ママンのお古は着たくない
第一発見者はマルグリットだった。
と言うか、有無を言わさず抱き枕にされているのだから、メルの異変に気付くのは当然だ。
「たっ、たしゅけて……」
「あわわわわわっ、メル姉さま?」
マルグリットはわが目を疑った。
何しろ、昨晩迄は凹凸などなかったメルの身体が、ボインでバインなのだ。
背丈も伸びて、とてもではないが同一人物に見えない。
「マルー、わらしはどうなってしまったのじゃ!?」
「えーとですね。わたくしの所見としましては、一気に育った……?」
「なぬ!?」
髪や瞳の色、顔立ちなどは、メルを成長させたならこうもあろうと言う範疇だ。
しかし、子供用の寝間着から覗くナイスバディが、マルグリットをひどく混乱させた。
びん!
寝間着のボタンが弾け飛んだ。
パッツンパッツンなので、どうしようもない。
ボタンどころか、寝間着の尻は生地まで裂けていた。
「苦しくて、動けん。マルー、鏡を」
「はい。鏡です」
メルはマルグリットが差し出した鏡を覗き込んだ。
顔の直下に覗くのは、二つの膨らみ。
恐るおそる鏡で確認してみると、アビーの如き、たわわなオッパイがそこに……。
鏡に映しだされたメルの姿は、ボッチ人魚さんのジュディットを彷彿とさせる、成熟した娘の姿だった。
考えもしていなかった事態だ。
まさしくTS女子としての緊急事態である。
「フッ、フッ……。フギャァァァァァァァァァァァァーッ!!!」
ベッドに半身を起こしたメルは、天に向かって絶叫した。
ギリギリ耐えていたボタンが、寝間着の胸元から下へと向かって、順に飛び散った。
「ひゃぁ!」
マルグリットはアビーに助けを求めるべく、精霊樹の家から飛び出した。
酔いどれ亭ではメルの悲鳴に気づいたアビーが店先に立ち、精霊樹の方を眺めていた。
少し心配だけれど、相手はメルである。
「ああーっ。また、虫でも出たか……?」
これまでの騒動を思い返すと、駆けつける気も失せる。
「ムシ、むし、虫と、そこいらじゅう虫だらけなんだからさ。そろそろ慣れたらどうなの……」
アビーがそうぼやいたとき、魔法料理店の裏口がバン!と開け放たれた。
「アビーさん。大変です!」
小さなマルグリットが、寝間着姿でピョンピョンと跳ねている。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、早く来てくださいませ。わたくしの手には負えません」
『早く、早く!』とマルグリットに急き立てられ、アビーは精霊樹の二階へ向かった。
「メルちゃん。入るよ」
「ウハッ。まぁま……。いま、ちと都合が……」
部屋の中から、ドタンと倒れる音がした。
ついでガラガラガッシャンと、物の崩れる音が続く。
「入るよ」
「だめだめ……。まぁまは、入ったぁアカーン!」
問答無用で扉を押し開ける。
「えっ!?」
まず最初にアビーが思ったのは、『侵入者が居る!』であった。
盗人を捕縛したのだろうか?
だとするなら、メルはどこに隠れているのだ。
それにマルグリットは、『わたくしの手には負えません』と言った。
メルとマルグリットの実力があれば、侵入者など簡単に撃退できるだろう。
「うわぁーん。見たぁアカンよ」
小さすぎる寝間着に絡まった半裸の娘が、悲しげに訴えた。
先程から聞こえていた、メルの声である。
『もしかして……?』とアビーは、床に転がっている娘をじっくりと見た。
娘が着ている寝間着は、メルのものだった。
それに特徴のある訛った話し言葉。
更に注意深く観察してみると、顔立ちがメルに酷似していた。
髪や瞳の色も、メルである。
エルフ耳と耳毛も……。
でも、現実にこんなことが起こり得るのだろうか……?
一夜にして子供を大人に変えてしまう魔法など、アビーは知らなかった。
「メル……?メルちゃんなの?」
「あい。わらしデス。シクシク……。寝間着を脱ごうとしたら、こうなりました。腕も足も、抜けへん」
尺取り虫のように床で足掻くメルの様子は、余りにも憐れだった。
寝間着は殆ど開けてしまい、あられもない姿である。
床にぶつけて腫れあがったおでこが、痛々しい。
「何だかなぁー。あんたは、山賊にさらわれた村娘か……!?」
アビーは全身から脱力して、軽口を叩いた。
足元に転がっている娘がメルだと分れば、嫌も応もなく緊張は解ける。
何にせよ、ここは母親の出番だった。
「サンゾクって、なんの話や……?」
「そうやって暴れるとケガをするから、じっとしていなさいと言うの……。悪人に攫われた訳じゃないのだから、差し迫った危険はないでしょう?助けが来るまで、おとなしく待てばいいじゃない」
「…………っ!」
「それにしても、どうして大きくなっちゃったのよ。一晩で成長するなんて、絶対に異常じゃない。何か心当たりはないの……?変な物を食べたとか」
「ほんなん知らんわ!!」
そう吼えると、メルは又もや暴れ出した。
「だ・か・ら……。寝間着が脱げないからって、床に頭を打ち付けるのは止めなさい」
「寝とる間に大きゅうなってたら、まぁまだって焦るやろ。ビビるやろ。わらしがジタバタするんは、当然自然の反応じゃ。ちっとも悪ぅーないどぉー!」
「アハハ……。助けて欲しい癖して、憎まれ口は止めなさい。喧しいから、ちょっと黙ろうか」
アビーが呆れたように笑った。
「なあなあ……。娘の窮地を面白がってないで、はよう助けてんか」
「はぁー。取り敢えず、それはハサミで切らないと無理そうね。ちょっと待っていなさい」
アビーは状況を見て取り、メルの頭を撫でた。
「まぁま。急いでな……。わらし、もう限界や。こんな姿を誰かに見られたら、恥ずかしゅうて憤死するわ」
「ハイハイ」
そもそもが、木の枝に生っていた精霊の子だ。
まったく驚かないと言えば嘘になるが、アビーの立ち直りは早かった。
「ちゃんとドアを閉めてな!」
「ハイハイ」
「誰にも言わんといてな」
「ハイハイ」
大きくなっても、メルはメル。
その小生意気な態度が、甘ったれで可愛い。
◇◇◇◇
「ほえーっ。コレ着るんか……?」
「文句を言わない」
きつきつの寝間着から解放されたメルは、アビーが用意した服を不満そうな目で見た。
マルグリットがメルを寝間着の拘束から解放しなかったのは正解だった。
もし服がないまま自由になったら、メルは裸で外に飛び出したかも知れない。
そうなればもう、痴女である。
公序良俗のためにも、メルのためにも、マルグリットの選択は正しかったと言えよう。
アビーはそっとため息を吐いた。
「コレは、まぁまが着ていた服デショ?」
「それしかないの……。我慢しなさい」
「なんか嫌だ」
特にドロワーズを穿くのが嫌だった。
「失礼ね。キレイに洗ってあるわよ」
「そういう問題とちゃいます」
樹生の感性からすれば、ママのパンツを穿くヤツは変態なのだ。
メルに転生したからと言って、その心理的な抵抗は消えない。
「いつまで全裸でいるつもりなの……。みっともないから、さっさと穿きなさい!」
「うん」
メルはアビーに促され、ドロワーズを穿いた。
何か大切なものを失ったような気がした。
だけど、ここはメジエール村。
古着、おさがりは、村人の常識なのだ。
まあ流石に、おしめや下着を知人に譲ることはしないが。
そして今回、花丸ショップはメルの助けにならない。
ざっくりと商品欄を調べたのだが、男女共に大人用の衣類は一着も見つからなかった。
きっと祈りが、足りていないのだろう。
ユグドラシル商品開発部がメルの願いを叶えるには、それなりの時間を必要とする。
メルが真面目に将来を見据え、もっとアレコレ欲しがっていれば、女性用の衣類も今より充実したことだろう。
まあ、あり得ない話ではあるが……。
「ぎゅっと紐を締める。丈は問題ないようね」
「そう……?」
アビーはメルより少しだけ背が高いので、サイズに問題はなかった。
ドロワーズにシュミーズ、胴着と、どれも紐で調整できる。
多少なら布が余っても、誤魔化せるのだ。
「あう。胸が、変な感じデス」
「あーっ。いきなりオッパイが膨らんだからね」
「ゆさゆさと揺れるのぉー」
「そうやって揺らすな」
「先っぽが、布に擦れます」
「激しく動くときは、オッパイを押さえておかないと痛いよ」
「マジかぁー!?」
メルはブラジャーの大切な役割を知った。
だがメジエール村に、ブラジャーは存在しなかった。
何はともあれ、さっさと自分用のドロワーズを購入したい。
「ティナの店で買おう」
メルカなら唸るほど持っている。
新品のドロワーズくらい、何枚でも買えるだろう。
そこでふと考える。
シュミーズの裾が邪魔で、ライトニング・ベアに跨れない。
「仕方なし……」
メルは久しぶりにスケートボードを取り出し、足で漕いだ。
サンダル履きなので、スケートボードの操作が難しい。
「ちっ!」
サンダルが脱げてしまったので、仕方なく取りに戻った。
すると朝ゴハンが終わったばかりだと言うのに、『竜の吐息』からダヴィ坊やが姿を見せた。
渡りに船である。
「なんね。デブがおるなら、ライトニング・ベアを運転してもらえばエエやん」
ダヴィ坊やにハンドル操作を任せ、自分はシートの後ろに横座りすればよい。
なんならライトニング・ベアで、スケートボードを牽引してもらっても良い。
「おぅい、デブ」
「えっ。お姉さんは、誰ですか?」
振りむいたダヴィ坊やは、警戒心を隠そうともせずに、メルを睨んだ。
「………………」
メルは自分の変わり果てた姿を思い出し、泣きそうになった。
「デブ、わらしデス。メルです」
「はぁー!?」
「今朝起きたら、大きゅうなっとったんや」
「そんな噓に、オレは騙されないぞ」
「本当や。信じてくらはい」
ダヴィ坊やは、プイッとメルから視線を逸らした。
「やあ、メル。よい朝だね」
そこにやって来たミケ王子が、ご機嫌な様子で挨拶をした。
「ミーケさん。わらしがメルだと分るんですか?」
「やだなぁー。どんな姿をしていようと、メルはメルでしょう」
「ミーケさぁーん!」
感動したメルは、ひっしとミケ王子を抱きしめた。
◇◇◇◇
「ねぇね……?」
その一部始終を物陰から見ていたディートヘルムは、親指の爪を噛んだ。
朝起きたら、母さんが知らない女の人に自分の服を着せていた。
こっそりと話を聞いていたら、女の人はメル姉さんだと言う。
そんな話、信じられない。
ボクの姉さんは、母さんみたいに大きなオッパイをしていないんだ。
ボクより背は高いけど、ダヴィさんより少し低い。
そりゃあ顔は姉さんとそっくりだし、話し方も似ている。
髪や瞳の色も、おんなじだ。
エルフ耳と耳毛も……。
だけど大きさが違うでしょ。
大きさが違えば、それは別人だよね。
ディートヘルムはそう考えていた。
「ディートヘルムさん」
「ひゃい!?」
ディートヘルムは突然マルグリットに話しかけられて、跳び上がった。
「あれは間違いなく、メル姉さまです」
「そうなの……?」
「はい。わたくしが保証しましょう」
それでも。
俄かには信じがたい話だった。
それなのにミケ王子とダヴィ坊やは、怪しい女の人が出した七輪を囲んで、鮪のトロを焙り始めた。
美味しそうな匂いが漂って来る。
ディートヘルムの口中に唾液が溢れた。
「あれ?」
気が付けばマルグリットも、七輪を囲む輪に加わっていた。








