陰に潜む者
ブライアン・J・ロング。
IT界の巨人が、次世代AIの開発に成功か……!?
ネットニュースの見出しが仰々しい。
「無秩序な情報ネットワークに救世主って……。AIで世界を管理支配する話か?」
和樹はニュース記事を読み進め、首を傾げた。
「手放しで喜べる内容ではないと思うのだが……。一見すると、よいことのように書かれている」
ニュースの配信自体が、情報操作である可能性を疑うべきだろう。
量子コンピューターの開発と次世代AI。
この組み合わせで何が生れるのかは、想像もつかない。
何より、自我を持つAIなど、眉唾物で、魔法の領域だろう。
そもそもAIの善良性を信じて、重要な判断を委ねようなどとは、欠片も思えない。
「ブライアンの支配欲が、透けて見えるようじゃないか」
ブライアン・J・ロングと言えば、異世界旅行をして来たと言うトンデモ話で有名になった人物だ。
失踪する前のブライアンは、チープなネットゲームを配信する会社のトップだった。
中でもエルフ少年が冒険するアクションRPGは、シナリオが面白いと評価され、大いに流行った。
和樹も日本語版をプレイした覚えがある。
十年以上も昔の話だ。
そのブライアンだが、IT業界で名を売り始めると、あれよあれよという間に時の人となった。
次々と斬新なアイデアを打ち出し、信じがたいほどの大成功を収めたのだ。
大出世である。
一部、経済人の間では、敬愛の意を込めてブライアンを【電脳世界の魔術師】と呼ぶ。
「はぁー。異世界旅行ね。あながちトンデモ話と言い切れないんだよな」
わくわくエルフチャンネルの管理人として、和樹は異世界や魔法を否定できない。
そうなるとブライアン・J・ロングが、途轍もなく危険な存在に思えてくる。
「もし俺が、目から破壊光線を発射できるとしたら……」
断言できる。
九割九分九厘、良いことには使わない気がした。
和樹は樹生の兄だった。
「喰い詰めた貧乏人と身の丈に合わぬ力を手に入れた俗物は、信用できない」
人の倫理観は、存外に脆いものなのだ。
だから分不相応な力を手に入れてしまったなら、世のため人のために尽くすべきだと、和樹は考えていた。
「余計なものは、蕩尽するに限るよ」
◇◇◇◇
世界のどこか。
自然あふれる素晴らしい景観の中に、ポツンと豪邸が建っていた。
その豪邸には、孤高の魔術師が暮らしていた。
誰も信じることができない魔術師は、全人類を眷属として支配下に置こうと目論む、凶悪な暴君だった。
「なぜ、クリスタが……!?」
魔術師はPCモニターを睨み、吐き捨てるように言った。
壁に設置された大きなモニターは、一時停止された動画を映していた。
わくわくエルフチャンネルの動画だ。
タイトルは、【エルフさんの魔法戦争!!】である。
ちょうどクリスタが咒珠業蛇を使うシーンで、横顔のアップだ。
見間違えようがないほど、静止画像はクリアだった。
「どうすべきか……!?」
魔術師が白い頭髪を乱暴に掻いた。
大事の前の小事と片付けるには、問題が大きすぎた。
配信元は日本であり、動画を削除させるならメール一本で済む。
「だが動画を消したところで、解決にはならん」
異世界の実在を信じる人間など、指で数えるほどだろう。
しかも信じたからと言って、何かがある訳でもない。
愚民どもは能無しなのだ。
「問題の本質は、どうやってだ」
この動画は、どこから、どのようにして届けられたのか……?
それを調査しなければなるまい。
件の動画を投降したと思しき人物、森川和樹のデータがモニターに表示された。
どう見ても典型的な愚民だった。
怪しむべき点はない。
「さっぱり分からん。これは現地に調査員を送り、この男を調べさせるしかない」
調査員は、若くて美しい女がよかろう。
そう考えて、ブライアンはほくそ笑んだ。
社会的立場や守るべき名誉のない男から情報を引き出すなら、賄賂より美女が良い。
「それにしても……。今頃になって、嫁の姿を拝むことになろうとは……。ベアトリーチェは、何をモタモタしておる。さっさとクリスタを殺せ!」
ブライアン・J・ロングはクリスタの夫であり、黒太母の父だった。
幼いベアトリーチェに秘術を施し、忌まわしい蟲の怪物に変えたのはブライアンである。
自分でベアトリーチェを攫っておきながら、『オマエは母親に捨てられたのだ』と教え込んだのもブライアンだ。
幼い娘を苛め抜いて、絶望に染まった両目を繰り抜いたのは、力が欲しかったからだ。
その力を用い、ブライアンは世界を意のままに操るつもりでいた。
極々稀にある、多重存在。
並行世界にドッペルゲンガーを持つ男が、ブライアンだった。
権力への渇望が結晶化したようなブライアンとドッペルゲンガーは、やがて互いに引き寄せ合い、融合した。
ブライアンは、あちらの世界へと吸い込まれ、より歪で攻撃的な性格の持ち主になった。
何となれば、あちらの世界で暮らしていたブライアンのドッペルゲンガーは、人族の奴隷として扱き使われるエルフだったからだ。
だが運命の悪戯と言うか、ドッペルゲンガーと融合したブライアンに、強力な蟲使いのスキルが生じた。
当然の如く、ブライアンは横暴な主人に復讐を果たし、エルフが暮らす国を目指した。
蟲たちは、ブライアンの忠実な僕だった。
システムに忍ばせたバックドアのように有用で、ウイルスの如くしたたかだ。
ブライアンは、未来を夢見た。
蟲たちの助けを借りて、エルフの王となる夢だ。
そして間もなく、異世界は自分の手に負えないと悟った。
重篤なホームシックに襲われたのだ。
キーボードが存在しない生活は、我慢ならなかった。
「このような事態は想定していなかったが……。実際に起きてみると、並行世界間の転移法則が厄介に思える」
どうやら並行世界間を移動すると、ランダムに時差が生じるようなのだ。
発生してしまった時差は、不可逆だった。
「分からぬことが多すぎて、手の打ちようがない。しかし……。分からぬなら分からぬなりで、用心するに越したことはない」
動画の情報がいつのものか、ブライアンには分からなかった。
柄にもなく、ブライアンは身を震わせた。
背筋が寒くなったのだ。
「このガキだ」
ブライアンがモニターに映されたメルを睨み、ショットグラスにウイスキーを注いだ。
「ガジガジ蟲を殺しまくりやがって、何さまのつもりだ。その勝ち誇ったような目つきが、気に喰わん!」
妖精女王陛下を悪しざまに罵ったブライアンは、手にしたケージから一匹の小犬を取り出し、大きなパルダリウム水槽に落とす。
ガラスで覆われたパルダリウム水槽は、ジャングルの植生を模して造られたものだ。
そして、そこには沢山のガジガジ蟲が棲息していた。
「キャンキャンキャン!」
ガジガジ蟲に襲われた小犬が悲鳴を上げる。
一時間もかからずに、小犬は骨だけになるだろう。
「フン。あのガキも細かく切り刻んで、蟲たちの餌にしてやりたい!」
ブライアンはショットグラスのウイスキーを一息で飲み干し、コレクションが陳列された棚に視線を向けた。
「何もかも杞憂だ。私は勝ち続ける」
そこには異世界から持ち込んだ魔道具が飾られていた。
動力ディスクを用いた魔法剣やナイフに、身を守るための防具である。
だが、何より大切な品は隠し金庫に仕舞ってあった。
ベアトリーチェの眼球だ。
「何しろイメージを現実化できるのだ。負けるはずがない」
成功と輝ける未来を招き寄せる、栄光の目。
魔道具の材料とされたベアトリーチェの眼球は、異世界の可能性を盗み続けるピンホールだ。
黒太母が現象界と概念界を食い散らかし、死者の都に取り込んだ分だけ、ブライアンは奇跡の力を手にするのだ。
◇◇◇◇
援軍を要請する高速船に便乗し、ミッティア魔法王国に到着したマリーズ・レノア中尉とマーカス・スコット曹長は、コックスの軍港で姿を晦ませた。
そもそも七人委員会の老師マスティマからは、調停者クリスタの暗殺を密かに命じられていた。
であるからして、接触しないことが最良の選択だった。
「グウェンドリーヌ女王陛下にお暇乞いをして、手紙を渡す。マーカスは退路を確保してくれ」
「お任せあれ。メルさまの治療を受けてから、絶好調だ」
「妖精たちと意思を通わせるだけで、これほど強くなれるとはな」
「その通りです。全く負ける気がしねぇ」
妖精パワーで、身体能力が上がっただけではなかった。
気配を消す隠形術のレベルが、格段に上昇していた。
魔法軍の上級兵士に出くわしても、瞬殺だろう。
二人は魔法研究所に隣接する『叡智の塔』に忍び込んだ。
『女王の間』は最上階に位置するので、どうしても避けられぬ場合にのみ、衛兵にグウェンドリーヌ女王陛下の命令書を提示した。
「失礼しました。七人委員会のサラデウスさまから、連絡を受けていなかったので……」
「陛下の密命なので、七人委員会は与り知らぬことだ。貴殿も己の首が大事なら、口を塞いでおくように」
「承知しました」
「うむ。それでは通常任務に戻りたまえ」
マリーズとスコットは敬礼し、衛兵たちの横を通り抜ける。
「これなら何とかなりそうだな」
「気を抜かず、さっさと用事を済ませましょう」
マリーズは小さく頷き、『女王の間』を守る衛兵たちに敬礼した。
マリーズの話が矛盾していたので修正しました。
登場シーンが少なく、以前に書いてから間が開きすぎてしまい、忘れてしまうんですね。
で、確認したら違うことが書いてあったと。w
ごめんなさい。
ミケ王子がアーロンからクジラのベーコンを貰った話も、ビンス老人の話と矛盾があるとのご指摘を受けました。
まったく申し訳ない。
ちゃんと修正します。<(_ _)>








