良かれと思ってしたのデス!
「これを着るのですか……?」
「はい」
「ウーム」
精霊祭の前日、湖の中央にある精霊宮へ移ったメルは、用意されていた白い衣装を目にして唸った。
「ちと厳しくない?そのぉー。重さとか、動きやすさとか……」
儀典用の礼服は、聖職者が身に纏うようなデザインだ。
シルエットは裾の長いスモックのようだけれど、何枚も重ねて着る。
多分、兄の和樹が送ってきたデータを参考にして、各種宗教の礼服をゴージャスにアレンジしたのだろう。
背後に流すマントのような生地はとても長く、金糸で世界樹が刺繍されているために、滅茶クチャ重たそうだった。
「妖精女王陛下のご威光を天下に示すためです。この程度の装飾は、どうしても必要かと存じます」
儀典長のクラウディアが、事もなげに言い放った。
その表情は、むしろ得意そうである。
「これを着たら、動けへんよ」
儀典用の礼服だけではなく、宝冠や王笏まであるのだ。
精霊際の間は、首を傾げることも許されない。
「おほん……。式典の間は、さほど動く必要がございません。陛下は祭壇前まで移動して諸侯の挨拶を受けたら、そのまま退場なさるだけ」
「ほう」
「精霊宮の入口まで参りましたら、輿に乗って頂きます。桟橋までは、輿にてお運び申し上げます」
「退場なさるだけ。『だけ』と言うたのに、まぁーだ続きがあるんかい。もう、晒し者ですね」
メルはうんざりとした顔で俯いた。
「お披露目ですから……。明日は笑顔で、お願いします」
「はい」
「小舟を使い、湖の対岸に到着したら、馬車に乗り換えてパレードをします」
「小舟……。馬車……。ぱれーど!?」
「ええっ。妖精女王陛下の、お披露目ですから……」
メルの視線が宙を泳いだ。
逃げたい。
だが、どこにも脱出路はない。
そんなメルを見て、クラウディアが小さく首を振った。
ここまで、一度たりとも打ち合わせが無かったのは、メルの逃亡を案じてのことだった。
クラウディアは各種資料から、妖精女王が引き起こしそうなトラブルを事前に予測していた。
これらを防ぐべく、対策は何重にも講じてある。
「陛下が見つめていらっしゃる通路には、強力な封印の結界を施してあります。無闇に惨めな思いをしたくなければ、逃げたりなさらぬ方がよろしいかと」
「まじか……!?」
「嘘など申しません」
妖精女王は、我慢と辛抱が苦手だ。
いったん決意をしても、長期の継続は難しい。
「わらし、お家に帰りたいデシ」
メルはクラウディアを拝み、クネクネと身を捩らせた。
だがしかし、妖精女王の泣き落としに応じるようなクラウディアではない。
「本番では、くれぐれも余計なことをなさらず、笑顔で民に手を振ってください」
「いたいけな子ろもの訴えを無視するなんて、クラウディアの意地悪。酷いです。わらし悲しい」
「はぁー、情けない。ご自分の姿を鏡でご覧ください」
クラウディアが、大きな姿見を指さした。
姿見にはポロポロと涙をこぼす、美しい娘の姿があった。
「……ウッ!」
メルの心に動揺が走った。
その娘は、明らかに嘘つきの顔をしていた。
そもそも成長した乙女の姿で目を潤ませ、訴えて見せても、望んだ効果は得られない。
幼女の外見がなければ、メルの拙い演技は男を誑かすウソ泣き女と、何ら変わらなかった。
自惚れた男にしか通用しそうもない、薄っぺらな演技である。
最初から、クラウディアにはバレバレだった。
「これが、わらし……?うそぉーん」
メルは眩暈に襲われ、よろよろと姿見から後退りをした。
◇◇◇◇
「妖精女王陛下のおなり!」
精霊宮の広い礼拝所に、扉を守る儀仗兵の声が朗々と響く。
重厚な扉が開き、多くの従者を伴い、妖精女王が姿を見せた。
「メルや。ここが正念場だよ」
調停者クリスタがメルに囁く。
美しく着飾ったクリスタは、まさにエルフの女王だった。
だが妖精女王のメルは、それにも増して凛としたクイーンである。
「分かっとーよ、婆さま」
先導役は、調停者クリスタとアーロンが務める。
お披露目に招かれた者たちが腰を折り、妖精女王メルに首を垂れた。
その中には、ウスベルク帝国のウィルヘルム皇帝とアマンダ皇妃の姿もあった。
妖精女王の身内枠で、アビーとフレッド、幼児ーズとミケ王子が並んでいる。
フレッドに抱っこされたディートヘルムは、ご機嫌の笑顔だ。
ぐるりと礼拝所を見渡せば、魔法王や悪魔王子の姿も目に入る。
三人の姫、精霊樹の守り役たちも居た。
驚いたことに各地から呼びつけられた人族の王たちも、オドオドとした様子で立礼していた。
おそらくではあるが、偶然にも妖精の道に迷い込んだのだろう。
さもなくば、王族の誘拐である。
招かれていないのは、ミッティア魔法王国の王だけであった。
グウェンドリーヌ女王陛下が出奔してしまい、玉座が空席となっているのだから仕方ない。
だが責任者の出席していない国は、メルの地図からデリートされる。
「うむ。上がるは……」
メルが小さく呟いた。
気分の話だ。
もともと偉そうにするのは大好きだった。
妖精女王に礼を尽くさんとする精霊たちを眺め、自然とメルの背筋が伸びた。
「シャモニー、ミリアム……。行くぞ」
メルは侍女たちに声を掛けた。
「あい。陛下」
「畏まりました」
シャモニーは、小竜公から賄賂を受け取った小柄な侍女だ。
ミリアムもノーム族の血を引く、小柄な娘だった。
二人は妖精女王の部屋付き侍女である。
だけど大層な力持ちだった。
侍女たちが長すぎるマントの裾を捧げ持つと、メルは礼拝所に足を進めた。
「本日はユグドラシル王国の建国式に集まってくれたこと、妖精女王として嬉しく思う。皆の者、大儀である。面を上げよ!」
妖精女王の座に腰を下ろしたメルが、淀みなく挨拶の口上を述べた。
顔を上げた参列者たちは、清楚で美しい妖精女王を目にして硬直した。
特に精霊会議でメルの素行を問題にしていた長たちは、驚きの余り目が点である。
〈あ、あれが妖精女王陛下なのでしょうか……〉
さっそく指向性の念話が、精霊議会メンバーの間で飛び交う。
周囲を憚る内緒話だ。
〈おいおい。カメラマンの精霊が用意したデータと、全く違うではないか……〉
〈替え玉じゃないの……?〉
精霊会議に参加した精霊たちは、メジエール村で隠し撮りされた小さなメルしか見ていない。
儀典長のクラウディアに変身させられたメルの姿は、世話役のスタッフや町に住む精霊の一部が目撃しただけ。
なので精霊の長たちは、ちんまい妖精女王が焼き菓子を齧りながら登場するのではないかと、ハラハラしていたのだ。
〈いいや。あのお方こそ、正真正銘の陛下であらせられる〉
皆の疑問を得意げに否定したのは、小竜公だった。
〈何故、公が断言なさる?〉
〈まさか、抜け駆けですか!?〉
〈そこは想像にお任せしよう〉
〈ムカつく!〉
〈ずるい〉
文句を言ったのは、南風と湖の乙女だ。
まさに、おまいうである。
「初勅である。精霊諸君、食事の習慣を身につけよ。美味しいを学ぶのだ」
メルの宣言に、立ち並ぶ精霊たちが動揺した。
食事などしたことが無いのだから、当然であった。
「小竜公よ。貴公に訊ねる。美味しいを学ぶのは難しいか?苦しゅうない。直答せよ!」
「はっ。陛下。謹んで、お答え申し上げます。美味しいを学ぶのは喜びであり、困難などありません」
「よろしい。小竜公の言葉を聞いたな。わたしの弟子が、諸君のために精霊料理を用意した。遠慮なく試すがよい」
返事がない。
だが習慣とは、そんなものである。
そこは料理ネコたちが、何とかしてくれることだろう。
「そうそう。遠方の国々より招かれた王たちに、伝えるべきことがある。近い将来、ミッティア魔法王国は地図から消えるだろう。その日に、備えよ」
全面戦争だ。
ミッティア魔法王国と国境を接する小国の王たちは、顔を引き攣らせた。
「聖樹の分け身である妖精女王の言葉、ゆめゆめ疎かにするでない。くれぐれも身の振り方を間違えぬよう、心せよ」
湖畔の桟橋へ輿で運ばれたメルは、優雅な小舟に乗り換えた。
「メルさまにおかれましては、ご即位、おめでとうございます」
出迎えてくれたのは、水妖たちの頂点に君臨する斎王ドルレアックだった。
未だに斎王を名乗りながらも、エルフの長をクリスタに返還したドルレアックは、ミジエールの歓楽街で暮らしている。
タルブ川とヴェルマン海峡の守備が、メルから依頼された役目である。
「妖精女王陛下、バンザイ!」
「「「万歳!!!」」」
水霊や水妖たちが、妖精女王陛下を讃える。
そこには、ボッチ人魚ジュディットの姿もあった。
湖の上空を舞うセイレーンたちが、妖精女王の登極を祝い、軽やかな声で歌った。
精霊たちの喝采を受け、妖精女王のパレードは異様なほど盛り上がった。
なので国民に挨拶すべく、ゴージャスなドレスに着替えて、宮殿のバルコニーに立つと。
メルは、上機嫌で言い放った。
「みんなー。わらしを祝福してくれて、ありがとなぁー。したっけ、わらしから、みんなに、お返しの祝福じゃ!」
その言葉と同時に、大輪の赤い花が青空に咲いた。
そのサイズは、これまでにないほど大きく、メルの全力だと思われた。
出血大サービスである。
「お……?おおっ!?」
景色が揺れた。
「あやややや……」
一気に身体が縮んで行く。
細くなった肩から、ドレスが脱げ落ちた。
おっぱいの抵抗が消えた途端に、ストンである。
「フォォォォォォォ-ッ。ヤバイ、ヤバイ。全部、脱げよった」
愕然として自分の身体を見下ろすと、頭から落ちた宝冠がバルコニーの床に転がった。
「全く!あれほど、余計なことはしないで下さいと、申し上げたのに」
慌てて駆け寄ったクラウディアが、小さくなった妖精女王を小脇に抱え、そそくさとバルコニーから立ち去った。
「イヤーン!」
爪先に引っ掛かっていたドロワースがはずれ、風に吹かれてヒラヒラと飛んで行く。
妖精女王陛下メル、白昼堂々の公然わいせつ罪で、強制退場。
◇◇◇◇
「わらし、調子に乗りました」
「まあ、メルだもんね。ボクは充分に頑張ったと思うよ」
メルとミケ王子は、精霊樹の根元に並んで座っていた。
「最後の最後にしくじって、悔しいデス。ハダカで退場とか、あり得ません。恥じかちい」
「大丈夫だよ。あの時、みんな空を見上げてたから……。祝福に夢中で、気がついたら妖精女王陛下は消えていた。概ね、そんな雰囲気だったもん」
「格好悪いところ、見られとらん?」
「うん」
ミケ王子は、メルの肩をポンポンと叩いて慰めた。
メジエール村の中央広場が、夕日に赤く染まっていた。
「ほらほら、マルー。お尻は、もっと早く振らないと」
「あい」
「今年の特賞は、ベーコン一年分です」
「頑張る」
メルとミケ王子から離れた場所で、タリサとティナがマルグリットにカボチャ姫のダンスを教えていた。
メジエール村の精霊祭は、もうすぐだ。








