心霊スポット巡り
森川家の所在はブライアン・J・ロングに知られているのだから、いつ蟲人間の襲撃があってもおかしくなかった。
地域住民の安全を考慮するなら、可及的速やかに移動すべきであった。
「わんわんわん……」
「なぜ、こいつが一緒に来よった?(異世界言語)」
ラヴィニア姫とハンテンは、切っても切り離せない関係だ。
メルが睨んでも、ハンテンは一向に気にする素振りを見せなかった。
「お手も、お座りもできへん。待ても学ばんかったけー、しょこらじゅう駆けまわって、好き勝手に吠えよる。あかんたれじゃ!」
「しっ。ハンテン、少し静かにしなさい。メルちゃんに叱られるよ」
「バウワウ、うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーん!」
ラヴィニア姫が注意をしても、ハンテンは吠えまくる。
これでは電車に乗れない。
せっかく父親の徹が少なくない軍資金を持たせてくれたのに、タクシーでさえ乗車を断られそうだ。
「ちゃーないわ。ちゃちゃ。命知らじゅの親衛隊に、自動車だちてもらいまひょか!」
メルは折り畳み式のオカルトな携帯を取り出して、パカッと開いた。
「あー、モチモチ。ぼくでしゅ。そそ、メルちゃんだよー。移動の足が、今すぐに欲ちいのでしゅ。身の安全を保障できないので、異世界転移ちても構わない人に助けてもらいたいでしゅ(日本語)」
普通なら、このように頼まれて協力するような間抜けは居ない。
だがネット民たちは、オフ会で忽然と消えた村田のことを覚えていた。
異世界は現実に存在し、メルはハイエルフの妖精女王陛下だった。
ここで力を貸せば、異世界へ転移した後の待遇も格段に違ってくるだろう。
SNSにチャットルームが設けられ、待つこともなく、数名のネット民が名乗りを上げた。
だがネット民たちは、日本全国に散らばっている。
急ぎとなれば、近場のメンバーが選ばれるのは当然だ。
「やあ、お待たせ」
そう言って現れたのは、やはり明日の爺さんこと江藤だった。
「セダンだ。バンではない?」
「オフ会で使った黒いバンは、仕事用です。休日なのに駆り出されて、仕方なく現場から乗り付けたから……。こっちはオレの私物。まだ、ローンが残ってる」
「ローンは兎も角とちて、こちらの世界に未練は……?」
「お世話になった人が、少し前に亡くなってしまい。オレには家族も居ない。職場待遇も悪化している。消えた村田さんじゃないが、ウチも充分にブラックだ。未練なんてないね」
「ありがとー。助かります」
「そちらは……?」
江藤はメルの後ろに控えるラヴィニア姫に、視線を向けた。
「こちら、ラヴィニア姫でしゅ」
「おぉーっ。本物のお姫さまですか……。初めまして、江藤です」
「初めましてラヴィニアと申します。道中、お世話になります」
ラヴィニア姫と江藤は、互いに挨拶を交わした。
「その髪は……?」
「ラビーしゃんは、ドライアドとのハーフでしゅ。ミントグリーンの髪は、地毛でしゅ」
「染めたんじゃないのか……」
「こちらの犬は、ハンテン。ラビーさんの犬でしゅ」
「わんわんわんわんわん……」
閑静な夜の住宅地に、ハンテンの吠える声が響く。
「ところで、ミケ王子はどこに……」
「森川家と一緒に、ユグドラチル王国へ送りまちた。ミケ王子に代わり、キツネしゃんが同行しましゅ」
「これはこれは……。キツネさんも、異世界の方ですか?」
「いいえ。三神しゃんちの、お稲荷しゃんでしゅ」
驚いて、江藤の顔が凍りついた。
八百万の神々が御座す日のもとで暮らしながらも、神さまを見るのは初めてだった。
「よろしくお願いいたします」
「おっ、おう。こちらこそ……」
暗がりで青白い光を纏う白狐が、江藤にお辞儀をした。
皆が車内に乗り込み、シートベルトを締めると、ハイブリッドエンジンが静かなモーター音を立てた。
セダンはスムーズに走りだし、森川家が建つ区画を後にした。
「目的地は……?」
「心霊シュポットでしゅ」
「ちんれい……?」
「心霊スポットです。呪われた場所、悪霊が棲むと噂される名所を回って下さい」
すかさず白狐が、舌足らずなメルをフォローする。
「よんどころない事情がありまして、先ずは霊素を集めたいのです」
「はあ……」
水先案内役のアヒルが横から口を挟み、冗談や遊びではないことを強調した。
その間、ラヴィニア姫は車窓を流れゆく景色に圧倒されていた。
「フワァー。メルちゃん、見て見て。道に車がたくさん。それに、すっごく明るい」
メジエール村で暮らすラヴィニア姫には、街の灯りが眩しすぎるのだろう。
「すぴー。ピスピスピス……。すぴー」
ハンテンはセダンに乗るなり、気持ちよさそうな寝息を立てていた。
まったく腹の立つ犬である。
「ふん!」
メルは暗い車内で、小鬼の顔になった。
だが、ハンテンに苛立ちをぶつけたりはしない。
こんな状況に耐え忍ばなければならないのも、全てブライアンのせいだった。
幼児の姿になってしまったけれど、メルの理性に衰えはなかった。
メジエール村の暮らしで、精神は鍛えられている。
(物事を正確に把握できんヤツは、なんも収穫を得られんで終わる。力は有限。その場の感情に任せて、垂れ流してもエエもんと、ちゃうわ!)
怒りの矛先を向ける相手は、間違えない。
「くっ……。ブライアンよ。せいぜい調子に乗っておくがエエわ。おまーには、どえらいモン、ぶちかましてやるけーの。(小声で。異世界語)」
小型化した妖精母艦メルが調整を完了して、マナ粒子砲の発射ダメージから回復した今……。
メルの気力は漲っていた。
◇◇◇◇
街道沿いにある屋台で話題のラーメンを食べた後、道端に停めた車中にて仮眠を取り、夜が明けてからホームセンターを探した。
そこで必要となりそうな品々を爆買いし、幾つかの心霊スポットを回るが、残念ながら空振りに終わった。
廃虚と化した温泉旅館は、足場が悪く、黴臭くって、メルとラヴィニア姫を辟易とさせた。
「うしゃぁー、ばっちぃー。これはたまらん」
「うわぁー。メルちゃん、足下が腐っていて危ないよ。早く帰ろう」
「おう。そうだぞ。オバケが出るぞ」
幽霊との遭遇を恐れてビクついているのは、江藤ただ一人だった。
「ここでは、霊素を稼げませんね」
白狐が早々に断言した。
「噂話って、こんなもんでしゅね」
「えっ。幽霊は出ないの……?ここ、出るって、スゲェー有名な廃旅館だぞ!」
「凄惨な廃虚の雰囲気が、そうした埒もない噂を流行らせるのでしょう」
そのとき白狐の台詞をあざ笑うかのように、扉の開く音がして、メルたちの横をキャスター付きの椅子が横切った。
「なななっ……。コワ、怖……!?」
「落ち着きまちょう、エトーしゃん。あれは無害な椅子でしゅ」
「嘘つけ。今のは明らかに霊現象だろ!!ここには霊が居るんだよ」
「私たちが求めているのは膨大な霊素です。経営破綻を苦に一家心中した人たちの地縛霊など、物の数に入りません。求めるものは悪霊の巣です。道理を歪めるような、濃度の高い霊素です」
水先案内役のアヒルが、走り去る椅子を見送りながら答えた。
「あれは腹の足ちにもならん雑魚でしゅ!」
白昼堂々の怪現象にラヴィニア姫は肩を竦め、手にした精霊樹の枝を一振り。
「エイ!」
壮絶な悲鳴が廃旅館を揺るがし、暫くすると清々しい風が朽ち果てた廊下を吹き抜けた。
「あっ、丸ごと払ってしまいましたね」
白狐が、ボソリと呟いた。
「アヒル。霊素……。回収ちた?」
「はい。ほんの少しですけれど……。ざっくりと計算して、森川家での二週間分ほどでしょうか」
「ふむふむ。除霊による効果は、明白でしゅね」
「この要領だと、悪霊の巣を浄化したなら、ガンガン稼げるでしょう」
アヒルは得意げに請け負った。
「えっ、君たち。ここよりヤバいところへ行くのか……」
江藤が嫌そうに言った。
「ここに恐れるような存在は、ありませんでした」
白狐は無表情で江藤の発言を訂正した。
「そうそう……。ちぇんちぇん、ヤバくないわ」
「だねー」
メルとラヴィニア姫も、白狐と同意見である。
「少しでも効率よく霊素を集めたければ、多少の危険は無視すべきでしょう」
「わんわんわんわん。ワン!」
水先案内役のアヒルとハンテンも、更なるディープな心霊スポットを望んでいた。
江藤に賛同する常識人は、ここに居なかった。
「君たち、おかしいよ」
それが世間一般の正しい感性だろう。
自分から心霊スポットに行きたがるヤツは、多分きっと頭のねじが緩んでいるのだ。
そう江藤は思った。
◇◇◇◇
「諸君、仕事の時間だ!」
ターゲットが人気のない山中へ入ったことを知ると、スリム・セント・アーネス指揮官は部下たちに命令を下した。
「諸君らの目的は、銀髪金瞳の幼女を保護すること……。そして、その過程で立ち塞がる障害を悉く排除することだ。任務は秘密裏に遂行する必要がある。目撃者ゼロ。痕跡なしが望ましい。邪魔者は速やかに取り除いて進め。後片付けは、汚らわしい蟲人間どもに任せればよい」
「「「「「イエス・サー!!!!!」」」」」
某国の空軍基地に待機していた傭兵たちは、一斉に立ち上がると装備品を肩に背負い、手際よく輸送機に乗り込んだ。
傭兵団の名は、聖なる鷲。
もちろん、言わずと知れたブライアン・J・ロングの私兵である。








