それぞれの決意
〈黒太母が休眠状態に移行しました〉
〈事実上の活動停止です。今後、もう二度と復活することはないでしょう〉
〈概念界を侵食していた虚無の発生が、止まりました。完全に沈黙!〉
〈黒太母に特攻をかけた同胞の三割ほどが吸収され、消滅。しかし残る七割は、未だ健在。黒曜宮の解体に取り掛かりました!〉
ユグドラシル王国国防総省中央管制センターで、念波通信装置や因果律計測器と睨み合うオペレーターの妖精たちが、次々と報告した。
〈それは確かか……?〉
〈はい。任務遂行中の通信が、各部隊より届いています〉
〈そうか……。連中は頑張ってくれているのだな〉
作戦の統括を任された司令官が、感慨深げに頷いた。
〈ただいま極小ですが、リソースの解放を確認。黒太母に虚無化された事象が、呪力の弱体化により黒曜宮から零れ落ちました〉
〈失われた可能性が回復するか……〉
〈黒曜宮の完全消滅までには、長い時間を必要とするでしょう〉
〈計測されたデータから試算すると、凡そ五百年〉
〈気が遠くなりますけれど、よい知らせもあります〉
〈それはなんだ?〉
〈このパワーバランスが変わることはないでしょう。時間は掛かりますが、我々の勝利です〉
〈ウムッ!〉
黒太母は差異や変化を嫌う。
精霊樹が並行異世界から招いた邪霊たちを退けるには、自らを変えるしかあるまい。
未知の可能性を否定した黒太母に、この劣勢を覆す手立てはなかった。
〈それにしても、オリジンには驚かされる〉
〈全くですな〉
風の妖精である司令官に、副司令を務める土の妖精が同意した。
〈概念界に可能性が残されていないなら、異世界から引き入れると言われたときは、開いた口が塞がらんかった〉
〈それなのに、やり遂げてしまわれた〉
〈しかも転生したのは、あの憎きエリクが逃げ込んだ世界ときた〉
〈緊急事態でしたからね。転生先を選ぶ余裕など、ありませんでしたよ。エリクのドッペルゲンガーが存在する並行世界は、我々の世界と重なっていましたから……〉
〈そもそも災厄の始まりは、エリクのドッペルゲンガーが、こちらの世界に転移してきたことだ!〉
異なる並行世界の急接近は、奇しくもエリクとブライアン・J・ロングを重ね合わせ、結果的に未曽有の災害を引き起こした。
その衝撃で概念界と現象界で確立されていた輪廻転生のシステムから、大量の魂が異世界に漏れてしまった。
これはもう、並行世界同士が衝突して起きた大事故である。
そして致命的なリソース不足により、概念界は消滅寸前まで追い込まれた。
エリクと黒太母のテロ攻撃は、文字通り泣きっ面に蜂であった。
オリジンも倒れようというものである。
〈滅亡を免れたのは、幸いでした〉
〈もう駄目だと、何度も覚悟したな〉
〈諦めさえしなければ、やがて道は開けます〉
〈調停者殿も、そう言っていたよ〉
因果律を読む土の妖精たちは、以前から揺り返しの可能性を示唆していた。
失われた魂たちは、いずれ何らかの形で戻ってくるだろうと……。
〈何にせよ、あの癖が強いお歴々をよくもまあ味方につけたもんです〉
〈屍呪之王に代表される大量破壊兵呪と毛色は違うが、単体攻撃に関しては無類の強さだな〉
〈まったく……。蟲どもに喰われた仕返しで、こちらの世界に病魔を持ち込むとは……。感染の危険がある疫病でないのが、なんとも小面憎いですな〉
〈まさか狙ったわけでもあるまい〉
〈そうですか?私には『黒太母を枯れさせてやる!』との、強い意志が感じられるのですけど……〉
復讐もまた因果であるからして、副司令官の発言は実に土の妖精らしい意見だった。
皆の繁栄と幸せを願う精霊樹の性質に、もっとも似つかわしくない行為だが。
〈調停者クリスタ殿に協力を仰ぎ、狭間にて霊素転送用の術式を起動させたい〉
〈妖精女王陛下の回復を急ぐのですね〉
〈オリジンの計画通りであることは分かっているのだが、陛下が不在であるとウスベルク帝国も落ち着かぬだろう〉
〈メジエール村の人々から、フェアリー城に問い合わせが殺到しているようです〉
〈フレッドとアビーであろう?〉
〈村で仲が良かった子供らも、一緒です〉
〈はぁー。さもありなん〉
〈現状では可能な限り説明責任を果たし、納得してもらっていますが〉
〈やはり急がねばならんな〉
〈はい〉
妖精女王陛下が敵に連れ去られたとき、ミッティア魔法王国急襲部隊は騒然となった。
当然、その知らせが齎されるとアビーは半狂乱になり、フレッドは怒り狂った。
それを抑えたのは、調停者クリスタと儀典長のクラウディアだった。
妖精女王陛下の無事は確認されているが、放置を許される状況でもない。
どれだけ無事だと説明しても、当人が居なければ話にならない。
『いつ戻るのか!?』と追及されるだけだ。
〈あちらの世界でも、陛下は呑気に暮らしているのだがな〉
〈前世の家族のもとで、かなり寛いでいますよね〉
司令官と副司令官は、遠い目になってため息を漏らした。
大きな組織の頂点に立ち、あれこれと調整するのは骨が折れる仕事だった。
◇◇◇◇
バイトから帰った和樹は自室の扉を開けるなり、言葉を失った。
「なんじゃ、これは……」
見る限り、母親の由紀恵が室内を掃除したようだ。
「鍵に意味がない」
どのような異能力なのか、どれだけ和樹がプライバシーを守ろうとしても、由紀恵は最新の防壁を突破してくるのだ。
塵一つなく綺麗に片付けられた部屋は、ズボラな和樹を気まずい気持ちにさせる。
「あぁーっ。なんてことだぁー!?」
以前はオカルトで厨二デザインなPCが置いてあったデスクに、秘密の宝が積み上げられていた。
しかもメモが張り付けてある。
『もう大人なんだから、部屋を散らかしっぱなしにするのは止めなさい。あと、このような悍ましい品の所持は認められません。メルちゃんが見たら、どうするつもりなの……?早急に処分しておきなさい。さもなくば、これらを持って家から出て行くのね。一人暮らしをするなら、何を持っていようと文句は言わないわ!』
和樹の顔が赤く染まった。
「ウガァー!?これまで、バレてないと思ってたのに……」
デスクに積まれた秘密の宝は、和樹の性癖を反映する物証だった。
妄想の好みに過ぎないとは言っても、色々と問題がある。
エロゲーのパッケージにしろ、薄い本にしろ、可愛らしいエルフ少女のイラストで溢れていた。
そしてメルは、エルフの女児なのだ。
そういうこと……。
「グヌヌヌヌッ……。創作物と現実は違うのに……」
だが、どう考えてもまずかった。
本来なら、『エルフなんておらんもん。オレがファンタジーを愛でて、何が悪い!』と逆切れする余地も残されていたけれど、メルが居たら駄目だ。
どれだけ苦労して集めたコレクションだろうと、処分するしかなかった。
「奇跡的に戻ってきた弟のためだ。すっぱりと諦めるしかない」
和樹は断腸の思いで、大切なコレクションたちに別れを告げた。
そうしてから、ふと部屋の中を見渡すと。
「はぁー、模型がない。オレの戦艦武蔵が消えている!?」
母親の由紀恵からしたら汚物である、エロゲーや薄い本と違い、戦艦の模型に罪はないはず。
「なぜ……?」
完成までに数ヵ月を費やした大作である。
金属パーツまで購入して、せっせと作り上げたのだ。
それはもう、言葉では言い尽くせないほどの思い入れがあった。
「んっ!?」
そのとき和樹の脳裏に、過去の衝撃映像が次々と蘇ってきた。
学校から帰ると、無残に破壊されていたタイガー戦車。
ポッキリと首をもがれた、彩色済みのフィギュア。
クレヨンで乱暴に塗りたくられた、アニメの貴重な設定資料。
思い返せば枚挙に暇がない。
「樹生かぁー」
当時、和樹は、両親に贔屓される樹生を憎んでいた。
でもメルのことは怒れそうになかった。
樹生と違い、メルは可愛いのだ。
「ウムッ。大事な妹のためなら、オレは紳士になれる!!」
メルと比べたなら、エロゲーや薄い本などカスだ。
戦艦の模型を作るヒマがあるなら、メルを連れて行楽に出かけたい。
時間が有限であることは、樹生の死から痛いほど学んだ。
何てことのない日常は、二度と訪れない今なのだ。
「メルに見せたいものが、沢山あるんだよ」
ただ、由紀恵が言うように、これらの汚物をメルに目撃されたかと思えば、メチャクチャ気まずい。
もし危険視され、露骨に避けられたりしたら、兄として悲しすぎる。
「はぁー」
和樹は肩を落とし、項垂れた。
取り敢えず今は、漫画専門店で購入してきた【断罪の闇聖女】を手渡し、機嫌を窺うしかあるまい。
何を犠牲にしようと、メルに嫌な兄貴として記憶されたくなかった。
◇◇◇◇
「関係各所に圧力を掛けろ。あの忌々しい動画を削除させるんだ。はぁー!?できない?できないってのは、どういう事だ。なに。どこから接続しているのか分からんだと……。そんな訳、あるかぁー!!!」
ブライアン・J・ロングは無人島の快適な執務室で、通信機器のマイクに向かって罵声を上げた。
それもこれも、ネットの動画サイトで【わくわくエルフチャンネル】が再開されていることに気づいたからだ。
「腕のよいハッカーチームか?いやいや、それはあり得ないだろう」
いったい何が起こっているのか……!?
ブライアンの頭は、クエスチョンマークで埋め尽くされた。
「ちくしょー。私の城に、土足で踏み込みおって……。どこから許可を得たんだ?」
実のところ、動画データーの中継局は異世界にあった。
プロバイダなどなくても、光ケーブルがなくても、ワイファイがなくても、霊的な信号であれば容易く動画サイトに干渉できた。
通信が遮断されている閉鎖系のシステムであろうと、ユグドラシルからの霊的な信号は拒めなかった。
各国政府が育て上げたハッカーより、よほど始末に負えない。
【わくわくエルフチャンネル】は、ブライアンにとって大切な黒曜宮の陥落を伝えていた。
「あれは、この世界との重要な結節点なのに……。なんてことをしてくれるんだ!!」
黒曜宮は並行世界から可能性を吸い上げ、こちらの世界へと送るポンプの役目を持っていた。
ブライアンがネットを介して大規模な呪術を行えるのも、黒太母があってのことだ。
「増えすぎた家畜どもを始末せねばならんときに、余計な真似をする」
優れた一握りの統率者が、愚民を管理して世界に秩序を齎す。
それがブライアンの信じる正しい世界像だ。
ブライアンの手に余る人口増加は、正すべき間違いだった。
「男どもが女に抱く幻想を破壊し、限界まで出生率を下げ、社会が維持できなくなるほど人口を減らし、精子バンクに保存したオレの精子を女どもに配る」
そうすれば、世界はブライアンの子孫たちによって運営されるだろう。
まさしく理想の世界だ。
それこそがブライアン流の人類保管計画だった。
「私の壮大な計画が、こんな所から崩されるとは……」
欲求不満な女性たちにネットで過激な発言させ、女性嫌悪を煽り。
またストレスフリーな楽しいアニメを与えて、若い男女を実現不可能な恋愛妄想の虜にした。
念には念を入れて児童ポルノを配布し、男たちの性欲が生殖不可能な女児にしか向かわないよう、強烈に呪いをかけた。
愚民どもは呪術に搦め捕られ、ほぼほぼ計画通りかと思われたところである。
それだけに予期せぬ異世界からの反撃は、痛かった。
「いや、まだまだ失敗に終わったわけじゃない」
動画の背景を観れば、配信者はこちらの世界に居るようだ。
しかもエルフの幼児だった。
であれば、殺ってしまえばよい
ガキの一人や二人、どうにでもなろう。
「よし、始末しよう」
有り余るほどの権力を持つブライアンだけれど、一般的に期待される倫理観の持ち合わせはなかった。
「確か、妖精女王だったな。わざわざ、こちらの世界に御出でいただき、痛み入る」
新しい蟲娘を作るのも悪くない。
ブライアンは、ともすれば焦燥感で塗り潰されそうな心を楽しい妄想で奮い立たせた。








