精霊樹のドレス
「エェーッ。ブトウカイの招待状!?」
ラヴィニア姫は小間使いのメアリに渡された立派な封筒を開いて、仰け反った。
チケットに金で箔押しされた世界樹の紋章が、詐欺の類ではないことを如実に伝えていた。
フェアリー城で発行された、パーティー券である。
妖精女王陛下がいらっしゃる城なので、いつの間にかフェアリー城と呼ばれるようになった。
メルヒェンな雰囲気を漂わせる、妖精さんのお城だ。
「よかったではないですか、ラヴィニアさま」
「五日後ですって、メアリ……。準備は間に合うかしら……?」
「問題ありませんわ」
「ダンスパーティーなんて、夢のよう」
小さなラヴィニア姫が鼻歌交じりで、軽やかにステップを踏んだ。
「お上手ですわ」
「昔を思い出して、こっそり練習していたの……。でも、今の流行りは知らない。不安だわ」
「そうですねー。でも、招待状をお持ちになった使者の方は、『なぁーんも、心配いらんで……。ぐへへへっ!』と笑っていましたよ」
メアリが可笑しそうに話した。
「…………メルちゃん?」
小間使いのメアリは、メルのモノマネが上手だった。
可愛らしい姿をしているのに、口調や所作が奇妙なので真似してみたくなる。
メル語が感染してしまったアビーと違い、こちらは意図的かつ滑稽な模倣だった。
当人がメルのモノマネを見たら、顔を赤らめて怒るかも知れない。
「それなら、何も心配はしません」
「せや、なぁーんも心配せんでエエよ」
「うふっ……」
ラヴィニア姫は笑みを浮かべ、手に持ったチケットを胸に押し当てた。
◇◇◇◇
「ちょっと、アンタ。いっつも突然なのよ!」
「そうですわ、メルさん。物事には順序とか前置きみたいなものが、必要なんです」
「あーたら、この雪道を……。わざわざ、それ言うために来たんかい?」
メルはパー券を突き付けて捲し立てるタリサとティナに、呆れ顔をした。
二人とも防寒着でモコモコだ。
何なら、鼻を啜っている。
「おっ、お城で舞踏会とか……。一生に一度のイベントでしょ。舞踏会って、アタシが絵本で見たアレだとすれば、着ていくドレスがないのよ!」
「そうですよぉー!」
二人は、『ムキィィィィーッ!』と唸った。
なかなかに怖い。
「あーっ。舞踏会なぁー。毎年やるどぉー」
「えっ!?」
「毎年……」
「そうデス。一生一度のイベントとちゃうで。年に何回かは、やらなアカンかなと考えとりマス」
「何回も……。マジか……?」
「はわぁー。素晴らしいですわ」
タリサとティナはうっとりとした顔で、鈍色の曇り空を見上げた。
「メル姉さま。どうでしょうか?どこか変なところは、ありませんか?」
マルグリットはメルが花丸ショップで購入した幼児用ドレスを身に纏い、よちよちと雪の中を歩いて来た。
そしてメルの近くでクルリと回り、華麗にカーテシーを決めた。
「まあ、マルグリットちゃん」
「ふわぁー。カワイイ」
タリサとティナが、マルグリットの可愛らしいドレス姿を見て、ため息を漏らした。
「ふむ。ふむふむ」
雪かきをしていたメルは作成途中のイグルーにスコップを突き刺し、繁々とマルグリットを眺めまわした。
「よく似合っとる。お人形みたいで、連れ歩きたくなります」
「では……?」
「合格デス。わらしの妹分として、文句なしの出来栄えです。舞踏会への同行を許可しましょう」
「やったぁー!」
勿論、マルグリットの目当ては、舞踏会で饗されるご馳走だった。
「あたしたちにも、マルグリットちゃんが着ているようなドレスを貸しなさいよ」
「幼児用でなく、淑女用を所望しますわ」
「えっ!?あーたらには、ぴかぴか光る扇があるやん」
「だからなに……?」
「扇でどうしろと……?」
「あの扇で顔を隠せば、普段着でも恥ずかしくないデショ。ウヒャヒャヒャ……!」
タリサがメルの頭を殴った。
「グェッ!」
ティナはメルの頬っぺたを抓った。
「ヒギィ!」
最近になって、メルは幼児ーズのカースト上位を目指すようになったのだが、まだまだ二人の敏捷性には敵わなかった。
幼児ーズのナンバーワンとナンバーツーは、まさに瞬間湯沸かし器だった。
この二人に、下手なジョークは通じない。
「おぉーっ。タリサとティナじゃん。何しに来たんだ?」
通り向かいで雪を集めていたダヴィ坊やが、橇を引いて近づいてきた。
橇には『竜の吐息』で集めた大量の雪が、山と積んであった。
宿屋の出入口を確保するのは、ダヴィ坊やの役目だ。
中央広場は馬橇や人々の往来があるので、新雪も自然と踏み固められる。
だが建物の周囲には人が通らず、放って置くと屋根から落ちてきた雪で埋まってしまう。
この雪かき作業は、数年前からメルとダヴィ坊やの仕事だった。
妖精たちの助けがあるので、難しくはない。
大人たちは『子供の仕事じゃない。自分らがやる!』と言ったけれど、メルとダヴィ坊やは譲らなかった。
こうして奉仕活動をすれば、『子供のくせに……』と言われずに済むからだ。
幼児ーズは、利権獲得のチャンスを見逃さない。
「ダヴィーも舞踏会の話は聞いているでしょ?」
「おう、聞いてるぜ」
「だったら、メルちゃんに言ってよ。女の子は、ちゃんとしたドレスを着ていないと恥を掻いてしまうわ」
「いいや、普段着でよいと招待状に書いてあった。お城に入ると、魔法で衣装が変わるらしい」
「えっ!?」
「そんなこと、書いてありましたっけ?」
タリサとティナは、もう一度チケットを確認した。
「あった」
タリサが不愉快そうに顔を顰めた。
「ちっさい字」
ティナも文句を言いたげだ。
「なになに……。ご希望があれば、魔法で夜会用の衣装にチェンジします……。こんな隅っこに、砂粒みたいにちっさい字で書いたら、誰も気付かないでしょ!」
「そうですよ。大切なことなんだから、もっと目につく場所に大きく書くべきです」
「へへーん。オレは、ちゃんと気づいたぞ」
ダヴィ坊やは胸を反らし、得意げに言い放った。
「「喧しいわ!!」」
「いてっ。何をする!?」
そして二人の少女から、お尻を蹴りまくられた。
結局のところメルは、タリサとティナが納得するまでドレス選びに付き合わされた。
それはもう、二人にマルグリットの衣装を見られた時点で、避けようがない運命だった。
メルの中身は樹生なので、どうしたって女子のオネダリに勝てないのだ。
(君らはさぁー。まだデビュタントと言った年齢じゃないでしょ。社交界とか、どうでもよくない?これって、たてまえ上は社会見学みたいに思っていたんだけど。社会見学なら、こちらが用意したお仕着せで充分だろ。個性とか趣味とか、いったい何の話をしているんだよ。平等……。そもそも君らとマルグリットに、共通点なんてないぞ。マルグリットは僕の着せ替え人形だけど、君らは違うでしょ。いちいち逆らうし、ちっとも言うことを聞いてくれないよね?)
そんな不満を胸に抱えながら、相変わらず一言も口にできないメルだった。
真性のヘタレである。
◇◇◇◇
舞踏会の当日を迎え、一台の白い箱馬車がラヴィニア姫を迎えに来た。
ユグドラシル王国製の馬車である。
雪道どころか水の上でさえ、平気で走りそうだった。
「さあ、姫。お出かけの時間ですよ」
「アーロン……。今日はよろしくお願いします」
「お任せあれ」
準備万端、迎えを待っていたラヴィニア姫が、ソファーから立ち上がった。
「とても綺麗ですよ」
「嬉しい。ユリアーネとメアリが、頑張ってくれたんです」
そう。
ラヴィニア姫の支度には、大層な時間と手間が掛かっていた。
それはもう、ユリアーネ女史とメアリのヤル気に比例するのだから、仕方がない。
「ちゃんと胸を張って、背筋を伸ばす。顔を伏せてはダメ。常に笑みを絶やさず。夢が叶ったのだから、楽しまないと」
「そうですよ、ラヴィニアさま。思いっきり楽しんで下さいな。後で、あたしたちも行きます」
「うん。頑張る」
頷くラヴィニア姫の耳元で、アクセサリーが微かに音を立てた。
「落として無くさないか、心配だわ」
「そうそう外れたりしないわ」
「髪の飾りも……?」
「勿論です」
アーロンはラヴィニア姫とユリアーネ女史のやり取りを見ながら、胸に込みあげる熱いものを持て余していた。
『これが感動か』と思う。
魔法で成長したラヴィニア姫は、美しく健康的で幸せそうだった。
「本当に美しいよ」
「もう、アーロンてば……。そうやって煽てなくてもいいよ。恥ずかしくて、顔が火照るでしょ」
「封印の塔で苦しんでいた姫は、こんなに美人だったんだなと思ってね。今更ながら、激しく動揺しているんです」
ラヴィニア姫はアーロンの視線にドギマギした。
アーロンはラヴィニア姫の手を取り、ユリアーネ女史とメアリの仕事を真剣な表情で観察した。
グリーンの髪には大粒の真珠が飾られ、派手さはないが大人っぽい雰囲気である。
ハイウエストでスカートの裾がふわりと広がったオフショルダーのドレスは、精霊樹のイメージで仕立てられていた。
上半身の胴着部分は濃いグリーンで、白いスカートに大きく精霊樹の葉が描かれている。
中央のスリットから下地の白いスカートが覗く様子は、木漏れ日のようだ。
ドリアードの姫に相応しい、清らかな装いだった。
「とても似合っている」
「あら、当り前じゃありませんか。ずっとイメージしていた装いですから……」
「そうか……。その通りだな」
ユリアーネ女史の笑みは満足そうだった。
「さて、雪かきはしましたが、完璧とは言えませんから」
「あっ!?」
「せっかくのドレスを雪道で汚したくないですよね」
玄関口でアーロンにお姫さま抱っこをされたラヴィニア姫は、ちょっとだけ恥じらいを見せたけれど、小さく頷いた。
今日のエスコート役はアーロンである。
エスコート役のアーロンは、大切そうにラヴィニア姫を抱いて、豪華な箱馬車へと向かった。








