グウェンドリーヌ、英断する
この世界には詳細な地図がない。
概念界と現象界の相互互助関係によって、暗黒時代に大きな変動が起きたからだ。
両世界は削れ、徐々に縮小した。
だがクリスタの執念が実り、概念界と現象界の関係が修復されたことで、消滅の危機は去った。
「こっからは拡大の時代じゃ!」
メルの鼻息は荒い。
妖精女王陛下としては、その力の見せどころである。
やっていることは世界創造のゲームと変わらない。
白紙に地図を掻き込むようなものだ。
ではあるが、実際に世界を拡張するのだから男冥利に尽きる。
建築技師や職人たちが、ランドマークとなるような高層ビルを建てるのに近い。
大きなことに関わる仕事が、単純に誇らしい。
TS女子だけど……。
「やりがい大事ヨ」
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵と言う病巣がウスベルク帝国から取り除かれたので、ユグドラシル王国の支配度は容易に上げることができた。
以前と違って、大量に投入した花丸ポイントが一夜で消えることもない。
それだけでなく、どこに植えても精霊樹がスクスクと育つ。
「まずは、精霊樹を植えまくることね」
「うむ。ラビーさんには、よろしくお願いしマス」
ラヴィニア姫も、自分の出番が来たと張り切った。
ユグドラシル王国の支配領域が増えれば、ケット・シーたちだって大ぴらに活動できる。
そうなれば【猫まんま】のチェーン展開も、順調に伸びるだろう。
メルの美味しい教団が、世界を制覇する日は近い。
多分……。
「海のあっち側、ミッティアじゃ。こっち側がユグドラシル王国。わらしたちが住む大陸に名前がないんは、不満デス」
「だったら、メル姉が名前を付けたらいいだろ」
ダヴィ坊やが言った。
「みーんなが住む土地じゃけ、勝手に名前を付けるんはどうかのぉー?」
「誰かに相談する?村長さんとか……」
タリサが小首を傾げる。
メル、ラヴィニア姫、ダヴィ坊や、ティナの四名が、渋い顔になった。
「ややや……。単なる例だよ。大人に相談するって話。あたしだって、本気でファブリス村長の名前を上げた訳じゃないもん」
ファブリス村長に頼んだら、いつ大陸の名が決まるのか分からない。
大切な決断を迫られると、頭を抱えて寝込んでしまう気弱な老人なのだ。
「タリサさん。爺を苛めるんは、アカンで」
「そうだぞ、タリサ」
「うっさいわね!例えばの話だって言ってるでしょ!!」
結局のところ、大陸の名称はクリスタに考えてもらうことになった。
ウィルヘルム皇帝陛下の名は、五人の会話に一度たりとも登場しなかった。
「話は変わるけど、わらしらのチーム名をそろそろ変えんといかんデショ」
幼児と呼ばれるのは四歳までだ。
児童が五歳から十歳まで。
そこから成人までは青年と呼ばれる。
少なくとも樹生が暮らしていた社会では、そうだった。
つまり幼児ーズの名は、とっくの昔に期限切れなのだ。
それなのに幼児ーズと呼ばれ続けるのは、五人にとって屈辱である。
「わらしらは、既に立派なオトナよ。それなのに、いつまぁーでも幼児と呼ばれるんは、おかしいでしょ!」
「そうだ、そうだ!!」
「概ね賛成です」
「議題に上げるのが遅すぎよ」
「タリサ。この問題は、幾度となく話し合われたじゃないですか。その度に新しいチーム名で意見が分かれ、結局は幼児ーズのまま」
ティナが悲しそうに言った。
幼児ーズの結束は固いけれど、意見の統一は難しい。
我が強くて、自分の主張を曲げないのが、メンバーの特質だった。
「ティナの言う通りデス。わらしも学習しました。仲間が揉めるのはアカン。そこで今回は、大陸と同様に、格好よいチーム名を誰かに決めてもらおうと思う」
「おおーっ。ナイスアイデアだ。流石メル姉」
「良いですね」
「なるほど、自分たちで決められないから誰かに決めてもらうと言う事ね。このさい仕方がないでしょう。恨みっこなしで」
「はぁー。それで、どなたにお願いするのですか?」
ティナが難しそうな顔で訊ねた。
「そえは……。斎王さまとか……?」
「オレはバルガスに頼むのが良いと思うぞ」
「わたしは、ユリアーネに頼んでみます」
「いやいや……。ここは、アビーさん一択でしょ」
「わたくしは、斎女のエグランティーヌさまにお願いしたいです」
「グヌヌヌヌッ……。意見が割れてしもうた。バラバラや。で、誰に頼みマスカ?」
又してもケンカになった。
幼児ーズが幼児ーズと呼ばれ続ける所以は、年齢や外見と無関係だった。
その行動が直情的で幼稚に見えるからだ。
幼児ーズの秘密会談を眺めていたマルグリットは、そう確信した。
◇◇◇◇
「先触れもなく参上したこと、お詫び申し上げます」
『女王の間』に跪き、マリーズ・レノア中尉が挨拶の口上を述べた。
「よい。気にするな。火急の報告であると聞いた。七人委員会のサラデウスを同席させるか?」
「内密にて……。出来れば人払いを」
「承知した。お前たちは下がりなさい」
「畏まりました」
「仰せのままに……」
グウェンドリーヌ女王は、エルフの占い師イルザと侍女のモニカを退室させた。
「慧眼の能力を使い、其方たちの帰還は予想しておった。よき報告ではあるまい」
「ははっ。女王陛下への親書を預かっております」
「クリスタか……?」
「調停者クリスタと再生ユグドラシル王国のメル女王からです」
「わが師が、やはり生きておったか……。しかも、ユグドラシルを蘇らせたのだな」
グウェンドリーヌ女王の目に涙が溢れた。
その報告は心から喜ぶべきことであると同時に、ミッティア魔法王国の破滅を意味した。
「で、戦局は……?」
「………………」
「構わぬ。忌憚なく、真実を申せ」
「ウスベルク帝国はモルゲンシュテルン侯爵領に軍を進めております。ヴラシア平原での戦いは、魔装化部隊の大敗に終わりました」
「魔装化部隊が敗北したか……。して、わが軍はルデック湾に築いた橋頭保を守れようか?」
「私見となりますが」
「気にせず申せ」
「守れませぬ。おそらくは、一日と持たずに陥落するでしょう」
「そうか」
グウェンドリーヌ女王が震える手で親書を開いた。
「…………っ。懐かしい文字よのぉー。間違いなく、わが師の手じゃ」
悪口雑言がびっしりと並ぶ文章を要約すれば、『首を洗って待っていろ!』である。
「とすると、こちらがメル女王からの手紙だな」
親書を開いたグウェンドリーヌ女王の表情が固まった。
「読めぬ」
帝国公用語であるだけでなく、字が汚くて解読できなかった。
「わたくしが……」
「頼む」
「こう書かれています。妖精を苛めるような国家は、妖精女王として許容しかねます。ユグドラシル王国は、貴国に対し宣戦布告します」
「…………」
それはマリーズがメルから聞かされた言葉だった。
親書に認められた文言とは、全く違う。
『わらしの遺体を弄びよって、ぶっくらす!』
それが正しい親書の内容である。
「ここからは私事となります。私どもからのお願いで御座います」
「ほう。申してみよ」
「私どもは一身上の都合により、母国を棄てる所存に御座います」
「軍籍を離れると……。軍法会議ものの発言だな」
「女王陛下の御恩に報いることができず、申し訳のない次第であります」
「よろしい。特別に許可を与えよう」
「では……」
「ちょっと待て。条件付きじゃ」
「条件と申しますと?」
マリーズは困惑の表情を浮かべた。
「其方たちに最後の仕事を命じたい」
「はぁー?」
「わが師と袂を分かち幾星霜……。わらわなりに、この世界を破滅から救うべく尽力してきた。が、賭けに負けてしもうた」
「………………」
「このまま黙って女王の座にしがみつき、わが師の仕置きを待つつもりはない」
「私どもは、何をすればよいのでしょうか?」
「わらわたちの脱出を手引きせよ」
マリーズの横で跪いて話を聞いていたスコットは、グウェンドリーヌ女王の発言に驚き、顔を上げた。
「女王陛下が国を棄て、逃げるのですか?」
「当り前じゃ。其方たちはクリスタの恐ろしさを知らん。たかが老いさらばえたエルフ一人と侮るでない。あれは鬼女じゃ。サラデウスの鼻たれが、わらわの命を軽んじおってからに……。あれ程、ウスベルク帝国と事を構えるのは、クリスタの死亡が確認されてからだと申しつけておいたに……。枢密院と組んで、わらわを蔑ろにしよった。女王の権限を無視されたからには、責任を問われる謂れなどないわ!」
驚愕の責任放棄である。
「イルザ、モニカ、支度をせよ。夜逃げするぞ」
「グウェンドリーヌさま、準備は整っております」
「やれやれ、やっと決意なさったか……」
女王が女王なら、傍仕えも傍仕えだった。
あの厳しい暗黒時代を生き延びただけあって、逃げ時を間違えない。
「フフフ……。これで其方らの心配は消えたぞ」
「なるほど。女王陛下が脱出なされるのであれば、私どもの大義名分も立ちます」
「あとは七人委員会と枢密院で何とかすればよかろう。あやつらが欲得ずくで起こした不始末じゃ。己の尻は己で拭け!」
不幸なのはミッティア魔法王国の民であろう。
それはウスベルク帝国の民も同じである。
「すごいな女王さま」
「ああっ。ちょっと考えさせられた」
目から鱗である。
国家のトップがケツを捲ったのだ。
嫌なら為政者を信じたりせず、有事に備えるしかない。








