資金が足りない
異界ゲートは、メルにとって脅威であり異質だった。
ボウケン号とか言う宇宙船が活躍する昔のSFドラマに、似たような装置が登場していた。
「シュピーン。瞬間移動。用途だけは、まるっきり同じジャ!」
宇宙船から地上へと搭乗員を転送させるマシン。
宇宙船内で非物質化された人物を転送ビームとやらに乗せて目的地へ送り、受信地で実体化させる。
「かぁーっ。TV画像じゃあるまいし、あり得へんって……」
そもそも、転送装置によって分解された人物Aと、転移先で実体化された人物Bは同一なのか?
姿恰好や記憶までが瓜二つであろうとも、AとBは全く違う存在なのではなかろうか?
実を言うと、人物Aは宇宙船内で分解されて既に死んでいるとか……。
「だってさぁー。宇宙船内でAが分解されなければ、AとBは同時に存在しますデショ?それって、クローンやん。そっくりな別人さんデショ。わらし、騙されへんで……」
ドッペルゲンガーの製造が可能とか、とってもおっかない想像だ。
地下迷宮での訓練で死に戻るシステムも、コピーだと考えたらNGである。
「だかしかし、異界ゲートはマホーじゃ。死に戻りもマホーじゃ。SFちゃうねん!分子とか、データ転送とか、そんなもんは関係あらしまへん。地下迷宮での訓練は、概念界が管理する仮想リアルやし……。空間座標AとBの間に概念界を滑り込ませて、距離の概念を捻じ曲げたんが異界ゲートですわ!」
魔法という言葉は、まさに魔法の如き効果を発揮する。
『魔法だから大丈夫!』と心の中で唱えれば、不安の半分は払拭される。
「むつかしい原理は兎も角として……。おっかのぉーても、コレ使われへんと何処へも行けんヨ」
この世界。
幼児の旅は、死出の旅である。
快適さの欠片も考慮に入れず設計された帆船や馬車なんて、幼児にとっては大掛かりな拷問道具と変わらない。
そのような事情もあって、エルフさんの温泉宿はメジエール村で大人気だ。
「子ろもには、ふわふわヌクヌクが欠かせませんよって。多少の不安には目を瞑り、らくちんを選ぶのがよろしい」
今となっては使用頻度で森川家の玄関を軽く超える異界ゲートだが、初めてのときには怖くてミケ王子を実験台に使ってしまった。
臆病風に吹かれ、飼い猫を未知の領域に放り込むなんて、妖精女王陛下にあるまじき醜態だった。
ふとした拍子に思い出すと、恥ずかしさで床を掻き毟ってしまう。
「あ、ああ、アーッ。あれはカッコウ悪かったのぉー。ワラシ、はぢかちぃー」
異界ゲートは便利だが、当然のことながら使用に際して厳しい条件がある。
ユグドラシル王国国防総省が管理しているのだから、ユグドラシル王国の支配領域にしかゲートの出入口を設置できない。
領都ルッカへの移動は容易くなかった。
オリフベル沼沢地は使い道のない底なし沼であるため、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵の関心から完全に外れていた。
領都ルッカの守りは堅く、メルが花丸ポイントを注いだところで支配度の変化は数パーセントしか望めない。
だけどオリフベル沼沢地であれば、支配度を六十パーセントまで上げることができた。
なけなしの花丸ポイントは、オリフベル沼沢地の支配に用いられた。
一千億ポイントを突っ込んで、数日の間だけオリフベル沼沢地に異界ゲートを設置可能にした。
「勇気の決断である。これは英断ジャ!」
メルは腕組みをして、タブレットPCのモニター画面を睨んだ。
現状、ウスベルク帝国騎士団はオリフベル沼沢地に陣取り、モルゲンシュテルン侯爵領の様子を窺っている。
モルゲンシュテルン侯爵の手下も、領都ルッカを守るように魔導甲冑や兵を配置し、これといった動きを見せない。
お互いに、相手の結界内へ突入すれば痛い目に遭うのが判っているので、挑発行為はしても本格的な衝突にまで至らないのだ。
ヴラシア平原での惨めな敗北は、正しくバスティアン・モルゲンシュテルン侯爵に伝えられていた。
『ウィルヘルムが味方を得たか……。巨人族を従えて参戦するとは、なかなかに侮れぬ敵だ。しかし、あの急拵えの結界は、そう長く持つまい』
『この戦いは、攻め込む側が不利である』と、バスティアンは判断した。
それでも自領内での敗北はないと、そこは余裕綽々である。
こうした理由から、モルゲンシュテルン侯爵の軍はウスベルク帝国側の結界が消失するのを待つ、消極的な待機状態に突入した。
「時間稼ぎにもなって、一石二鳥やね」
メルにとっては予想外であるが、好ましい展開だった。
支配度を上げるために突っ込んだ花丸ポイントは、異界ゲートを開くためのものであり、もとより結界内での戦闘など期待していない。
今回の主役はハンテンである。
「フッ……。あの眉毛が、ヤツのやる気を語っておる」
そうほくそ笑むメルが何をしているのかと言えば、森川家との直通回線の設定である。
カメラマンの精霊とユグドラシル異文化研究所が総力を挙げて開発した、霊波による多次元通信システムだ。
カメラマンの精霊が編集した妖精女王陛下の動画は、霊波として世界線を突破し、更に和樹のPCで電波へと変換される。
霊波を電波信号へと変換するツールがインストールされて、和樹が愛用していたクールなハイスペックPCは黒魔術の呪具みたいな姿に変貌した。
『厨二病なデザインで恥ずかしい!』と、和樹からは苦情のメールが届いた。
「そんなん知らんわ」
確かに……。
それはメルの与り知らぬところである。
なんにせよ、『異世界転生』というワードが並行世界の境界面を透過するキーとなり、メルと和樹の間に直通回線が設けられた。
そこまでの紆余曲折や苦労は大変なものであったらしいが、直接ネットに繋がれないと知ったメルの反応は芳しくなかった。
「ウガァァァァーッ!ネットサーフィンできないんデショ。間に兄貴を挟むんは、おもろないわ」
ADSL回線から光回線に乗り換えたより、遥かに通信速度は跳ね上がったのに、この言い草である。
カメラマンの精霊とユグドラシル異文化研究所のスタッフは、悲しみに打ちひしがれた。
妖精女王陛下は、どこまでも我儘で傲慢だった。
兄の和樹は有名動画サイトにアカウントを作り、数回の実験を繰り返してから、GOサインを寄こした。
カボチャ姫のダンスが受けて、そこそこのチャンネル登録もあったらしい。
まあネットユーザーからは、奇妙なCG動画と思われているようだ。
「はぁー。花丸ポイントは、スッカラカンになってしもぉーたし。兄貴も小遣いが尽きたから、新しいデータは送れないとかほざきよる!」
先立つものはマネーだ。
花丸ポイントしかり、日本円しかりである。
こうなれば異世界でのイベントをライブ配信して、投げ銭を貰うしかない。
「貧乏はイヤじゃのぉー」
和樹が送ってくれる百科事典や専門書のデータは、ユグドラシル王国の発展に欠かせない燃料だった。
概念界で暮らす妖精たちは、多種多様なアイデアを食って生きているのだ。
「現象界の衰退は、人々の文化的活動を直撃しよる。煽りを食らった概念界は、食糧の自給自足さえできん有様ジャ。妖精さんたちは、新しい概念に飢えているのデス!」
多種多様な概念の配給は、妖精女王陛下のお仕事だった。
責任重大である。
◇◇◇◇
フーベルト宰相から許可を得たフレッドとバルガスは、部下を引き連れてウスベルク帝国騎士団との合流を果たした。
到着したオリフベル沼沢地には、領都ルッカから脱出したクリスタたちの姿があった。
「帝都ウルリッヒの守備は大丈夫かい?」
「勿論さ。空き巣をやらかしそうな悪党連中は、キッチリと始末してから来た。あとは正規の警備隊と、ケット・シーが運営している冒険者ギルドに任せておけば問題ない」
フレッドはクリスタの質問に答え、ニッコリと笑った。
「ほぉーっ。帝都の掃除は終わりましたか。随分と早かったですね」
ビンス老人が揚げたてのカレーパンを配りながら、フレッドたちの手際よさを誉めそやした。
「衛兵隊との共同作業なので、反乱の危険度が高い順に奇襲を掛けたら直ぐに終わった」
腹を空かせていたフレッドはカレーパンを頬張り、温かいスープで胃に流し込んだ。
馬に乗っての長旅は身体に応えるので、少しだけでも仮眠を取りたかった。
都合の良いことに、すぐさま戦闘が始まる気配はない。
「ぐはは……っ。そりゃそうだ。こっちには、悪魔王子やゴブリンたちの助けがあるんだぜ。そのうえ、前もってギルベルトのおっさんが悪党どもを薬漬けにしてたから、オレらは宰相閣下から頂いたリスト順にお宅訪問をしただけだ」
「おいおい……。ギルベルトって、メジエール村で冒険者ギルドのマスターをしていた、あのギルベルト・ヴォルフかぁー?」
ヤニックが困惑の表情でバルガスに訊ねた。
「そのギルベルトさ。元、オレさまの上司だ。今では、すっかり毒気が抜けた善人だぜ。と言っても、リッチどもの手下にされて、身体の殆どが骨になっちまったけどな」
「ちょっとお待ち。バルガスよ。そのリッチってのは、ニキアスとドミトリの話かい?」
「おう。その偉大なる魔法博士たちだ。ギルベルトのおっさんは、何故かニキアスとドミトリを崇拝してたんで……。悪魔チビが二人を呼びつけて、ギルベルトの身柄を預けちまったんだ」
「かぁーっ。あの子はぁー。ニキアスとドミトリなんかを配下にしてるのかい。どうしてそんな真似をしたんだ!?」
「リッチだからだろ……」
「え?」
「ガキってのは、骸骨とか好きなんだよ」
「………………!?」
美貌の魔女が、困り切った様子で眉を顰める。
全くもって、メルの悪趣味が理解できないクリスタだった。
「おい、バルガス。メルはガキだけど、虫が嫌いだぞ」
「そりゃガキにだって、色々と違いはあるだろ。アンタの小さな娘は、昆虫が苦手だけど骸骨は好きなんだよ。それともなにか?昆虫が嫌いだと大人なのか?」
「グヌヌヌヌッ……」
フレッドもクリスタの横で頭を抱えた。
どうしてバルガスの方が自分より、メルの好みに詳しいのか……?
フレッドには認めがたい事実であった。








