CGじゃないよ!
領都ルッカに出現した怪物は、ミッティア魔法王国の駐留軍を浮足立たせた。
帝都ウルリッヒの地下深くに眠ると太古より語られてきた伝説の兵呪、屍呪之王である。
当然のことながら、唐突に出現した巨大で禍々しい獣を屍呪之王だと知る者は、ミッティア魔法王国の駐留軍に只の一人として存在しない。
駐留軍司令官のウォルター・ドルレアン中将でさえ、聞きかじりの知識と状況判断から『屍呪之王かも知れない!』と推察したに過ぎなかった。
「魔法軍魔装部隊は、隊列を組め!」
「目標は居住区に出現した怪物である」
「恐れるな……。我らミッティアの魔法技術を信じるのだ」
魔装部隊の隊長たちが、配下の兵たちを叱咤激励する。
そうしながらも、鉄壁であるはずの結界を越えて出現した怪物に、どう対処すればよいか分からない。
「でかすぎる」
「言うな。兵たちが動揺するぞ」
「取り敢えず、二手に分かれて攻撃しよう」
有事に直面すれば、対処方法が分からなくても戦わねばならない。
魔装部隊の隊長たちは何の準備もなく、己の勇気を試される正念場に立たされた。
「これは驚いた」
何が起きたのかを正確に把握していたのは、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵と近衛の者たちだけである。
「ウィルヘルムは我が領域内に屍呪之王を放ったか!?」
ヴランゲル城の望楼から城下を見下ろし、バスティアンは驚きの表情を浮かべた。
「なるほどね。あれが古の大量殺戮兵呪ですか……。よい面構えだ。しかし如何なる手段を用いて、ここまで連れてきたのでしょう?」
「わからぬ。有能な呪術師を味方に引き入れたのであろうが、まあよい。計算違いではあるが、傲岸不遜なミッティアの連中が慌てふためく姿を眺めるのも悪くない。そうであろう、ユルゲン?」
「ふっ……。相変わらず殿は、容赦がない」
ユルゲン近衛隊長は、主君であるバスティアンの言葉にほくそ笑む。
バスティアンにとって、ミッティア魔法王国魔法軍は味方でも何でもない。
領都ルッカに資金を投下させるための道具でしかなく、領都ルッカの拡張政策で充分な人を集め、贄に捧げた今となっては、もう用なしだった。
「さて。ウォルターは、どう戦うのかな?」
「きっと自慢の魔道甲冑でシジュを囲み、殴りかかるのでしょうね」
「領都ルッカでは、あらゆる死霊が呪術結界の支配下に置かれている。屍呪之王は敵を殺しても狂屍鬼を使えまい」
「ふーむ、そうなると……。魔導甲冑でシジュを破壊できれば、駐留軍にも勝算があるってことですな」
「この地で殺害された者は、我らの糧となる。屍呪之王に利を齎さない。それでも兵どもの恐怖を食らい、屍呪之王は力を得る。皮肉にも、意図せず、我らがミッティアの連中を助けたことになろう」
「そもそも、そこら辺の事情をウォルターの奴は理解しているのでしょうか?恐怖がシジュを強化すると言う件ですが……」
「知らん」
「でしょうな」
人の道を捨て去った者同士、長く連れ添った主従でもあり、交わす会話が少なかろうと通じ合うところは多い。
「この地は、我が領民どもを贄とした呪術結界に守られている。地の利は我らにある。この力関係を覆すのは、容易くない」
「呪力を蓄えるために、殺しまくりましたからね。城下に残っている連中は、呪殺にも負けぬ真の悪党ばかりだ」
「その通り。ある意味でミッティアの兵隊どもより強靭な連中だ」
「逃げ隠れするのが巧いだけでしょ。勘が鋭いんだ。人より獣に近い」
「そうは言っても、あやつらは蟲毒の生き残りであるからな。首を刎ねれば、手に負えぬような呪いが発動する」
「罠を発動させた間抜けどものアホ面が、楽しみですな」
そう言いつつ、屍呪之王が出現した辺りに視線を向けたユルゲン近衛隊長が、顔を顰めた。
「殿……。墓穴から狂屍鬼が這い出していますが」
「何だと……!?」
呪術結界内の怨霊は呪縛されていて、屍呪之王の力になり得ない。
なので本来であれば、竪穴の死骸を狂屍鬼を配下に加えることなど、出来るはずがなかった。
「どういうことだ。ウィルヘルムに雇われた呪術師が、何かしたのか……?」
「やれやれ……。まったく戦争ってやつは……。どれだけ備えても、思い通りには行かないものですな」
「ふん。計画通りでなくとも構わん。少しは手ごたえが無ければ、面白くないからな……。グギギギィィィ…………」
バスティアンの顔は醜く変容し、言葉を口にすると異音が生じた。
バスティアンは平静を装いながらも、動揺を隠せていなかった。
先ほどまで完璧だと信じていた呪術結界の優位性が、想像もしていなかった形で綻びを見せたのだから当然と言えよう。
「おそらく、外部から持ち込まれた霊魂ですな」
ユルゲン近衛隊長はバスティアンの変容に気づかぬ風を装い、ボソリと呟いた。
どうやったのかは知らないが、この世にはとんでもないヤツが居る。
「死霊の持ち込みか……」
持ち込みと言っても、弁当とは違う。
忌まわしい悪霊を他領に投棄するなんて、人でなしの所業だった。
死骸に憑りつき狂屍鬼と化したのは、霊蔵壺に保存されていた悪霊たちである。
ビンス老人がコソコソと埋設しておいた霊蔵壺が、屍呪之王の雄叫びに呼応して大量の悪霊たちを解き放ったのだ。
数百年に亘り消滅せず、荒れ地に棲みついていた年代物の悪霊たちだ。
練りに練り込まれた恨みは、結晶化しかねないレベルに達する。
俄か死霊とは、その狡猾さからして違う。
領都ルッカに設置された呪術式などものともしない、強者たちだった。
「コホーッ。コホーッ」
「ハッ、ハッ……」
ブラックレイスなどと呼称され、マチアス聖智教会から恐れられている悪霊たちは、程よく朽ちた肉体を手に入れ、死の息吹を吐きながら、続々と竪穴を這いあがって来た。
メルは領都ルッカでの戦いが呪術合戦の様相を呈するものと予測し、大量の悪霊たちを手懐けて壺に詰め、ミケネコ便で現地に送りつけていた。
基本的に定職を持たぬ幼児は毎日のように暇なので、有事に備える時間が充分にある。
エルフさんの魔法料理店は、精霊樹からご褒美で貰った趣味の店なのだ。
◇◇◇◇
ネット民が固唾を飲んで見守るなか、小型犬を抱っこしたエルフ幼女は投射兵器で射出された。
カメラはエルフ幼女を良い感じで追跡し、過剰なまでの臨場感を伝えてくる。
茶色いアレ: 落ちたら死ぬ。
耳長族: エルフ幼女を殺したらイカンでしょ!
明日の爺さん: いや。CGだろ。CGに決まってる。カメラは飛べない。
はろたん: ドローンだと思う。
ヒマ蔵: ドローンでも、飛翔する幼児をカメラに捉え続けるのは難しいでしょ。
リンリン: てか、CGでないと無理だろ。
転生希望者A: 異世界だから、魔法に決まってるのだ!
ぬるま湯: ああーっ。エルフ幼女が落下していく。パラシュートもついていないのに……。
ラリパッパ: おいおい。心配していた通りになったぞ。不安で不安で、背筋がゾワゾワする。
想像もしていなかった非情な展開に、ネット民たちは大いに狼狽えた。
はろたん: 早く。早く誰か助けろ!
右のボタンを押せ: 呑気に撮影している場合じゃないだろ。
耳長族: カワイイ子を虐めちゃらめぇー!!
明日の爺さん: いやいや。可愛くなくとも、虐めはイカンぞ。
いきなりの非人道的な展開に、文字チャットログが大騒ぎだ。
ところが、そのような状況下で、『ドン!』と言う爆発音が視聴者たちの耳を打ち、エルフ幼女が地面と激突する寸前、小型犬は巨大な獣に姿を変えた。
ドレスを纏ったエルフ幼女と漆黒の怪獣が、ネット民の心を鷲掴みにした。
巨大な怪獣を足下に従える、可愛らしいエルフ幼女。
風に揺れる金髪縦ロールのお姫さまヘアーが、実に美しい。
つんけん美幼女のリリシズムが、そこに存在した。
安心安定の凛々しさである。
右のボタンを押せ: ビックリした。
ぬるま湯: まるで映画のようにスリリングで、手に汗握る展開……。
ラリパッパ: 不安と心配が、どっかに蹴散らされた。
なんなら得意げと評しても良いほど、エルフ幼女の立ち姿には隙が無かった。
誰もが、『あれは姫だ!』と確信した。
あわや虐待騒動になるかと思われた文字チャットの流れが、怪物の登場によって一気に鎮静化した。
それくらいインパクトのある映像だった。
ホクホク: ……ッ。怪物だ。
オレチン: ちっこい犬が怪物だった。
右のボタンを押せ: エルフ幼女が怪物の頭に立って、何か叫んでる。
リンリン: 異世界言語だ。
明日の爺さん: どれどれ……。世界各国を旅してきたワシが、一言ものを申す。
ヒマ蔵: 爺さん、翻訳できるんかい!?
明日の爺さん: うーん、知らない言葉ですな。
オレチン: …………おや。画面下に、文字が。
右のボタンを押せ: 字幕……。草生える。
茶色いアレ: ナニナニ……。『鮮血のマルグリット見参!』ですと……。
ぬるま湯: うーん。只者ではないな、エルフ幼女。ちゃっかり縦ロールだし……。
ヒマ蔵: 怪物の頭に立つ童女。颯爽としていて、なんか格好よい。
耳長族: 諸君。縦ロールさまをヒメとお呼びしよう。
黄金のスケルトン: キミたち。注目すべき点がズレているぞ。
リンリン: そうだよ。字幕って……。ライブ映像に字幕って……。
ラリパッパ: だからCGだろ。もうCGだってことにしようぜ。
右のボタンを押せ: なんにせよ、ぺちゃんこにならず着地できてよかった。
ラリパッパ: 実写と見分けのつかないCGだから、そこんところは心配するな。
カメラが切り替わり、メルのアップになった。
カメラマンの精霊は大忙しだ。
『視聴者の皆さん、動画に表示されている字幕は自動翻訳です。ぼく、おこづかいをゼーンブ使って、妖精さんたちに翻訳アプリを作ってもらいました』
メルがカメラ目線で、『CGじゃないよ!』と説明した。
耳長族: まじか。日本語で、返事キタァー。
オレチン: ウハァー。メルちゃんは、ボク娘だぁー。
黄金のスケルトン: そこか……?大事なのは、そこなのかぁー!?
ホクホク: 1000円。投げ銭のオネダリですね。察しました。
明日の爺さん: 5000円。やむを得ん。可愛らしいエルフ少女には、お小遣いが必要だ。ラブリーに装う軍資金が……。
黄金のスケルトン: そこか……?大事なのは、本当にそこなのかぁー?異世界との相互通信だぞ。これは世間の常識を揺るがす、大事件だろ!?
ラリパッパ: 2000円。メルちゃん、まさに天使。字幕サンキュー。
茶色いアレ: 100円。少しでスマン。
ぬるま湯: 3000円。エルフ兄。これはメルちゃんへの寄付です。ネコババは許しませんぞ。
黄金のスケルトン: 1000円。はぁーっ。おまいら……。仕方ない。オレも少しだけど、寄付します。
「寄付して頂いた金額は、後ほど自分のサイトで発表します。メルに頼まれて購入した品と領収書も、ちゃんとアップするから……。ネコババを疑う人は、メルに寄付しないでください。詐欺ではないことを証明しろと要求されても、オレが困るから……」
和樹がボイスチャットで、寄付の条件を伝えた。
メルから送られてきたウィッシュ・リストには、高価な百科事典のセットがあった。
百科事典は全巻セットで数十万もするので、まだまだ購入できるだけの資金は貯まっていない。
それでも和樹は、どんどん増えていく寄付金の額に驚いていた。
エルフ少女が実在するかも知れないと言うだけで、紳士諸君は財布の紐を緩める。
チャンネル登録してくれた人々は、手が届かない夢に投資しているのだ。
異世界と言う夢に……。
「異世界かぁー」
生きていく上で、夢やロマンは必要だ。
こんなチャンネルを見つけたら、自分も投げ銭するだろうなと、和樹は独り言ちた。
「しかし……」
問題はここからだ。
戦争と言うからには、相応の暴力シーンが予想される。
「このライブ、本当に大丈夫なのか……?」
メルの無神経さを知る和樹は、金髪縦ロール幼女の名乗りを文字通りに受け取った。
「鮮血のマルグリットかぁー」
多分あれは、スプラッターなエルフ幼女なのだ。
特攻服が似合う、ヤンキー幼女だ。








