ラヴィニア姫、大人の階段を上る
ラヴィニア姫のお誕生日会は、村の集会所で催されることになった。
季節が良ければ、中庭でのガーデンパーティーを選択するところだけれど、外には雪が積もっている。
ドワーフの長であるドゥーゲルなら、火酒を煽って平然としていられるだろうが、寒さに耐性のない村人たちは凍えてしまう。
お誕生日会に必要なものは、ドゥーゲルとゲラルト親方が新型の雪上車で運んでくれた。
勿論、大量の料理やドリンクも搬入してある。
ユリアーネ女史を中心に、中の集落で暮らす小母さんたちが、会場の飾りつけやテーブルセットに手腕を振るった。
フレッドとアビーの料理が各テーブルに並べられ、メルの拵えた巨大ケーキが、お誕生日席を占拠した。
広い会場には何台かの達磨ストーブが設置されていて、室内は程よく暖かい。
参加者がワイワイと集まり、席を埋めていった。
数年間に亘り、幼児ーズと敵対関係にあった、村の悪ガキたちも楽しそうにしている。
子供なんてものは余程の憎しみがない限り、場の空気に染まってしまう。
今日はご馳走で満腹になり、ラヴィニア姫のお誕生日を祝うのだ。
ケンカは、また別の日にやればよい。
「子ろもなんて、そんなものデス」
メルは腕組みをして、偉そうに頷いた。
ユリアーネ女史に手を引かれて、お誕生日席に座ったラヴィニア姫は、目のまえのケーキを見て嬉しそうに微笑んだ。
「ベイビーリーフ号……。これはメジエール村ね」
巨大ケーキに飾られた大判のビスケットは、ベイビーリーフ号の形をしていて、ミントグリーンのアイシングを施されていた。
四方に描かれたメジエール村の四季は、ハチワレ料理長の手に因るものだ。
小さなコテとホイップクリーム用のチューブを手にして、せっせと仕上げた大作である。
何種類もの食用色素を巧みに使って描かれたファンシーな景色は、とても武骨な料理ネコの仕事とは思えなかった。
「何の匂いかしら……?」
ラヴィニア姫の鼻が、ヒクヒクと動く。
コーヒーリキュールの香りだ。
巨大ケーキに並べられた蝋燭の数は、十一本。
メルとラヴィニア姫の年齢は、どうしようもなく適当なので、『切りが良く十本で……』と言う意見もあったけれど、タリサとティナが『十一よ!』と頑なに主張したので十一本に決まった。
「皆さん、本日は寒い中、わたしの誕生日会に参加して頂き、ありがとうございます。美味しいお料理をたぁーくさん用意して頂いたので、楽しんでください」
ラヴィニア姫が立って挨拶をすると、お誕生日を祝う声が飛び交い、大騒ぎになった。
十一本のロウソクに火が燈され、ラヴィニア姫の誕生日を祝う歌が合唱された。
とても可愛らしい、年少組の合唱団だ。
ディートヘルムとシャルロッテも、一生懸命に歌っている。
ラヴィニア姫がロウソクの火を吹き消すと、一斉に拍手が鳴り響いた。
「おめでとー」
「おめでとう、ラビー」
「ありがとうございます」
ラヴィニア姫の顔は、興奮で赤く染まっていた。
「行くどぉー」
「ニャー!」
「ミャァー!」
メルとミケ王子、ハチワレが、一旦ケーキを大きなテーブルに移動させた。
そうしないと、ラヴィニア姫の前は巨大ケーキで占められ、何もテーブルに置けなくなってしまうからだ。
「ラビーさんには、特製料理じゃ!」
オーブンで焼き上げた、ワイルドなガーリックチキンだ。
皮つきニンニクがゴロゴロと入った、ラヴィニア姫のための料理である。
メルがテーブルに皿を置き、銀製のクローシュ(料理を覆う蓋)を外すと、ニンニクの匂いが漂う。
「うわーっ。美味しそう」
「どうぞ、召し上がれ」
トマトの冷製には、細かく刻んだ生ニンニクとドレッシングが掛けてある。
「まあ、まずはスープから」
温かなポタージュスープは、香りのキノコと根菜が入ったフレッド自慢の一品である。
「温まるね」
「先に、それを飲んでもらわんと、おとーが喧しい」
「どうして……?」
「おとーの拵えたスープ。やさしい匂がするやろ。繊細やねん」
「うん」
「わらしの料理を食ったら、その匂いは楽しめん」
「あーっ」
ニンニクのパワーは強烈なのだ。
◇◇◇◇
「おい。おやじども。今日は特別な酒を用意したったど」
「おーっ。まじかよメル坊」
ゲラルト親方が、料理皿から顔を上げた。
メルは持っていたビンを傾けて、ショットグラスに透明な液体を注いだ。
ほんのちょっぴりだ。
「これ見い。これな。ちょっぴしだけ、試せ」
「かぁー。これっポッチかよ。おまえケチだなぁー!」
横で見ていたドゥーゲルが、文句を垂れた。
ドゥーゲルとゲラルト親方が飲んでいたのは、エルフさんの魔法料理店で定番のラガービールだった。
それを大ジョッキに注いでは、水のように煽っている。
一方、メルがショットグラスに注いだのは、アルコール度数が90を超えるウォッカだ。
「これまた、小さなグラスだぜ」
言いながら、ショットグラスを口に運んだゲラルト親方が、激しく咽た。
「ウホッ……。何だ、これはぁー。グォォォォォォォォォーッ。口から火を噴きそうだぁー。グホッ、ゲホッ!」
「水飲め。ミズ。ほれっ!」
メルはラム酒のソーダ割を水だと偽って、ゲラルト親方に手渡した。
かなり濃いめの酒である。
「すまねぇ、メル坊。水、水……。グホォォォォォォォォォーッ。水じゃねぇし!」
「そう。酒じゃ。それも滅茶クチャ強いカクテルじゃ。わらしが用意した酒とおやじども、どっちが強いかのぉー?どっちが負けるんかのぉー?」
「このチビ助が舐めやがって……。ドワーフは火酒ごときに負けねぇよ。ここに注ぎやがれ!」
ドゥーゲルが手にしたジョッキをドン!とテーブルに置いた。
「あっ。ドゥーゲル、ジョッキは止めような。なっな……」
メルはショットグラスになみなみとウォッカを注ぎ、上目遣いでドゥーゲルを見た。
「けっ。こんなもん、一息で……。グハァァァァァァァァァァァァーッ!水、水……。グホッ、ゲホッ」
どうやら、想像していたよりヤバいようだ。
「ストレートはアカンかぁー。ほな、カクテルにしよか」
メルは立ち上がり、騒々しく咳込む鍛冶屋のオヤジたちから離れた。
「メルさま。そちらのお酒を譲っては頂けませんか?」
「おっ、斎王さま。これは劇物みたいな酒デス」
「ザスキアが、欲しがっておるのです」
「はぁー。水蛇だけに、蟒蛇ってかぁー。よおがす。ほんなら、タルブ川の守護神さまに奉納しまひょ」
会場に即席のバーカウンターを用意して、メルとハチワレが美味しそうなカクテルを作り始めた。
そんなものはメジエール村に存在しないので、目新しさから手を伸ばす大人たちが大勢いた。
名前も知らなければ、酒精の強さも分からぬまま、口当たりの良いカクテルを飲む。
「キレイな色ね」
「これ、鮮やかな青よ」
「ほんのりと甘くて、美味しいわ」
「んーっ。強い酸味が堪らんな」
「これは塩か。グラスの淵に、塩が塗ってある。洒落てるなぁー」
暫くシェーカーを振り続けたところ、酔っ払いが大量生産された。
酔い潰れはしないだろうが、もうケーキの味など分かるまい。
フレッドとアビーもヘロヘロだ。
念願だったラヴィニア姫のお誕生日会を開催できて感極まったユリアーネ女史とアーロンも、ドライマティーニをパカパカと空けていた。
何だか、この二人がラヴィニア姫より幸せそうに見えた。
「おし、店じまいじゃ!」
「にゃ!」
皆でケーキを食べ終えたら、浄化で酔いを飛ばしてやれば問題ないだろう。
メルが計画を進めている間に、ラヴィニア姫はプレゼントを受け取っていた。
返礼で渡される記念品は、ユリアーネ女史との相談で魔法の腕輪にした。
妖精とのコミュニケーションを補助してくれる、便利な魔法具だ。
メジエール村では、もうユグドラシル王国との交流が始まっていた。
アーロンに唆され、劇的な演出で魔法の指輪を渡そうとしていたメルだけれど、本番になって臆病風に吹かれた。
結果、幼児ーズの皆とプレゼントを渡す列に並び、モゴモゴとおめでとうの言葉を口にして、プレゼントの箱を突き出した。
とても格好悪かった。
「メル姉。このケーキ、美味いな」
「ダヴィの言う通りですわ。とても美味しい」
「お腹がホカホカするんだけど、これは何なの……?」
「うむっ。酒が入っとる」
メルはしれっとした顔で、タリサの疑問に答えた。
「エェーッ。叱られないかな」
ラヴィニア姫が心配そうに周囲を見回した。
「ラビーはん。安心してくらはい。文句を言いそうな連中は、轟沈しときましたっけ」
「「「うわぁーっ!!!」」」
「ヒャァ。おまいら何ね!?」
メルの横をマルグリットが駆け抜けて行った。
その後に、ちびっ子たちが続く。
テーブルの角でターンしたマルグリットは、ちびっ子たちを飛び越えてラヴィニア姫の前に着地した。
その手には、ビスケットのベイビーリーフ号が握られていた。
「これ、ラヴィニア姫の……」
「えっ?」
「お誕生日の記念。ちびっ子たちに食べられてしまう」
マルグリットがビスケットのベイビーリーフ号をラヴィニア姫に手渡した。
「取っておいてくれたんだ。ありがとぉー、マルグリット。でも、記念は要らないの。もう、充分に幸せよ」
「そう……。それでは、どうしましょう?」
「君たち、お誕生日の歌をありがとう」
「どういたしまして」
「おめでとう、ございます」
「おいわいします」
「おいわいもうしあげますだよ」
「めでたぁーい」
ちびっ子たちは照れくさそうにはにかみ、それでもラヴィニア姫に短く祝辞を述べた。
「ウフフッ……。ありがとうございます。君たちは、これが欲しいのね。でも、取り合っては駄目よ。仲良く分けましょう」
「「「わぁーい!!!」」」
ちびっ子たちは、ラヴィニア姫が割ったベイビーリーフ号の欠片を受け取り、暫くの間パズルを楽しんでいた。
その夜、自室に戻ったラヴィニア姫は、メルから贈られたプレゼントの箱を開けた。
「うわぁー。可愛らしい指輪」
化粧箱に添えられたメッセージには、こう記されていた。
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魔法の呪文:パンパンパカパン、パンプキン。プルプリプルルン、大きくなぁーれ。
これは大人になる呪文です。
指輪を嵌めて呪文を唱えると、身体が大きくなるので、服を着ていると困ったことになるよ。
着替えは、ちゃんと用意しておいてね。
恥ずかしがらずに大きな声で呪文を唱えると、大人になれます。
恥ずかしがったり、声が小さいと、ちょっとだけしか大人になれません。
このちょっとは、時間じゃなくて成長の度合いです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
メル文字の専門家を自認するラヴィニア姫だが、全文を解読するまでに小一時間を費やした。
「相変わらず読めない。てか、この縛りは必要なの……。呪文とか……。でも、最高の贈りものだわ。メルちゃん、ありがとぉー!」
兎にも角にも、あれほど憧れていた大人になれるのだ。
勇気を出して試すしかあるまい。
指輪を嵌めてみた。
「パンパンパカパン、パンプキン。プルプリプルルン、大きくなぁーれ♪」
ピカッと光って大きくなった。
「イッ、イヤァァァァァァァァァァァァァァーッ!」
ラヴィニア姫はメルからのメッセージを解読したのに、ちゃんと注意事項を守らなかった。
なので、脱ごうとした寝間着のズボンに足の自由を奪われ、床の上に転がった。
尺取り虫、再びである。
「ハァハァハァ……」
ずっと見ていたハンテンが、ラヴィニア姫に近づいてきて、足の裏をペロペロと舐めた。
大きくなろうが小さいままだろうが、ハンテンにとってラヴィニア姫はラヴィニア姫である。
「ヒャ、ヒャ、ヒャ……。くすぐったいよ。ハッ、ハンテン。やめて」
新しい遊びと勘違いしたハンテンは、ラヴィニア姫の顔を舐め始めた。
「うっぷ……。くっ、苦しい。キャァーッ。ユリアーネ、助けてぇー!」
少女が大人になるのは、事程左様に大変なのだ。








