖精って、何だ?蟲人間みたいな怪物なのか……?でも、写真を見る限りだと、明らかに幼女だよな」
ブライアンから説明されたスリム・セント・アーネス指揮官は、訝しげに首を傾げる。
その手に握られたバインダーには、メルの調書があった。
添付された写真でVサインを決めているのは、生意気そうな女児である。
「これが妖精女王ね……。どう見ても、路地裏に屯する鼻たれだろ」
推定年齢4才の女児に警戒しろと言われても、やはり心の内の侮りは消えなかった。
それはもう、心身ともに鍛え上げた現代兵士であるから、怪しげな話には素直に頷けないのだ。
「まあ、何にせよだ。5.56ミリ口径ライフル弾をガンガン撃ち込めば、おとなしくなるだろう」
こんな小さくては、流れ弾に当たってくたばりかねない。
殺さずに確保する方が、ずっと難しい。
そうアーネス指揮官は結論し、妖精云々を棚上げした。








