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エルフさんの魔法料理店  作者: 夜塊織夢
第二部
302/370

窮地に立たされた暴君



「ここから先へは、行かせないよ!」


夕暮れ間近の薄闇に浮かぶ女が、そう叫んだ。


女の背後には、呪素を放つ大きな黒蛇がうねる。

尋常一様の存在ではないことくらい、一瞥しただけで知れる。

それでもバスティアン・モルゲンシュテルン侯爵は、これを脅威と見做さなかった。


『グギギギギギギギーッ。我が行く手に立ち塞がるとは、恐れ知らずの痴れ者めが……。そこから降りて来い。お望み通り、黒蛇ごと喰ろうてやるわ!!』


巨大な蟲の頭頂部にあった瞼が、ぬるりと開く。


「我が名は、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵なるぞ。そこな女魔法使い。キサマも名乗るがよい。そして正々堂々と戦おうではないか!」

「フンッ」


調停者クリスタはバスティアンの口上を鼻で笑い、指を打ち鳴らした。


『ぬっ!?』


黒蛇から射出された黒い弾丸が、巨大な蟲にめり込んだ。


調停者クリスタに、戦場で名乗り合う作法などない。

接敵すれば、蹂躙と殺戮あるのみだ。


ドゴォォォォォォォォォォォォォォーン!


右側面の胸部、足の付け根辺りで想定外の大爆発が生じた。

呪素を限界まで溜め込んだ頭骨が三個ほど炸裂し、巨大な蟲から太い足をもぎ取ったのだ。


『なっ、なんだと……!』


頭頂部の瞼から顔を覗かせたバスティアンが、驚愕の声を漏らした。


「やれやれ……。図体ばかりで、情けないことよのぉー。それでも、ワシの血を引く呪術師かね……?」


愚劣王ヨアヒムは、青銅騎士の馬上槍を蟲の胸部に深々と突き立てた。

分厚い甲殻を貫いた槍の穂先から、強烈な念誦が注入される。

肉体を持たぬ幽鬼の動きさえ封じる、呪術の縛鎖だ。


『ぐぉぉぉぉぉぉーっ!キサマ、何者だ!?』

「尊き先祖の顔さえ覚えておらぬとは、呆れかえる。ワシは人の王、ヨアヒムだ。モルゲンシュテルン家の始祖である」

『キサマが、憎むべき愚劣王かぁー!!諸悪の根源めが……』


巨大な蟲が暴れ出した。


ズゴォォォォォォォォォォォォォォォーン!

ゴゴン、ドゴォォォォォォォォォォォォォォーン!!


『ぐあっ!なっ、ナニをする!?人が大切な話をしている最中に……。このバカ女め。今すぐに、攻撃を止めないか……!!』


調停者クリスタが戦場の作法を気にしないのだから、その手下である咒珠業蛇じゅずごうだに悪態を吐いても無駄だった。

バスティアンは大きな的であり、呪われし頭骨どもは只々主人の命に従うのみ。

戦場で口を開いても許されるのは、余裕がある者だけなのだ。


「………………」


ヨアヒムに抱えられたマルグリットは、目を丸く見開き、真一文字に口を閉ざしていた。

ヨアヒムが小山のように大きな蟲に突撃したときは、もう死んだと思った。

今だって、恐怖で心臓がバクバク鳴っている。

自分で突っ込むのと、他人に抱えられて突っ込むのでは、怖さの質が違うのだ。

マルグリットのつぶらな瞳に、うっすらと涙が滲んだ。


「どうかね、エルフのお嬢ちゃん。思っていたほど怖くはなかろう?」

「…………っ」


マルグリットが殺意の籠った目で、ヨアヒムを睨んだ。


『くそぉー。くそぉー。くそぉー!』


咒珠業蛇じゅずごうだの仮借ない連続攻撃で脚部を破壊された巨大な蟲は、残った二本の足をジタバタさせてクリスタと向き合った。

その動きは精彩さを欠き、ひどく緩慢である。


『くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーっ!』


バスティアンは、空からの敵を全く考慮していなかった。

これが暗黒時代であれば、考えられない失態だ。

バスティアンの経験不足は、致命的だった。


『降りて来い。卑怯者!!』


何と言われようが、優位な位置を自分から捨てるバカは居ない。

それだけでなくクリスタは、バスティアンが空に放ったガジガジ蟲を呼び戻そうとしていることにも気づいていた。


『何故だぁー?どうして破損個所を修復できぬ!?』

「どうしようもないアホだな。呪術師の才も、代を重ねるにつれて劣化したか?」

『なんだと……』

「オマエが組んだ呪術式は、瘴気濃度に依存するものであろう。なれば周囲の様子にも、注意を払わねばいかんな」


愚劣王ヨアヒムが、教師のような口調で説明した。


『くっ。瘴気濃度が下がっている。そうか、生命樹が瘴気を浄化しているのか……』

「その答えだと五十点だな。確かに生命樹は、自らを実体化させるために大量の呪素を必要とする。だが枝葉を茂らせていない状態では、浄化能力を持たぬ。そこで屍呪之王(しじゅのおう)が吸収した呪素の転送を行っているのだ」

『よくも、ぬけぬけと嘘を吐きよって……。屍呪之王(しじゅのおう)に、そのような能力などないわ!』

「不憫な奴よ。あれは暗黒時代に暴れ回った屍呪之王(しじゅのおう)ではない。新しい屍呪之王(しじゅのおう)だ。屍呪之王(しじゅのおう)と生命樹の通路(パス)は、最近になってユグドラシルより授かった新しい能力だ。そうだったな、クリスタ?」

「ああっ。その通りだよ。ユグドラシルからの啓示に、書かれていた」


先程、嫌々確認したところ、『エルフの書』に新たな啓示が書き加えられていた。

輪廻転生装置の再稼働について知らせる、重要なメッセージだった。

日付を見ると、一年も前に届けられた情報である。


だが、クリスタにとって『エルフの書』は、永遠に封印しておきたい黒歴史なのだ。

心を病んでいた時代に書き込んだ無数のポエムが恥ずかしくて、毎日ページを確認する気にならない。

それ故に、方尖塔(オベリスク)の正体を知るのが遅れてしまった。

気づかぬままでいたらと想像して、ぞっとする。


せめて、ゲルハルディ大司教(ビンス老人)が所有する『エルフの書』に、同様のメッセージを送ってくれたらと思うのだが、現実は(まま)ならなかった。

複製(コピー)された数多の預言書は、クリスタが記載した文を紙面に反映するのみである。

ユグドラシルからのメッセージは表示されない。


『クリスタだと……。まさか、調停者クリスタか……?』

「正解だぞバスティアン。そのクリスタだ。わっはっは……!」


愚劣王ヨアヒムは、何が可笑しいのか大笑いした。

しかも、そこはかとなく得意げでさえあった。

いつ如何なる場面であろうとも、美女の知り合いは自慢に値するのだ。


幼女の姿にされ、ヨアヒムから手荷物扱いを受けているマルグリットは、かつての好敵手(ライバル)を羨望の眼差しで見た。

だがしかし、嫉妬するには及ばない。

比較するだけ馬鹿らしい。

完敗である。


『エルフのクソ婆が……。死に損ないの長命種め。わたしの縄張りで、余計な真似を……。グギギギギギギギーッ』

「諦めるのだバスティアン。その蟲では、クリスタに勝てまい。捥がれた足は、幾ら待っても再生しないぞ」

「はん。空も飛べぬようでは、勝ち負け以前の問題さね!」

「これは言われても仕方あるまい。己の才覚に奢った者の末路だ。自業自得だな」

『勝手なことをほざくな!』


「あぅ……!」


そのとき、それまで黙っていたマルグリットが天を見上げ、小さく驚きの声を漏らした。

上空を覆う雲が渦巻いて、赤く光った。


ズゴン!バリバリバリ……!!


渦巻く雲の中心部がロート状に窪み、底の部分から赤い光に照らされた二つの巨大な髑髏(しゃれこうべ)が顔を見せた。

橙色に燃える雲海から逆さに吊られたスケルトンが、両手に悍ましい鎌を持ち、ゆるゆると地上に降下してくる。


「ニキアスとドミトリかい。こりゃまた随分と大きくなった」

「ほう。懐かしの魔法博士かね。君たちは、とうとう研究を成功させ、リッチになったのだな。見上げたものだ」


愚劣王ヨアヒムはニキアスとドミトリを見つめ、感無量と言った様子で頷いた。

身分は違えども、共に暗黒時代を戦い続けた同志である。

今は生首と骨だが、見た目など関係なかった。

若かりし日々、不死者(アンデッド)への険しい道を志した三人は、ズッ友なのだ。


『ニキアス、ドミトリ……。ありがたい。憐れな弟子を救いに来てくださったのですね!?』


追い詰められたバスティアンは、この事態を自分に都合よく解釈した。

権力に胡坐をかき、弱者を虐げてきた暴君にありがちな癖である。


「なんとまぁー」

「おい……。この馬鹿が。勘違いにも程があろう!」


クリスタとヨアヒムの呆れたような声にも、気づこうとしない。


そもそもバスティアンの脳ミソは、とっくに虫食いだらけだ。

死者の都(ネクロポリス)に住む黒太母へ忠誠を誓って以来、まともであった試しなどない。




◇◇◇◇




ニキアスとドミトリの登場より、少しだけ時間を遡る。

トンキーに跨り、領都ルッカの西門を越えたメルたちは、大通りを港へと向かい、爆走していた。


『ゴロゴロ、ドシャーン!』


遥か彼方から聞こえてきた、遠雷のような(とどろき)が耳を打つ。


『ドーン。ドーン。ドーン。ゴシャァァァァァーン!』


しかも連打である。


「あっかーん。間に合わへん」

「えぇー。どうするの、メル?」

「まだまだ遠いぞ。この調子だと、オレらが到着する前に終わってしまう」

「ブヒィー?」


トンキーが悲しげに鳴いた。


「いや。トンキーは悪うない。領都ルッカが広すぎるのジャ!」


タイミングを見誤った。

雑魚っぽいガジガジ蟲など、ウスベルク帝国騎士団とフレッドたちに任せておけばよかったのだ。

責任を(つまび)らかにするなら、メルの判断ミスであった。


「まさか……。婆さまが、空を飛ぶとは……」

「黒い大蛇に乗るとか、ちっとも考えていなかったね。ボクも吃驚だよ!」


メルとミケ王子は、颯爽と上空を通過するクリスタの姿を思い浮かべ、ため息を吐いた。


「婆さまは、やばい魔女だな。おっかねぇー」


ダヴィ坊やが、ブルリと上半身を震わせた。


「デブ。そう嫌わんでやって……。ああ見えて婆さまは、でりけーと(・・・・・)ジャケー。子ろもに(おび)えられると、ぎょうさん傷つきマス。そんでもって森に引き籠り、出てこんようになるで」


メルが諭すような口調で言った。


「まじかぁー。面倒くさい」


ダヴィ坊やは、苦い顔になった。

他人への気遣いは、ダヴィ坊やが最も苦手とするところだった。


「ねぇ、メル。ボクたちも空を飛べば、間に合うんじゃないかなぁー?」

「今よりマシになるだけで、間に合いません」

「そうだな。もう戦いが始まってしまったのだから、どこで決着がついてしまうか分からん」

「そんなぁー。ボク、貧乏なゴハンはイヤだ」


ミケ王子が、ミャーミャーと騒ぎ立てた。


「メル姉。どうにかならないのか?」

「うん。こうなったら、最後の手段デス。魔法博士を召喚するわ!」

「魔法博士か……?ニキ、ドミのコンビだな。だけど……。あいつらに怪物を倒させた場合、メル姉が倒したことになるのか……?」

「それなぁー。でも、何もせんかったら、婆さまに持ってかれてしまうけん」

「分かった。そんなら試してくれ」

「了解じゃ!!」


メルは素早く手印を組み、精霊召喚に意識を集中させた。

そして怪物が足止めされている地点に、ニキアスとドミトリを降ろすべく、霊力のありったけを召喚術式に注ぐ。


「うい、やぁー、たぁー!おいでませ、マホォー博士!!」


メル渾身の精霊召喚だった。

妖精女王陛下メルの叫びに呼応して、東の空が赤く燃えた。






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【エルフさんの魔法料理店】

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[一言] 嫌なズッ友だわ…
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