森川家の引っ越し
「いやー。お茶が美味しいですね」
「まあまあ、遠慮ちないで茶菓子も食べんちゃい」
「それでは馳走になります」
メルとミケ王子、アヒルに、本日はキツネが一匹。
森川家の縁側に我が物顔で陣取り、楽しいオヤツタイムだ。
「あら。今日はキツネさんも一緒なのね」
「森川家の、お母さま。お邪魔しています」
「どうぞ、ごゆっくり」
もう、何があろうと動じることのない由紀恵が、喋る白狐にやんわりと微笑む。
「森川家の、お母さまに、ご挨拶を申し上げます。わたしは三神さんの地所に建っている社の、稲荷キツネです」
「あーっ。お稲荷さんのキツネ様ですか。ふむ。あの御社では、ちょっと寂しいですね」
三神家は、近所で一番の資産家だ。
古くからの名家で、ご神木とお稲荷さんの管理をしていた。
樹生もブロック塀の隙間から見える、ちっぽけな御社を見たことがあった。
(あっこでは参拝人も気兼ねして、よう入れん。閑古鳥が鳴きまくりじゃな)
メルは、そう考えた。
「わたしもご一緒してよいかしら?」
「なーんね、お母たま。ちょこに座ってくだちゃい。いま、お茶を淹れましゅ」
由紀恵は縁側に腰を下ろして頷くと、お茶会のメンバーに混ざった。
「ええ、ええ……。まったく、お母さまの仰る通りです。稲作豊穣を祈願される稲荷でありながら、ここら一帯は住宅地になってしまい、わたしの役目も終わりました。稲穂の垂れた田んぼが、恋しいなぁー。表通りから切り離された社は、三神さんの敷地内……。参拝人が消えて、もう何十年になるか」
白狐は菓子鉢からウサギだぴょんを取り、嬉しそうに食べた。
「それ、おいしい?」
「はい。とても美味しいです」
「そうでしゅか。もっと、たーんと召ち上がれ」
メルは得意そうにして、白狐にウサギだぴょんを勧めた。
「三神さんも、よくしてくれてはいるのです。だけど、わたしの神力は弱まるばかり。そこで森川家がお迎えになった、異界の神であらせられるメルさまに悩みを聞いて頂きたく、恥を忍んで参上しました」
「もう、そんな辛気臭い話はエエよ。で、お稲荷しゃんは、どうちたいのでしゅか?」
神さま呼ばわりは擽ったい。
白狐もメルたちの感覚からすれば、精霊である。
ただし、あちらの世界では、ケタ違いに強い精霊となろう。
「夢が叶うなら、もう一度、田園地帯で暮らしたいのです。さもなくば、仲間がいるお山に帰りたいなぁー」
「田園地帯と言っても。政府の政策で、田んぼは減ってるわ。減反政策ね。お米は高騰しているけど、田んぼがないの」
「なんですとぉー!田んぼを減らすなんて、罰当たりか!?」
白狐が憤った。
「ああ、そういうのも、エエわ。めんどーくちゃーて、イラっとちましゅ!」
「メルー。勧誘?」
「うん、ミーケしゃん。パンフをくだしゃい」
こんなこともあろうかと、カメラマンの精霊に用意させておいたパンフレットが、ミケ王子の手からメルに渡された。
「はい、お母たま。はい、キツネしゃん」
「これは、なぁーに?何だか、住宅販売のチラシみたい」
「わたしにも、意味が分かりません」
「新居のご案内でちゅら。自然あふれる新たな土地で、夢のある暮らちを始めましぇんか?お母たまがやりたがっていた家庭菜園も、本格的にできましゅ。キツネしゃんは、稲作の開祖になれまちゅよ」
いきなり異世界に勧誘しても、不安が先立ち尻込みするだろう。
そう考えての、楽しさ満点なパンフレットである。
「楽しそう……。なんか元気が出てきたわ」
「わたしも、こんな土地に暮らしてみたい。ああっ、なんて豊かな森だろう。わたしの祖神さまも、お連れしたい」
「かまへんよ。連れて行こー。でだ。ついては、キツネしゃんに相談がありましゅ。ぼくたちは霊素が欲ちい。がっぽりと稼げる場所を知りましぇんか?しょれがないと、異界ゲートを開けないのでしゅ!」
「それは願ってもない話。わたしの祖神さまは闇落ちしてしまい、お山には邪霊が集まっているのです」
白狐はメルの話を聞いて、目を輝かせた。
「なるー。たくさんの邪霊が居るのでしゅね。アヒル。邪霊で行けるか?」
「勿論です陛下。邪霊であろうと、亡霊であろうと、霊素だけを分離してしまえば同じことです」
「霊素の分離?」
メルが小首を傾げた。
「浄化だよメル」
「ああ、そんなら任しぇてちょ」
妖精女王陛下の浄化力は、弱体化したとはいえ超強力だ。
そこらのお祓い霊能者には負けない。
「ねえ、メルちゃん。この家、幾らかしら?値段が書いてないんだけど……」
「タダや」
「…………ただ!?タダって、この豪邸が無料ってこと?」
由紀恵が目を丸くして仰け反った。
「そそ」
「うそぉーん」
「お父たまだって、このままだと逮捕しゃれてしまいましゅ。無実でも、裁判には勝てないでしょう。裁判が公正であるというんわ、為政者が作りだちた幻想にしゅぎましぇん。こっちの世界で迷惑をかけた慰謝料もだちましゅから、一家しょろって引っ越ちしましぇんか?」
「引っ越しする。したい!家庭菜園したい!!」
「では、お母たまに、お父たまの説得をお願いちましゅ!」
濡れ衣を着せられた徹は、おそらく腸が煮える思いだろう。
メルが誘いをかけたところで、首を縦には振るまい。
だが、由紀恵には敵わない。
森川家で重要事項を決定するのは、いつだって母親の由紀恵だった。
(母は強し……)
樹生の頑迷さは、明らかに父親からの遺伝だった。
恨みがましいのは、母親の遺伝である。
その日、夕飯の席でTVを見ていた森川家の面々は、モニターに映されたメルの姿を見て愕然とした。
「あれ、ひぐらし公園だろ!」
「メル……。オマエ、勝手に出かけたのか!?」
「ぼく、公園なんて行かんモン」
「あの服装、テーマパークに出かけたとき着ていたヤツだ」
「CG?ディープフェークか……」
ニュースのタイトルは、【エルフの子、町に現る!?】だった。
背景に合成された街並みから、現場の特定は容易である。
ニュースキャスターは冗談めかしていたが、『捕まえたら賞金が貰えるそうですよ!』と真顔で告げた。
これはもう冗談のようで、冗談ではなかった。
「あんな映像を流されては、変装してもばれてしまうな」
「それどころか、家を特定されてしまうよ」
「ウーッ。ごめんなしゃい」
「もぉーっ。メルちゃんが謝ることじゃないデショ!」
由紀恵は、ぷんぷんと腹を立てていた。
ブライアン・J・ロングの手は、メルが想像していたより遥かに長かった。
そして動きも早い。
「森川家で霊素を溜めるんに、どんくらいかかりましゅか?」
「半年は必要かと……」
「間に合いましぇんね。ヤツを殺るまえに、こっちが消しゃれてちまう」
「消されはしないかもだけど、周囲に甚大な被害が出そう」
ほぼ確実に、ブライアンは蟲人間を放つだろう。
人口密集地で怪物同士が戦えば、遺体の大量生産である。
それでも死者の霊魂から霊素を吸収できるけれど、どうにも外聞が悪い。
そしてメディアは、間違いなくブライアンの味方だった。
このさいTVも新聞も、ブライアンに隷属させられていると考えてよいだろう。
◇◇◇◇
「樹生……。いや、メルちゃん。キミがこちらへ来たのは、避けようのない理由があってのことなのだろう?」
「あい」
「少し話がしたい」
「分かりまちた」
食事を終えた後、父親の徹が珍しく二人で話したいとメルに声を掛けてきた。
「メルちゃんには敵がいるんだね」
「そうでしゅ」
徹はダイニングキッチンでウイスキーのグラスを弄びながら、ため息を吐いた。
「私が犯罪者扱いされたのも、その流れかい?」
「はい。お父たまには、もうちわけないと思っていましゅ」
「いいや、構わん。ときに平穏では済まない人生もあるさ。それは断じてキミのせいじゃない。メルの敵は、手段を択ばぬ悪党だ。父さんも許せないと思っている」
「………………」
「そこで一つ聞きたい。私たち家族は、メルの戦いに邪魔か?助けになれないか?」
「できれば安全な場所で、ぼくの帰りを待っていて欲ちいでしゅ」
「そうかー。分った」
「あいがとーごじゃいましゅ」
メルは涙ぐんで頭を下げた。
「無事を祈っている。気を付けるんだぞ」
「あい」
モタモタしてはいられない。
敵の刃は、既に喉元まで迫っていた。
ここからは、メルのターンだった。
◇◇◇◇
「では、こちらからどうぞ。狭いので、お一人ずつ」
「……って、我が家のトイレじゃん!?」
和樹がミケ王子にツッコミを入れた。
「来るときに開いた道なので、他より安定しているのです」
「あれれ……。そういえば、メルちゃんたちもトイレから出てきたわね」
「いやー。ウチのトイレに不思議な通路があるなんて、ちっとも気づかんかった。トイレかー」
ミケ王子に連れられた森川家の面々は、トイレを前にして訝しげな顔になった。
「うわっ!」
和樹の悲鳴がトイレから聞こえ、静かになった。
恐るおそる、徹がトイレのドアを開けた。
「おっ、和樹が消えた!どうなっているんだ!?」
一番乗りでトイレに入った和樹の姿が、忽然と消えていた。
「手品みたい」
「本当に大丈夫なのかー?」
「お父たま。ビビりは、お母たまに笑われましゅ」
「そうだな……。その通りだ。二番手は私が行こう」
徹は引き攣った笑みを顔に貼り付け、トイレの中へと消えていった。
由紀恵とミケ王子は一緒だ。
ミケ王子は、森川家一行をユグドラシル王国に案内する係となった。
「ミーケしゃん。よろちく頼みましゅ」
「任せてメル。メルこそ、油断しないでね」
「あい!」
そこは長年連れ添ってきた相棒である。
別れの言葉は短い。
そして森川家には、メルとアヒルだけが残された。
しんと静まり返る廊下に佇むメル。
誰も居ないトイレから、怪しい気配がした。
「ん。なんじょ不具合でもありまちたか?」
皆が異世界へ転移したはずなのに、トイレのドアがゆっくりと開いた。
「メルちゃん。わたし、来ちゃった」
森川家の面々と入れ替わるようにして異界ゲートを通過してきたのは、ラヴィニア姫だった。
「「エェーッ!?」」
ラヴィニア姫は小さくなってしまったメルの姿を見て驚き、メルは予期せぬラヴィニア姫の来訪に腰を抜かした。
ドカン!
驚いている二人を他所に、森川家のトイレが音を立て、崩壊した。
「「エェーッ!?」」
ラヴィニア姫とメルは、潰れてしまったトイレを見て、又もや驚きの声を漏らした。
壊れた水道管から、ジャージャーと水が噴き出している。
「ウヒャー。洪水じゃ!」
「はわわわ……。わたしが壊しちゃったのかしら?」
「婆さまの魔法だって話だから、しゃーないわ」
「そうなんだ。帰り道が塞がっちゃったね」
二人は帝国公用語で話し合い、互いに納得して頷いた。
比較的、通路が安定しているとは言え、この異界ゲートは邪法で開かれた。
魔素が尽きれば、二つの並行世界を繋ぐ通路も反動で消え去る。
異界との境界面に穿たれた穴が、捩れから解放されたのだ。
幾ばくかの物質的な被害は、当然だった。
メルは取り敢えずアヒルを腕に抱えて、濡れない場所まで撤退した。
「これからどうするの、手伝うよ」
「とりま霊素を集めたいデス」
「分かった。やるべきことがあれば、何でも言ってね」
「先ずは着替えですかね。向こうの衣装だと、目立ち過ぎてアカンよ」
メルは由紀恵のタンスをあさり、サイズ調整ができそうなスウェットの上下を渡した。
「わたしが来て、ビックリした?」
「うん」
「嬉しかった?」
「あい」
「メルちゃん、カワイイー!」
「うぉ!?」
ラヴィニア姫は、小さなメルをギュッと抱きしめた。
ユグドラシル王国からクリスタの転移魔法で異世界転移できるのが一名だけと分かったとき、じゃんけんで決めようと言うことになった。
その熾烈なじゃんけん大会に全身全霊を以て臨んだラヴィニア姫が、気合と根性で勝ち抜けたのだ。
余りの形相に、周囲はドン引きした。
半分は不戦勝だった。
クリスタから代わってくれと何度も懇願されたけれど、ラヴィニア姫には譲る気なんて、これっぱかしもなかった。
つまり、そう言うことである。
ラヴィニア姫の人生に、メルの存在は必要不可欠なのだ。








