それは前世の縁
「イヤじゃー。イヤじゃ、イヤじゃー!」
タンタンタタタン、タンタターン!
メルはリズミカルに地団太を踏んだ。
異世界に転生して、はや六年。
毎日のように踏み続けた地団太は、すでに達人の域。
それはもう一流芸術品のようにスキのない、完璧な我儘少女。
いっそ華麗ですらある。
メルは虚空に飲まれたとき、配下の精鋭たちを失った。
妖精母艦メルに配属されていた妖精たちの七割が、妖精女王陛下を救うために特攻したのだ。
タリサから譲り受けた友情の証、大切に着ていたレジェンドな衣装(かつての幼児服)も、メルを守るために破れて散った。
体内備蓄霊素の殆どを失った身体は、スタート時点(四歳児)に逆戻りだ。
「魔法が撃てん。それどころか妖精パワーが使えん。ぜぇーんぶ吸われてしもた」
「いやいや。そんなことより、赤ちゃんに戻ってるよ」
「………………!?」
「ほら、ボクと同じくらいの背丈……。出会った頃が懐かしいよね」
ミケ王子が幼児に戻ってしまったメルの頭に手を置いて、撫でた。
「ういやぁー、タァー!」
大人になれる魔法の指輪も、効果なし。
「何にも起きないね」
ミケ王子は両手を肩の高さに上げ、首を横に振った。
「イヤじゃー。イヤじゃ、イヤじゃー!」
タンタンタタタン、タンタターン!
再びメルが地団太を踏んだ。
「妖精女王陛下、駄々をこねている場合ではありません!」
黄色くて丸い物体が、メルを見上げて話しかけた。
いつの間にやら、メルとミケ王子の足元に出現したアヒルの玩具だった。
「ん!?だれぞ、おまぁー?」
「わたくしはユグドラシル王国国防総省との連絡係を仰せつかった案内役でございます」
「ぱいろっと……?」
「はい。黒太母に一矢報いんと散って行った仲間たちの無念から誕生した、導きの精霊です」
「うわーん。わらしの妖精さーん」
メルは鼻をグジグジと鳴らした。
「嘆いている暇などありません。仲間たちが黒太母と同化するさいに、虚空からの脱出路を用意しました。ここに留まれば、妖精女王陛下とて無事では済みません」
「仲間を犠牲にしておいて、わらしだけ、おめおめと逃げるんですか?」
「では自らの存在を賭して陛下に未来を預けた、配下たちの遺志を無駄にするのですか?それに、ただ逃げよとは申しません。陛下の行く手には、倒すべき諸悪の根源が居るのです。黒太母にしても、見逃すつもりなどありません」
「アヒルちゃんチャポチャポに、ほんなこつ真面目に言われてもなぁー。はははっ」
「……ッ!!陛下の泣き虫!!!」
「な、泣いとらんモン。こえは、心のヨダレじゃ!」
メルは涙を拭って叫んだ。
「メルー。心のヨダレって、なんか汚いよ。せめて、心の汗にして……」
ミケ王子がメルの言語センスに、物言いをつけた。
「いちいち、うっしゃい。さー、いくど。案内せい」
「…………」
「どうしたんじゃ。おまーが先に行かんと、案内にならんデショ」
「えーとですね。わたくし、緊急で作られた精霊なので、色々と不都合がありまして……」
アヒルのお風呂オモチャにそっくりな案内役は、足がないので歩けなかった。
「水の上なら、自信があるんですけどね」
「もうエエわー。抱っこしたる。わらしも幼児。とーてい一人前とは言えんで、お互い様じゃ」
「もたもたしていないで、さっさと行こうよ。こんな不快な場所には居たくないよ」
黄色いアヒルを抱いた幼児とミケ猫は、トコトコと黒曜石の廊下を進む。
「おいアヒル。なーんかココ、見覚えあるんですけど」
「まあ、それは……。陛下の記憶を頼りに作られた、安全領域ですから」
「なんで?」
「わたくしのクリエイトに失敗した場合でも、陛下が道を間違えないようにです」
「あっ、そぉー」
随分と気の利いたことである。
その横スクロールアクションRPGのような景色は、樹生がクリアできずに終わったゲームのラストダンジョンだった。
「何度も何度も、通った道やけぇー。3Dになっても、何となく分かるわ」
あの時は、病床で布団を被りながらエルフ少年のアバターを操っていたが、今は自分がエルフ幼女だ。
メルは通路に置いてあった壺を抱え上げると、床に叩きつけた。
ガシャーン!
乾いた音を立て、壺が割れた。
アイテムゲットだ。
「勇者のぱぁーんつ」
全裸である。
当然、穿くに決まっていた。
「あつらえたようにピッタリ」
メジエール村で穿かされていたカボチャパンツではなく、百貨店で売っていそうな女児用パンツだった。
しかも臀部を飾る大きなプリントは、幼児アニメに登場する間抜けな悪役、バイ菌の顔だ。
「ワゴンに突っ込まれて大量に売れ残ってそうな、不人気商品。これを穿かされたら、女児涙目」
幸いにも穿いてしまえば、自分の目に入らない。
なのでメルは、見なかったことにした。
丸出しと比較すれば、百倍マシ。
「ウーム」
「どうしたのさメル?」
「この壺には、強力なアミュレットが入っとるはず、何やけど」
「?????」
ゲームの話をされても、ミケ王子にはチンプンカンプンだった。
そもそも不自然に置かれている壺をメルが割った時点で、意味不明なのだ。
苛々が高じて破壊衝動に走ったに違いないと、決めつけたくらいだ。
そこからパンツが出てきたときには、驚きで腰を抜かした。
ここはアウエー。
何が起きてもおかしくはないのだけど、こういうことではない。
ミケ王子は、そう思った。
「あそこがラスボスの部屋。で、ここに隠し部屋。宝箱があるねん。ボスを倒す最強の剣が手に入ります」
「そう……」
エネミーが配置されていないラストダンジョンは、サクサクと攻略されて最終局面。
隠し部屋で宝箱を開けると……。
「なんで太鼓??」
メルは【呪われし太古の太鼓】を手に入れた。
メルには知る由もないが、思い出したくもない過去を呼び起こす、危険な太鼓だった。
「うにゅにゅにゅ……!?」
最強の聖剣が、怪しげな太鼓に変わってしまったのだ。
メルの顔が渋くなるのも仕方ないことであった。
「まあ、太鼓やし」
テレツク、テレツク、テレツクポン。
太鼓なので、手に入れたら叩くしかない。
派手に打ち鳴らしながら、ラスボスの部屋へ。
〈音がした〉
〈合図の太鼓〉
〈扉の向こうからだ〉
メルの頭に、ボソボソとやり取りする念話が聞こえてきた。
聞くに堪えないほど、不快な波動を持つ念話だった。
そして大きな両開きの扉が、腹に響くような音を立てながら、ゆっくりと開いた。
太鼓の響きに導かれ、忌むべきものたちがメルの前世から呼び戻されたのだ。
〈よお、樹生。しばらくぶり〉
〈ずっと探してたんだぜ〉
〈おまえ、冷たいよ。オレたちを置いて、逝っちまうなんて〉
〈イツキはオレたちと、ズットモだろー!?〉
〈なんなんだよ。無病息災って〉
〈不愉快なスキルだな。俺たちとは縁きりってかぁー?そりゃ、つれないぜ〉
〈おいおい、そうやって樹生を責めるんじゃねえよ。スキルは自分で選べるもんでもなかろ。それより、ここは好いところじゃないか〉
〈ああ、そうだな。実にオレたち向きだ。どす黒い怨嗟に満ちていやがる。遊んでくれそうな相手もいる〉
〈イッソ、一緒ニ……。一緒ニ、死ノウカ?〉
不浄な念がメルに纏いつき、締め上げた。
「ウヒィー!?」
念話を飛ばして来る異形のものたちは、樹生に取り付いていた病魔だった。
「この方たちが、ユグドラシル王国に協力して下さり、この度の脱出路を確保するに至りました」
「なんね、こいつら?」
「さて、我らの世界では邪精霊。あちらでは疫病神の皆さんです。正しい呼び名など分かりません。ただ異界への通路を開くほど徳が高く、力ある方々です」
「マジかー」
メルは悪鬼にデフォルメされた母親の顔を持つ疫病神に、心底震え上がった。
〈死ヌ?死ニタイ?一緒ニ逝コウカ……〉
鬱の邪霊だった。
『コッチ見るな!』である。
上背がある鬱の邪霊を背後にユラユラと揺れる病魔の邪霊たちは、長細い手足を揺らしながら、ときおり赤い瘴気を放った。
見ているだけで具合が悪くなりそうな、暗くて陰気で物さびし気な姿だった。
メルはプルプルと震えて、異形の存在たちから視線を逸らした。
〈約定通り、我らはここを貰い受ける〉
〈通路は勝手に使うと良い〉
〈いつき、達者で暮らせ〉
〈困ったときは、オレたちを呼ぶとよい〉
〈忘れるなよ。友情パワーだぜ!〉
〈一緒ニ死ニタイ?〉
邪霊たちは勝手なことを口にしながら、黒曜石の壁に溶けていった。
「壁……!?」
「うわー。どうなってるのさ?」
「黒太母の宮殿は、恨みつらみを結晶化して作られた負の牢獄です。あの方々には、障壁の意味をなさないのでしょう」
メルとミケ王子は、真面目な口調で説明する案内役をジト目で見つめた。
悲しいかなアヒルの姿は、真面目な話に不釣り合いだった。
「妖精さんたちは、なんてものを引き入れとるんジャ!?」
「そうだよ。怖いよ。危ないよ」
負には負を……。
ユグドラシル王国もまた、とんでもない博打に出たものである。
「方々の協力を得られたのは、ひとえに妖精女王陛下の縁があってのことです。まったく、陛下は強き運勢をお持ちですね」
「くっ……」
ちっとも嬉しくなかった。
◇◇◇◇
「どうしたことか……。あのチビを弄ってやろうと待ち構えておったのに、姿が見えぬ」
黒太母は産卵の間で、己が体内を精査していた。
女王蟻に酷似した身体も存在するけれど、死者の都を含めた虚空自体が黒太母だった。
「まあよい。あのチビから、力は剥ぎ取った。われの体内に捕らえたのは確かだ。逃げ隠れしようと、その内に力尽きよう」
それにしても、クリスタの慌てようときたら可笑しかった。
久しぶりに腹の底から笑った。
「妖精女王か……。けったくそ悪い世界の再生など、わらわが許さん。そもそも世界に、何らかの意味など必要なかろ。只々、普遍で美しければよい」
何処までも黒く、ひんやりと冷たい世界。
艶々と滑らかに磨かれた迷宮に、蟲たちが溢れかえる。
「この世の統治者は、わらわだけでよい。他は要らぬ」
永遠の孤独と静寂こそが、黒太母の目指す未来だった。
自ら望んだわけではなかった。
気がつけば、そうなっていただけだ。
なんなら、そのような未来が到来した後、自分はどう思うのかさえ考えていない。
黒太母の心には、どす黒い恨みと復讐への渇望しかなかった。
〈おった〉
〈見つけた〉
産卵の間に、招かざる客が姿を現した。
「むっ。お前たち、どこから侵入した?何者か!?」
黒太母は驚き、怪訝そうに首を傾げた。
〈蟲の身体に女の上半身が、くっついているぞ〉
〈大きいのー〉
〈丈夫そうで、これは遊び甲斐がありそうだ〉
黒太母を眺めながら、勝手な感想を述べ立てる闖入者たち。
「この狼藉者共が、わらわが食い散らかしてくれん!」
黒太母は貧相な黒い侵入者を捕まえ、片端から喰らった。
「思い知ったかい!?口ほどにもない、愚か者め……。フンッ、遊びたらんわ」
黒太母が得意げに吼えた。
〈ナラ。一緒ニ死ノウカ……〉
耳元で……。
否、頭の中で、おどろおどろしい声が囁いた。
「…………ぐぁ!?」
これまで味わったことのない頭痛と吐き気と悪寒が、同時に黒太母を襲った。








