この子は、どこの子?
メルは無駄な弁解に時間を費やさず、すみやかに行動を開始した。
そのうちマルグリットが馬脚を露すのは分かっていたけれど、それを待つのも消極的に過ぎる。
アビーが己の間違いに気づいて謝るより先に、自ら濡れ衣を晴らせばリターンは大きい。
この窮地を自力で脱すれば、最低でも三日間は王さま気分を味わえる計算だった。
いつ如何なるときにも、ピンチはチャンスなのだ。
メジエール村には、森の家と呼ばれるエルフ族の施設があった。
森の家では、エルフの里で収穫された野菜やコッコさんの卵などが、売られていた。
そこに、ライトニングベア(冬季仕様)で乗り付ける。
「たのもぉー」
「おや、メルさま。どうなさいましたか?」
玄関口に立っていたエルフの老爺が、メルの目線まで腰を屈めてから訊ねた。
「エグランティーヌに頼み事デス」
「統括代理でしたら、執務室で仕事をなさっておいでだけど……。お呼びして参りましょう」
「自分で行きますから、ルーウェン爺ちゃんは気にせんでください」
メルはルーウェン老人に手を振り、施設の玄関口を通り抜けた。
アライグマ姿のメルが、トテトテと階段を上っていく。
「フムッ。何とも、しっかりとしたお方じゃ。妖精女王陛下がいらっしゃれば、わしらエルフ族の未来も安泰じゃて……」
森の家で受付係を務めるルーウェン老人は、四百才だった。
精霊樹の実を食べずに育った若い世代は、老化が早く、寿命も短い。
それでも聖地グラナックから恵みの森に移住したエルフたちは、浄化の恩恵に浴していた。
身体の節々から痛みや痺れが消え、日々の暮らしを心から楽しめるようになった。
故に妖精女王陛下を崇拝する気持ちは、とても強い。
「おはろぉー」
「あらあら、メルさま。どうなさいましたか?」
「わらし、頼み事デス」
「………………?」
メルを執務室に迎え入れたエグランティーヌは、小首を傾げた。
「エルフ族は、出自に煩いと耳にしました。何でも、血縁関係や家系を見抜く技能職まであるとか?」
「はい、さようでございます。血統鑑定官と申しまして、エルフ族の出自のみを鑑定する特殊なスキル保持者がおります」
「その人を酔いどれ亭まで、派遣して欲しいデス」
「畏まりました。直ちに手配しましょう」
妖精女王陛下の勅命が下った。
最優先事項である。
待つこと暫し、エグランティーヌが背の高い男を連れて、酔いどれ亭を訪れた。
エルフ族の礼服に身を包んだ男は、メルの前で深々と腰を折った。
その手には、分厚い本を抱えていた。
「妖精女王陛下……。ご下命を賜り、参上いたしました」
「メルさま。こちらが、もと血統鑑定官のサンテと申します」
「サンテ・ベルヌッチです。お見知りおきを……」
「もと……?」
メルの眉が、へにょっと八の字になった。
「血統鑑定官は、旧エルフ王国に於ける役職名でございます。エルフ王国が滅びましたゆえ、現在では血統鑑定官の役職も消えております」
サンテが、淡々と事情を語って聞かせた。
エルフ王国で血統鑑定官の職を任されていたのは、祖父の時代だと言う。
「サンテは歴史研究家です。エルフの里では、子どもたちに精霊魔法を教えています。ご依頼の件に関しましては、鑑定スキルを保持しておりますので問題ないかと……」
「よろしい」
メルはエグランティーヌから知りたかった情報を得て、コクリと頷いた。
「ではでは……。店の中へ、ドォーゾ」
酔いどれ亭の食堂では、アビーが甲斐甲斐しくマルグリットに昼ご飯を食べさせていた。
「チッ。甘えん坊さんめ!」
羨ましくなって、メルが毒づいた。
ママのお膝に乗せて貰ってゴハンを食べても良いのは、ギリ五才まで。
それが幼児ーズに於ける共通見解だった。
それにしても、十才にもなって未だにアビーの膝が恋しくなるのは、どうしたことであろう。
「普段、抱っこされるとウザイのに、なしてやぁー?」
バッドステータスが、キチンと仕事をしているからだった。
「お邪魔します。アビーさん」
「あら、エグランティーヌさん。どうしましたか……?」
「メルさまの依頼で、そちらのエルフ幼女を調べに参りました」
「あーっ。やっぱり……。うちのメルが、エルフの里から勝手に連れて来ちゃったんですね」
「…………えっ!?」
アビーとエグランティーヌでは、メルの印象が異なる。
アビーは、直ぐにメルを子ども扱いする。
血の繋がりはなくとも、母親なのだから当然だった。
一方のエグランティーヌは、そもそも子どもらしいメルの行動を見ていない。
斎王ドルレアックやクリスタから聞かされる話も、メルが妖精女王陛下であることを印象付けるような内容ばかりだった。
だからアビーの台詞は、エグランティーヌを驚かせた。
「メルさまが、小さな子を……!?いえいえ……。エルフの里で暮らす子どもたちは、一人も欠けておりません」
「ありゃ。そうなの……?だったらさぁー。この子は、どこの子!?」
エルフの里を除けば、メジエール村の近くでエルフが住んでいる場所などない。
アビーの問いは、そんな現状を含む『どこの子?』だった。
「それを調べに参りました。サンテ!」
「はっ。自分はサンテ・ベルヌッチと申します。その子の素性を調べさせて頂きたい」
サンテが硬い表情で、マルグリットを睨みつけた。
「はぁ……。調べるって、どうやって……?」
「この目で見て、この手で触れたなら、先祖から受け継いだスキルが答えを与えてくれるのです」
「エェーッ。それって凄くない!?」
「…………ちっ!」
メルが不機嫌そうに舌打ちをした。
こうなると分かっていたから、エグランティーヌに助けを求めたのだ。
全ては計算通りで、何も問題なかった。
それでも納得できずに、イラっとする。
立派な大人のエルフが相手だと疑いすら抱かないのに、どうして女児の言葉だと耳を貸そうともしないのか?
「まあ、ええわ」
そこがアビーの、アビーらしさとも言えよう。
普通の女児ではないメルにだって、かなり問題があるのだ。
いつも早とちりばかりしているママを可愛いと思って上げるのが、できる子供と言うものだろう。
こうした衝突は、よくある日常の一コマ。
仲良し家族だからこそ、互いに許し合う心構えが大事なのだ。
「お嬢さんの名前は……?」
サンテはマルグリットを見下ろしながら、訊ねた。
「わたくし……?マルグリットですわ」
「何才かなぁー?」
「フッ。凡そ千三百才ですわ」
「………………」
サンテの質問が途切れた。
その手が、パラパラと本のページをめくる。
「あった。これだ……」
サンテは記述された文章を指でなぞりながら、己のスキルが示したところを確認した。
そこには、鮮血の狂女マルグリットについての記載があった。
「千三百才……!?」
アビーが、あんぐりと口を開いた。
「マリーちゃん。嘘はいけないわ」
「いえ。アビーさん。この女は、嘘など吐いていません」
サンテが素早く振り返り、メルを見つめた。
「イヤン。そんな睨まんでも、エエやろぉー。ミッティアの工作員を地面に埋めたら、えろぉー縮んでしもうた。その結果が、マルーじゃ!」
「縮んだ……?」
「こいつは呪われて、頭がおかしゅーなっとりマシタ。そんでもってテートの市場で暴れようとしたから、わらしが埋めたった……。何なら心霊治療デス。悪意なんて、これっぱかしも無いどぉー!」
「その時の背格好は……?」
「忘れもせん、今と同じドリル頭のオバハンや!」
「鮮血の狂女マルグリット……」
サンテは恐怖に表情を歪め、ポツリと呟いた。
「心配いらんでぇー。マルーを助けとった妖精さんは、四体だけ残して回収済みや。残る四体の妖精さんは、マルーのヘアスタイル担当デス」
「ヘアスタイルを担当する妖精ですか?」
「常に乱れんよう、あの髪形をキープしとるらしいでぇー。ちょくに妖精さんたちから聞いたから、間違いないわ」
「千三百年間も……」
「そそ」
エグランティーヌは、マルグリットの髪型をじっと見つめた。
毛筋に乱れのない、見事な縦ロールである。
「わたくしの髪を妖精さんたちが……」
マルグリットも、自分の縦ロールを眺めていた。
千三百年も知らないでいた事実が、メルによって明かされたのだ。
もうピクスではない。
マルグリットが頼んでもいないのに、キチンと髪型を整えてくれていたのだ。
自発的な意思を持って、雨の日も風の日も、戦場にあっても、キチンと髪型を整えてくれていたのだ。
「わたくしの妖精さんたち……」
それはもう、親友だった。
「アリガトウ」
素直に口から、感謝の言葉が漏れた。
己と妖精たちの絆に感動するマルグリットを他所に、メルの説明は続いた。
「あの縦ロールは、妖精さんたちの趣味です。なので三才になった頃から、ずっとマルーは縦ロールでした」
「激戦地でも縦ロールを維持していたって伝説がのこっているけど、そんな事情があったとは……」
「この人に歴史ありです。面白すぎるので、ヘアスタイル担当の妖精さんたちには、残ってもらいました」
「強力で危険な精霊魔法は……?」
サンテが不安そうに訊ねた。
鮮血の狂女マルグリットは、無力な幼女になっても歴史研究家のサンテを怯えさせた。
メルとしてはクリスタに記憶してもらえなかった程度の相手なので、不自然なまでに整った縦ロールにしか関心がない。
何しろ異世界である。
縦ロールの女友だちは、欲しい。
「んなもん……。危なかったら、最初から家族と会わしませんわぁー」
「ですよねぇー」
エグランティーヌが当然だとばかりに、頷いた。
「ねぇねぇ……。そしたら、メルちゃん。マリーちゃんは、本当に千三百才なの……?」
「まぁま、往生際が悪いです。専門家の仰ることは、信じマショ!」
「だって、だって……。マリーちゃんを見たら、小さな女の子だと思うでしょ。ちょんと説明してくれないと……」
「わらしが説明しようとしたら、ホッペを抓くって喋らせんかったデショ!」
「…………ああ、頭が痛い。何も思い出せないわ」
アビーが額を押さえ、メルから視線を逸らした。
「あたし、覚えてるよ。心配しなくても、ちゃんと教えてあげるね」
「なっ、なにを言うのよ。ジュディー」
「そんな作り話で……。あたしを騙せるとでも、思っているのかしら……?そう言ってアビーさんは、メルちゃんを抓りました」
「イヤァー!!」
ジュディットが、最高に気まずいタイミングで口を挟んだ。
「それでも、メルちゃんが無実を訴えると……。ちょっと黙ろうかと、脅しました」
「もうやめてェー!」
ジュディットは人魚なので、周囲の流れに身を任せる。
空気は読まない。
ジュディットの横で、ディートヘルムがパクパクと口を動かしていた。
どうやらメルに謝るタイミングが、見つからないようだった。
◇◇◇◇
斯くして、メルにかけられた容疑は、半日もせずにスッキリと晴らされた。
「せやからぁー。わらしは、ゆぅーたやないですかぁー」
メルは酔いどれ亭の食堂で、ふんぞり返っていた。
メルの頬には派手な絆創膏が、わざとらしく貼ってあった。
長椅子に素足を載せて、かなりお行儀の悪いポーズだけれど、誰も文句を言えない。
「ジュディー。わらし、遠くまで歩いて足がパンパンやねん。マッサージしてぇー!」
「ハイハイ」
ジュディットが、メルの足をさすさすと擦る。
「まぁま……。オヤツのマロンパイは、まだですかぁー!?」
「ごめんなさぁーい。もう少しで焼き上がるから、お待ちくださいませ」
「まったくぅー。遅いとハエが止まるで……。ホンマ」
「…………っ」
早とちりでメルを罰したアビーは、『傷ついた幼児の心が癒えるまで、如何なる要求にも従います!』と、約束させられた。
偉そうなメルの態度に腹が立っても、叱りつけたり言い返したりしてはいけない。
そんな真似をしたら、メルが頬っぺたを押さえて大袈裟に苦しがる。
「ディー」
「あい」
「おねいちゃんは、マロンパイが焼き上がるまで退屈デス!」
「あい」
ディートヘルムは大好きな姉を疑ってしまったので、とても申し訳ない気持ちだった。
なので自分も何かお詫びができないものかと、メルの横に張りついて出番を待っていたのだ。
「はてさて……。どうしたらよいでしょう?」
「ボクが、ご本を読みましょう」
「うむ。よい心がけデス」
メルは鷹揚に頷いた。
そして、嫌がるマルグリットを抱き上げた。
「マルーもメル姉さんと一緒に、ディーのお話を聞こう」
「いやぁー!」
「言うこときかんと、マロンパイは上げれませんね」
「ふぅー」
マルグリットは、おとなしくメルに抱っこされた。








