兎だぴょん♪
リンリンこと斎藤が運営フォーマットを作った飲食店は、リーズナブルなステーキハウスだった。
通常であれば、数名のスタッフが料理を用意して客に提供する。
だけど本日は秘密の会合と言うこともあり、斎藤が一人で焼きを担当した。
なので参加者は時間厳守で、斎藤はオフ会が始まるより早く、ステーキ肉に火を通し始めていた。
「サラダ、これでいいかい?」
「おう、藤井さん。テーブルに運んでくれ」
「わかった」
飲食業に関わる者は他にも居たので、率先して斎藤を手伝う。
人手が足りないのだから、ベストでないのは目を瞑ってくれと言う話だ。
「肉がな……。斎藤さんの店で出す肉と違う」
「5まではないとしても、4等級くらいか……?」
「会費が高かったのは、これかー」
「それでも原価だろ。あの会費だと、どう考えても赤字だよ」
料理を前にしたオフ会のメンバーたちは、美しく焼けた肉を口に運び、納得の表情だ。
「メチャうまだ」
「くぅー。これって玉ねぎだよな。輪切りにした玉ねぎって、こんなに美味しく焼けるもんなのか?」
「まあ、火加減とタレだろ。玉ねぎ自体、素材も良い」
鏡面の如く磨かれた鉄板の上で、大きなコテが素早くライスを炒める。
割り落とされた卵と切り混ぜられ、ライスが黄色に染まって行く。
美麗な所作と香ばしい匂いが、暴力的に食欲を掻き立てた。
高級和牛は脂の甘みを楽しむところがあるので、重くて量を食べられない。
付け合わせの焼き野菜やサラダと一緒に、ゆっくりと楽しむ。
ガーリックライスも、定番の付け合わせである。
メルの皿は子供向けで、ちんまりと小盛だ。
色々な料理を食べられるようにとの、気遣いであろう。
「冷たいシュープ、うまぁー!?」
メルが驚きの声を漏らした。
「ヴィシソワーズだな。とても滑らかで美味しい。サッパリとしていて、味覚がリセットされるな」
横に座った和樹が、メルに頷く。
「アハハ……。メルちゃんに喜んでもらえて良かった。採算度外視して頑張った甲斐があるよ」
「うん。おいちい。リンリン天才!」
メルは手にしたスプーンを斎藤に突き出し、満面の笑みで誉めそやした。
だが幼児の身体は残酷だ。
どれだけ頑張ろうと、少女であった頃のようには食べられない。
「くっ……。もっと食べたいのに……」
切り口がピンク色に仕上がった高級肉を心ゆくまで味わい、絶品ガーリックライスを平らげたなら、お腹はパンパンだ。
他にも美味しそうな料理が並んでいるのに、もう食べられなかった。
「オマエはちっこいんだから、がっつくと動けなくなるぞ」
「うん。しょうなんでしゅよねぇー。なんで縮んじゃったかなぁー。悔ちい!!」
メル、魂の叫びである。
「メルー。そろそろお知らせをしなきゃ」
「そうですぞ、陛下。大事なことを忘れてはいけません」
「ウム。これもユグドラチルから指示があった、ミッチョンだもんね」
メルはミケ王子とアヒルに促され、椅子から滑り降りた。
「エーッ。本日みなしゃんにお集まり頂いたのには、訳がありましゅ」
メルが用意されていたステージに立ち、話を切り出した。
「袖振り合うも他生の縁と申ちましゅが、みなしゃんとは【わくわくエルフチャンネル】を切っ掛けに知り合いまちた」
オフ会参加者たちは、姿勢を正してメルの言葉に耳を傾けた。
既に『偽エルフでは……?』の疑いは消え失せていた。
確認を希望する者たちはメルの耳に触らせてもらったし、二足歩行をして喋るネコも間近に見た。
どうやら異世界は実在し、条件さえそろえば並行世界間の移動だって可能らしい。
俄然、気合も入るというものだ。
「みなしゃんとぼくは、ここで顔を合わせ、言葉まで交わちています。これはもう、袖振り合うレベルの縁では済ましゃれまちぇん。では、如何なる縁かと申しぇば……」
「エヘン。皆さんは、あちらの世界からの転生者なのです」
メルの横に立ったミケ王子が、偉そうに胸を張った。
メルが大仰に頷く。
静まり返った店内のアチラコチラから、ガタンと椅子を鳴らす音が響いた。
何人かが、驚いて仰け反ったのだ。
「不幸な戦争が長く続き、あちらでの輪廻転生シチュテムが破綻ちまちた。で、みなしゃんは、コッチの世界に転生ちてちまったのでしゅ!」
「ボクらの世界はリソース漏れで、過疎化の一途をたどってきました。今では文明の維持が危ぶまれる状態にあります」
「カムバック、ソウル!!みんなー。こっちのミーズは、アーマイぞぉー♪」
メルはオフ会参加者をユグドラシルに勧誘せんと、おどけて見せた。
「もしかして産業革命以降の人口爆増は……?」
学者然とした装いの中年男性が、おずおずと口を開いた。
某有名大学の物理学研究室に在籍する佐伯の正体は、転生希望者Aだった。
「ボクも詳しいことは分かりません。だけどユグドラシルの異界研究によると、並行世界間に物理的な関連性は存在しないのです。双方に生じた因果が影響するだけです。時間も含めて、双方は異なる並行世界だと……」
ミケ王子はペラペラのレポートを眺め、知りもしない単語を訳知り顔で並べた。
そもそも物理学など、妖精猫族には無縁の代物である。
なのでリンゴが地面に落ちるのは、枝から千切れたからでお終いだ。
そこには謎などなかった。
「ウム、難ちい!」
この点に関しては、メルもミケ王子と大差ない。
重力は知っていても、量子の重ね合わせ状態とか聞いたことさえない。
だいたいフレミングの法則からして怪しいのだから、もうアボガドロ定数が何かも分からない。
高次元理論ともなれば、只々アホ面を曝して凍りつくだけだ。
この幼女とネコに何を期待しようと、佐伯が求める知識は得られなかった。
「みなしゃんは、あちらの世界に引かれて【わくわくエルフチャンネル】を視聴ち、オフ会にまで参加ちまちた」
「それこそが並行世界間を結び付けている因果です。予期せぬアクシデントから生じた偏りが吸引力となり、二つの世界を重ね合わせているのです。謂わば、イオン結合のようなものと申せましょう」
レポートの内容なんて少しも理解していないのに、ミケ王子は堂々とした態度で告げた。
「でな……。みなしゃんには、あちらの世界へ転生、または転移しゅる優先権が与えられまちゅ!」
「タイミングは、各自の都合で構いません。こちらに未練を残す方は、それを片付けてからがよろしいでしょう。寿命を全うしての転生もありです」
「転移とか転生って、チートがあるの?その……。すごく強くなれるとか……」
身を乗り出して質問したのは、アニメ制作会社に勤める村田こと、オレが魔法少女だった。
「ありましゅ。前世記憶と異世界言語は基本セットとちて、能力にちゅいては概念界にてユグドラチル王国の担当官と相談の上、お好みのカシュタマイズを受付けましゅ!」
「ウォーッ。やったー!」
「来た来た来たぞー。オレたちのターンだ」
「勇者になれる?」
「あちらは危険な魔獣が溢りぇる、剣と魔法の世界でしゅ。むしろ、率先ちて勇者になって欲ちいでしゅ。しょんでもって、人族の生存圏を広げちゃてくだちゃい!」
メルは一応の説明を終えると、ユグドラシル銘菓『兎だぴょん♪』をデイパックのアルティマストレージから取り出した。
「この菓子を食べると、ユグドラチルとの親和性が増ちます。しょえで、強く念じれば異世界転移が可能なはずでしゅ」
「お土産かぁー」
「フフッ。黄泉戸喫に似ているな。作り話だとしたら、凝っている」
黄泉戸喫とは冥界の食べ物を食べると、現世に戻れなくなるという神話だ。
この場合、ユグドラシルが冥界に見立てられている。
『兎だぴょん♪』は冥界の食べ物であり、ペルセポネにとってのザクロだった。
だけどメルとミケ王子にしてみれば、行列をなす客に繁盛店が配る整理券と変わらなかった。
「おい、村田さん。もう包みを開けちゃうのかよ。お土産って、家に帰ってから開けるもんだろ」
「…………の最新話。どんだけ急いでも、次の納期に間に合わないんですわ。だから作業をぶん投げて、オフ会に参加しました。ウチのスタジオは、ブラックもブラック、真っ黒だよ。勝手に無茶なスケジュールを組んでおいて、間に合わなければ責任を取れとか……。もぉーやってられん!!俺は、異世界へ行くもんね!」
そう言い残して、村田は忽然と姿を消した。
「おおっ。飛んだわ!?」
お一人さま、ご案内である。
「村田しゃんは、勇者になってくれるかのー?勇者しゃまなら、何人でも大歓迎でしゅ」
「そうなんだ……」
「うん」
メルはミケ王子に視線を向けて頷いた。
メルがなりたいのは、自儘な料理人である。
その気持ちは、いまだに変わらない。
ユグドラシル王国に強い勇者が何人も居てくれたなら、妖精女王の仕事も楽になるはず。
そうなれば空いた時間を使って、メジエール村で料理店ができるではないか。
「「「「えええぇぇぇぇぇぇぇぇーっ!!!!まじかよ!?」」」」
一方ステーキハウスは、蜂の巣を突いたような大騒ぎである。
目と鼻の先で人が消えれば、そうなる。
「メル。どうしてボクらは帰れないのかな?」
「しょんなん、しょれこそ因果ですやろ。やり残ちた仕事がありまちゅ。まあ、ブライアン・J・ロングをぶっくらしゅまでは、なにをちてもユグドラチルには帰れん思うよ」
「妖精女王陛下の仰る通りです。ミケ王子も覚悟をお決めください」
「はぁー。ヤレヤレだよ」
水先案内役のアヒルにまで断言され、ミケ王子は力なく頭を横に振った。








